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H.512
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九十九年法が制定されてから、どのくらい経ったのか。
立ち並ぶ巨大なビル達。その窓ガラスの横一列が、一斉に砕けて道路に降り注ぐ。もしも住人がいたのなら、通りは悲鳴で溢れていただろう。ここに人はいない。ただ甲高い音が響くだけだ。
『俺はー‼ 我が主人と世界中の芝を刈り尽くすと決めた男‼ 邪魔をすんなあ‼』
ガラスを飛び散らせた張本人、巨大な芝刈り機がぶおんぶおんと唸っている。折角の啖呵も彼自身の騒音であまり聞こえなかった。車両の両端にあるタイヤの中にはぎょろぎょろと蠢く目玉が飛び出ている。その下の口、せり出した金属の端にはぼろぼろになった布と肉片がこびりついていた。おそらくは、それがその主人だ。
「その主人を殺してちゃ仕方ねぇよな」
資源の本格的不足により、理由無く物を廃棄したら極刑。廃棄は、「九十九年」以上使用された場合のみ許可する。
機械が身体を左右にしならせる度、ぎざぎざの刃が空中を飛び回った。新しい破片が生まれる音、イヤホンを通して聞こえる面接官の声。
『君、そろそろ居住区に被害が及ぶぞ。早く片付けないと、私は君の採用を祈ることになってしまう』
「はいっ‼ もうあと少しなんで‼」
しまった。見せ場を作ろうとして、溜め過ぎたか。芝刈り機の構造を思い出す。エンジンの位置、それはもうなんとなく想像がついた。
「くたばれ‼」
腰のホルスターから拳銃を取り出す。エンジンに数発穴が開けばいい、それならこれで十分だ。
フロントサイト、リアサイト、照準……この場合、黒い装甲の中のエンジン。それが一直線になったことを確認し、引き金を引く。
『主人、主人はどこだ‼ 俺はまだ使える、捨てないでくれ、まだ一緒に』
エンジンに見事着弾し、そこが火を噴き煙を吐くまで、その付喪神は喚き散らしていた。その声もしなくなり、燃え残ったプラスチックが溶ける音が残る。それを見届けると、青年が胸の前で手をばちんと合わせた。
「成仏してください!」
平成五百十二年、極東都市東京。人々は付喪神たちに悩まされていた。
少しだけ燃え残っていた火も消え、しん、と周囲が静まり返る。ゆっくりと上昇する防護壁に、遅せぇよ、と苦言をこぼした。
「よし、」
合わせていた手を離す。拳銃は安全装置を確認後、ゆっくりとホルスターに戻した。これは採用確実だな、そんな現実的な思考が頭を掠める。
「気を抜くのが早すぎるんじゃないか」
黙祷を終え、目を開けた瞬間。
そいつはそこにいた。この一角に自分以外がいることに、初めて気づいた。
「え」
薄紫の睫毛が縁取る長い目。瞳孔がなんでか虹彩よりも薄い色で、それが間近にある。状況が読めず、そいつに頭を掴まれても一瞬反応できなかった。
「ぐえ‼」
そのまま、顔面から地面に叩きつけられる。コンクリートに顔面を強打し、鼻がへこんだかとすら思った。まとめた後ろ髪を幾本か千切り、頭のあった空間を刃が通り抜ける。おそらく、芝刈り機の最後の一撃が弧を描いてここまで戻ってきたのだろう。向かいのビルは斬撃を受けてびりびりと震えつつも持ちこたえた。
流石の耐震構造、五百年前の技術。設計士の爺ちゃんに育てられた彼は、場にそぐわずぐっと親指を立てた。
「現代まで生きる耐震機構……流石だぜ……」
「行くぞ。トノコが待っている」
鳩羽色の彼女は振り返りもせず歩いて行く。立ち上がって初めて、その背が彼女と呼ぶには高すぎることに気づいた。
「トノコさんって、今回の採用担当の……」
さっさと来い、そんな視線を受けて今度こそ彼は歩き出す。
廃ビル群の一角、辛うじて人の気配がする最上階。廊下は先程の刃で穴が空き空を拝めるものの、この部屋はヒビ程度で持ちこたえている。
「初仕事終了! 無傷! 俺は最強‼」
うおお、と青年は両の手を上に突き出した。案内役の彼女はそれをしらじらとした様子で見ている。机の奥、にっこりと微笑んでいる女性が今回の面接官だ。
「現人シンシュくん、話の通り、まあ……一体を、一人で倒した君は正式に煤祓いの一員と認められた訳だが……」
「はい‼」
「はっはっは、威勢がいいな。いい子だ」
神宮司トノコ、年齢不詳、女性。彼の面接官兼これからの上司。鈍く赤みがかったブロンドが良く似合う。それに女らしい体つきも彼の好みだった。美人と話すのは楽しい。そんな単純な思考は、周囲の人間にもだだ漏れである。
「君を、煤祓い『と』の十一番に任命する。ここ、第七ブロックは君の縄張りだ。そこに面する居住区も好きに利用していい。いやあ今回の新人は君以外不採用になったからねえ、よかったよかった」
「いやあ……へへへ」
褒められたことを素直に喜んで、犬歯の目立つがたがたの歯を隠しもせず笑った。
煤祓い、つまりは付喪神専用のハンターに志願したのは成り行きだったが、思ったよりも待遇がいいらしい。爺ちゃんに今までの借りを返さねば、青年は呑気に腕を組み鼻歌を歌っている。
「でもね、君はまだまだ半人前だ。だから私の方で勝手にバディを組ませてもらったよ」
「聞いてませんでした」
「言ってなかったからね」
当然、とでも言いたげにトノコが笑顔を見せた。それにつられてこちらの口角も上がる。そんなことはどうでもいい。バディのひとりやふたり、犬猫と変わらないだろう、シンシュはそう思った。彼は細かいことは気にしない性格である。
「先程君を助けただろう。ハトバだよ。仲良くしてね」
上司は笑顔のまま、彼の真横を指さした。こいつか。さっき顔面を強打した要因、というか元凶。少しだけ彼の表情筋がひくついたが、考え直そうと努める。考えようによっては、こいつもけっこうな美人だ。ちょっと顔は怖いけど、それは目つきの悪い自分が言えた話ではない。
背はすらりと高く、無駄な肉はひとつもついておらず、モデル体型、そんな言葉がハトバにはぴったり当てはまった。ただひとつ残念なのは胸だけだ。何も無い。まるでもって何も。
「ん、よろしく」
つまり、好みのタイプではないな。彼はそう思ったので、一ミクロンの下心もなく手を差し伸ばした。
「……」
ぱし、とその手を振り払われたことに気づいた頃には、そいつはもう角を曲がっている。そっかバディってこんなもんなんだな、彼は深く考える性質ではなかった。
「じゃーなハトバ! また仕事で!」
ぶんぶんと手を振って見送る。ははは、とまたトノコが笑った。
「気に病まないでくれないか。あいつは、ついこの前バディを失ったばかりなんだ」
「……そいつも、新人だったんすか」
「いいや? 私も一目おいていたベテランさ」
教育係なんだろうか、その予想は外れたようだ。むしろこれは自分の命の危険を考えるべきかもしれない。バディが死神なんて、そんなのは御免こうむりたい。
「あれの手前、君にバディが必要、という言い方をしてしまったが、本当にバディが必要なのはあいつの方なんだ」
なんでですか、そんな疑問が喉を通る前に。薄い唇が頬に落ちた。後れ毛がさらりと触れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
あまりにも唐突で、かつそんなことをしてくる人なんて今までの人生の中にいなかったので、彼は完全にフリーズした。
「頼りにしてるよ」
シンシュ君、と彼女は言って、去っていった。きっとまだ他にも仕事があるのだろう。同じ区画の中に、他にも煤祓いはいるはずだから。
「……おとなって、こえぇな……」
鼻粘膜に触れた甘さを忘れられず、ぶんぶんと首を振って彼は歩き始めた。
動揺を抑えきれず、コンクリートのひびに脚を突っ込むこと三回、道路のクレバスに落っこちること二回、倒れた電柱につまづくことは五回を越えたあたりでもうよく分からなくなった。煤祓いは居住区の近く、けれどもその外側に社宅がある。そこを縄張りとして地形を把握することで、付喪神をおびき出して戦えるようにだ。
ぼんやりしたままドアノブに手をかける。閉まっていた。当たり前か、と先程受け取ったばかりの鍵をポケットから探り出す。
『この鍵は二つあるけど、それでも無くさないようにね』
ひょっとして。ひょっとしてだけど、そのもう片方はトノコさんが持ってたり。するのだろうか。うひひ、と唇が弧を描く。淡い期待を抱いて鍵を開けると、そこには、背の高く胸のないバディ――ハトバの姿があった。
「なんでお前が俺の社宅にいるんだ⁉」
「説明されてないのか。同室だぞ私たちは」
「な、なんというかその、流石に、ほぼ初対面の男女が同じ部屋っていうのは、」
眉間にしわを寄せ、彼女は幾分か考える素振りを見せた。しばらくの後、ああ大丈夫だぞと声をかける。
「安心しろ。私の部屋には鍵がかかる」
「いや俺の部屋にはついてないのかよ」
それは嘘ではないらしい。目の前には扉がいくつかあったが、一つだけ鍵のかかるものがあった。
ハトバは、先程見たスーツに手袋もブーツも脱がないまま、股を開きソファーでくつろいでいる。やることも無いのか、机の上に散らばっていた雑誌を読んでいた。
「……」
俺は騙されたのかもしれない。なんとも言えない表情で唇を噛むシンシュを、何だとハトバが一蹴する。てっきりひとり部屋が手に入ると思っていたのに、どうやら自分が居候の形に近いようだった。
ため息を呑み込んで、今日も世話になった自分の銃の点検を始める。もう作ることのできない角張ったフォルムに、暇そうにページを捲っていたハトバも目を寄越した。
「お前その、ガバメントをどこで手に入れた」
銃身にブラシを通す。煤を引っ張り出すと、ガンオイルをその中に垂らした。細く切った布でそれも拭いとると、本格的な分解に入る。
「がば……? かっこいいだろ、爺ちゃんから譲り受けたんだぜ」
名前は覚えていなかったが、作られたのが二百年前だと言う話は聞いていた。先祖が皆大切に扱ってくれていたから、今日でもちゃんと動くのだと。爺ちゃんは設計士兼煤祓いだった。
「馬鹿なのか⁉ それ、もう半分付喪神に……」
大人しく分解されていく機械は、端々まで妖気に満ちていた。それに、エンジン、もしくはモーターのついていない付喪神は手強い。完全に破壊するまで倒したことにはならないからだ。煤祓いとしてのキャリアで、ハトバはそのことを知っていた。そもそも煤祓い達は武器なんて半年使えば捨ててしまうのだ。
「ん? ああ違えよ。『神格化』って爺ちゃんは呼んでた。別に俺はこれを捨てないし、恨みは持ってねえだろ」
「そ……そういうものなのか……?」
口径の小さな銃。確かに、彼の撃つ姿を観察していたのだが、あれは当たらないだろう、そんな軌道を描いていた。にも関わらずその弾は全弾命中。まぐれかとも思っていたが、それはこの銃が必死になって軌道を変えてくれていたのだろう。銃ながら健気なやつだ。
「恨みさえなければ付喪神は生まれないし、捨てるにしろ祓ってやれば恨まれない。そうじゃなく適当に捨てるから付喪神が出来るんだ」
綿棒と布を駆使し、銃は隅々まで磨かれていく。これ以上の分解はまた今度。そう呟いて、元あった通りに組み立てていった。二百年経てなおこんなにも滑らかに動くのだ、この銃はきっと色々な人に愛されていたのだろう。
「それに、こいつみたいに……恨まなくても、存在していけるっていうか……神格化できるやつもいるんだぜ」
内部の清掃を終え、外装も取り付けた。仕上げに表面を布で満遍なく拭く。ハトバには分かった。その銃は、愛されることが嬉しくてきらきらと光っていた。
「そーかあお前、がばって名前だったのか! これからもよろしくな!」
ちゅっと音を立て、彼は軽くその外装に唇を何度か落とす。ぴかぴかの表面に軽く跡がついた。
「おい、嫌がられてるぞ」
「嘘だろ⁉ ごめんな⁉」
「冗談だ」
なんだよー、とシンシュが口を開く。ハトバはそれきり黙って自分の部屋に入った。彼も大してそのことを気にせず、備え付けてあった冷蔵庫を漁り出す。
ハムだのソーセージだの、加工肉にはしゃぐ声が外側から聞こえた。あの女は何を考えてるんだ、そう独りごちる。トノコの目的は今や明白だった。
舌打ちし、裏口からひとりパトロールへ向かう。たかだか七十メートル歩いたところに、見慣れない物体が落ちていた。
少し膝を折り曲げて気づく。行きには無かった、半壊したラジオだ。型から見て八十年前のものだろう。おそらく夕暮れになってから居住区の住民が投げ捨てたのだ。念の為、と踏み潰しておく。基盤がぐしゃりと割れスピーカーの磁石が弾け飛んだ。砕けたアルミの外装には黄ばんだシールが貼ってある。
「これだから」
何度も何度も踏み潰す。ついに金属片の塊となったラジオを見て、ふんと息を吐いた。居住区の明かりがいやに眩しい夜だった。
明くる日は、前日のパトロールの甲斐もあり何も起こらなかった。暖かいシャワーに驚きはしゃぐ彼を、うるさいと一蹴した以外何も。何も起こらないととことん暇だからと、シンシュはパトロールにハトバを誘う。
「なんだ。独りで行け」
「いや、俺この辺昨日来たばっかりで何も知らねえし。あとちゃんと昨日、バディについても検索した。行動を共にするもんなんだろお? バディって」
「馬鹿正直だな、お前……」
ハトバの顔には明らかに葛藤が見えた。それは主に、それもそうかという納得と、かと言って彼と行動を共にしたくないという嫌悪と、あの女これを見越してかという怒りの三種類だ。
「さっさと行くぞ。ついてこい」
言うが早いか、彼女はとっとと先を歩いている。いや待てよ、そう言いながら彼は急いで鍵をかけた。
外は快晴である。周りには崩れかけたビルしかないが、日和だけなら散歩とも言える清々しさである。
「防御壁の溝だ。付喪神が出たら、この溝から壁が出てくる」
「へー、ここだったのかあ」
