鍛冶師ですが何か！

5巻

5-3

　修練場に移動し、俺――壌擁恬の目の前で柔軟体操を始める亜人を見て、思わず近くで俺と同じように見守っている麗華様に、これから行われることについて尋たずねようと――

「あの亜人は何をし……」

　だが、言い終わらぬうちに、強い口調で、

「驍廣さん！」

　と、麗華様に注意を受けた。仕方なく……

「……驍廣たけひろさんは一体何をしようとしているのですか？　それに、先ほど安劉アンル様が、あの者に向かって『武具を鍛えて欲しい！』と言っておられましたが、ドワーフ族や単眼巨人キュクロプス族でない者に、そのようなことを言っても無駄な気がするのですが？」
「驍廣はここ翼竜街の鍛冶師の一人。それも名匠と呼んで差しつかえないほどの腕を持った鍛冶師ですわ。そして、今、驍廣は依頼主の力量を確かめるため、立ち合いの準備をされているところです」

　麗華様の告げた内容に、俺は自分の耳を疑った。次に冗談じょうだんを言われたのではないかと彼女の表情を見たが、特に嘘や冗談じょうだんを言っているようには見えず。

「何を馬鹿なことを！　あの亜人が武具の鍛冶師!?　それも名匠と呼んで差しつかえないほどなどとそのようなことを……本気で言っておられるのか!!」

　つい大きな声を上げてしまい、当の亜人以外の者たちの目が一斉に俺に向けられる。彼らの視線はとても好意的なものではない。特に妖人族と、市場で俺たちに歯向かった竜人族と思われる女の視線は、俺を射殺さんばかりに鋭く、自分の背中に冷たい物が流れ、体が硬直するのが分かった。そんな俺に、麗華様は先ほどと変わらぬ口調で、

「貴方あなたは今まで甲竜街から外へ出ることもなく、生活してきたので、そう思ってしまうのかもしれません。ですが、現に驍廣はわたくしの依頼で一振りの武具を鍛えてくださいました。そのときにわたくしは彼の仕事の様子をこの目で見ておりますし、父・安劉も鍛冶場の外からではありますが、確認しています。疑う余地は一切ありません」

　と、ピシャリと言い切る。その言葉に腰が引けながらも俺は、

「ひゃっ百歩譲ってあの者が鍛冶師だとしよう。だが、武具を鍛えるために依頼者と立ち合う鍛冶師なんて聞いたことがない！　そもそも、鍛冶師は注文された武具を注文通りに作れば良いだけではないか!!　しかも、安劉様と立ち合う？　身のほど知らずも甚はなはだしい！」

　そう言い放った。すると、妖人族の女が般若はんにゃの形相で、

「いい加減にしろ！　何も知らない者が驍を愚弄ぐろうする言葉を吐くなど、公子という『立場』に守られているから我慢をしているが、それも限度というものがあるぞ!!　そもそも、驍の力量は響鎚の郷エアシーネハマーの武具鑑定士取締バッフェゲリヒトマイスターエレナ・モアッレが認めている。お前の住む甲竜街のダッハート殿と擁彗様が連名で、驍を招聘しょうへいする旨を安劉様にわざわざお伝えしていることからも、察しがつきそうなものだろう」

　と、俺を睨にらみつけてきた。その妖人族の女をなだめるように、麗華様は何度か彼女の肩を叩たたいたあと、腰が引けて無様ぶざまな格好をさらしている俺を見据える。

「言って聞かせても、なかなか理解しようとしないようですわね。仕方ありません、レアン、風鼬フェンユウを見せてください」

　彼女の言葉に、従者レアンは腰の後ろに差していた大振りのナイフを抜く。凄味すごみのある鮮やかな刃紋が浮き出たナイフの刀身の上に姿を現したのは、風を纏まとう鼬いたちの姿をした精獣だった。俺はそのナイフと精獣の出現に驚き、目が釘くぎ付けになっていると――

