朝の霧にほどける

春日あお

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 僕を例えるなら、素直にリカちゃん人形だ。
 僕は、女の子のように育てられた。
 可愛く仕立てられたワンピース。
 リボンを飾った二つ結び。
 外に出れば、

「可愛らしいお嬢さんですね」

 と言われて、母は喜んでいた。
 年長のころ、幼馴染と湯船に浸かったとき、

「なぁんだ、おまえもちんちんついてるじゃん!」

 と言われて、僕は初めて、女の子じゃないんだと知った。
 目の前の男の子の性器と、僕の性器は、多少の差はあれど、同じものだった。

 ——僕は女の子ではないらしい。

 それでも女の子でいると、母は幸せそうな顔をしてくれる。
 だから、僕は精一杯、女の子として生きてきた。

うたー」

 呼び止められて、振り返った。
 廊下の奥から、朝霧 航あさぎり わたるが颯爽と歩いてくる。

「航、なに?」

 僕も小走りで近寄った。

「購買のパン、残りを買い占めてきた。めしまだだったら、一緒に食べよ」

 航はビニールの手提げ袋を広げて、僕に見せてくる。
 中には、焼きそばパンやカツパン、カレーパンなどの惣菜パンがいくつもあった。

「ありがとう。食べる。日直の仕事終わったとこだから、まだ食べてない」

「やった。じゃあ、中庭行こう」

「うん。天気いいもんね」

 二人で肩を並べて歩く。
 航は、幼馴染だ。出会いは町内会のお祭りらしいけど、全然覚えていない。
 気づいたら、当たり前のように隣にいた。
 まさか高校までずっと一緒だと思わなかったけど。

「んーっ、気持ちいいな。詩、どれがいい?」

 航がベンチに腰掛けて、体を伸ばした。
 小春日和の暖かい日差しが、心地いい。

「ツナたまとコロッケにしようかな」

 促されて、僕は袋の中身を漁る。

「やっぱり、コロッケ選ぶと思った」

 航がにやりと笑って、焼きそばパンをかじりながら、思い出したように言う。

浅田あさだ遠野とおのが破局寸前らしい」

「えっ、なんで?あんなに仲良さそうなのに」

「浅田と話したけど、よくわからん。遠野が好きだーとか、別れたくないー、しか言わない。でもあれはきっと、浅田の束縛が強いせいだな」

「ふーん」

 航は人差し指を立てて得意げに、浅田と遠野の破局理由を推理する。
 男女の揉め事を聞いても特段、胸は湧かない。
 体は男でありながら、女として振る舞う自分を、どう扱っていいのかわからない。
 女の子と恋愛をするイメージもまったく浮かばない。

 ……もし、そんな事になったら、母はどんな反応をするだろうか。

 背筋に冷たいものが走って、首を横に振って、嫌な想像を振り払った。

「そういえば……三浦みうら葉山はやまがデキてるって噂だ」

 航が身を乗り出し、声をひそめて言った。

「……え、数学と英語の?」

「そう」

「え、男同士じゃん」

「そう」

「え、あー……そういうこと?」

「浅田が見たらしい。準備室で、二人がキスしてるところ。しかも深~いやつ」

 想像してしまった。先生と先生のディープキス。
 この後、数学の授業があるというのに、どんな顔して臨めばいいんだ。
 僕は頬を赤らめて、咳払いをした。

「もうその話はいいよ」

 僕の様子に航は、

初心うぶだなー」

 と笑った。
 もし噂が本当なら、先生たちみたいに——僕に彼氏ができたら、母は喜ぶだろうか。
 母にとっては、娘に彼氏ができただけ……。
 そう思えば、楽になれる気がした。

小暮こぐれくん」

 談笑していると、不意に声を掛けられた。
 振り返ると、女子が三人寄り添うように立っていた。
 真ん中の女子が頬を赤く染めて、もじもじしている。
 たしか名前は——中野なかのさん、だった気がする。

「朝霧、空気読んでよ」

 両隣に立つ女子が、航を睨みつけて手払いをする。

「へーへー」

 航がぶすくれながら立ち上がり、

「詩、また放課後なー」

 と言って遠ざかって行った。
 両隣の女子二人は僕と中野さんを置き去りにし、少し離れた木の影から僕らを熱い視線で見守っている。
 今何が起きようとしているのか、さすがに理解できるが、できる分、頭はひどく冷えていた。
 男として生まれ、女として育てられた自分に、果たして女を愛する事ができるだろうか。
 他に兄弟姉妹はいない。
 女であるために、まわりの女子を必死に真似た。
 言いそうな言葉、やりそうな行動、学習したものを見せると、母は顔を綻ばせた。
 それが、僕の全てだ。

「それで、どうだった?」

「え?」

 放課後、航と並んで歩く。
 傾いた夕日が、視界を橙色に染めている。

「ああ……三浦先生はいつも通り涼しい顔で、ゲイにはやっぱり見えなかったかなー」

 あまり聞かれたくなかったから、適当に答えた。
 一拍の間をおいて、航に腕を掴まれた。

「はぐらかすなよ」

 いつもより、一段と低い声だった。
 見上げると、航が柄にもない、真剣な表情を浮かべていた。
 胸がどきり、とした。
 その手を振り払ってはいけない気がした。

「……告白……されたけど、保留にした」

 そう言うと、航は肩を緩めたようで、次には掴んだ手を離した。

「なんで?」

 と言って視線を外し、また歩き出す。

「なんか、よくわからなくて……付き合うとか、そういうの」

「まあ、わかる。……ちゃんと、返事はしてやれよ」

 ぽつりと、航は言った。
 それから二人して黙ったまま、別れ際に「じゃあ」と短く言って帰った。
 自宅玄関をそっと開け閉めして、二階の自室へ滑り込む。
 制服を脱いで、もこもこ素材のパステル調の部屋着に身を包む。
 黒髪ロングのウィッグを被り、目元を最低限にあしらう。
 姿見で全身を確認して、

「よし」

 と、気合いを入れるように言った。
 階段を降りて、リビングへと入る。

「ママー、ただいまー」

 にこやかに、明るい声で、大きく腕を広げて、母に抱きつく。

「ふふふ、おかえり、詩」

 抱きついた僕に、穏やかな笑顔を返す。

「お腹すいちゃったー」

「はいはい、もう少しでできるからね」

 くすくすと笑ってキッチンに入って行った。
 僕は、

「はーい」

 と軽やかに言って、ソファに横になってスマホをいじる。
 ソファの背に隠れて、小さくため息を吐いた。
 母の鼻歌を聞くと、父がこぼした昔話が決まって蘇る。
 母は高齢出産で、壮絶な治療の末にようやく身籠り、両親共に歓喜し、抱き合って咽び泣いた。
 子どもの性別は、男であると告げられたとき、母はひどく落胆した。
 希望は女の子だった。
 性別がわかるまでは……と買い控えていたベビー用品は、わかった途端、可愛らしいピンクを基調に買い揃えられた。
 寝室もクローゼットも、女の子を迎える色で染まっていた。
 と、苦虫を噛み潰したような顔をして、父は語ってくれた。
 母はさすがに世間体を気にしたのか、小学校に上がってからは、家の中でこうやって過ごすのが暗黙のルールになった。
 それでいいと思った。
 僕さえ我慢していれば、この家は幸せな家庭でいられる。
 ふと、航に掴まれた腕の感触を、思い出す。
 触れられた腕を眺める。
 ——返事はしてやれよ。
 胸がささくれ立った。
 どう返事をすればいいか、ぐるぐる考える。
 遠くで続く、母の鼻歌と調理する音を、静かに聞いていた。




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