溝を通して、その先に居住区のビル群が見える。五十年ほど前に造られた区画だからか、居住区と言いつつも住んでいる人はまばらだ。
「この先の首都に七百万人、全人口の一割が住む。絶対にここを通過させるなよ」
「了解。わーってるよ……あれ?」
何かが動いた気がする。シンシュの目に、小さな影が映った。それはビルとビルの間、金属系のゴミだまりをしきりに覗いている。
子供だ。
既に端が廃れつつある居住区からきたのだろう。おそらくは一桁代の少年がうろついている。
「なんだ……?」
「あ、おい、こっち居住区じゃないぞー、くるなって。聞けよ人の話をよ」
少年は顔を綻ばせてこちらへ走ってくると、食い入るように二人を見つめた。
「お兄ちゃん達、僕のライオン見なかった⁉」
「ライオン?」
ライオンはその時代には滅びていたため、二人の間にはぱっと同じイメージが湧く。ぬいぐるみだ。生き物の形を真似る、世界各地に共通の文化だ。
「毛がもふもふ生えててね、ボタンを押したら動くの」
「電動かー! いつの技術なんだそれ」
浮き足立つシンシュを無視し、ハトバはその膝を曲げて諭した。
「……こんな所にあるはず無いだろ。廃墟区だ、ここは」
「でもねでもね、昨日、お父さんに、捨てられちゃったの」
「捨てられ……」
「嫌な予感がする」
ずずずず、何かを引きずって歩く音は、遠くでもその巨大な質量を教えてくれた。目視にして五十メートル先、十メートルほどの付喪神が近づいてくる。
柱のような太さの黄色い腕。毛玉のびっしりついた茶色いたてがみ。虚空を見つめるボタンの瞳。ああこれはライオンだなあ、そう一目で分かるフォルムをしていた。
「中の奴ら、また外をゴミ捨て場にしたのか‼」
言うが早いか、ハトバは高く跳躍する。衝撃波で前髪が揺れた。シンシュはとりあえず少年を安全そうなビルの影に隠すと、地上から付喪神に近づこうとする。ハトバはビルの上を飛び回り、既に交戦できるほどの距離に近づいていた。
「モーターの位置はどこだ⁉ 分かるか⁉」
「分かるが大きすぎて当てづらいな。お前の銃じゃ無理だ」
「なんだとぉ⁉」
銃を馬鹿にされ激昴した彼は、助走をつけ軽乗用車の上に飛び乗った。ボンネットを凹ませながら銃のスライドを引き、安全装置を外す。照準確認、とは言っても実際にはガバメントが合わせてくれているのだが――引き金を引く。
この間一秒の半分ほど。一発目には、あらかじめアンカー弾を詰めておいた。着弾は二十メートル先の窓ガラス。
アンカーの弾性を利用し、次の瞬間には全身が空中に投げ飛ばされている。内臓が引っ張られる感覚に気後れするのもコンマ数秒、大きく息を吸って叫んだ。
「ガバ舐めんな‼」
推進力を殺すように、ぬいぐるみの鼻先に蹴りを入れる。思った通り足先が柔らかく弾み、布が裂けてそこから綿が飛び出した。脚を引き抜き、その割れ目に腕を突っ込んで撃ち込むこと五発。
綿以外の、硬いものを貫いた音がする。
「よっしゃあ‼ ……んっ? あれ?」
綿と綿の隙間に、腕を突っ込んでいたのだが。その腕が抜けない。このままじゃ、モーターの発火と共に自分は死ぬだろう。変貌途中だったらしい、ただの綿は変貌が進むにつれ、奥の方から赤黒い肉に置き換わっていく。巻き込まれる。ぞっとした恐怖心が背骨を這った。
「うげえ気持ち悪い‼」
「馬鹿か‼」
ビルの屋上から飛び降りたハトバが、鼻先で腕を二三度振る。周囲の布地が切り裂かれ、綿と血管と内皮組織が飛び散った。自由になった腕をずるりと引き抜く。
「助かった‼ ありがとよ‼」
「ふん」
呼吸音だけ漏らして、彼女はまた跳んだ。その手には長剣が握られている。カッターの刃に似たフォルムのそれが、大きくしなって皮を斬り裂く。三回目にその刃が宙を舞った時、音を立てて火花も飛び散った。
「斬った! ……⁉」
「む」
深手を負い、その巨体が崩れ落ちる。遅れて噴き出した血飛沫から、ハトバはすんでのところで跳んで逃げた。障害物を想定する余裕がなかったのだろう、その鼻先が地上にいたシンシュの目前に迫る。
自分はというと、愛銃を懐の深いところにしまうので精一杯だった。突然の飛来物に、まず顔面がぶつかり、続いてがちん、と頭骨が当たる音が聞こえた。最後に生暖かい血潮が二人の身に降りかかる。
「危なかった……」
立ち上がってすぐ、服の中の銃を軽く叩いた。布一枚隔て血に濡れている。
「バディより先にそっちか」
真っ赤な血液に全身を汚し、明らかに不満といった顔で覗き込まれる。横並びに寝るような姿勢になっていたので、汚れ具合はおあいこといった感じだ。自分のツナギは汚れるものだと分かって着ているが、彼女は上質そうなスーツとシャツが張り付いてしまい眉を不快そうに歪める。
「そんな顔すんなって。お前は人間だけど、ガバは銃だから、壊れるかもしんないだろ」
彼は涙目になって愛銃を見た。ヒビは入っていないが、繋ぎ目と銃口から血糊が中に入っているようだ。今夜はしっかりメンテナンスしてやるからな、そう語りかける。ハトバは聞こえるくらい大きな舌打ちをした。
「そう不機嫌に……ぅおわ⁉」
突然、頭を掴まれ地面に叩きつけられる。この前と同じ動きだ。機嫌が悪いのは分かっていたが、こんな暴力に訴えるやつだったとは。怒りが腹の底から沸いてきた。殴りかからずに済んだのは、頭上を肉片が掠めたからだ。
「気をつけろ‼ まだ生きてる、この綿は‼」
もう停止が近いはずなのに、その臓物はぶちぶちと動いている。ぶつかればどうなるか分からない。縦横無尽に飛び回る肉片は、先ほどの少年の元へも飛んでいた。
「俺はガキを守る‼ お前は、付喪神を!」
「了解」
体を反転、少年を抱きかかえる。思った通り狙いはその子供だった。目を模した巨大なボタンに姿を捉えられる。周囲の綿ぼこりが、形を変えた。
『……みしい、しい、い』
「うわっ、しまった⁉」
小さな肉塊が膨張している。四方八方に。それが自分達の方向に一斉に飛んでくるのだ。銃で戦える相手ではない。「道連れにする」意思がひどく強い付喪神だ。
「抱きかかえてろ!」
彼女がこちらへ走り寄ってくる。瞬時に二本目の刃も握ると、両腕で円を描き周囲の肉を散らした。本体への攻撃がおろそかになったうちに、ぬいぐるみの前脚がこちらに伸びてくる。その脚も切り裂く。が、それはどうやら付喪神の狙いだったらしい。
「‼ ハトバ‼」
切り裂かれた布が、絡みつくようにして彼女の腕を掴む。それは流石に想定出来なかったんだろう、手を逃がし切れず、その腕は刃を握ったまま彼女の腹に落ちた。
腑の左半分に、刃が貫通する。
ワイシャツのボタンが遅れて落ちる小さな音。シンシュは絶叫した。
「ハトバ‼」
彼女の腕に絡んだ布を力まかせに引きちぎる。手の内側の皮膚をいくらか持っていかれ、細かい傷が刻まれた。
「喋るな。舌を噛む」
「はと、え、嘘だろ⁉」
酷い怪我を負っているはずなのに、彼女は苦痛を一片も見せなかった。刺さったままの刃を引き抜くと、少年ごと自分を抱きかかえ一気に跳躍する。三人分の体重を受けて、足場にされた手すりがぐにゃりと歪んだ。下の方、死につつある付喪神の声が聞こえる。
『さみ、しい』
「……‼」
空中でちぎれた肉塊同士がくっつき、元の形に戻ろうと足掻く。それは叶わずぼろぼろとこぼれ落ち、辺り一面を真っ赤に汚した。
「成仏して、くれ」
ぶちぶち、と布が自重で裂けていく音が聞こえる。力強く両の手を合わせた。傷口に返り血が染みてひりひりと痛かった。
『物質はエネルギーに変換されること以外で無くなることはない。質量保存の法則だ』
もっともこれは小学校高等科で習っただろう、そう女性は付け加える。
『魂も同様……そのことに人類が気づいたのは、確か平成三十二年だったかな。魂保存の法則、けどその頃にはもう遅かった』
プロジェクターの文字がぱっと切り替わる。殆どの線が下降していくグラフが映った。
『生き物は減り続け、その代わりに人間が増えている時代はまだ良かった。人間も減りだした時、ついに【動物以外に魂が宿る】現象が多数報告されたのさ』
自分はその時うつらうつらと船を漕いでいた。不採用になった他の五人はどうしていたのだろうか。
『それが今の付喪神の実態だ。その時は、まだまさか無機物に宿るなんて誰も考えていなかったんだろうけどね。だから九十九年法も施行された。もう大量生産ができるような資源も無いから、政府は有機物プラントなんかを作って、必死に魂の再分散を図っているけど……』
研修会の時の、トノコの言葉を思い出す。自分にはあまり機会がなかったので学んでは来なかったのだが、要はきっと、付喪神と自分たちの間に何の違いもないのだろう。「今度はちゃんと祓ってあげるんだぞ」そんな忠告を少年にした。
「なんていうか……モヤモヤするよなあ」
社宅までの帰り道、ハトバはずっと無言だった。裂けたワイシャツから肌色がちらちらと覗いている。怪我の具合は聞いても答えてくれなかった。
「あいつらはただ、誰かの役に立ち続けたいだけなんだけど」
彼女は終始無言だった。
冷蔵庫にあるもので適当にパスタを作り夕食を済ます。食後はずっと、宣言通り愛銃を最後まで分解し、血糊の一片も残らないように掃除した。ハトバというと、自室にこもったまま中々出てこなかった。スーツが汚れたことをそこそこ気にしていたので、染み抜きをしているのかもしれない。そもそも腹のシャツは完全に切れてしまっていたが、本当に大丈夫なのか。考えても仕方が無い。あいつは今籠城中だ。
念の為弾を補充しておこう、そう思って彼は自室の扉を開こうとした。結論から言うと、彼はひねるべきドアノブを間違えたし、少し前まで独りで暮らしていた彼女は鍵をかけ忘れていた。
固まった血に破れたシャツとジャケット、それにズボンが床に散乱している。肝心のハトバはベッドに腰掛けていた。その脇には赤く汚れたタオルが放置されている。
綺麗な顎先を滑る濡れたタオル、それを握る細い指、それに続く拭かれたての肢体――その関節は節々に球体が挟まっている。胴体部、そこにはへその窪みも乳房も無く、ただ滑らかな曲線が続いていた。しかし、それは先程斬られた腑の辺りで大きな断裂を刻んでいる。
「お前……お前は一体、」
男とか女とかそういう次元を超えていた。お前は一体何なんだ、そう口から零れかけた瞬間。
「出ていけ‼ お前はもう一生、私の視界に入るな‼」
もっともな怒りだった。投げられたタオルが顔面にぶつかる。付喪神の血の匂いが生臭かった。
「悪気はな、わっ」
距離を詰められた、そう思った瞬間には膝が鳩尾に入りかけている。掴んで止めた膝にはやはり球体が入っていた。押しとどめるまでは行かず、内臓に衝撃が走る。転げるように逃げ、外へ飛び出した。
訳も分からずそのまま走って、息が切れたころにようやく立ち止まる。気づけばブロックの中で一番遠いところに来ていた。遠くに居住区の明かりが見える。へたりとその暗がりに座り込んだ。
「あいつは……ハトバは、一体……?」
首をひねる。それでも答えが出ないのはもう明らかで、もう一周走ろうか、そう思っていた矢先だった。
「熱心だねえ。パトロールかな?」
一番高い廃ビル、その屋上、面接時に使われた部屋の二メートル上。
佇む彼に、女性が声をかけた。
彼の上司、トノコだ。
「ハトバ……あいつって、人じゃないんですか?」
音もなく現れた彼女に、疑問すら抱けなかった。ああ、と彼女が柔らかく微笑む。
「知らないのかい? 『人形』。まあだいぶん過去の玩具なんだけど」
「人形……」
にんぎょう、と彼は再度口にした。爺ちゃんから聞いたことがあるような、ないような。
「ドールって愛称の方が通ってたかな。今みたいな計画都市が無かった時代の、友達がいない子供の遊び相手さ」
「じゃあハトバって、実はすげー年増なんですか」
トノコは吹き出した。口元を抑え、低く笑う。
「その通りさ。そうは見えないだろう、ははは」
思っていたよりも図太いな、こいつ。面白い面白い、彼女は手のひらで口を抑えて笑う。
「シンシュくん、君があいつとバディを組んでいる理由はそこなんだよ」
くすくす笑う彼女に、彼は素直に首を傾げた。
「付喪神というのは、『愛されたのに棄てられた』恨みによって生まれる。つまり本質は『恨み』なんだ。普通の付喪神は血肉に近いものを纏うようになるけど、あいつは虚無だ」
そういえば、切れた胴体からは血の一滴も漏れていなかった。虚無、そんな響きにごくんと唾をのむ。
「あいつは『愛される』ものとして造られたのに『愛されず』、その恨みが原因で化け物になっている。付喪神じゃあないからね、心臓……壊せるエンジンもない」
上下した喉仏に、指がふれた。急所に触られる感覚に、自然と脈が速くなる。
「だから君はバディとして敵を倒しつつ、その展開を利用して……あいつを『愛してみせて』ほしい。愛されたと思えばあいつはただの付喪神に戻るからね。そしたら簡単、」
ばん、と彼女は彼の鼻先を撃つ真似事をした。口は笑っていたが、それ以外のパーツから感情は読み取れない。
「撃ち殺してやればいい。君の愛銃、そいつでね」
「……あいつは、そのことを知ってるんすか」
「さあね? 利用できるものは利用するさ。最期まで」
君の銃だって同じだろう。そう彼女が歯を見せて笑う。反論を許さない確かな冷たさがあった。
「私は、あいつと同じ人形の付喪神に家族も恋人も殺されてる。笑っちゃうだろう。なんで人に愛されたあいつらが、私の愛した者を全て奪うんだ、ってね」
平成五百二年。確かその年、有名な事件があった。
文京区人形大量虐殺事件。居住区の中で、付喪神のドールが生まれてしまった事件だ。たくさんの人が死に、煤祓いたちもかなりの数散った。
年代からしてこの人は、その事件の被害者なんだろう。シンシュにも薄らと記憶があった。「ちゃんと祓ってやっていれば、」そんな爺ちゃんの嘆きを聞いた気がする。