「これが驍廣の打った武具です、貴方あなたにも見えたでしょ。見ての通り『命精獣宿る武具』ですわ。彼はこのような武具をいとも容易たやすく打ちあげる鍛冶師。しかも、レアンの風鼬フェンユウは特に持ち主を決めず『試し』にと打った武具。宿った精獣がたまたまレアンを気に入ってくれたおかげで、彼が所有者となっているのです。それに対して、わたくしの武具・突撃槍『突角ベルセホルン』は、わたくしのためだけに打ってくれたもの。このときも、驍廣は今と同じようにわたくしと立ち合い、わたくしの闘い方に合った武具を鍛えてくれたのです。そこまでして鍛えられた武具を持てる喜びが、貴方あなたにはお分かりになりますか？　一振りの武具を鍛えるために、使用者のことをそこまで考える鍛冶師を『名匠』と呼ばずして何と呼ぶのですか！　それから今一つ伝えておきますが、彼は先の魔獣騒動の際、この街のみならずシュバルツティーフェの森を守るために尽力じんりょくし、わたくしの目の前で魔甲亀ムォジャグゥイを拳の一撃で仕留めた剛の者。そんな彼に理不尽な喧嘩けんかを売っておいて、気絶だけで留めておいてくれたことを感謝しなさい。彼が本気になれば貴方あなたたちなど何人いようと塵芥ちりあくたと変わりないのですから」

　俺は麗華様の言葉で市場での光景を思い出し、ガタガタと震え出す体を抑えることができず、その場に崩れ落ちてしまった。


　修練場に着いて早々に始まった麗華と擁恬のやり取りに、『脅おどしすぎだろ！　大体名匠なんて呼ばれたことないし、まだ修業中の身だぞ、俺は！』と、独り言を呟つぶやいていると、

「驍廣様、設楽したら様――そろそろ準備はよろしいでしょうか？」

　バトレルが声をかけてきた。
　その声をきっかけに、模造武具のかけてある壁に近づく。俺と同じようにやって来た優は、以前蛮偉が使っていた長大肉厚の大木剣を手に取り、わずかに微笑ほほえみを向けると、先に修練場の中央へと向かった。俺も以前加工し、置いておいた木刀を手に、優のあとを追った。
　修練場中央の優は、先ほどわずかに見せた微笑ほほえみが嘘だったのかと思わせる、表情の消えた顔で立っていた。だがその体からは、今練っているであろう『気』（獣気）が体外に漏れ出していて、彼女の本気の度合いが見てとれた。
　優に合わせ、俺もゆっくりと体内の『気』を錬り、全身に纏まとう。
　そんな俺たち二人の様子を確認したバトレルが、軽く頷うなずく。

「これより驍廣様と設楽様との立ち合いを始めさせていただきます。それでは、始めぇ！」

　修練場に響き渡る開始の号令とともに、優は大木剣の柄つかを左手で握り、右手は大木剣の剣腹を掴んで右斜め上段に構えると――

「キィエェー！」

　薩摩示現流さつまじげんりゅうの剣士が上げる猿叫えんきょうに似た雄叫おたけびとともに、剣人一体となり俺の左眉間みけんから胴を断ち切るように襲いかかってきた。
　俺はその斬撃を、半歩前に出ながら体を捻ひねると同時に、頭上に木刀の切先を少し下げ気味に持ち上げ、木刀に優の大木剣が当った瞬間に、斬撃の流れを斜め下に流し――大木剣が俺の脇を通りすぎるのに合わせて、がら空きとなった優の首筋に木刀を当てた。
　周りで見ていた者には、優の大木剣によって俺が斬られた！　と、思った次の瞬間、逆に優の首筋に俺の木刀が突きつけられていたように見えただろう。
　これまでも俺が多用してきた技、いわゆる『受け流し』というやつだが、こちらで多く見られる直剣を用いた剣技では、そもそも思いつかない動きなのかもしれない。刀や太刀独特の流れるような曲線があってこその技。もっとも、俺が使っている細身の木刀で安易に受け止めると、木刀の方が折られてしまうから、この技を使わざるを得ないだけの話なのだが……
　それはさておき、優の斬撃には凄すさまじいモノがあった。まさに一撃必殺！　何となく示現流の蜻蛉とんぼの構えからの斬撃に似ているような、違うような少し判断に迷うモノだったが……。そう頭の片隅で考えながら、スッと木刀を優の首筋から外し、数歩下がり残心ざんしん。
　俺の動きに合わせて優も数歩下がり、

