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54.スーツ
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※※※明日生視点です。
少し緊張するかも。
なんだかすごく久しぶりのような気がする。
たったの5日しか空いてないのになあ。
しかも、まだ夏に知り合ったばかりの人のことだ。
そう思うと笑えてきてしまう。
気を取り直してインターホンを押した。
家政婦さんが出て、今二人はちょうど離れにいるからそっちに直接訪れていいとのことだった。
通用口のロックを解除してもらって敷地内に入った。
離れに向かい歩きながら少し考えた。
これから覚さんの方は芸能人として忙しくなるだろう。
そんなに頻繁には会えなくなるかもしれない。
諒さんはどうするんだろう。
いつも二人一緒にいるけど、覚さんの仕事について行くんだろうか。
離れでまたインターホンを押すと、今開けるね、と元気のいい返事が返ってきた。
二人のうちどっちかが玄関のドアを開けてくれて、瞬間ドキッとした。
ううん、ゾクッとした、が正しいかもしれない。
ネイビーのスーツを着てる。
とても仕立の良いスーツで、徒咲の制服のブレザー姿を見慣れているのに見違えた。
見違えたというか、すごく『あのひと』に近い。
黙って立ってたらそのまま『あのひと』だ。
すごくかっこいい。
肩幅があって腕も脚も長いからスーツ類が似合うのか、正装になれてて様になってるのか。
「いらっしゃい。明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「明けましておめでとうございます。こちらこそどうぞよろしく。えっと、覚さんですか?」
「残念、諒だよ」
微笑んで名乗る諒さんは、やっぱり『あのひと』っぽい。
でも、少し違う。
『あのひと』はもっとギリギリのところにいるような緊張感を持ってるんだ。
「明日生! 明けましておめでとう!」
防音室から覚さんが出てきた。
「明けましておめでとうございます。今年もお願いします」
「よろしくね」
「って……お揃いなんですね……」
覚さんも同じネイビーのスーツだ。
でもなぜか覚さんの方は少し『あのひと』感が薄い。
「「うん」」
「見分けつかないですよ」
「名前呼んでくれれば返事するよ」
まあ、それはいつもそうなんだけど。
「それに今日はほとんど俺たちバラバラだから」
へえ、めずらしい。
「どうしてですか?」
「交代で母屋へお客様の相手に行くからね」
「交代なんですか?」
「二人ともいるとお客様が混乱するって言われたんだ……」
初めて会う相手なら……せめて服の色は変えた方がいいとは思う。
「ひどいよね。俺だけでいいって話なんだけどさ」
長男だから諒さんなのか。
「諒一人でずっとやってると疲れちゃうから、俺が代わってるんだ」
「だから明日生、いくらでもピアノ弾いてあげるよ」
「え、ほんとですか!?」
あまり期待してなかったから、余計うれしい。
「じゃあ、俺そろそろ母屋行くよ」
覚さんが玄関に降りて靴を履いた。
『ありがと、Wolfy』
あ……諒さんが残るんだ……。
ちょっとドキドキしてきた。
と、いきなり二人が僕の目の前でキスをして、ぎょっとした。
しかも、口に……。
まるで、当たり前のように……。
『じゃね』
『よろしく』
二人は声を掛け合って、覚さんは出て行った。
「……いつも、口にキスするんですか?」
「うん? 俺たちキスするときはいつもだいたい口だけど?」
というか、キスをいつもするんだなあ……。
いつも『あのひと』とキスしてるなんてうらやましい。
ん? 誰のことがうらやましいんだろう?