ともあれそれ以降居住区の住人達の外への不法投棄はぐっと増え、煤祓い達が苦戦するようになったのも事実だ。設計図のひとつも覚えていないシンシュは、本当なら煤祓いになる資格はない。空前の人手不足。説明会でそれはもう聞いていた。
「私だけでは、どうしてもあいつを殺せない。頼んだよ、シンシュ」
考え事をしていたら、突然、視界が暗転した。顔と顔が近づきすぎたからだということに遅れて気づく。
唇に何か触れている。
感触からぱっと連想した。
トマトだ。しかも生の。昨日の夕飯で食べたからありありと想像できるぞ、なんだ意外と硬いのかよ、そんな場にそぐわない感想が浮かぶ。微かに感じるぬるつきは、彼女の口紅由来のものだろう。
それはただのキスであるのだろうけど、何せ情報量が多すぎて、感触に驚くことで精一杯だった。いつの間にか腰に手を添えられ、背中が傾きそうになる。口付けが少しだけ深くなり、顎の角度がいやおうなしに変わって、咄嗟に、その薄い身体を手で払ってしまった。
「あ……‼ すみません‼」
「……ふふ、いや、いいよ。なんというか……久しぶりに、振られたな」
怒りと言うよりかは驚愕、そんな表情だった。その言葉に、あの一連の流れは皆んなにやっていることなんすね、そう思うが喉元で飲み込む。
「そう面白い顔をするな。君の銃と同じだよ。こういうのも私の武器のひとつなんだ」
「いいい嫌ってわけじゃないんすよ、けどなんか、こう、」
「こういうのは無理強いするものでもない。続きは君が望んだ時にでも」
ふふ、と彼女は笑った。妖艶、そんな二文字がしっくりくる。
「気をつけろよ。これは私のカンだけど……もうすぐ、出る」
細い指が額をなぞった。女性らしい、小さな手だ。
「人類の味方で、私の味方でいてくれよ、シンシュ君」
そう言い残すや否や、彼女は音もなく闇夜に消えてしまった。あとに残ったシンシュが頭をかく。混乱に混乱を継ぎ足された気分だった。一時間も経たず部屋に戻ってきたバディに、お前どの面下げて戻ってきたんだ、そんな怒号が炸裂する。
あの夜から二か月が経ち、その間パトロールだけで付喪神発生を未然に防げたので、シンシュは完全にトノコの忠告を忘れていた。ハトバには相当嫌そうな顔をされているが、一緒に行動することに成功してはいる。いまいち『愛する』ことの本質を掴めてはいなかったが、愛することが殺すことになるのなら、あまり考えたいことではなかった。まだ深く知らない相手に愛を与えること自体彼には想像出来なかったが、ハトバがいなくなるとつまらなくなるのも事実だ。
「明日爺ちゃんにふた月ぶりに会いに行くんだけど、お前も来る?」
「……どうしてそうなるんだ」
「バディって、一緒に行動するもんなんだろ?」
「都合のいい拡大解釈はやめてくれ」
件の日から半日は彼の存在を無視していたが、視界の端に何度も出現されてはそれも難しい。諦めと呆れの混ざった顔は、美しい造形と相まうと滑稽になる、それがここ最近のシンシュの発見だった。
「爺ちゃんの相棒はもっとすごいぞ! というか服から家まで何もかもが神格化していて」
「それ絶対あの女には言うなよ」
確かに、と素直に驚く彼を鼻で笑ってやる。
中の住人は勝手だ。付喪神化の兆候があってもなくても、自分の住処以外に平然と捨てていく。
そうだとばかり思っていたけれど、付喪神と共存しようとしている人もいるらしい。
「で? 明日の何時からなんだ」
「午後! 冷蔵庫の中にある肉も土産で持ってく‼」
嬉しそうに口角をあげる彼は、尻尾がついているのではないかと錯覚できる。絆されてしまう、それを感じとって強く首を横に振った。突然の奇行にシンシュの肩がびくっと震える。
その時だった。
警報が鳴り響く。付喪神が出るのが当たり前である廃墟区では、普通レベルの付喪神なんかではそんなことにはならない。
警報が鳴る時、それは本当に『やばいやつ』の出現を意味していた。
『ブロック【と】全員出撃命令。人形の付喪神、人形の付喪神。場所は……』
全員出撃。
間違いない。緊急事態だ。
「おい! 人形の付喪神だってよ‼ 行かねえと」
手早く装備を整え、髪も結び直す。三十秒後には扉に手をかけていた。
「……先に行っててくれ」
「何だ? 腹でも痛いのか?」
「いいから先に行け」
強い語調に、シンシュはそれ以上何も言わなかった。彼は二三度振り返るような仕草をし、現場に向かう。
「無理すんなよ‼」
ハトバは無言で固まっていたが、小さく頷いた。
現場はわりあい近くだった。『と』ブロックの責任者として指令を出しているトノコもいる。名前の知らない先輩たちも、皆交戦中だった。
「五番がやられた! 近くにいるやつ、救援! 遅かったな十一番‼ 一番はどうした⁉」
「腹痛です‼ 遅れてきます‼」
「は⁉ ……しまった、被弾! 零番通信終え!」
トノコが飛び退くのを見、シンシュもつられて走った。一瞬の後、爆風に吹き飛ばされる。受け身を取り切れず半身を強打した。なんでドールにこんな機能が、そんな目で上司を見る。耳がきんきんと響き、言葉がまとまらない。強敵に違いなかった。
「落ち着きなさい。あいつは音系の人形らしい。歌を歌うことに特化しているんだ」
イヤホンを手渡される。装着すると、かなりの音を遮ってくれた。私は指揮に戻る、右に回って八番、青色の髪をした男に続け。そんな言葉がイヤホンから聞こえる。
「人形の付喪神って、なんでそんなにやばいんですか⁉」
走って先輩を追いかけながらそう叫ぶ。空に浮かぶ人形は、ふわふわと巻いた長い髪を漂わせていて、背丈は少女のそれだ。先程の爆撃を発したとは思えなかった。同じ人形なら、ハトバの方がよっぽど敵に近い見た目とすら思える。
「五百年間、人口は減りに減った。寂しさを紛らわすため、人形は百年前に子供用の枠を外れとにかく流行った。家族として友達として恋人としてペットとして、愛されまくってる。あいつらはな、」
ぐる、とその首がこちらに向く。後ろ姿は少女のようだったが、白目は黒く反転し、瞳孔の形も歪んでいる。
「棄てられた恨みも力も、強い」
あ、とその付喪神の口が開いた。
咄嗟に耳を塞ぐ。瞬間発された高音波が直撃し、吹き飛ばされて壁に受身も取れずぶつかった。高性能なイヤホンが無ければ、両の鼓膜は破けていただろう。それでも耳がきんと痛い、そう思った次の時。積み木のように、鉄筋コンクリートの柱が投げつけられる。
「げええええ‼」
必死に避ける。元いた場所で飛び散ったコンクリートが、頬を掠め赤黒いアザを作った。粉塵がもうもうと舞う。既に八番、青い髪の男は見えない。
明らかに不利だった。
パワーが違いすぎる。射撃で対応出来るものじゃない。
『あはははは‼』
「う、嘘だろ⁉ あいつ、飛っ……」
人形の背中から、透明なポリゴンが伸びる。虹色の光が飛び散って、それは巨大な翼になった。
思わずひゅっと息を呑む。その瞬間、それはこっちに突っ込んできたのだ。彼は飛ばされていた。人形の技によってではない。駆け付けたトノコの腕によって投げられたようだ。
「……はっ⁉ へ、トノコさん⁉」
頭上、シンシュを投げ飛ばした彼女はそのままクロスボウの弓を引く。目にも留まらぬ速さだ。感覚器官のある頭部を破壊され人形の軌道が曲がる。その頭半分は吹き飛ばされたが、胴体部は無事らしい。人形は自分の翼でそれを守っていた。ちっ、という大きな舌打ちが聞こえる。
『よくも私の顔を、許せない、許せ』
ぐちゃ、という音が遠くに聞こえた。トノコは何も言わずに弓を引き続けている。再生した顔が、今度は下顎もろとも弓矢に引きちぎられ吹き飛ぶ。勝手に忘れていた。彼女が第七ブロックの責任者、つまりは自分よりずっと強いということを。
「顔を潰している間に、早く‼ 君も銃を使え‼」
顔をぐちゃぐちゃに潰されている少女に銃を向けることは気が引けたが、そんなことを言っている場合ではない。
装填、一発目を注意深く撃つ。
アンカーを翼に刺し引き下ろそうとしたのだが、その鉄の爪は弾かれてしまった。
人形は、落下した先でちょうど目の前にいた仲間に襲いかかった。背後から別の仲間が斬りかかったが、翼の一閃、どちらも吹き飛ばされ建物にぶつかる。地上にいても太刀打ちができない。
激昂した彼女は、こちらにターゲットを定めたらしい。とどめを刺そうと近づく頭が、またしても弓矢に潰された。翼がある限り近づこうにも難しい。頭を潰し動きを止められても、こいつは、再生できる。まるで生き物だ。怪物め、そうトノコは悪態をついた。
「くそ‼ 一番はまだか‼」
吹き飛ばされた先で、うずくまる脚を折ったらしい仲間に近づく人形。カラチャ、そうトノコが叫ぶ。その時だった。
「遅れて悪かった」
「ハトバ‼」
言うが早いか、そいつはもう人形に斬りかかっていた。指揮官の指示も聞かず、翼の隙間をぬって接近する。振り向くよりもさらに早く背中に切っ先が届いた。
斬れる、そう思った瞬間。
人形の背中から新たな腕が生える。その腕を長い刀身でねじ切った。下に向いた刃でそのまま足首を切り落とそうとするも、人形は宙に飛びたつ。
「八番九番、今のうちに三番を救出! 六番立てるか⁉ 走れ‼ 人形の相手は一番に任せろ‼」
人形とハトバの一騎打ちが始まる。十一番、シンシュも走って近づいた。
ハトバは走ってブロック塀、トラック、室外機と踏み込んで刃を振り下ろす。空中にいる人形は難なくそれを避けた。目の前に現れた壁を脚で蹴り、再度人形のもとに飛び掛かる。トノコも再度弓を引いた。ハトバの耳を掠め、人形の顔半分が吹き飛ぶ。それでも、胴体に攻撃できる手段は見つからない。
「な、なんであいつは回復してるんですか⁉」
「……あいつは自己修復機能を使ってる。百年前のドールの最新技術のな」
刃を振り切ろうとしたハトバが、翼の一振りで飛ばされる。吹き飛ばされた先のビルにぶつかり、気道部分が押し潰され息が漏れた。あるのは感覚だけで、実際には管の一本も存在していないのに。幻肢痛の一種だ。肉体なんてひとかけらも持っていないのに、意識だけで痛みを感じる。
「かっ……は、」
『空っぽのくせに苦しがるんだ』
しまった。間を詰められている。脚に力をかける前に、腹に爪を突き刺された。そのままぐるんと指先を回される。シャツを貫通し外装に穴が空いた。血の一滴も漏れないのに、唸るほど痛い。耐えろ、耐えろと自分に言い聞かせる。自分は人ではないのだ。これくらいなんてことはない、そう言い聞かせて壁を蹴った。
『あぶなーい! 相当痛いだろうに、よく動くね』
無言で刃先を振った。幾度も斬りかかっているのに、全てが翼で弾かれてしまう。壁を蹴りすぎて脚の感覚も馬鹿になってきた。バランスを取りきれず、窓ガラスを突き破って廃ビルの中に倒れこむ。
『ねえあんた、モードはなに? 家族……じゃあなさそうだね。それにしては可愛げがないもん』
窓からそそぐ光が、鋼鉄の羽に遮られた。鈴を転がすような、可愛らしい声で人形が尋ねる。
『恋人にしても、男としての魅力も女としての魅力もない。友達? にしちゃあ見た目が現実離れし過ぎてる。わかった、ペットでしょ』
「……」
ぴく、とハトバのこめかみが動く。喉元を捌こうと刃先を上に向けた。窓枠を蹴ってその首に狙いを定めるも、動きを読まれる。首が横に逸れ、刃先が宙を滑った。人形がたわむれにハトバの足を掴んで離す。宙でバランスを失い、そのまま地面に激突した。
『選択されてないんだ。モードを。その前に棄てられちゃったんだ』
「黙れ」
起き上がったハトバの顔半分には、大きな亀裂が走っている。
『……その声! 初期設定のまんまなんだ! そっかあ! ほんとに買われた瞬間棄てられたんだね‼』
きゃはははは、と甲高い笑い声がこだました。ハトバはと言うと、眉間には深くしわが刻み、つり上がった目の瞳孔は収縮している。酷い怒りの形相だった。
『性別の選択すらもされないまま化け物になっちゃったんだ! あっははおっかしい!』
「黙れ、黙れ黙れ黙れ‼」
ハトバの元いた場所に穴が空く。踏み込みの衝撃で近くの仲間が一人吹き飛ばされた。跳躍、右肩に刃を入れ、左下に斬下ろす。翼は切れなかった。表面を滑り、ぐるりと身体が回転する。
『シリアルコードは? 確認された? それともそれすら残ってたり?』
「黙れと言っただろう‼」
きん、と高い音がした。二戟目も空振りに終わり、廃屋の手すりに飛びのく。
『何でだろうねぇ? 私はずーっと愛されてたのに。やっぱ顔かなあ? そのきつそうな顔が良くないんじゃない?』
「その減らず口から叩き切ってやる!」
「そいつの挑発に乗るなっての‼」
激昂したハトバには、シンシュの声など聞こえていなかった。二人がぶつかるたび、周囲の建造物に被害が及ぶ。誰もその戦いに加われない。更に悪いことには、じわじわと居住区の方へ移動しているようだった。
『二番四番九番、五番三番十番を救援。六番から八番、戦線から離脱し隣接区から住民を避難させろ。悔しいが人間の力ではこれ以上は無理だ』
トノコが悔しそうにそう命令する。あれ今俺呼ばれなかったな、シンシュは眉をひそめた。いくら一番、ハトバのバディとはいえあれの相手は手に余る。
『十一番は付喪神を持ってる。一番と十一番、それと零番であいつを仕留める』
「へっ⁉ なんでトノコさん、それを……⁉」
「あの実技テストのところでだよ。あんな手腕で当たる訳ないだろ‼」
愛銃の神格化がばれていたことよりも、トノコに銃の腕前を罵倒されたことにショックを受けた。
けど今はそれどころではない。目には目を、歯には歯を、付喪神には付喪神を、そういうことだろう。
「そうか……なら俺にも勝機がある‼」
空中でもつれ合う二人に発砲する。案の定使い手の意思をくみ取って、銃弾の軌跡はハトバを逸れまっすぐ人形へ飛んだ。想定外なのは、その曲がりくねった軌道すら避けられてしまうことだ。
「げええ⁉ 何でだよ⁉」