「私の負け」

　そう告げ修練場の端にいるヴェティスたちのところへ去ろうとする優に、俺は慌あわてて声をかける。

「待て待て、この立ち合いは力比べじゃないんだ。今の一撃で終わりはないだろう。もう少し動きを確認させてもらわないと、優に合う武具が打てない。申し訳ないがもう少し付き合ってくれ」
「私、今の一振りに己の全てをかけた。これ以上の打ち込みは無理」

　と言って、構わず下がろうとする優。

「だから待てって。前注文をしに鍛冶場に来てくれたとき、優は氷魔甲亀ビンムォジャグゥオとの戦いで氷魔法によって使っていた大剣グレートソードを砕くだかれたって言ってただろう。ってことは、大剣グレートソードを使って受けに回ったときに砕くだかれたんだよな。ならそのときの動きがどうだったのかも知っておかないと、せっかく武具を鍛えても、受けに回ったときに不具合が出て砕くだかれてしまうこともあり得る。一合いちごう剣を交えただけだと、俺は優に、合わない武具を鍛えちまうかもしれないんだ。そうならないために、もう少し付き合ってくれ」
「……分かった、そういうことなら」

　優は一瞬だけ逡巡しゅんじゅんしたが、再び元の位置に戻り、大木剣を柄つかだけでなく剣腹も掴みながら構えた。俺もホッとしつつ、正眼せいがんに構えた。

「そういえば、鍛冶場で見せてもらった大剣グレートソードも、同じように棟むねの部分に手で持った跡があったが、優は剣をそう使うんだなあ」

　確認するように呟つぶやき、一呼吸入れ、一足飛びに優の間合いに入り込み、大木剣に向かって左逆袈裟ぎゃくけさに木刀を振るう。『カァン！』と乾いた木と木がぶつかり合う甲高かんだかい音を修練場に響かせた瞬間、驚きの表情を見せる優だったが、すぐに反応し、数合打ち合う。
　その中で優は、注文のとき、それまで使っていたという大剣グレートソードを見せて、『これよりも大きくて長い剣を所望……』と頼んだにもかかわらず、大剣グレートソードを使うような剣捌さばきをまったく見せなかった。
　柄つかを持って渾身こんしんの力で薙なぎ払ったり、大上段から砕くだけろ！　とばかり叩たたきつけるように振り下ろすのが、大剣グレートソードの一般的な使い方だ。なのに、優は大剣グレートソードの柄つかだけでなく剣腹を持ち、振り回すのではなくその小柄な体と大剣グレートソードが一体化したかのように扱い、まるで舞いを踊おどっているかのようだった。
　彼女の姿に目を奪われそうになりながらも、俺は木刀を繰り出し、最後に氷魔甲亀ビンムォジャグゥオの使っていた『氷鱗ビンリン』の攻撃のような突きを放つ――と、優は俺の突きに対して大木剣の剣腹をまるで楯たてのようにかざした。

『ガツ！』

　鈍にぶい音とともに、大木剣の剣腹に木刀の切先が突き刺さる。

「それまで！　これで終了といたします」

　バトレルの宣言を聞きつつ、最後の剣腹をさらす防御法について優に確認しておかなければならないだろうと心に決め、次の相手に視線を送った。


「優、どうだった？　何だか貴女あなたが一方的に押されていたように見えたけど」

　ヴェティスの言葉に、私は素直に頷うなずいた。

「本気で立ち合ったけど、軽くあしらわれた。彼、ものすごい武人。鍛冶師なのが不思議なくらい。ヴェティスも賦楠も最初から全力出さないと駄目！」

　賦楠が信じられないといった顔で、

「まさか、妖虎人族ようこじんぞくの中でも巫覡かんなぎの力を持つ設楽一族で一人前と認められ、魔獣となった獣族を救う『救世の業』を修めた君を軽くあしらうなんて……」

　と絶句していた。

「そうなんだ、やっぱり彼はすごいんだね……」

　そう呟つぶやくヴェティスは、瞳ひとみを暗く沈ませて陰の『気』を漂わせながら、驍廣さんの待つ修練場中央へと向かった。
　その姿に私は言葉を失い、言い知れぬ不安を抱いた……


