この恋が終わる頃、私がいなければいいのにーYou, who I killed still love.

相生 るり子

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拐かし

夢の中で、刺だらけの道を歩いているみたいだった。

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 月曜日から嘉世子は学校に行かなくて良くなった。というよりは、正確には、明かに成人男性ないしは大柄かつ力の強い女性に母親を殺された娘を登校させるわけにはいかないという判断を下した誰かがいるとのことだった。それが誰であったとしても、嘉世子にはどうでもいいことではあったけれども。
 さらに言うと、嘉世子は真っ先に犯人候補から外されたらしい。というのも、誰かのささやき声から知ったことだった。誰も嘉世子に寄り添おうとか、慰めようとかしようとしなかった。
 夢のような、けれども夢ではない。夢であって欲しいけれども、夢ではない絶望。ふわふわとした刺だらけの道を歩いているような気持ちだった。


 そうしてなんとか過ごして、母が殺されてひと月がたった頃。母の遠縁にあたると申し出た妙齢のご婦人がやってきた。白髪に、赤いブローチ。ルビーだろうか、周りには銀の刺繍のように繊細な飾りがついている。
 元々色がどうとか、誂えがどうとか、そういったところに関心を向けがちだった嘉世子は、もうずっと日常の中の彩りを喪ってしまっていたことに気が付いた。己の精神状況が尋常ではないことに気付かせてくれたことに対して、嘉世子はブローチにお礼を言いたかった。決して、施頭院碧と名乗った妙齢のご婦人にではなく、ルビーのブローチに。
 せどういん みどり、と。
 小さく復唱した名前は美しかったけれど、その眼差しに母や嘉世子に向けられた情愛は一切感じられなかった。嘉世子は瞬間的に、これは嫌いな人だなと思ってしまった。
 赤いルビーのご婦人が、警察による身元の確認作業を終え、嘉世子の仮住まいであるアパートにやってきた日の夜。ちょっと、と夕ご飯の後で呼びつけられ、嘉世子は空気を読んで正座した。向き合ってみれば、あまりの重苦しい雰囲気になってしまった。
「やっぱりちょっとお茶を煎れてきま」
 そう言って立ち上がろうとした瞬間、星が舞った。否、腕を強く引かれて、肘から頭ごと崩れ落ちた。
「逃すわけがなかろうに」
 言葉はまるで、突き刺さらんばかりだった。
「たちの悪い姫宮候補もいたものだ。産んだ子供、それも娘を報告していなかっただなんて」
 母の唯一の親戚を名乗った白髪の女は、そう言ってさらに嘉世子の腕を強く引いた。短パンから伸びた素足が畳に擦れてヒリヒリと痛んだ。
 嘉世子の耳許で、白髪の女が囁く。
「お前は死ぬだろう、誰よりも残酷な恋をして」
 目の前で、大粒のルビーがチラチラと蝋燭の炎のように輝く。
 でも、と。少し高揚したような、けれどどこか底意地の悪い声音で続けて囁いた。
「助かりたいなら自分で助かるんだね。」


 そうしてその日の夜、着の身着のままで車に乗せられた。夜通し走って連れられた先は、山。夜の間、何故かものすごく眠くなってしまったから、今どこを走っているのかは分からない。けれどどうやら、ぐるぐると山の裾を回りながら、山頂を目指しているようだった。中学校の修学旅行の3日目に行った、比叡山延暦寺みたいだと思った。ぐるぐると回って、時折湖が見える。というか、時折見える標識が至京都と至大阪という時点で、もうここは比叡山なのでは? とここまで考えて嘉世子は座席から身を乗り出し、それなりの勢いで通り過ぎてしまう標識に目を凝らした。
 中学校3年生、ちょうど一年前にあたる去年の6月、たった一度だけ、それも大型バスで通った道なんてほとんど覚えていない。けれども、自分の力でここがどこなのかを認識おかなければ後々大変なことになってしまう気がした。
 そうして一点を凝視しすぎてしまって、気分が悪くなる。ふうっと息を吐いて、座席にもたれかかっった。少しだけと思って、目を閉じると、無糖のコーヒーが飲みたいと思った。喉が乾いている。最後に飲んだのはーー。
 そういえばあの男の子、山奥の高校に通ってるって言っていたな、と思い出した。もう、名前は思い出せないけれど。
 疲れていたのか、嘉世子はそのまま再び意識を手放した。
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