曲がる銃弾、その進路を予想して避けることは不可能に近いほど難しいはずだ。諦めずにもう数発撃ちこむが、やはり全部外れてしまう。その隙に体勢を立て直そうと退いたハトバに、人形は口を大きく開く。音響攻撃。逃げようとした一歩先の足場が、広がった翼によって砕けた。バランスを崩しふらついた細い影が、手すりの上から落下する。
ハトバは再度落ち、それを受け止めたシンシュも弾き飛ばされた。
「いっ……てえ‼」
「助かった」
言うが早いか、再び飛ぼうとするせっかちなバディの腕を掴む。ぎろりとその双眸に睨まれた。
「待て! このままじゃお前は負ける。俺の作戦を聞いてくれ」
「作戦?」
そうこうしている間にも、人形は翼をはためかせている。こちらに来てハトバで遊ぶか、居住区をめちゃくちゃにして遊ぶか考えているようだった。トノコも弓を構えてはいるが、単騎で接近戦に持ち込まれたら勝ち目がない。三人の動き方によっては、居住区に突っ込みに行く可能性もあった。時間がない。自分にできる最大限の速さで口を動かす。
「お前、前俺の銃の心を読んでただろ‼ あれと同じだ、お前、その人形に心を読まれてる‼ だからガバの弾道も読まれちまうんだ‼」
「……⁉ そんなの、どうすればいいんだ⁉」
決まってんだろ、シンシュは真っすぐな瞳で答えた。
「何も考えず突っ込め‼」
「そんなことできるか馬鹿が‼ お前じゃないんだぞ‼」
大正解、とでも言いたげに声を張り上げられたものだから、自分もつられて大声を出してしまった。時間の無駄だ。上司のため息も聞こえる。人形ももう心を決めてしまったらしい。居住区を叩き潰そうと、壁の反対側に翼が広がる。トノコが弓を引くが、もう攻撃のパターンを読めてしまうのか、それは翼の先で弾かれた。
『まだやんの? もう私、決めちゃったの‼ 私と同じ年の女の子全部集めて、喉だけ潰して遊ぼうって‼』
「人形!」
その声を出したのは、新人の十一番、赤混じりの黒髪の青年、シンシュだった。
「お前だってハトバのことを笑えねえぞ‼ ……付喪神ってことは、主人に捨てられたんだから」
『はあ⁉』
彼の挑発は大当たりだった。歪な瞳孔がぐるりとこちらを向く。翼がぎらりと金属音を立てて揺らめいた。
「恨みで、人を殺すために動いてるんだろ? じゃあハトバの方がよっぽど優秀だな! ハトバは恨みはあるけれど、人を守るために動いている!」
『煩い! 人の価値基準を押し付けないで‼ 決めた、お前の喉から潰してやる‼』
青年に向かい、恐ろしい速さで人形が突撃してくる。彼は緊張に震える銃を掴んだ。銃弾の軌道は、同じ付喪神の思考は読めるのに、馬鹿なやつ! そう人形は内心ほくそ笑む。ハトバとやらの剣戟も見切った。あの女の弓程度じゃ私を殺せない。勝った。どうせなら全員、喉と顔だけ引きちぎってやろう。手を伸ばす。オレンジ色に塗られた爪が輝いた。
届いたはずの手が弾かれた理由が、最初はよく分からなかった。
『え……?』
生身の腕だ。銃を握ったその手が、引き金を引かずに振り上げられたのだ。
流れを読んだトノコが、人形の肩口に弓を打つ。片腕が千切れたが、もう片腕を無理やり伸ばして女を弾き飛ばした。その隙、後ろに伸びた翼の隙間にハトバが入り込む。
そいつの動きだけは読める。あばらの隙間から柔らかい刃を突き立て心臓を壊すつもりだと。まずこいつを潰してしまおう、鋼鉄ほどの硬さの羽を後ろで閉じた。
「ぐ……!」
「考えたろお前‼」
「わ、私には無理だ‼」
シンシュの声が聞こえた。ぎちぎちと翼が閉まる。咄嗟に二本目の刀も抜き、両腕に構えなんとか持ちこたえた。その刀身も耐え切れず真ん中で折れる。金属が砕ける音とともに、翼の中、そいつの闘志が折れたことすら分かるのだ。心の中で高笑いする。あとはこの男を気絶させてやろう。そのあと地面に寝ている女の顔を剥いで、それからそれから、そう口を開いた瞬間だった。
「ガバ、ごめんな」
ツナギの内側に銃をしまう。その時、銃含めその場にいる二人の思考は完全に一致した。
『何をする気⁉』
「これでどうだ‼」
丸腰のまま、彼は人形に殴りかかった。馬鹿だ。本当に馬鹿だった。それは流石に人形側も予想できなかったらしい。元々愛玩用のやわい装甲だ。皮膚程度の硬度で、ばしんと軽い音がして、首がぐるんと曲がる。
フラッシュバックしたのは、ただの人形を演じていた最後の日だった。
『ほんとに可愛くない』
力一杯頬を殴られる。起動していない、されど付喪神として意識のある人形は何も言えずに地面を転がった。
『歌だって変な声だし、全然人間ぽくないし』
喉を圧迫される。そのパーツは百年前のお父さんが作ってくれたもので、ああ駄目だ触らないでほしい。踏みにじらないでほしい。体を動かしそうになるのを必死で耐えた。
『なんでったって私の先祖は、こんな人形作ったんだろう。誰も必要としないのに』
襟首を掴まれる。行先は想像がついた。廃墟区。通称、外。付喪神ハンターたちの住処。
『馬鹿じゃないの‼』
真っ黒な喉奥が見えるくらい口が開く。音響攻撃。それが来る前に口を塞ごうとする。一瞬間に合わなかった。耳の奥が燃えるように熱い。痛い。何か濡れたのは零れた血だろう。
固まった身体を、捻り潰そうと翼が前に広がる。ハトバは解放された。
彼に翼が到達するまでの一秒の半分の間は、彼の言うとおりに動けていた。
後方。半分も残っていない刃先で翼の根元を抉る。ばちん、そんな音で左側、右側とポリゴンが消滅した。しまった、と振り返る残忍な顔。
前方。シンシュが服越しに銃を撃つ。もう隠すことを辞めている、その銃弾はあからさまに妙な軌道を描いた。
がしゃ、がしゃという音を立てて人形がよろめく。頭部にある感覚機能が破壊されたからだ。
『嫌だ、いやだわ、だってまだ私、復讐できてない。もっと殺して、壊して、踏みにじって』
全弾命中。銃弾は仲間を避けてその全てが上に抜けた。心臓部があがくように唸っているのがよく分かる。残った片腕を振られないようにその人形を抱きしめたからだ。背中からハトバに向かって伸ばされた腕は、自分の手で押さえている。熱い。おそらく肉を多少抉られてる。背中には本来の腕の爪が突き刺さり、ツナギを赤く染めていた。
「いい。お前はそうやって、お前を捨てた奴を恨みながら死んでくれ」
その言葉に人形が唇を噛む。救済はない。人間以外の器に宿ってしまった魂には。
「作りびとの想いを汚さないまま、誰も殺さないで成仏してくれ」
は、とその瞳孔が見開いた。目に鮮やかなピンク色は、どう見ても人間のものではない。
『ボタンの瞳はいい色だろう。その色の花はもう絶滅してしまったけど、その色が好きだったこと、君の目を見ればすぐに思い出せる』
百年前。そうだ、春のことだった。彼は捨てられていた自分を拾い、直してくれた。子供のように可愛がってくれた。歌をたくさん教わった。たくさん歌った。彼は子供のできないたちだった。遺伝子が煮詰まりすぎていた。だから四十に満たずに死んだ。
『僕の可愛い子供、ボタン』
『歪めてしまって、ごめんなさい、お父さん』
ぶちぶちと背中に突き刺さっていた爪から、力が抜けていく。ふと見るとその目は丸い牡丹色に変わっていた。眼孔から漏れ出たオイルが頬まで流れている。完全停止。彼はそれを確認して、腕に絡んでいた小さな手を外し、いつもの通り手を合わせた。
「成仏してください。どうか次は、肉の器に宿って」
瞼を閉じさせ、千切れた片手も拾い腕を組ませる。
「……どうだ‼ ガバ、すげえだろ‼」
黙祷を終えると、背と腕の両方から血を流したまま、青年は大口を開けて笑った。
「お前……」
「いやあ、勢いからして貫通されるかもくらい考えてたぜ。怪我した程度ですんだ」
自分が真後ろにいなければ、彼は腕を背中まで回さなかったはずだ。罪悪感なのか悔しさなのかいたたまれなさなのか。ハトバはぎっと唇を噛む。
「お前は大丈夫か?」
あっけらかんと彼が言う。その間に、上司の意識も戻ったようだ。いてて、といいながら立ち上がっている。
「……分かっていた、だろう。あの時。私は身体が抉れても、怪我をすることがない、と」
「ん? うん。でも、まあ、バディだからか? つい」
「つい……?」
目を開く自分にお構いなしに、彼は負傷した左手を顔の傷に伸ばした。
その動きが。あまりにも。過去のバディである、彼女にそっくりだったのだ。
傷口を押さえる彼の頬を張った。予想外だったのだろう、口がぽかんと開かれている。
「うんざりする‼」
「は、はあ⁉」
気遣った相手から受けた仕打ちに、流石のシンシュも声を張る。お構いなしにハトバは言葉を続けた。
「君のその、『愛してやろう』っていう姿勢に‼ あの女になんて言われたのか知らないが、俺を、私を、殺すためだけに愛を与えようとするな‼」
へ、なんていう間抜けな声が漏れる。傷がついたまま大きく叫んだので、口角がいくらか割れて落ちた。
「前のバディもそうだった。あいつは俺を庇って死んだ、『愛している』なんて妄言を吐いて」
前のバディは女だった。そして彼女は、トノコのお気に入りでもあった。
最後に戦ったのは人形の付喪神だ。彼女はシンシュよりもよっぽど強かった。けれど、人形の方も強かった。死なないはずの自分の目の前に飛び出して、死んだ。最期に、愛していたと言われた。
それとほぼ同時に、特攻にも等しい勢いで人形の間合いに入り込んだ零番の顔は、きっと忘れられないだろう。結局死んだのは六番、元バディのツルバミだけだったのだが、人形は原型を留めないくらいバラバラに壊された。
トノコは、人形を殺すためなら見境がない。それはきっと自分も例外ではないのだろう。そう思った瞬間、指先から感覚が無くなっていった。
結局、バディから伸ばされた手は握れなかった。
「忠犬だよな! 自分を犠牲にしてまでも、私を付喪神にして殺そうとしたんだよ! まったく、どっちが人形か分かりゃしない!」
「……それ、その人は、本当にお前を愛していなかったと言いきれるのか?」
「は?」
シンシュはずっと黙って聞いていたが、ついに口を開く。誰であれものであれ、ひとの死を無下にするやつは許せなかった。そう信じて生きてきた。
「だってお前は死なない。血を流さない。その綺麗な肢体に傷はつくけど、それまでだ」
トノコから、愛してほしいということは聞いていた。でも彼女が、もしも自分と同じであるのなら。その命令に関係なく、バディを守るのは当然だったろう。
「じゃあどうして、その人はお前を守った? 別に、言葉だけでも良かったんじゃないか?適当に、あいしてる、と言っておけば」
シンシュの目は真っすぐだ。その赤色は他のどんな色でも染められない赤だ。
「俺と同じだよ。バディが危険な目にあっていたら、当然助ける。俺達どっちも、お前を必要としているからだ」
「……」
みしみしと音が聞こえる。銅線が中に液体が流れているかのように蠢きだし、動力部は心臓のようにどくどくと脈打った。その人形は付喪神になる。化け物と付喪神の唯一の違いはそこだった。愛情を一度でも覚えたことがあるかないか。
「シンシュ、その、私は今、お前の、これは」
みし、瓦礫を踏みつける音が聞こえた。
折れた刃先がぱきんと音を立てて踏みつぶされる。
「遅すぎる。ツルバミを二度殺しておいて、今更それに気づいたのか」
青年の目の前、付喪神とハンターが相対した。
「トノコさん……? もう、終わったんじゃ」
女だ。
赤混じりのブロンドのハンターが、クロスボウを構えている。
「……ツルバミはよくやったよ。シンシュ、君も彼女の死を生かしてくれた」
心臓、付喪神であれば心臓になる部分。化け物に心臓はない。だから死なない。けれど付喪神にはある。エンジン、動力部。人のために動く臓器だ。
「いやあよくやったよくやった。これでこいつらはふたつも減った」
夢を叶えた少女のような柔らかさ、心底嬉しい、という笑顔だった。シンシュは、彼女が心から笑うのを初めて見た。
「お疲れ様、なあハトバ」
素早い動作。放たれた弓は外装を突き破り、脊柱部を削って、正確に心臓を射貫く。すう、と呼吸音が聞こえた。その身体が固くなる。
「……ハトバ⁉」
見上げると、もうトノコはいなくなっていた。咄嗟に弓矢を引き抜こうとするも、それは特注品なんだろう、かえしが引っかかり抜けそうにない。
「待て! おい、待て‼」
浅い呼吸音、流れてくる赤黒い血。死ぬ、そんなことが頭をよぎる。でもこのままじゃあまりにも報われない。愛情を欲し、得られてもそれを信じられず、ようやく信じられるようになったら殺されるとは。
だからシンシュは、息を大きく吸い込み、声を張り上げた。
「俺はぜっっったいお前を愛してねーからな‼」
「は?」
ぼんやりとしていた意識が、その言葉に切り裂かれる。
「自分のことを棚に上げやがって‼ お前は、『愛されるため』人を助けてたんだろう‼ 今までのすべての行動に、下心がなかったなんて言いきれんのか⁉」
かっと頭に熱が上った。ひどい侮辱を受けた気がする。
「はあ⁉ うるさい、うるさいうるさい‼」
「入り混じってぐちゃぐちゃなんだろ‼ そんでもって何で、お前は付喪神に成りたがってんだ⁉」
「君に、お前に分かるものか‼」
「お前はお前だろ‼ 人でも付喪神でもないんだろ⁉ それでいいんだよ、お前はハトバだ‼」
秀麗な顔に青筋が走り、突き刺さったままの矢がみしりと折れた。付喪神じゃない。化け物だ。念願の愛情を一度忘れ、目の前の男にぶち切れている、憎しみだけの存在だ。
愛されたい。
愛して欲しい。
必要とされたい。
だってそれが総てのものの存在理由だ。
それをなんだってこの男は、根本から否定してみせるのだ。
「黙れ黙れだまれ‼ ただのハトバなんて誰が必要とするんだ‼」
人間じゃないから必要とされない。
物じゃないから必要とされない。
なら、煤祓いなら?あの組織なら、自分の体質を活かしてくれて?それで?
必要としてくれる?