「次にヴェティス様との立ち合いに移らせていただきます。お二人とも準備はよろしいでしょうか？」

　俺とヴェティスが頷うなずくと、すぐにバトレルから、

「始め！」

　と号令がかかる。それに合わせてヴェティスは右足を半歩引き、両手に持った短木剣を逆手に構えて、

「驍廣さん、一つお伺うかがいしてもよろしいですか？　魔獣騒動のとき、耀ヨウ緋ヒ麗華レイカ様とともにシュバルツティーフェの森におられたとお聞きしましたが、魔獣と化した冒険者たちを見かけませんでしたか？」

　と、ひどく思いつめた顔で尋たずねてきた。その質問に『来るべきモノが来たか』と覚悟を決める。

「見かけた。そして俺が彼らを冥府に送った……」

　俺の答えにヴェティスは俯うつむき――

「そうですか……」

　手に持っていた短木剣を投げ捨てると、腰に差していた小剣を抜き、一足飛びに俺の懐ふところに入り込んで、小剣二刀による十字切りによって俺の木刀を断ち切った。俺は斬られた木刀の柄つかをヴェティスに飛ばし、彼女が木刀を打ち払っている一瞬の間に素早く後方に下がる。
　修練場は騒然となる。
　駆け寄ってこようとするアルディリアや紫慧しえを睨にらんで止めると、俺はゆっくりと腰から八咫やた（兜割り）を抜き、半身に構える。ヴェティスは光を失った瞳ひとみから止めどなく涙を流していた。

「それだけの力があったなら、魔獣化した冒険者……私の仲間たちを救えたんじゃないんですか!?　どうして……どうしてもっと早く森に来て、仲間を救ってくれなかったんだ！」

　そう叫さけび、それまで抑えていた激情を一気に放出するかのように、まっすぐ突っ込んでくるヴェティス。彼女が落ち着くのを待つため、しばし両手に持った小剣による左右の斬撃を八咫やたで打ち払い続けた。
　斬撃が全て八咫やたに打ち払われるうちに、徐々にヴェティスは肩で息をしはじめるが、それでも渾身こんしんの力で小剣を振るう。次第に小剣が八咫やたの打ち払いに耐えかねて悲鳴を上げはじめる頃には、彼女の顔は涙と汗でぐしゃぐしゃになっていた……
　そして、ついに耐え切れなくなった小剣が二振りとも無残に砕くだけ折れる。しかし、なおヴェティスは激情が収まらないのか、小剣を投げ捨てると俺に掴みかかり、長く伸ばした猫の爪を俺の胸元に食い込ませた。

「どうしてなんです？　なぜ私を打ち倒さないんですか！　皆と同じように私も仲間のもとに……冥府に送ってください!!」
「……それは無理。貴女あなたの仲間は驍廣さんに救われ、冥府に向かい、既に冥府からも旅立っているだろうから……」

　それまで見守っていた優ゆうが、ヴェティスに静かに告げる。

「救われた？　驍廣さんが仲間を？」

　ヴェティスは信じられないという顔で優を見つめた。

「魔獣になった者、魔気（瘴気しょうき）に侵された者は、生きながらの地獄を味わう。瘴気しょうきは元々生き物の絶望・恨うらみ・悲しみ・怒り、怨嗟えんさの思いが集まったモノ。瘴気しょうきに侵されると、その思いに焼かれ続ける。その苦痛からの救いを求め、瘴気しょうきに侵されていない者を襲ってしまう。この苦しみから解放してあげるには、殺すしかない。私たち魔獣討伐者の本当の役割は、魔獣と化した獣の排除でも、多くの魔獣を葬ほうむり名誉を得ることでもない。ただ、魔獣と化した者を苦しみから解放してあげること。だから、驍廣さんは魔獣と化した冒険者たちを斃たおした。苦しみから解放するために……」

　いつもと違い饒舌じょうぜつに語る優の言葉に、泣き崩れるヴェティス。
　そんなヴェティスを見つめていると、兜割りから実体を現した八咫やたが、

「創造主、その者を心配する者が未いまだ冥府より旅立てずにいると、牙流武ガルム殿が……」

　と、唐突に告げた。俺は、アルディリアとの立ち合い以降、常に彼女の後ろに控えるようになった牙流武に目を向けると、牙流武は静かに頷うなずいた。俺は泣き崩れたヴェティスの前で片膝を付き、そっと肩に手を置く。

「ヴェティス、君のことを心配するあまり、未いまだ冥府に留まったままの仲間がいるそうだ。君を冥府に送ってあげることはできないが、せめてもの罪滅ぼしに仲間の言葉を伝えよう」