「さてさっそく聴きたい?」
あらためて正面から言われて、さらに鼓動が落ち着かなくなった。
「はい!」
「多分俺休まず弾くけど、明日生はちゃんと休みながらにしてね。何しててもいいからね」
「はい」
でも『あのひと』は僕に他のことを考える余裕をくれない。
「聴きたい曲は?」
「諒さんの弾きたい曲で」
惹きこまれて、気付いた時には3時間以上経っていた。
「明日生、大丈夫?」
『あのひと』が僕を見て話しかけてきた。
心拍数がすごいことになってる気がする。
このひと、いつもカジュアル系を着てるのって、僕たちに気を遣ってくれてるのかな。
スーツがほんとにしっくりきてる。
かっこよすぎて、どこかがおかしくなってしまいそうだ。
「明日生?」
もっと、僕の名前を呼んでほしい。
「……え? なんですか……?」
「ぼんやりしてるみたいだけど……疲れてるんじゃない? 待ってて、水持ってきてあげる」
水なんていらない。
ずっと傍にいてほしいのに。
『あのひと』はさっと立ち上がると、すたすたと防音室を出て行ってしまった。
やっと僕は自分が立ったままでいたのに気付いて、ソファに掛けた。
けっこう疲れてる。
『あのひと』に集中させられたまま3時間だから、疲れるのも当然か……。
「ちゃんと休憩してね。はい、飲んで」
ミネラルウォーターを渡された。
「ありがとうございます」
もう諒さんになってる。『あのひと』じゃない。
「諒さん」
呼びかけて、水を飲んでみると、のどがカラカラだった。
「うん?」
諒さんはソファに掛けて爪を削っていた。
やっぱり切るんじゃなくて削るんだな。
「覚さん、芸能活動するじゃないですか」
「うん、そうだね?」
「諒さんも仕事について行くんですか?」
「出来るだけそうするつもりだけど?」
やっぱりそうなんだ。
「ほんとに仲がいいですね」
「そうだね。お互い『もう一人自分がいる』って思ってるからね」
もう一人自分が?
僕はもしもう一人自分がいたら、鬱陶しくて仕方ない気がするな。
「諒さんも一緒に忙しくなっちゃうのか……」
諒さんは首をかしげた。
今日はかなり『あのひと』っぽい感じだから、なんだか『あのひと』が首をかしげてるみたいでちょっと新鮮だ。
「どうして?」
「諒さんだけでも時間あったらピアノ弾いてくれるのにって思って」
ちょうど防音室の入り口のドアが開いて覚さんが入ってきた。
「そろそろ夕食だね」
「そうだね。明日生、泊まっていく?」
「さすがにずっとだと申し訳ない気がしてきました」
「全然構わないのに」
「いっそ、ここから国都海に通っちゃえば?」
さすがに『あのひと』と暮らすようなことになったらおとなしくしていられない。
また来ます、そう言って若桜家を後にした。
少し緊張するかも。
なんだかすごく久しぶりのような気がする。
たったの5日しか空いてないのになあ。
しかも、まだ夏に知り合ったばかりの人のことだ。
そう思うと笑えてきてしまう。
気を取り直してインターホンを押した。
家政婦さんが出て、今二人はちょうど離れにいるからそっちに直接訪れていいとのことだった。
通用口のロックを解除してもらって敷地内に入った。
離れに向かい歩きながら少し考えた。
これから覚さんの方は芸能人として忙しくなるだろう。
そんなに頻繁には会えなくなるかもしれない。
諒さんはどうするんだろう。
いつも二人一緒にいるけど、覚さんの仕事について行くんだろうか。
離れでまたインターホンを押すと、今開けるね、と元気のいい返事が返ってきた。
二人のうちどっちかが玄関のドアを開けてくれて、瞬間ドキッとした。
ううん、ゾクッとした、が正しいかもしれない。
ネイビーのスーツを着てる。
とても仕立の良いスーツで、徒咲の制服のブレザー姿を見慣れているのに見違えた。
見違えたというか、すごく『あのひと』に近い。
黙って立ってたらそのまま『あのひと』だ。
すごくかっこいい。
肩幅があって腕も脚も長いからスーツ類が似合うのか、正装になれてて様になってるのか。
「いらっしゃい。明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「明けましておめでとうございます。こちらこそどうぞよろしく。えっと、覚さんですか?」
「残念、諒だよ」
微笑んで名乗る諒さんは、やっぱり『あのひと』っぽい。
でも、少し違う。
『あのひと』はもっとギリギリのところにいるような緊張感を持ってるんだ。
「明日生! 明けましておめでとう!」
防音室から覚さんが出てきた。