「じゃあ俺が必要としてやるよ‼ 顔は悪くねえし、デカい態度も嫌いじゃないし‼ 何より、」
傷を負ったまま叫びすぎて、げほ、と血を吐き出す。死の直前のツルバミのことを思い出して、びくりと肩が揺らいだ。
「お前は俺のバディだろ‼」
彼はどこまでも馬鹿正直で、真っすぐだった。
「それは告白かあ⁉ 愛してるぐらい言ってみせろよ‼ 私を殺したいんだろ‼」
「愛してねえつってんだろ‼」
化け物に戻り風穴の周りを肉が集まり始めるが、血が一向に止まらない。ちょうど半分の状態なんだろう。ぐちゃぐちゃだ。存在しなかった喉代わりの管を、液体が昇っていく。気持ち悪い。
「あの銃に向けたみたいにな⁉ 出来ないのか、トノコでもできることなのに‼」
「お前は物じゃない‼」
ぐい、と抱き寄せられた。生ぬるくべたつく感触。ふたつの血液が混ざり合う。お前もやばいんじゃないのか、そう意識のどこかで思った。
死んで欲しくないと、目の前の赤い瞳が訴えている。
「絶対愛さねえから、死ぬな……」
馬鹿め。全く生かしたいのか殺したいのか分からない。ハトバはふっと笑った。
面接時にも使われた廃屋の中、女性が机に脚をかける。行儀の悪いその姿勢からも、彼女の不機嫌さが見て取れた。
「いやー、失望失望。私は確かに『愛してほしい』って言ったよ。でもそれは、『モノとして』愛してあげて欲しかったのになあ。まさか『ハトバとして』愛してやるとは」
トノコは机の向かいでがりがりと頭をかく。一方のハトバは唸り声をあげ、シンシュの後ろから彼女を睨みつけた。トノコももう敵意を笑顔に隠せていない。
「事後報告書を書いているんだ。うるさい。ったく、お前のことをなんと記せばいいのやら」
彼女は大きく舌打ちをする。もう頼んでも、次のことはしてくれなさそうな雰囲気だ。
最も凶悪である人形の付喪神を誰一人死なずに倒した。『と』ブロックは本部から表彰され、シンシュとハトバが勲章を受け取ってから一か月後。ハトバのことをなんと報告しようかと、トノコは頭を抱えている。
満たされているから化け物でなく、かと言って物として見られていないから付喪神でもない。何ものでもないその存在には、ただ、『ハトバ』という名前がついていた。
あいつの呪いはもう解けないぞ、あの二人は死ぬまで私の元で働いてもらうのだ。女はやけになったようににやりと笑った。
「トノコさん聞いてくださいって。こいつ今朝俺の焼いたベーコンエッグぜんぶ食っちまったんですけどー!」
「仕方がないだろ。あれは美味かった。シンシュが私に作ってくれたものだから、格別に」
一瞬、彼の動きが止まった。その後空中で手が忙しなく動く。
「そっ……ういうこと聞いてんじゃねえんだよ、いや片方は合っていたとしても、そしてなんで二食とも自分のものだと確信したんだよ」
「テーブルに置いてあったからだ」
「何一つ理由になってねえ‼」
「それでいてなんで君たちはそういうどうでもいいことを職場に持ち込むんだい?」
口を広げて怒鳴り合う二人。子供の喧嘩のようなそれに、トノコは大きなため息を漏らす。
「お前なんか大っ嫌いだよ‼」
「ああそうだろう、私だってお前に愛されるのなんて死んでもごめんだね‼」
大きく悪態をつきながら、それでもハトバは笑顔だった。なんだとてめえ、何もおかしくないからな、そう言ってシンシュはその腕を掴む。
その場にいる誰もが知っていた。
ハトバは、必要とされていることが嬉しくて、きらきらと笑っている。
立ち並ぶ巨大なビル達。その窓ガラスの横一列が、一斉に砕けて道路に降り注ぐ。もしも住人がいたのなら、通りは悲鳴で溢れていただろう。ここに人はいない。ただ甲高い音が響くだけだ。
『俺はー‼ 我が主人と世界中の芝を刈り尽くすと決めた男‼ 邪魔をすんなあ‼』
ガラスを飛び散らせた張本人、巨大な芝刈り機がぶおんぶおんと唸っている。折角の啖呵も彼自身の騒音であまり聞こえなかった。車両の両端にあるタイヤの中にはぎょろぎょろと蠢く目玉が飛び出ている。その下の口、せり出した金属の端にはぼろぼろになった布と肉片がこびりついていた。おそらくは、それがその主人だ。
「その主人を殺してちゃ仕方ねぇよな」
資源の本格的不足により、理由無く物を廃棄したら極刑。廃棄は、「九十九年」以上使用された場合のみ許可する。
機械が身体を左右にしならせる度、ぎざぎざの刃が空中を飛び回った。新しい破片が生まれる音、イヤホンを通して聞こえる面接官の声。
『君、そろそろ居住区に被害が及ぶぞ。早く片付けないと、私は君の採用を祈ることになってしまう』
「はいっ‼ もうあと少しなんで‼」
しまった。見せ場を作ろうとして、溜め過ぎたか。芝刈り機の構造を思い出す。エンジンの位置、それはもうなんとなく想像がついた。
「くたばれ‼」
腰のホルスターから拳銃を取り出す。エンジンに数発穴が開けばいい、それならこれで十分だ。
フロントサイト、リアサイト、照準……この場合、黒い装甲の中のエンジン。それが一直線になったことを確認し、引き金を引く。
『主人、主人はどこだ‼ 俺はまだ使える、捨てないでくれ、まだ一緒に』
エンジンに見事着弾し、そこが火を噴き煙を吐くまで、その付喪神は喚き散らしていた。その声もしなくなり、燃え残ったプラスチックが溶ける音が残る。それを見届けると、青年が胸の前で手をばちんと合わせた。
「成仏してください!」
平成五百十二年、極東都市東京。人々は付喪神たちに悩まされていた。
少しだけ燃え残っていた火も消え、しん、と周囲が静まり返る。ゆっくりと上昇する防護壁に、遅せぇよ、と苦言をこぼした。
「よし、」
合わせていた手を離す。拳銃は安全装置を確認後、ゆっくりとホルスターに戻した。これは採用確実だな、そんな現実的な思考が頭を掠める。
「気を抜くのが早すぎるんじゃないか」
黙祷を終え、目を開けた瞬間。
そいつはそこにいた。この一角に自分以外がいることに、初めて気づいた。
「え」
薄紫の睫毛が縁取る長い目。瞳孔がなんでか虹彩よりも薄い色で、それが間近にある。状況が読めず、そいつに頭を掴まれても一瞬反応できなかった。
「ぐえ‼」
そのまま、顔面から地面に叩きつけられる。コンクリートに顔面を強打し、鼻がへこんだかとすら思った。まとめた後ろ髪を幾本か千切り、頭のあった空間を刃が通り抜ける。おそらく、芝刈り機の最後の一撃が弧を描いてここまで戻ってきたのだろう。向かいのビルは斬撃を受けてびりびりと震えつつも持ちこたえた。
流石の耐震構造、五百年前の技術。設計士の爺ちゃんに育てられた彼は、場にそぐわずぐっと親指を立てた。
「現代まで生きる耐震機構……流石だぜ……」
「行くぞ。トノコが待っている」
鳩羽色の彼女は振り返りもせず歩いて行く。立ち上がって初めて、その背が彼女と呼ぶには高すぎることに気づいた。
「トノコさんって、今回の採用担当の……」
さっさと来い、そんな視線を受けて今度こそ彼は歩き出す。
廃ビル群の一角、辛うじて人の気配がする最上階。廊下は先程の刃で穴が空き空を拝めるものの、この部屋はヒビ程度で持ちこたえている。
「初仕事終了! 無傷! 俺は最強‼」
うおお、と青年は両の手を上に突き出した。案内役の彼女はそれをしらじらとした様子で見ている。机の奥、にっこりと微笑んでいる女性が今回の面接官だ。
「現人シンシュくん、話の通り、まあ……一体を、一人で倒した君は正式に煤祓いの一員と認められた訳だが……」
「はい‼」
「はっはっは、威勢がいいな。いい子だ」
神宮司トノコ、年齢不詳、女性。彼の面接官兼これからの上司。鈍く赤みがかったブロンドが良く似合う。それに女らしい体つきも彼の好みだった。美人と話すのは楽しい。そんな単純な思考は、周囲の人間にもだだ漏れである。
「君を、煤祓い『と』の十一番に任命する。ここ、第七ブロックは君の縄張りだ。そこに面する居住区も好きに利用していい。いやあ今回の新人は君以外不採用になったからねえ、よかったよかった」
「いやあ……へへへ」
褒められたことを素直に喜んで、犬歯の目立つがたがたの歯を隠しもせず笑った。
煤祓い、つまりは付喪神専用のハンターに志願したのは成り行きだったが、思ったよりも待遇がいいらしい。爺ちゃんに今までの借りを返さねば、青年は呑気に腕を組み鼻歌を歌っている。
「でもね、君はまだまだ半人前だ。だから私の方で勝手にバディを組ませてもらったよ」
「聞いてませんでした」
「言ってなかったからね」
当然、とでも言いたげにトノコが笑顔を見せた。それにつられてこちらの口角も上がる。そんなことはどうでもいい。バディのひとりやふたり、犬猫と変わらないだろう、シンシュはそう思った。彼は細かいことは気にしない性格である。
「先程君を助けただろう。ハトバだよ。仲良くしてね」
上司は笑顔のまま、彼の真横を指さした。こいつか。さっき顔面を強打した要因、というか元凶。少しだけ彼の表情筋がひくついたが、考え直そうと努める。考えようによっては、こいつもけっこうな美人だ。ちょっと顔は怖いけど、それは目つきの悪い自分が言えた話ではない。
背はすらりと高く、無駄な肉はひとつもついておらず、モデル体型、そんな言葉がハトバにはぴったり当てはまった。ただひとつ残念なのは胸だけだ。何も無い。まるでもって何も。
「ん、よろしく」
つまり、好みのタイプではないな。彼はそう思ったので、一ミクロンの下心もなく手を差し伸ばした。
「……」
ぱし、とその手を振り払われたことに気づいた頃には、そいつはもう角を曲がっている。そっかバディってこんなもんなんだな、彼は深く考える性質ではなかった。
「じゃーなハトバ! また仕事で!」
ぶんぶんと手を振って見送る。ははは、とまたトノコが笑った。
「気に病まないでくれないか。あいつは、ついこの前バディを失ったばかりなんだ」
「……そいつも、新人だったんすか」
「いいや? 私も一目おいていたベテランさ」
教育係なんだろうか、その予想は外れたようだ。むしろこれは自分の命の危険を考えるべきかもしれない。バディが死神なんて、そんなのは御免こうむりたい。
「あれの手前、君にバディが必要、という言い方をしてしまったが、本当にバディが必要なのはあいつの方なんだ」
なんでですか、そんな疑問が喉を通る前に。薄い唇が頬に落ちた。後れ毛がさらりと触れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
あまりにも唐突で、かつそんなことをしてくる人なんて今までの人生の中にいなかったので、彼は完全にフリーズした。
「頼りにしてるよ」
シンシュ君、と彼女は言って、去っていった。きっとまだ他にも仕事があるのだろう。同じ区画の中に、他にも煤祓いはいるはずだから。
「……おとなって、こえぇな……」
鼻粘膜に触れた甘さを忘れられず、ぶんぶんと首を振って彼は歩き始めた。
動揺を抑えきれず、コンクリートのひびに脚を突っ込むこと三回、道路のクレバスに落っこちること二回、倒れた電柱につまづくことは五回を越えたあたりでもうよく分からなくなった。煤祓いは居住区の近く、けれどもその外側に社宅がある。そこを縄張りとして地形を把握することで、付喪神をおびき出して戦えるようにだ。
ぼんやりしたままドアノブに手をかける。閉まっていた。当たり前か、と先程受け取ったばかりの鍵をポケットから探り出す。
『この鍵は二つあるけど、それでも無くさないようにね』
ひょっとして。ひょっとしてだけど、そのもう片方はトノコさんが持ってたり。するのだろうか。うひひ、と唇が弧を描く。淡い期待を抱いて鍵を開けると、そこには、背の高く胸のないバディ――ハトバの姿があった。
「なんでお前が俺の社宅にいるんだ⁉」
「説明されてないのか。同室だぞ私たちは」
「な、なんというかその、流石に、ほぼ初対面の男女が同じ部屋っていうのは、」
眉間にしわを寄せ、彼女は幾分か考える素振りを見せた。しばらくの後、ああ大丈夫だぞと声をかける。
「安心しろ。私の部屋には鍵がかかる」
「いや俺の部屋にはついてないのかよ」
それは嘘ではないらしい。目の前には扉がいくつかあったが、一つだけ鍵のかかるものがあった。
ハトバは、先程見たスーツに手袋もブーツも脱がないまま、股を開きソファーでくつろいでいる。やることも無いのか、机の上に散らばっていた雑誌を読んでいた。
「……」
俺は騙されたのかもしれない。なんとも言えない表情で唇を噛むシンシュを、何だとハトバが一蹴する。てっきりひとり部屋が手に入ると思っていたのに、どうやら自分が居候の形に近いようだった。
ため息を呑み込んで、今日も世話になった自分の銃の点検を始める。もう作ることのできない角張ったフォルムに、暇そうにページを捲っていたハトバも目を寄越した。
「お前その、ガバメントをどこで手に入れた」
銃身にブラシを通す。煤を引っ張り出すと、ガンオイルをその中に垂らした。細く切った布でそれも拭いとると、本格的な分解に入る。
「がば……? かっこいいだろ、爺ちゃんから譲り受けたんだぜ」
名前は覚えていなかったが、作られたのが二百年前だと言う話は聞いていた。先祖が皆大切に扱ってくれていたから、今日でもちゃんと動くのだと。爺ちゃんは設計士兼煤祓いだった。
「馬鹿なのか⁉ それ、もう半分付喪神に……」
大人しく分解されていく機械は、端々まで妖気に満ちていた。それに、エンジン、もしくはモーターのついていない付喪神は手強い。完全に破壊するまで倒したことにはならないからだ。煤祓いとしてのキャリアで、ハトバはそのことを知っていた。そもそも煤祓い達は武器なんて半年使えば捨ててしまうのだ。
「ん? ああ違えよ。『神格化』って爺ちゃんは呼んでた。別に俺はこれを捨てないし、恨みは持ってねえだろ」
「そ……そういうものなのか……?」
口径の小さな銃。確かに、彼の撃つ姿を観察していたのだが、あれは当たらないだろう、そんな軌道を描いていた。にも関わらずその弾は全弾命中。まぐれかとも思っていたが、それはこの銃が必死になって軌道を変えてくれていたのだろう。銃ながら健気なやつだ。
「恨みさえなければ付喪神は生まれないし、捨てるにしろ祓ってやれば恨まれない。そうじゃなく適当に捨てるから付喪神が出来るんだ」
綿棒と布を駆使し、銃は隅々まで磨かれていく。これ以上の分解はまた今度。そう呟いて、元あった通りに組み立てていった。二百年経てなおこんなにも滑らかに動くのだ、この銃はきっと色々な人に愛されていたのだろう。
「それに、こいつみたいに……恨まなくても、存在していけるっていうか……神格化できるやつもいるんだぜ」
内部の清掃を終え、外装も取り付けた。仕上げに表面を布で満遍なく拭く。ハトバには分かった。その銃は、愛されることが嬉しくてきらきらと光っていた。
「そーかあお前、がばって名前だったのか! これからもよろしくな!」
ちゅっと音を立て、彼は軽くその外装に唇を何度か落とす。ぴかぴかの表面に軽く跡がついた。
「おい、嫌がられてるぞ」
「嘘だろ⁉ ごめんな⁉」
「冗談だ」
なんだよー、とシンシュが口を開く。ハトバはそれきり黙って自分の部屋に入った。彼も大してそのことを気にせず、備え付けてあった冷蔵庫を漁り出す。
ハムだのソーセージだの、加工肉にはしゃぐ声が外側から聞こえた。あの女は何を考えてるんだ、そう独りごちる。トノコの目的は今や明白だった。
舌打ちし、裏口からひとりパトロールへ向かう。たかだか七十メートル歩いたところに、見慣れない物体が落ちていた。