　俺は立ち上がってから数歩離れ、八咫やたを真正面で横一文字に構え、左手を添える。

「慈悲じひ深き地蔵菩薩じぞうぼさつよ！　冥府との道を開き、この者に彼のか者の言葉を伝えたまえ。オン・カ・カ・カ・ビサンマエイ・ソワカ！」

　唱える真言にあわせ、八咫やたが大きく羽を広げると、柔やわらかい光が射す。

『驍廣たけひろ！　このような無茶はあまりするではないぞ!!』

　閻魔えんまの声が俺の頭の中に響いたかと思うと（地蔵菩薩じぞうぼさつのお力を借りようと思ったんだが、なぜに閻魔が？　閻魔＝地蔵か？）、泣き崩れていたヴェティス目の前に、体の透すけた一人の大柄な猫人族ねこひとぞくの男が現れた。

「ヴェティス！　泣くな、ヴェティス！」
「リ……リデルさん？　本当にリデルさんなんですか……!?」

　目の前に現れた男の姿に、ヴェティスは瞳ひとみを限界まで広げ驚きの表情を浮かべる。その大きく開かれた瞳ひとみには、先ほどまでは見られなかった光が灯っていた。

「ヴェティス、何を当たり前のことを言うのだ、俺は『森の陽光スンヤンアン』のリデルだ。忘れたのか？」
「わ、忘れるわけがない！　だけどリデルさんはもうこの世には……だって私は貴方あなたの斬られた裲襠甲りょうとうこうをこの目で確認して……」
「ああ。確かに俺はもうこの世の者ではない。あの日、我らはあの不死ノ王リッチによって魔獣に変えられ、人々を襲うために翼竜街へと向かわされていた。このまま、本来守るべき翼竜街とそこに住む者たちを、俺は自らの手で害することになってしまうのか！　と嘆いていたとき、そこの彼が現れ、不死ノ王リッチの呪縛から解き放ち、守るべき人々を害する運命から救ってくれた。我らの願いを叶かなえてくれたのだ。だから泣くな！　我らは閻魔王様の計らいで再び文殊界に生まれ変わることが許された。もしかしたら、お前の子供として我らの誰かが生まれるかもしれない。少し先の話になるが、我らは今以上に争いの少ない、穏やかな文殊界に生まれ変わりたいと思っている。そんな夢物語が現実になるように、ヴェティス！　お前は幸せになってくれ。俺は……いや俺だけではない、〈森の陽光スンヤンアン〉の仲間や蛮偉バンイ殿をはじめ、あのときお前に翼竜街への知らせを託した者全てが、苦難を乗り越え、翼竜街へ報を届けてくれたお前を、誇りに思っているぞ!!」

　そう言うと、リデルはニッコリと笑みを浮かべ、彼を照らす光とともに静かに消えていった。その姿を見届けたヴェティスは、流れ出ていた涙を服の裾すそで拭ぬぐい、晴れやかな笑みを浮かべ、

「うん！　私、幸せになる。文殊界が今以上に穏やかな良い世界になるように頑張がんばる。だから、早く私に会いに来てね！」

　と呟つぶやき、光の消えた方向に手を合わせ、鎮魂の祈りを捧げた。

　目の前で起きた現象と圧倒的な『気配』の出現に、俺擁恬は腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまっていた。そんな俺に麗華様は誇らしげな表情を見せる。

「あれが津田驍廣の『力』ですわ。驍廣の打った武具は、神仏の加護が得られるのです。今、彼の手にしている武具ほどの加護があるかどうかは分かりませんが、わたくしの武具にも神仏の加護をいただきました。そのおかげで、わたくしは魔獣騒動の際にはこの命をながらえることができたのです。これで少しはお分かりになりましたか？　種族の差異など大した問題にならない。貴賎きせんは種族ではなく、個人によるものだということが！」

