恋するピアノ

紗智

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23.違うひと

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※※※明日生視点です。



覚さんがピアノの椅子に座って、僕らはソファにそれぞれ座る。
「何か聴きたい曲、弾くけど?」
諒さんが訊いてきて、僕は夜穂先輩と良実先輩の顔を見た。
「え、俺クラシック全然知らねえからなんでもいいけど」
「俺も」
じゃあ、僕が好きな曲ってことか。
「特にこれって曲があるわけじゃないんですけど……小さい頃聴いてただけなのでタイトルも作曲家の名前も知らないし」
「どんな曲がいい? 明るい曲?」
「切ない曲が聴きたいかな」
諒さんと覚さんはドイツ語で何か少し話した。
何の曲にするか相談してるみたいだ。
諒さんが何か案を出して、覚さんが少し渋い顔をして何か文句を言った。
諒さんが笑って何か短く言うと、覚さんは正面を向いて目を閉じて静かに息を吐いた。
弾き始めるみたいだ。
諒さんが説明した。
「明日生の『切ない』ってイメージとはちょっと違うかもしれないけど、ショパンの有名なエチュードを2曲続けて弾くね」
「はい」
返事をすると、諒さんは正面を向いて壁にもたれ、脚と腕を組んで、目を閉じた。
リラックスしているように見えるけど、どこか緊張感が残っている。
多分頭の中で、覚さんと一緒に弾くんだろう。
覚さんの方を見ると、ちょうど腕を鍵盤の上に構えるところだった。
やっぱりピアノを弾くのにふさわしいような大きな手だなって思った時だった。
突然空気が変わった気がして、無意識に息を止めた。
ふと気付くと、目の前で全然知らない男の人がピアノを弾こうとしてる気がして、驚いて見直した。
でもどう考えても、そのチョコレート色のふわっとした髪にミルク色の肌で欠点のない整った顔立ちに不思議な色をした瞳の細い姿勢のいい身体は、覚さんでしかないはずだ。
でも一瞬前の覚さんとは全く違うひとにしか見えない。
何が変わったんだろう、と思っていると、音が聞こえてきた。
この曲はタイトルを知ってる。『別れの曲』だ。
ふと、その顔を見て、そのまま目が離せなくなってしまった。
13歳の人にこんな表情は絶対にできない。
やっぱり違うひととしか思えない。
特に悲しそうな顔をしてるわけじゃなくて、見た目は無表情なんだ。
でもどこかに……多分心の中にものすごく深くて優しくて切ない感情がぎっしり詰まってて、抑えきれなくて今にも溢れてきそうになっている、ように見えた。
溢れてしまうから、ピアノの音に乗せて気持ちを空気に流し出してる、そんな感じだ。
あっという間に一曲目が終わってしまって、二曲目になる。
苦しくて、息を止めていることに気付いてゆっくり息を吐いた。
やっぱりそのひとは無表情のままだけど、何かを激しく訴え続けている。
僕はちゃんと聴いてるんだ、でもまだもっとちゃんと聴かなきゃいけない、そんな気持ちになってくる。
激しくなっていく音に僕の中の何か深いところを揺さぶられているのを感じながら、苦しくてまた息を吐く。
どうして呼吸をしないと苦しくなるんだろう、苦しくならなければ邪魔されずに見つめていられるのに、と少し苛立った。
曲調が終盤に近付いてるのに気付いてハッとした。
駄目だ!
まだ終わらないで!
お願いだから、動きを止めてほしい、そう強く願って、初めてその指先を見た。
既にこんなにびっくりしてたのに、まだ僕は驚けたのかと思った。
大きな手をさらに大きく広げてて、信じられないほど速く動いている。
顔の辺りを見てて、こんなに動いてるなんて想像もできなかった。
こんなに速く動いてるんじゃ、止まってもらうなんてできない。
そう思ったとき、曲が終わった。
その人が目を閉じて大きく息を吐くのが見えた。
鍵盤から手を降ろして身体が大きく動く。
あ、こっちを見た……!
目が合って、少し微笑んで首をかしげたそのひとは、少し緊張してるようだけどいつもの覚さんだった。
僕は動くのも忘れてしまっていたことにやっと気付いて、少し前のめりになっていた身体を伸ばした。
軽い痛みを感じて目を閉じた。
多分まばたきするのも忘れてた。
目を開くと、覚さんが両手を組んで指を伸ばしていた。
手を打つ音が聞こえて、そっちを見ると、良実先輩が拍手してた。
しまった、こんなにすごいものを聴かせてもらったのに拍手も忘れてた。
夜穂先輩も忘れてたみたいで、慌てて拍手した。
僕も拍手しながら、良実先輩と夜穂先輩の顔を見た。
二人とも、感心してるみたいだ。
「すっごい……本物見ちゃったって感じ!」
良実先輩が笑いながら言った。
横で諒さんが首をかしげたのがわかったから、多分覚さんも首をかしげてるだろう。
きっとニュアンスが伝わってない。
でも、訳してあげる気力すらも今はなかった。
今の曲を聴いた……弾いているひとを見た衝撃で僕の奥にある何かをがっつり失くしてしまった感じがする。
気付いたら、僕は結構汗をかいていて、まだ苦しいせいで鼓動も速いままだ。
夜穂先輩が驚いた顔で言った。
「すっげえ、かっこいいなあ!!」
その言葉に、気付いた。
さっきの間はとにかく夢中にさせられてて、なんて表現すればいいのかなんてことはとても考えてられなかったけど、言うならばそれだ。
さっきのひとは、こんなひと存在できるんだってくらい、信じられないくらい……かっこよかったんだ。
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