少し膝を折り曲げて気づく。行きには無かった、半壊したラジオだ。型から見て八十年前のものだろう。おそらく夕暮れになってから居住区の住民が投げ捨てたのだ。念の為、と踏み潰しておく。基盤がぐしゃりと割れスピーカーの磁石が弾け飛んだ。砕けたアルミの外装には黄ばんだシールが貼ってある。
「これだから」
何度も何度も踏み潰す。ついに金属片の塊となったラジオを見て、ふんと息を吐いた。居住区の明かりがいやに眩しい夜だった。
明くる日は、前日のパトロールの甲斐もあり何も起こらなかった。暖かいシャワーに驚きはしゃぐ彼を、うるさいと一蹴した以外何も。何も起こらないととことん暇だからと、シンシュはパトロールにハトバを誘う。
「なんだ。独りで行け」
「いや、俺この辺昨日来たばっかりで何も知らねえし。あとちゃんと昨日、バディについても検索した。行動を共にするもんなんだろお? バディって」
「馬鹿正直だな、お前……」
ハトバの顔には明らかに葛藤が見えた。それは主に、それもそうかという納得と、かと言って彼と行動を共にしたくないという嫌悪と、あの女これを見越してかという怒りの三種類だ。
「さっさと行くぞ。ついてこい」
言うが早いか、彼女はとっとと先を歩いている。いや待てよ、そう言いながら彼は急いで鍵をかけた。
外は快晴である。周りには崩れかけたビルしかないが、日和だけなら散歩とも言える清々しさである。
「防御壁の溝だ。付喪神が出たら、この溝から壁が出てくる」
「へー、ここだったのかあ」
溝を通して、その先に居住区のビル群が見える。五十年ほど前に造られた区画だからか、居住区と言いつつも住んでいる人はまばらだ。
「この先の首都に七百万人、全人口の一割が住む。絶対にここを通過させるなよ」
「了解。わーってるよ……あれ?」
何かが動いた気がする。シンシュの目に、小さな影が映った。それはビルとビルの間、金属系のゴミだまりをしきりに覗いている。
子供だ。
既に端が廃れつつある居住区からきたのだろう。おそらくは一桁代の少年がうろついている。
「なんだ……?」
「あ、おい、こっち居住区じゃないぞー、くるなって。聞けよ人の話をよ」
少年は顔を綻ばせてこちらへ走ってくると、食い入るように二人を見つめた。
「お兄ちゃん達、僕のライオン見なかった⁉」
「ライオン?」
ライオンはその時代には滅びていたため、二人の間にはぱっと同じイメージが湧く。ぬいぐるみだ。生き物の形を真似る、世界各地に共通の文化だ。
「毛がもふもふ生えててね、ボタンを押したら動くの」
「電動かー! いつの技術なんだそれ」
浮き足立つシンシュを無視し、ハトバはその膝を曲げて諭した。
「……こんな所にあるはず無いだろ。廃墟区だ、ここは」
「でもねでもね、昨日、お父さんに、捨てられちゃったの」
「捨てられ……」
「嫌な予感がする」
ずずずず、何かを引きずって歩く音は、遠くでもその巨大な質量を教えてくれた。目視にして五十メートル先、十メートルほどの付喪神が近づいてくる。
柱のような太さの黄色い腕。毛玉のびっしりついた茶色いたてがみ。虚空を見つめるボタンの瞳。ああこれはライオンだなあ、そう一目で分かるフォルムをしていた。
「中の奴ら、また外をゴミ捨て場にしたのか‼」
言うが早いか、ハトバは高く跳躍する。衝撃波で前髪が揺れた。シンシュはとりあえず少年を安全そうなビルの影に隠すと、地上から付喪神に近づこうとする。ハトバはビルの上を飛び回り、既に交戦できるほどの距離に近づいていた。
「モーターの位置はどこだ⁉ 分かるか⁉」
「分かるが大きすぎて当てづらいな。お前の銃じゃ無理だ」
「なんだとぉ⁉」
銃を馬鹿にされ激昴した彼は、助走をつけ軽乗用車の上に飛び乗った。ボンネットを凹ませながら銃のスライドを引き、安全装置を外す。照準確認、とは言っても実際にはガバメントが合わせてくれているのだが――引き金を引く。
この間一秒の半分ほど。一発目には、あらかじめアンカー弾を詰めておいた。着弾は二十メートル先の窓ガラス。
アンカーの弾性を利用し、次の瞬間には全身が空中に投げ飛ばされている。内臓が引っ張られる感覚に気後れするのもコンマ数秒、大きく息を吸って叫んだ。
「ガバ舐めんな‼」
推進力を殺すように、ぬいぐるみの鼻先に蹴りを入れる。思った通り足先が柔らかく弾み、布が裂けてそこから綿が飛び出した。脚を引き抜き、その割れ目に腕を突っ込んで撃ち込むこと五発。
綿以外の、硬いものを貫いた音がする。
「よっしゃあ‼ ……んっ? あれ?」
綿と綿の隙間に、腕を突っ込んでいたのだが。その腕が抜けない。このままじゃ、モーターの発火と共に自分は死ぬだろう。変貌途中だったらしい、ただの綿は変貌が進むにつれ、奥の方から赤黒い肉に置き換わっていく。巻き込まれる。ぞっとした恐怖心が背骨を這った。
「うげえ気持ち悪い‼」
「馬鹿か‼」
ビルの屋上から飛び降りたハトバが、鼻先で腕を二三度振る。周囲の布地が切り裂かれ、綿と血管と内皮組織が飛び散った。自由になった腕をずるりと引き抜く。
「助かった‼ ありがとよ‼」
「ふん」
呼吸音だけ漏らして、彼女はまた跳んだ。その手には長剣が握られている。カッターの刃に似たフォルムのそれが、大きくしなって皮を斬り裂く。三回目にその刃が宙を舞った時、音を立てて火花も飛び散った。
「斬った! ……⁉」
「む」
深手を負い、その巨体が崩れ落ちる。遅れて噴き出した血飛沫から、ハトバはすんでのところで跳んで逃げた。障害物を想定する余裕がなかったのだろう、その鼻先が地上にいたシンシュの目前に迫る。
自分はというと、愛銃を懐の深いところにしまうので精一杯だった。突然の飛来物に、まず顔面がぶつかり、続いてがちん、と頭骨が当たる音が聞こえた。最後に生暖かい血潮が二人の身に降りかかる。
「危なかった……」
立ち上がってすぐ、服の中の銃を軽く叩いた。布一枚隔て血に濡れている。
「バディより先にそっちか」
真っ赤な血液に全身を汚し、明らかに不満といった顔で覗き込まれる。横並びに寝るような姿勢になっていたので、汚れ具合はおあいこといった感じだ。自分のツナギは汚れるものだと分かって着ているが、彼女は上質そうなスーツとシャツが張り付いてしまい眉を不快そうに歪める。
「そんな顔すんなって。お前は人間だけど、ガバは銃だから、壊れるかもしんないだろ」
彼は涙目になって愛銃を見た。ヒビは入っていないが、繋ぎ目と銃口から血糊が中に入っているようだ。今夜はしっかりメンテナンスしてやるからな、そう語りかける。ハトバは聞こえるくらい大きな舌打ちをした。
「そう不機嫌に……ぅおわ⁉」
突然、頭を掴まれ地面に叩きつけられる。この前と同じ動きだ。機嫌が悪いのは分かっていたが、こんな暴力に訴えるやつだったとは。怒りが腹の底から沸いてきた。殴りかからずに済んだのは、頭上を肉片が掠めたからだ。
「気をつけろ‼ まだ生きてる、この綿は‼」
もう停止が近いはずなのに、その臓物はぶちぶちと動いている。ぶつかればどうなるか分からない。縦横無尽に飛び回る肉片は、先ほどの少年の元へも飛んでいた。
「俺はガキを守る‼ お前は、付喪神を!」
「了解」
体を反転、少年を抱きかかえる。思った通り狙いはその子供だった。目を模した巨大なボタンに姿を捉えられる。周囲の綿ぼこりが、形を変えた。
『……みしい、しい、い』
「うわっ、しまった⁉」
小さな肉塊が膨張している。四方八方に。それが自分達の方向に一斉に飛んでくるのだ。銃で戦える相手ではない。「道連れにする」意思がひどく強い付喪神だ。
「抱きかかえてろ!」
彼女がこちらへ走り寄ってくる。瞬時に二本目の刃も握ると、両腕で円を描き周囲の肉を散らした。本体への攻撃がおろそかになったうちに、ぬいぐるみの前脚がこちらに伸びてくる。その脚も切り裂く。が、それはどうやら付喪神の狙いだったらしい。
「‼ ハトバ‼」
切り裂かれた布が、絡みつくようにして彼女の腕を掴む。それは流石に想定出来なかったんだろう、手を逃がし切れず、その腕は刃を握ったまま彼女の腹に落ちた。
腑の左半分に、刃が貫通する。
ワイシャツのボタンが遅れて落ちる小さな音。シンシュは絶叫した。
「ハトバ‼」
彼女の腕に絡んだ布を力まかせに引きちぎる。手の内側の皮膚をいくらか持っていかれ、細かい傷が刻まれた。
「喋るな。舌を噛む」
「はと、え、嘘だろ⁉」
酷い怪我を負っているはずなのに、彼女は苦痛を一片も見せなかった。刺さったままの刃を引き抜くと、少年ごと自分を抱きかかえ一気に跳躍する。三人分の体重を受けて、足場にされた手すりがぐにゃりと歪んだ。下の方、死につつある付喪神の声が聞こえる。
『さみ、しい』
「……‼」
空中でちぎれた肉塊同士がくっつき、元の形に戻ろうと足掻く。それは叶わずぼろぼろとこぼれ落ち、辺り一面を真っ赤に汚した。
「成仏して、くれ」
ぶちぶち、と布が自重で裂けていく音が聞こえる。力強く両の手を合わせた。傷口に返り血が染みてひりひりと痛かった。
『物質はエネルギーに変換されること以外で無くなることはない。質量保存の法則だ』
もっともこれは小学校高等科で習っただろう、そう女性は付け加える。
『魂も同様……そのことに人類が気づいたのは、確か平成三十二年だったかな。魂保存の法則、けどその頃にはもう遅かった』
プロジェクターの文字がぱっと切り替わる。殆どの線が下降していくグラフが映った。
『生き物は減り続け、その代わりに人間が増えている時代はまだ良かった。人間も減りだした時、ついに【動物以外に魂が宿る】現象が多数報告されたのさ』
自分はその時うつらうつらと船を漕いでいた。不採用になった他の五人はどうしていたのだろうか。
『それが今の付喪神の実態だ。その時は、まだまさか無機物に宿るなんて誰も考えていなかったんだろうけどね。だから九十九年法も施行された。もう大量生産ができるような資源も無いから、政府は有機物プラントなんかを作って、必死に魂の再分散を図っているけど……』
研修会の時の、トノコの言葉を思い出す。自分にはあまり機会がなかったので学んでは来なかったのだが、要はきっと、付喪神と自分たちの間に何の違いもないのだろう。「今度はちゃんと祓ってあげるんだぞ」そんな忠告を少年にした。
「なんていうか……モヤモヤするよなあ」
社宅までの帰り道、ハトバはずっと無言だった。裂けたワイシャツから肌色がちらちらと覗いている。怪我の具合は聞いても答えてくれなかった。
「あいつらはただ、誰かの役に立ち続けたいだけなんだけど」
彼女は終始無言だった。
冷蔵庫にあるもので適当にパスタを作り夕食を済ます。食後はずっと、宣言通り愛銃を最後まで分解し、血糊の一片も残らないように掃除した。ハトバというと、自室にこもったまま中々出てこなかった。スーツが汚れたことをそこそこ気にしていたので、染み抜きをしているのかもしれない。そもそも腹のシャツは完全に切れてしまっていたが、本当に大丈夫なのか。考えても仕方が無い。あいつは今籠城中だ。
念の為弾を補充しておこう、そう思って彼は自室の扉を開こうとした。結論から言うと、彼はひねるべきドアノブを間違えたし、少し前まで独りで暮らしていた彼女は鍵をかけ忘れていた。
固まった血に破れたシャツとジャケット、それにズボンが床に散乱している。肝心のハトバはベッドに腰掛けていた。その脇には赤く汚れたタオルが放置されている。
綺麗な顎先を滑る濡れたタオル、それを握る細い指、それに続く拭かれたての肢体――その関節は節々に球体が挟まっている。胴体部、そこにはへその窪みも乳房も無く、ただ滑らかな曲線が続いていた。しかし、それは先程斬られた腑の辺りで大きな断裂を刻んでいる。
「お前……お前は一体、」
男とか女とかそういう次元を超えていた。お前は一体何なんだ、そう口から零れかけた瞬間。
「出ていけ‼ お前はもう一生、私の視界に入るな‼」
もっともな怒りだった。投げられたタオルが顔面にぶつかる。付喪神の血の匂いが生臭かった。
「悪気はな、わっ」
距離を詰められた、そう思った瞬間には膝が鳩尾に入りかけている。掴んで止めた膝にはやはり球体が入っていた。押しとどめるまでは行かず、内臓に衝撃が走る。転げるように逃げ、外へ飛び出した。
訳も分からずそのまま走って、息が切れたころにようやく立ち止まる。気づけばブロックの中で一番遠いところに来ていた。遠くに居住区の明かりが見える。へたりとその暗がりに座り込んだ。
「あいつは……ハトバは、一体……?」
首をひねる。それでも答えが出ないのはもう明らかで、もう一周走ろうか、そう思っていた矢先だった。
「熱心だねえ。パトロールかな?」
一番高い廃ビル、その屋上、面接時に使われた部屋の二メートル上。
佇む彼に、女性が声をかけた。
彼の上司、トノコだ。
「ハトバ……あいつって、人じゃないんですか?」
音もなく現れた彼女に、疑問すら抱けなかった。ああ、と彼女が柔らかく微笑む。
「知らないのかい? 『人形』。まあだいぶん過去の玩具なんだけど」
「人形……」
にんぎょう、と彼は再度口にした。爺ちゃんから聞いたことがあるような、ないような。
「ドールって愛称の方が通ってたかな。今みたいな計画都市が無かった時代の、友達がいない子供の遊び相手さ」
「じゃあハトバって、実はすげー年増なんですか」
トノコは吹き出した。口元を抑え、低く笑う。
「その通りさ。そうは見えないだろう、ははは」
思っていたよりも図太いな、こいつ。面白い面白い、彼女は手のひらで口を抑えて笑う。
「シンシュくん、君があいつとバディを組んでいる理由はそこなんだよ」
くすくす笑う彼女に、彼は素直に首を傾げた。
「付喪神というのは、『愛されたのに棄てられた』恨みによって生まれる。つまり本質は『恨み』なんだ。普通の付喪神は血肉に近いものを纏うようになるけど、あいつは虚無だ」
そういえば、切れた胴体からは血の一滴も漏れていなかった。虚無、そんな響きにごくんと唾をのむ。
「あいつは『愛される』ものとして造られたのに『愛されず』、その恨みが原因で化け物になっている。付喪神じゃあないからね、心臓……壊せるエンジンもない」
上下した喉仏に、指がふれた。急所に触られる感覚に、自然と脈が速くなる。
「だから君はバディとして敵を倒しつつ、その展開を利用して……あいつを『愛してみせて』ほしい。愛されたと思えばあいつはただの付喪神に戻るからね。そしたら簡単、」
ばん、と彼女は彼の鼻先を撃つ真似事をした。口は笑っていたが、それ以外のパーツから感情は読み取れない。
「撃ち殺してやればいい。君の愛銃、そいつでね」
「……あいつは、そのことを知ってるんすか」
「さあね? 利用できるものは利用するさ。最期まで」
君の銃だって同じだろう。そう彼女が歯を見せて笑う。反論を許さない確かな冷たさがあった。
「私は、あいつと同じ人形の付喪神に家族も恋人も殺されてる。笑っちゃうだろう。なんで人に愛されたあいつらが、私の愛した者を全て奪うんだ、ってね」
平成五百二年。確かその年、有名な事件があった。
文京区人形大量虐殺事件。居住区の中で、付喪神のドールが生まれてしまった事件だ。たくさんの人が死に、煤祓いたちもかなりの数散った。
年代からしてこの人は、その事件の被害者なんだろう。シンシュにも薄らと記憶があった。「ちゃんと祓ってやっていれば、」そんな爺ちゃんの嘆きを聞いた気がする。
ともあれそれ以降居住区の住人達の外への不法投棄はぐっと増え、煤祓い達が苦戦するようになったのも事実だ。設計図のひとつも覚えていないシンシュは、本当なら煤祓いになる資格はない。空前の人手不足。説明会でそれはもう聞いていた。
「私だけでは、どうしてもあいつを殺せない。頼んだよ、シンシュ」