　麗華様は俺を一瞥いちべつすることもなく、まっすぐに亜人を見たまま告げた。
『人物の貴賎きせんは種族ではなく、その人物の行いにある』。お爺様はよくそう仰おっしゃっておられた。その言葉を俺はすっかり忘れ、甲竜人族だというだけで褒ほめ称える爺やや、俺のことを持ち上げていた配下の者たちの甘い言葉に酔っていたのかもしれない……
　甘い言葉に踊おどらされ、俺は媚こびへつらう者と今まで何をやって来たのだろうか？　
　しかも、あの者配下たちの言葉によれば、俺の評判はもとより、甲竜街と領主の評判も地に貶おとしめるために、爺やの依頼で俺とともに騒ぎを起こしてきたと言っていた。
　爺やの甘言かんげん、そして男たちの言動。それらを顧かえりみると……
　麗華様の言う通り、間違っていたのは俺だったのだろうか？　


「この馬鹿者が！　いきなり冥界と文殊界をつなげおって！　儂と炎エン、それに牙流武が結界を張ったから良かったものの、そんな『力』を使えば文殊界にも影響が出かねんじゃろうが！　分かっておるのか、驍廣!!」

　リデルとともに冥界からの光が消えた途端、それまでのんびりと昼寝をしていたフウが、全身の毛を逆立てて、俺の顔面に向けて肉球パンチを繰り出しながら怒鳴どなりつけてきた。
　紫慧の方に目を向けると、彼女の肩に留まっている炎エンも俺を非難の目で睨にらみつけていて、フウの言葉に同意するように頷うなずいていた。

「フウに炎エン殿も、そう主様を責めるではない。主様のおかげで二人の者が救われたのだからな。そうでなければ、閻魔王が尽力じんりょくしてくれるわけがないではないか。怒る気持ちも分からぬではないが、そのくらいで矛ほこを収めよ」

　アルディリアの後ろで控えていた牙流武が、助け船を出してくれた。

「牙流武様、それは一体どういうことなのでしょうか？　驍廣様がお呼びになられた故人を偲しのび、手を合わせているあの猫人族ねこひとぞくの娘が、先の現象によって心を救われたのは分かりますが……」

　炎の言葉に対し、牙流武は普段の厳しい張りつめた表情を少しだけ緩ゆるめた。

「あの娘だけでなく、呼び出された者もまた、娘に会えたことで救われたのだ。あの者リデルは、文殊界に残した彼女の行く末を案じていた。その想いが、娘の想いと重なり合い、あの者を冥界に縛しばりつけていたのだ。だから、あの者の魂は次へと進めなくなっていたのだ。お主らも聞いたことがあるであろう、故人を偲しのぶ想いがあまりにも強く、その想いに依存してしまう者がいると。確かに故人を偲しのぶ想いは故人の徳となる。しかし、強すぎる想いは故人を縛しばりつけてしまう。それによって故人は成仏じょうぶつできず、冥界に留まり、亡者となってしまうことがあるのだ。だが、あの者は主様によって彼女と会えたことで、どうやら冥界より先に進む一歩が踏み出せたようだ。彼女が前を向いて歩いていけるようにな」

　牙流武はそう言うと、ヴェティスに拝まれるは、フウから肉球パンチを食らうは、炎エンにジト目で見られるはで、苦笑を浮かべる俺の顔を見て、わずかに微笑ほほえみを浮かべた。


「で、ではヴェティス殿との立ち合いはここまでにいたします」

　これまで常に冷静沈着で、何が起こっても動じる姿を見せなかったバトレルでさえ動揺を隠しきれないほどの衝撃が、修練場を覆い尽くしていた。だが、そんな彼の言葉で、優は慌あわててヴェティスのもとに駆け寄り、

「ヴェティス！」

　と声をかけるものの、泣きながら俺と消えた光を一心に拝むヴェティスに大きく溜息ためいきをついた。そして、彼女を抱きかかえるようにして立たせると俺に頭を下げ、修練場の端へと歩いていった。
　そこでようやく一息つくことができた俺。フウは俺の頭の上でまだ肉球パンチ（軽め）を繰り出していたが、しばらくすると飽きたのか、居眠りを始めてしまった。すると――

「驍廣殿、一度この辺で休憩きゅうけいをはさんでから、賦楠ふくす殿と儂の立ち合いを行うことにしようではないか。バトレル、皆に茶の用意を！」

　そう言うと、安劉アンルは修練場の窓を開け放ち、射して来る日の光を浴びながらドッカリと腰を下ろした。安劉に続き麗華も同じようにするのを見て、俺たちも日の当たる場所に座った。
　間もなく、バトレルが台車にお茶の道具を用意して運んでくると、レアンとともに安劉の近くに敷物を敷き、その上に人数分のお茶とお菓子を並べた。