「明けましておめでとうございます。今年もお願いします」
「よろしくね」
「って……お揃いなんですね……」
覚さんも同じネイビーのスーツだ。
でもなぜか覚さんの方は少し『あのひと』感が薄い。
「「うん」」
「見分けつかないですよ」
「名前呼んでくれれば返事するよ」
まあ、それはいつもそうなんだけど。
「それに今日はほとんど俺たちバラバラだから」
へえ、めずらしい。
「どうしてですか?」
「交代で母屋へお客様の相手に行くからね」
「交代なんですか?」
「二人ともいるとお客様が混乱するって言われたんだ……」
初めて会う相手なら……せめて服の色は変えた方がいいとは思う。
「ひどいよね。俺だけでいいって話なんだけどさ」
長男だから諒さんなのか。
「諒一人でずっとやってると疲れちゃうから、俺が代わってるんだ」
「だから明日生、いくらでもピアノ弾いてあげるよ」
「え、ほんとですか!?」
あまり期待してなかったから、余計うれしい。
「じゃあ、俺そろそろ母屋行くよ」
覚さんが玄関に降りて靴を履いた。
『ありがと、Wolfy』
あ……諒さんが残るんだ……。
ちょっとドキドキしてきた。
と、いきなり二人が僕の目の前でキスをして、ぎょっとした。
しかも、口に……。
まるで、当たり前のように……。
『じゃね』
『よろしく』
二人は声を掛け合って、覚さんは出て行った。
「……いつも、口にキスするんですか?」
「うん? 俺たちキスするときはいつもだいたい口だけど?」
というか、キスをいつもするんだなあ……。
いつも『あのひと』とキスしてるなんてうらやましい。
ん? 誰のことがうらやましいんだろう?
「さてさっそく聴きたい?」
あらためて正面から言われて、さらに鼓動が落ち着かなくなった。
「はい!」
「多分俺休まず弾くけど、明日生はちゃんと休みながらにしてね。何しててもいいからね」
「はい」
でも『あのひと』は僕に他のことを考える余裕をくれない。
「聴きたい曲は?」
「諒さんの弾きたい曲で」
惹きこまれて、気付いた時には3時間以上経っていた。
「明日生、大丈夫?」
『あのひと』が僕を見て話しかけてきた。
心拍数がすごいことになってる気がする。
このひと、いつもカジュアル系を着てるのって、僕たちに気を遣ってくれてるのかな。
スーツがほんとにしっくりきてる。
かっこよすぎて、どこかがおかしくなってしまいそうだ。
「明日生?」
もっと、僕の名前を呼んでほしい。
「……え? なんですか……?」
「ぼんやりしてるみたいだけど……疲れてるんじゃない? 待ってて、水持ってきてあげる」
水なんていらない。
ずっと傍にいてほしいのに。
『あのひと』はさっと立ち上がると、すたすたと防音室を出て行ってしまった。
やっと僕は自分が立ったままでいたのに気付いて、ソファに掛けた。
けっこう疲れてる。
『あのひと』に集中させられたまま3時間だから、疲れるのも当然か……。
「ちゃんと休憩してね。はい、飲んで」
ミネラルウォーターを渡された。
「ありがとうございます」
もう諒さんになってる。『あのひと』じゃない。
「諒さん」
呼びかけて、水を飲んでみると、のどがカラカラだった。
「うん?」
諒さんはソファに掛けて爪を削っていた。
やっぱり切るんじゃなくて削るんだな。
「覚さん、芸能活動するじゃないですか」
「うん、そうだね?」
「諒さんも仕事について行くんですか?」
「出来るだけそうするつもりだけど?」
やっぱりそうなんだ。
「ほんとに仲がいいですね」
「そうだね。お互い『もう一人自分がいる』って思ってるからね」
もう一人自分が?
僕はもしもう一人自分がいたら、鬱陶しくて仕方ない気がするな。
「諒さんも一緒に忙しくなっちゃうのか……」
諒さんは首をかしげた。
今日はかなり『あのひと』っぽい感じだから、なんだか『あのひと』が首をかしげてるみたいでちょっと新鮮だ。
「どうして?」
「諒さんだけでも時間あったらピアノ弾いてくれるのにって思って」
ちょうど防音室の入り口のドアが開いて覚さんが入ってきた。
「そろそろ夕食だね」
「そうだね。明日生、泊まっていく?」
「さすがにずっとだと申し訳ない気がしてきました」
「全然構わないのに」
「いっそ、ここから国都海に通っちゃえば?」
さすがに『あのひと』と暮らすようなことになったらおとなしくしていられない。
また来ます、そう言って若桜家を後にした。
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