考え事をしていたら、突然、視界が暗転した。顔と顔が近づきすぎたからだということに遅れて気づく。
唇に何か触れている。
感触からぱっと連想した。
トマトだ。しかも生の。昨日の夕飯で食べたからありありと想像できるぞ、なんだ意外と硬いのかよ、そんな場にそぐわない感想が浮かぶ。微かに感じるぬるつきは、彼女の口紅由来のものだろう。
それはただのキスであるのだろうけど、何せ情報量が多すぎて、感触に驚くことで精一杯だった。いつの間にか腰に手を添えられ、背中が傾きそうになる。口付けが少しだけ深くなり、顎の角度がいやおうなしに変わって、咄嗟に、その薄い身体を手で払ってしまった。
「あ……‼ すみません‼」
「……ふふ、いや、いいよ。なんというか……久しぶりに、振られたな」
怒りと言うよりかは驚愕、そんな表情だった。その言葉に、あの一連の流れは皆んなにやっていることなんすね、そう思うが喉元で飲み込む。
「そう面白い顔をするな。君の銃と同じだよ。こういうのも私の武器のひとつなんだ」
「いいい嫌ってわけじゃないんすよ、けどなんか、こう、」
「こういうのは無理強いするものでもない。続きは君が望んだ時にでも」
ふふ、と彼女は笑った。妖艶、そんな二文字がしっくりくる。
「気をつけろよ。これは私のカンだけど……もうすぐ、出る」
細い指が額をなぞった。女性らしい、小さな手だ。
「人類の味方で、私の味方でいてくれよ、シンシュ君」
そう言い残すや否や、彼女は音もなく闇夜に消えてしまった。あとに残ったシンシュが頭をかく。混乱に混乱を継ぎ足された気分だった。一時間も経たず部屋に戻ってきたバディに、お前どの面下げて戻ってきたんだ、そんな怒号が炸裂する。
あの夜から二か月が経ち、その間パトロールだけで付喪神発生を未然に防げたので、シンシュは完全にトノコの忠告を忘れていた。ハトバには相当嫌そうな顔をされているが、一緒に行動することに成功してはいる。いまいち『愛する』ことの本質を掴めてはいなかったが、愛することが殺すことになるのなら、あまり考えたいことではなかった。まだ深く知らない相手に愛を与えること自体彼には想像出来なかったが、ハトバがいなくなるとつまらなくなるのも事実だ。
「明日爺ちゃんにふた月ぶりに会いに行くんだけど、お前も来る?」
「……どうしてそうなるんだ」
「バディって、一緒に行動するもんなんだろ?」
「都合のいい拡大解釈はやめてくれ」
件の日から半日は彼の存在を無視していたが、視界の端に何度も出現されてはそれも難しい。諦めと呆れの混ざった顔は、美しい造形と相まうと滑稽になる、それがここ最近のシンシュの発見だった。
「爺ちゃんの相棒はもっとすごいぞ! というか服から家まで何もかもが神格化していて」
「それ絶対あの女には言うなよ」
確かに、と素直に驚く彼を鼻で笑ってやる。
中の住人は勝手だ。付喪神化の兆候があってもなくても、自分の住処以外に平然と捨てていく。
そうだとばかり思っていたけれど、付喪神と共存しようとしている人もいるらしい。
「で? 明日の何時からなんだ」
「午後! 冷蔵庫の中にある肉も土産で持ってく‼」
嬉しそうに口角をあげる彼は、尻尾がついているのではないかと錯覚できる。絆されてしまう、それを感じとって強く首を横に振った。突然の奇行にシンシュの肩がびくっと震える。
その時だった。
警報が鳴り響く。付喪神が出るのが当たり前である廃墟区では、普通レベルの付喪神なんかではそんなことにはならない。
警報が鳴る時、それは本当に『やばいやつ』の出現を意味していた。
『ブロック【と】全員出撃命令。人形の付喪神、人形の付喪神。場所は……』
全員出撃。
間違いない。緊急事態だ。
「おい! 人形の付喪神だってよ‼ 行かねえと」
手早く装備を整え、髪も結び直す。三十秒後には扉に手をかけていた。
「……先に行っててくれ」
「何だ? 腹でも痛いのか?」
「いいから先に行け」
強い語調に、シンシュはそれ以上何も言わなかった。彼は二三度振り返るような仕草をし、現場に向かう。
「無理すんなよ‼」
ハトバは無言で固まっていたが、小さく頷いた。
現場はわりあい近くだった。『と』ブロックの責任者として指令を出しているトノコもいる。名前の知らない先輩たちも、皆交戦中だった。
「五番がやられた! 近くにいるやつ、救援! 遅かったな十一番‼ 一番はどうした⁉」
「腹痛です‼ 遅れてきます‼」
「は⁉ ……しまった、被弾! 零番通信終え!」
トノコが飛び退くのを見、シンシュもつられて走った。一瞬の後、爆風に吹き飛ばされる。受け身を取り切れず半身を強打した。なんでドールにこんな機能が、そんな目で上司を見る。耳がきんきんと響き、言葉がまとまらない。強敵に違いなかった。
「落ち着きなさい。あいつは音系の人形らしい。歌を歌うことに特化しているんだ」
イヤホンを手渡される。装着すると、かなりの音を遮ってくれた。私は指揮に戻る、右に回って八番、青色の髪をした男に続け。そんな言葉がイヤホンから聞こえる。
「人形の付喪神って、なんでそんなにやばいんですか⁉」
走って先輩を追いかけながらそう叫ぶ。空に浮かぶ人形は、ふわふわと巻いた長い髪を漂わせていて、背丈は少女のそれだ。先程の爆撃を発したとは思えなかった。同じ人形なら、ハトバの方がよっぽど敵に近い見た目とすら思える。
「五百年間、人口は減りに減った。寂しさを紛らわすため、人形は百年前に子供用の枠を外れとにかく流行った。家族として友達として恋人としてペットとして、愛されまくってる。あいつらはな、」
ぐる、とその首がこちらに向く。後ろ姿は少女のようだったが、白目は黒く反転し、瞳孔の形も歪んでいる。
「棄てられた恨みも力も、強い」
あ、とその付喪神の口が開いた。
咄嗟に耳を塞ぐ。瞬間発された高音波が直撃し、吹き飛ばされて壁に受身も取れずぶつかった。高性能なイヤホンが無ければ、両の鼓膜は破けていただろう。それでも耳がきんと痛い、そう思った次の時。積み木のように、鉄筋コンクリートの柱が投げつけられる。
「げええええ‼」
必死に避ける。元いた場所で飛び散ったコンクリートが、頬を掠め赤黒いアザを作った。粉塵がもうもうと舞う。既に八番、青い髪の男は見えない。
明らかに不利だった。
パワーが違いすぎる。射撃で対応出来るものじゃない。
『あはははは‼』
「う、嘘だろ⁉ あいつ、飛っ……」
人形の背中から、透明なポリゴンが伸びる。虹色の光が飛び散って、それは巨大な翼になった。
思わずひゅっと息を呑む。その瞬間、それはこっちに突っ込んできたのだ。彼は飛ばされていた。人形の技によってではない。駆け付けたトノコの腕によって投げられたようだ。
「……はっ⁉ へ、トノコさん⁉」
頭上、シンシュを投げ飛ばした彼女はそのままクロスボウの弓を引く。目にも留まらぬ速さだ。感覚器官のある頭部を破壊され人形の軌道が曲がる。その頭半分は吹き飛ばされたが、胴体部は無事らしい。人形は自分の翼でそれを守っていた。ちっ、という大きな舌打ちが聞こえる。
『よくも私の顔を、許せない、許せ』
ぐちゃ、という音が遠くに聞こえた。トノコは何も言わずに弓を引き続けている。再生した顔が、今度は下顎もろとも弓矢に引きちぎられ吹き飛ぶ。勝手に忘れていた。彼女が第七ブロックの責任者、つまりは自分よりずっと強いということを。
「顔を潰している間に、早く‼ 君も銃を使え‼」
顔をぐちゃぐちゃに潰されている少女に銃を向けることは気が引けたが、そんなことを言っている場合ではない。
装填、一発目を注意深く撃つ。
アンカーを翼に刺し引き下ろそうとしたのだが、その鉄の爪は弾かれてしまった。
人形は、落下した先でちょうど目の前にいた仲間に襲いかかった。背後から別の仲間が斬りかかったが、翼の一閃、どちらも吹き飛ばされ建物にぶつかる。地上にいても太刀打ちができない。
激昂した彼女は、こちらにターゲットを定めたらしい。とどめを刺そうと近づく頭が、またしても弓矢に潰された。翼がある限り近づこうにも難しい。頭を潰し動きを止められても、こいつは、再生できる。まるで生き物だ。怪物め、そうトノコは悪態をついた。
「くそ‼ 一番はまだか‼」
吹き飛ばされた先で、うずくまる脚を折ったらしい仲間に近づく人形。カラチャ、そうトノコが叫ぶ。その時だった。
「遅れて悪かった」
「ハトバ‼」
言うが早いか、そいつはもう人形に斬りかかっていた。指揮官の指示も聞かず、翼の隙間をぬって接近する。振り向くよりもさらに早く背中に切っ先が届いた。
斬れる、そう思った瞬間。
人形の背中から新たな腕が生える。その腕を長い刀身でねじ切った。下に向いた刃でそのまま足首を切り落とそうとするも、人形は宙に飛びたつ。
「八番九番、今のうちに三番を救出! 六番立てるか⁉ 走れ‼ 人形の相手は一番に任せろ‼」
人形とハトバの一騎打ちが始まる。十一番、シンシュも走って近づいた。
ハトバは走ってブロック塀、トラック、室外機と踏み込んで刃を振り下ろす。空中にいる人形は難なくそれを避けた。目の前に現れた壁を脚で蹴り、再度人形のもとに飛び掛かる。トノコも再度弓を引いた。ハトバの耳を掠め、人形の顔半分が吹き飛ぶ。それでも、胴体に攻撃できる手段は見つからない。
「な、なんであいつは回復してるんですか⁉」
「……あいつは自己修復機能を使ってる。百年前のドールの最新技術のな」
刃を振り切ろうとしたハトバが、翼の一振りで飛ばされる。吹き飛ばされた先のビルにぶつかり、気道部分が押し潰され息が漏れた。あるのは感覚だけで、実際には管の一本も存在していないのに。幻肢痛の一種だ。肉体なんてひとかけらも持っていないのに、意識だけで痛みを感じる。
「かっ……は、」
『空っぽのくせに苦しがるんだ』
しまった。間を詰められている。脚に力をかける前に、腹に爪を突き刺された。そのままぐるんと指先を回される。シャツを貫通し外装に穴が空いた。血の一滴も漏れないのに、唸るほど痛い。耐えろ、耐えろと自分に言い聞かせる。自分は人ではないのだ。これくらいなんてことはない、そう言い聞かせて壁を蹴った。
『あぶなーい! 相当痛いだろうに、よく動くね』
無言で刃先を振った。幾度も斬りかかっているのに、全てが翼で弾かれてしまう。壁を蹴りすぎて脚の感覚も馬鹿になってきた。バランスを取りきれず、窓ガラスを突き破って廃ビルの中に倒れこむ。
『ねえあんた、モードはなに? 家族……じゃあなさそうだね。それにしては可愛げがないもん』
窓からそそぐ光が、鋼鉄の羽に遮られた。鈴を転がすような、可愛らしい声で人形が尋ねる。
『恋人にしても、男としての魅力も女としての魅力もない。友達? にしちゃあ見た目が現実離れし過ぎてる。わかった、ペットでしょ』
「……」
ぴく、とハトバのこめかみが動く。喉元を捌こうと刃先を上に向けた。窓枠を蹴ってその首に狙いを定めるも、動きを読まれる。首が横に逸れ、刃先が宙を滑った。人形がたわむれにハトバの足を掴んで離す。宙でバランスを失い、そのまま地面に激突した。
『選択されてないんだ。モードを。その前に棄てられちゃったんだ』
「黙れ」
起き上がったハトバの顔半分には、大きな亀裂が走っている。
『……その声! 初期設定のまんまなんだ! そっかあ! ほんとに買われた瞬間棄てられたんだね‼』
きゃはははは、と甲高い笑い声がこだました。ハトバはと言うと、眉間には深くしわが刻み、つり上がった目の瞳孔は収縮している。酷い怒りの形相だった。
『性別の選択すらもされないまま化け物になっちゃったんだ! あっははおっかしい!』
「黙れ、黙れ黙れ黙れ‼」
ハトバの元いた場所に穴が空く。踏み込みの衝撃で近くの仲間が一人吹き飛ばされた。跳躍、右肩に刃を入れ、左下に斬下ろす。翼は切れなかった。表面を滑り、ぐるりと身体が回転する。
『シリアルコードは? 確認された? それともそれすら残ってたり?』
「黙れと言っただろう‼」
きん、と高い音がした。二戟目も空振りに終わり、廃屋の手すりに飛びのく。
『何でだろうねぇ? 私はずーっと愛されてたのに。やっぱ顔かなあ? そのきつそうな顔が良くないんじゃない?』
「その減らず口から叩き切ってやる!」
「そいつの挑発に乗るなっての‼」
激昂したハトバには、シンシュの声など聞こえていなかった。二人がぶつかるたび、周囲の建造物に被害が及ぶ。誰もその戦いに加われない。更に悪いことには、じわじわと居住区の方へ移動しているようだった。
『二番四番九番、五番三番十番を救援。六番から八番、戦線から離脱し隣接区から住民を避難させろ。悔しいが人間の力ではこれ以上は無理だ』
トノコが悔しそうにそう命令する。あれ今俺呼ばれなかったな、シンシュは眉をひそめた。いくら一番、ハトバのバディとはいえあれの相手は手に余る。
『十一番は付喪神を持ってる。一番と十一番、それと零番であいつを仕留める』
「へっ⁉ なんでトノコさん、それを……⁉」
「あの実技テストのところでだよ。あんな手腕で当たる訳ないだろ‼」
愛銃の神格化がばれていたことよりも、トノコに銃の腕前を罵倒されたことにショックを受けた。
けど今はそれどころではない。目には目を、歯には歯を、付喪神には付喪神を、そういうことだろう。
「そうか……なら俺にも勝機がある‼」
空中でもつれ合う二人に発砲する。案の定使い手の意思をくみ取って、銃弾の軌跡はハトバを逸れまっすぐ人形へ飛んだ。想定外なのは、その曲がりくねった軌道すら避けられてしまうことだ。
「げええ⁉ 何でだよ⁉」
曲がる銃弾、その進路を予想して避けることは不可能に近いほど難しいはずだ。諦めずにもう数発撃ちこむが、やはり全部外れてしまう。その隙に体勢を立て直そうと退いたハトバに、人形は口を大きく開く。音響攻撃。逃げようとした一歩先の足場が、広がった翼によって砕けた。バランスを崩しふらついた細い影が、手すりの上から落下する。
ハトバは再度落ち、それを受け止めたシンシュも弾き飛ばされた。
「いっ……てえ‼」
「助かった」
言うが早いか、再び飛ぼうとするせっかちなバディの腕を掴む。ぎろりとその双眸に睨まれた。
「待て! このままじゃお前は負ける。俺の作戦を聞いてくれ」
「作戦?」
そうこうしている間にも、人形は翼をはためかせている。こちらに来てハトバで遊ぶか、居住区をめちゃくちゃにして遊ぶか考えているようだった。トノコも弓を構えてはいるが、単騎で接近戦に持ち込まれたら勝ち目がない。三人の動き方によっては、居住区に突っ込みに行く可能性もあった。時間がない。自分にできる最大限の速さで口を動かす。
「お前、前俺の銃の心を読んでただろ‼ あれと同じだ、お前、その人形に心を読まれてる‼ だからガバの弾道も読まれちまうんだ‼」
「……⁉ そんなの、どうすればいいんだ⁉」
決まってんだろ、シンシュは真っすぐな瞳で答えた。
「何も考えず突っ込め‼」
「そんなことできるか馬鹿が‼ お前じゃないんだぞ‼」
大正解、とでも言いたげに声を張り上げられたものだから、自分もつられて大声を出してしまった。時間の無駄だ。上司のため息も聞こえる。人形ももう心を決めてしまったらしい。居住区を叩き潰そうと、壁の反対側に翼が広がる。トノコが弓を引くが、もう攻撃のパターンを読めてしまうのか、それは翼の先で弾かれた。
『まだやんの? もう私、決めちゃったの‼ 私と同じ年の女の子全部集めて、喉だけ潰して遊ぼうって‼』
「人形!」
その声を出したのは、新人の十一番、赤混じりの黒髪の青年、シンシュだった。
「お前だってハトバのことを笑えねえぞ‼ ……付喪神ってことは、主人に捨てられたんだから」
『はあ⁉』