「どうぞお召し上がりください」

　バトレルの声に、安劉がおもむろに手を伸ばし、それを合図に皆もお茶やお菓子へと手を伸ばし、しばしの休息となった。


「さてと、皆も落ち着いたようだな。それでだ、驍廣殿。ヴェティスの処遇についてだが、どういたそうか？」

　安劉の唐突な問いかけに、俺は口にしていたお茶を吹き出しそうになるのを懸命に堪こらえると、軽く彼を睨にらみつつ、

「俺に処遇を問われてもなあ……」

　と困惑しながら言葉を濁にごす。すると、安劉はいつもの柔和にゅうわな表情から、翼竜街の領主という統治者としての表情に変わった。

「街中まちなかや公衆の面前であれば、ヴェティスの行為は殺人未遂にあたるれっきとした犯罪行為だ。当然この場に衛兵なりギルド保安部員を呼んで捕縛ほばくし、それ相応の罰を与えねばならぬ。ヴェティスに襲撃を受けた驍廣殿がそれらの処置を望むのであれば、即座に儂はそのように動こうと思う。されども、この場は耀家邸に併設された修練場。言うなれば儂の掌てのひらの中で起こったことだ。幸い、驍廣殿にも怪我けががなかったことではあるし、先ほどのヴェティス殿の独白や驚きの光景を目の当たりにするに、ここは儂の裁量で穏便に済ますこともできるのだが……」

　と、持って回ったような言い方をする安劉。
　これは、ヴェティスを救いたいと願う安劉から出た俺への嘆願なのだと察した。
　まあ、ヴェティスの気持ちは分かるし、せっかく俺に武具を求めてくれた注文主をこんなことで失う方が、俺にとっては損失が大きい。

「あ～、安劉様は何を言ってるのかな？　さっきバトレルさんが『ではヴェティス殿との立ち合いはこれまでといたします』って言っただろ。思った以上に激しい立ち合いになりはしたが、それだけ力の入った良い立ち合いだったってだけの話だと思うんだがな？　おかげでヴェティスにどんな武具を鍛えれば良いのか目処めども付いたし、俺としては万々歳なんだが」

　安劉は一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐに満足そうにいつもの笑みを浮かべ、

「うむ。そうであったか。先の立ち合いはついつい熱が入ってしまっただけのことか。しかし驍廣殿、いくら己の腕に自信があるとはいえ、真剣での立ち合いは粋狂が過ぎるというものだ。以後は真剣での立ち合いはご法度じゃぞ!!」

　と言い切った。その言葉に、それまで神妙な面持ちで話を聞いていたヴェティスが血相を変えて、

「そっ、そんな！　私の行為はれっきとした犯罪です。いくら私有地の中だといっても不問に付して良いというものでは……」

　と声を上げる。すると、安劉は厳しい顔つきでヴェティスに向き直った。

「ヴェティスよ、勘違いするな。不問に付すということではない。ただ、公にしないだけのことだ。罪は罪。そなたは自身が犯した罪に対する罰を負わねばならぬ！　今回の件で、そなたは耀家と驍廣殿に大きな借りを作ったのだ。しかも、その相手にそなたは武具まで鍛えてもらうのだぞ。代償は小さなものではない、それは分かっておるな」

　安劉は、ヴェティスが静かに頷うなずくのを確認すると続ける。

「そなたへの罰は、そなたが口にした言葉を実行に移し、行動することだ。そなたは、自身が幸せになり、仲間が安心して輪廻転生りんねてんしょうできるよう、文殊界を今以上に穏やかで良い世界にしなければならぬ。それこそがそなたへの罰じゃ。これからそなたは、翼竜街のみならず文殊界に対し奉仕せねばならん。しかも、その苦労を背負いながら自身を幸せにする必要もある。これは生半可なまはんかなことでは達成できぬ難事となろう。生者との約束は違たがえても、謝罪することで許される場合もある。だが、死者との約束は決して違たがえることはできぬ。なぜなら謝罪しても死者からは許しを得られぬからだ。そのことを肝に銘じ、これからをしっかりと生きるのだぞ。分かったな!!」