彼の挑発は大当たりだった。歪な瞳孔がぐるりとこちらを向く。翼がぎらりと金属音を立てて揺らめいた。
「恨みで、人を殺すために動いてるんだろ? じゃあハトバの方がよっぽど優秀だな! ハトバは恨みはあるけれど、人を守るために動いている!」
『煩い! 人の価値基準を押し付けないで‼ 決めた、お前の喉から潰してやる‼』
青年に向かい、恐ろしい速さで人形が突撃してくる。彼は緊張に震える銃を掴んだ。銃弾の軌道は、同じ付喪神の思考は読めるのに、馬鹿なやつ! そう人形は内心ほくそ笑む。ハトバとやらの剣戟も見切った。あの女の弓程度じゃ私を殺せない。勝った。どうせなら全員、喉と顔だけ引きちぎってやろう。手を伸ばす。オレンジ色に塗られた爪が輝いた。
届いたはずの手が弾かれた理由が、最初はよく分からなかった。
『え……?』
生身の腕だ。銃を握ったその手が、引き金を引かずに振り上げられたのだ。
流れを読んだトノコが、人形の肩口に弓を打つ。片腕が千切れたが、もう片腕を無理やり伸ばして女を弾き飛ばした。その隙、後ろに伸びた翼の隙間にハトバが入り込む。
そいつの動きだけは読める。あばらの隙間から柔らかい刃を突き立て心臓を壊すつもりだと。まずこいつを潰してしまおう、鋼鉄ほどの硬さの羽を後ろで閉じた。
「ぐ……!」
「考えたろお前‼」
「わ、私には無理だ‼」
シンシュの声が聞こえた。ぎちぎちと翼が閉まる。咄嗟に二本目の刀も抜き、両腕に構えなんとか持ちこたえた。その刀身も耐え切れず真ん中で折れる。金属が砕ける音とともに、翼の中、そいつの闘志が折れたことすら分かるのだ。心の中で高笑いする。あとはこの男を気絶させてやろう。そのあと地面に寝ている女の顔を剥いで、それからそれから、そう口を開いた瞬間だった。
「ガバ、ごめんな」
ツナギの内側に銃をしまう。その時、銃含めその場にいる二人の思考は完全に一致した。
『何をする気⁉』
「これでどうだ‼」
丸腰のまま、彼は人形に殴りかかった。馬鹿だ。本当に馬鹿だった。それは流石に人形側も予想できなかったらしい。元々愛玩用のやわい装甲だ。皮膚程度の硬度で、ばしんと軽い音がして、首がぐるんと曲がる。
フラッシュバックしたのは、ただの人形を演じていた最後の日だった。
『ほんとに可愛くない』
力一杯頬を殴られる。起動していない、されど付喪神として意識のある人形は何も言えずに地面を転がった。
『歌だって変な声だし、全然人間ぽくないし』
喉を圧迫される。そのパーツは百年前のお父さんが作ってくれたもので、ああ駄目だ触らないでほしい。踏みにじらないでほしい。体を動かしそうになるのを必死で耐えた。
『なんでったって私の先祖は、こんな人形作ったんだろう。誰も必要としないのに』
襟首を掴まれる。行先は想像がついた。廃墟区。通称、外。付喪神ハンターたちの住処。
『馬鹿じゃないの‼』
真っ黒な喉奥が見えるくらい口が開く。音響攻撃。それが来る前に口を塞ごうとする。一瞬間に合わなかった。耳の奥が燃えるように熱い。痛い。何か濡れたのは零れた血だろう。
固まった身体を、捻り潰そうと翼が前に広がる。ハトバは解放された。
彼に翼が到達するまでの一秒の半分の間は、彼の言うとおりに動けていた。
後方。半分も残っていない刃先で翼の根元を抉る。ばちん、そんな音で左側、右側とポリゴンが消滅した。しまった、と振り返る残忍な顔。
前方。シンシュが服越しに銃を撃つ。もう隠すことを辞めている、その銃弾はあからさまに妙な軌道を描いた。
がしゃ、がしゃという音を立てて人形がよろめく。頭部にある感覚機能が破壊されたからだ。
『嫌だ、いやだわ、だってまだ私、復讐できてない。もっと殺して、壊して、踏みにじって』
全弾命中。銃弾は仲間を避けてその全てが上に抜けた。心臓部があがくように唸っているのがよく分かる。残った片腕を振られないようにその人形を抱きしめたからだ。背中からハトバに向かって伸ばされた腕は、自分の手で押さえている。熱い。おそらく肉を多少抉られてる。背中には本来の腕の爪が突き刺さり、ツナギを赤く染めていた。
「いい。お前はそうやって、お前を捨てた奴を恨みながら死んでくれ」
その言葉に人形が唇を噛む。救済はない。人間以外の器に宿ってしまった魂には。
「作りびとの想いを汚さないまま、誰も殺さないで成仏してくれ」
は、とその瞳孔が見開いた。目に鮮やかなピンク色は、どう見ても人間のものではない。
『ボタンの瞳はいい色だろう。その色の花はもう絶滅してしまったけど、その色が好きだったこと、君の目を見ればすぐに思い出せる』
百年前。そうだ、春のことだった。彼は捨てられていた自分を拾い、直してくれた。子供のように可愛がってくれた。歌をたくさん教わった。たくさん歌った。彼は子供のできないたちだった。遺伝子が煮詰まりすぎていた。だから四十に満たずに死んだ。
『僕の可愛い子供、ボタン』
『歪めてしまって、ごめんなさい、お父さん』
ぶちぶちと背中に突き刺さっていた爪から、力が抜けていく。ふと見るとその目は丸い牡丹色に変わっていた。眼孔から漏れ出たオイルが頬まで流れている。完全停止。彼はそれを確認して、腕に絡んでいた小さな手を外し、いつもの通り手を合わせた。
「成仏してください。どうか次は、肉の器に宿って」
瞼を閉じさせ、千切れた片手も拾い腕を組ませる。
「……どうだ‼ ガバ、すげえだろ‼」
黙祷を終えると、背と腕の両方から血を流したまま、青年は大口を開けて笑った。
「お前……」
「いやあ、勢いからして貫通されるかもくらい考えてたぜ。怪我した程度ですんだ」
自分が真後ろにいなければ、彼は腕を背中まで回さなかったはずだ。罪悪感なのか悔しさなのかいたたまれなさなのか。ハトバはぎっと唇を噛む。
「お前は大丈夫か?」
あっけらかんと彼が言う。その間に、上司の意識も戻ったようだ。いてて、といいながら立ち上がっている。
「……分かっていた、だろう。あの時。私は身体が抉れても、怪我をすることがない、と」
「ん? うん。でも、まあ、バディだからか? つい」
「つい……?」
目を開く自分にお構いなしに、彼は負傷した左手を顔の傷に伸ばした。
その動きが。あまりにも。過去のバディである、彼女にそっくりだったのだ。
傷口を押さえる彼の頬を張った。予想外だったのだろう、口がぽかんと開かれている。
「うんざりする‼」
「は、はあ⁉」
気遣った相手から受けた仕打ちに、流石のシンシュも声を張る。お構いなしにハトバは言葉を続けた。
「君のその、『愛してやろう』っていう姿勢に‼ あの女になんて言われたのか知らないが、俺を、私を、殺すためだけに愛を与えようとするな‼」
へ、なんていう間抜けな声が漏れる。傷がついたまま大きく叫んだので、口角がいくらか割れて落ちた。
「前のバディもそうだった。あいつは俺を庇って死んだ、『愛している』なんて妄言を吐いて」
前のバディは女だった。そして彼女は、トノコのお気に入りでもあった。
最後に戦ったのは人形の付喪神だ。彼女はシンシュよりもよっぽど強かった。けれど、人形の方も強かった。死なないはずの自分の目の前に飛び出して、死んだ。最期に、愛していたと言われた。
それとほぼ同時に、特攻にも等しい勢いで人形の間合いに入り込んだ零番の顔は、きっと忘れられないだろう。結局死んだのは六番、元バディのツルバミだけだったのだが、人形は原型を留めないくらいバラバラに壊された。
トノコは、人形を殺すためなら見境がない。それはきっと自分も例外ではないのだろう。そう思った瞬間、指先から感覚が無くなっていった。
結局、バディから伸ばされた手は握れなかった。
「忠犬だよな! 自分を犠牲にしてまでも、私を付喪神にして殺そうとしたんだよ! まったく、どっちが人形か分かりゃしない!」
「……それ、その人は、本当にお前を愛していなかったと言いきれるのか?」
「は?」
シンシュはずっと黙って聞いていたが、ついに口を開く。誰であれものであれ、ひとの死を無下にするやつは許せなかった。そう信じて生きてきた。
「だってお前は死なない。血を流さない。その綺麗な肢体に傷はつくけど、それまでだ」
トノコから、愛してほしいということは聞いていた。でも彼女が、もしも自分と同じであるのなら。その命令に関係なく、バディを守るのは当然だったろう。
「じゃあどうして、その人はお前を守った? 別に、言葉だけでも良かったんじゃないか?適当に、あいしてる、と言っておけば」
シンシュの目は真っすぐだ。その赤色は他のどんな色でも染められない赤だ。
「俺と同じだよ。バディが危険な目にあっていたら、当然助ける。俺達どっちも、お前を必要としているからだ」
「……」
みしみしと音が聞こえる。銅線が中に液体が流れているかのように蠢きだし、動力部は心臓のようにどくどくと脈打った。その人形は付喪神になる。化け物と付喪神の唯一の違いはそこだった。愛情を一度でも覚えたことがあるかないか。
「シンシュ、その、私は今、お前の、これは」
みし、瓦礫を踏みつける音が聞こえた。
折れた刃先がぱきんと音を立てて踏みつぶされる。
「遅すぎる。ツルバミを二度殺しておいて、今更それに気づいたのか」
青年の目の前、付喪神とハンターが相対した。
「トノコさん……? もう、終わったんじゃ」
女だ。
赤混じりのブロンドのハンターが、クロスボウを構えている。
「……ツルバミはよくやったよ。シンシュ、君も彼女の死を生かしてくれた」
心臓、付喪神であれば心臓になる部分。化け物に心臓はない。だから死なない。けれど付喪神にはある。エンジン、動力部。人のために動く臓器だ。
「いやあよくやったよくやった。これでこいつらはふたつも減った」
夢を叶えた少女のような柔らかさ、心底嬉しい、という笑顔だった。シンシュは、彼女が心から笑うのを初めて見た。
「お疲れ様、なあハトバ」
素早い動作。放たれた弓は外装を突き破り、脊柱部を削って、正確に心臓を射貫く。すう、と呼吸音が聞こえた。その身体が固くなる。
「……ハトバ⁉」
見上げると、もうトノコはいなくなっていた。咄嗟に弓矢を引き抜こうとするも、それは特注品なんだろう、かえしが引っかかり抜けそうにない。
「待て! おい、待て‼」
浅い呼吸音、流れてくる赤黒い血。死ぬ、そんなことが頭をよぎる。でもこのままじゃあまりにも報われない。愛情を欲し、得られてもそれを信じられず、ようやく信じられるようになったら殺されるとは。
だからシンシュは、息を大きく吸い込み、声を張り上げた。
「俺はぜっっったいお前を愛してねーからな‼」
「は?」
ぼんやりとしていた意識が、その言葉に切り裂かれる。
「自分のことを棚に上げやがって‼ お前は、『愛されるため』人を助けてたんだろう‼ 今までのすべての行動に、下心がなかったなんて言いきれんのか⁉」
かっと頭に熱が上った。ひどい侮辱を受けた気がする。
「はあ⁉ うるさい、うるさいうるさい‼」
「入り混じってぐちゃぐちゃなんだろ‼ そんでもって何で、お前は付喪神に成りたがってんだ⁉」
「君に、お前に分かるものか‼」
「お前はお前だろ‼ 人でも付喪神でもないんだろ⁉ それでいいんだよ、お前はハトバだ‼」
秀麗な顔に青筋が走り、突き刺さったままの矢がみしりと折れた。付喪神じゃない。化け物だ。念願の愛情を一度忘れ、目の前の男にぶち切れている、憎しみだけの存在だ。
愛されたい。
愛して欲しい。
必要とされたい。
だってそれが総てのものの存在理由だ。
それをなんだってこの男は、根本から否定してみせるのだ。
「黙れ黙れだまれ‼ ただのハトバなんて誰が必要とするんだ‼」
人間じゃないから必要とされない。
物じゃないから必要とされない。
なら、煤祓いなら?あの組織なら、自分の体質を活かしてくれて?それで?
必要としてくれる?
「じゃあ俺が必要としてやるよ‼ 顔は悪くねえし、デカい態度も嫌いじゃないし‼ 何より、」
傷を負ったまま叫びすぎて、げほ、と血を吐き出す。死の直前のツルバミのことを思い出して、びくりと肩が揺らいだ。
「お前は俺のバディだろ‼」
彼はどこまでも馬鹿正直で、真っすぐだった。
「それは告白かあ⁉ 愛してるぐらい言ってみせろよ‼ 私を殺したいんだろ‼」
「愛してねえつってんだろ‼」
化け物に戻り風穴の周りを肉が集まり始めるが、血が一向に止まらない。ちょうど半分の状態なんだろう。ぐちゃぐちゃだ。存在しなかった喉代わりの管を、液体が昇っていく。気持ち悪い。
「あの銃に向けたみたいにな⁉ 出来ないのか、トノコでもできることなのに‼」
「お前は物じゃない‼」
ぐい、と抱き寄せられた。生ぬるくべたつく感触。ふたつの血液が混ざり合う。お前もやばいんじゃないのか、そう意識のどこかで思った。
死んで欲しくないと、目の前の赤い瞳が訴えている。
「絶対愛さねえから、死ぬな……」
馬鹿め。全く生かしたいのか殺したいのか分からない。ハトバはふっと笑った。
面接時にも使われた廃屋の中、女性が机に脚をかける。行儀の悪いその姿勢からも、彼女の不機嫌さが見て取れた。
「いやー、失望失望。私は確かに『愛してほしい』って言ったよ。でもそれは、『モノとして』愛してあげて欲しかったのになあ。まさか『ハトバとして』愛してやるとは」
トノコは机の向かいでがりがりと頭をかく。一方のハトバは唸り声をあげ、シンシュの後ろから彼女を睨みつけた。トノコももう敵意を笑顔に隠せていない。
「事後報告書を書いているんだ。うるさい。ったく、お前のことをなんと記せばいいのやら」
彼女は大きく舌打ちをする。もう頼んでも、次のことはしてくれなさそうな雰囲気だ。
最も凶悪である人形の付喪神を誰一人死なずに倒した。『と』ブロックは本部から表彰され、シンシュとハトバが勲章を受け取ってから一か月後。ハトバのことをなんと報告しようかと、トノコは頭を抱えている。
満たされているから化け物でなく、かと言って物として見られていないから付喪神でもない。何ものでもないその存在には、ただ、『ハトバ』という名前がついていた。
あいつの呪いはもう解けないぞ、あの二人は死ぬまで私の元で働いてもらうのだ。女はやけになったようににやりと笑った。
「トノコさん聞いてくださいって。こいつ今朝俺の焼いたベーコンエッグぜんぶ食っちまったんですけどー!」
「仕方がないだろ。あれは美味かった。シンシュが私に作ってくれたものだから、格別に」
一瞬、彼の動きが止まった。その後空中で手が忙しなく動く。
「そっ……ういうこと聞いてんじゃねえんだよ、いや片方は合っていたとしても、そしてなんで二食とも自分のものだと確信したんだよ」
「テーブルに置いてあったからだ」
「何一つ理由になってねえ‼」
「それでいてなんで君たちはそういうどうでもいいことを職場に持ち込むんだい?」
口を広げて怒鳴り合う二人。子供の喧嘩のようなそれに、トノコは大きなため息を漏らす。
「お前なんか大っ嫌いだよ‼」
「ああそうだろう、私だってお前に愛されるのなんて死んでもごめんだね‼」
大きく悪態をつきながら、それでもハトバは笑顔だった。なんだとてめえ、何もおかしくないからな、そう言ってシンシュはその腕を掴む。
その場にいる誰もが知っていた。
ハトバは、必要とされていることが嬉しくて、きらきらと笑っている。
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それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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