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7巻
7-3
しおりを挟む「信じられぬのもよく分かる。俺もその報に接したときは、あり得ぬことだと一笑に付そうとした。だが、リュシラ殿の悲壮感漂う、青褪めて切羽詰まった表情を見たとき、本当のことなのだと思わざるを得なかった。もちろん響鎚の郷では、豊樹の郷の民を受け入れることを了承している。災いを逃れた豊樹の民が今、こちらに向かっている途中であろう。貴殿は翼竜街からここに来る間に多くの魔獣と遭遇し、撃退してきたことと思うが、おかしなことにこのところ、響鎚の郷の周辺にも魔獣が跋扈するようになった。そのような中、難を逃れてこちらに向かう豊樹の郷の民に、魔獣が襲いかからぬとも限らぬ。かと言って我ら響鎚の郷では、豊樹の郷の民の受け入れ準備と、この郷周辺の魔獣に対応するのがやっとで、とても迎えに行く余裕がないのだ。そこで貴殿の腕を見込んで申すのだが、急ぎここを発ち、避難してくる豊樹の郷の民と合流し、道中に出現する魔獣を滅してはくれぬか? そうすれば、避難してくる者たちも安心して響鎚の郷に来ることができると思うのだが――」
それを聞いた俺は、挨拶もそこそこに、豊樹の郷へと繋がる道を駆け出していた。
道中はヤコブ殿が予告した通り、様々な魔獣が行く手を阻んだ。
当然、俺は手にしたバスタードソードを振るった。斬り、突き、薙ぎ払い、風精霊術で切り刻み、穿ち、闇精霊術を用いて闇の中へと引きずり落とし――立ち塞がる魔獣だけでなく、俺の体力が枯れ衰えるのを虎視眈々と待つ魔獣をも排除しながら、二昼夜駆け続けた。
響鎚の郷を発って三回目の朝日が昇る頃、ようやく俺は、探し求めていた者たちを視線の先に捉えた。
彼らは魔獣の襲撃に備えて、老人や子供など力の弱い者を集団の内側に入れていた。そして、乳飲み子を抱える母親を除く、全ての成人した男女が各々武具を振るって魔獣を退けつつ、必死に歩き続けていた。
しかしその集団の後方からは、なおも多くの魔獣が迫っていた。また、武具を振るう者に無傷の者は一人としておらず、集団全体には疲労と焦燥感が漂っていた。
それでも、子供が泣き叫ぶと老人が彼らの足が止まらぬよう懸命に励ますなど、希望や生きる意志は決然と保持している。
彼らの姿に、俺は感動とともに、言い知れぬ怒りが湧き起こった。気づけば雄叫びと同時に、バスタードソードを天高く振り上げ、集団を追う魔獣へと駆けていた。
「「ルークス(ルークス兄様)!!」」
魔獣へと迫る中、俺の名が呼ばれた。声の聞こえた方を横目で見れば、リリスの兄妹であるリゼットとリシュラがいた。二人も額や腕から血を流しながらも魔獣相手に奮戦し、突然現れた俺に驚きと心配が入り混じった目を向けていた。
二人の視線に後ろ髪を引かれたが、それを振り切り、一気に魔獣の群れへ躍り込むと、縦横無尽にバスタードソードを繰り出し、片っ端から斬り捨てて血路を開いていく。
そんな俺の姿に触発されたのか、リゼットをはじめとした男衆が、俺と同じように魔獣どもへ斬り込む。
リシュラたち女衆は、そんな男衆の後方で待機し、老人子供を守りながら、魔獣の攻撃で男衆が傷つくと、即座に後ろに下げて手当てをしていた。また、弓を使って攻撃もしており、こちらは俺の突貫にあわせて攻勢を強めていった。
俺はそれを目の片隅に入れつつ、目の前に群がる魔獣たちを退けることに集中する。
バスタードソードを振るい続ける内に、逃げるものも出てきたのか、次第に魔獣の密度が減ってきた。これなら多少休憩も可能かと思えたとき――ふいにそれまで感じたことのない強烈な威圧感が俺の全身を襲い、フラメンツヴォルフ(憤怒の炎に身を焼かれ魔獣と化した狼)を斬り伏せたところで、バスタードソードを操る手が止まった。
周囲を見回すと、武具を振るっていたリゼットやリシュラたちも、俺と同じように動きを止め、あたりを窺っている。
一方で魔獣たちは、こちらの攻撃の手が緩んだのを見て、波が引くように俺たちと距離を開けた。牙や爪を剥き出しにして威嚇をしているものの、なりふり構わず襲いかかってくる姿勢は消え失せていた。
そんな中、魔獣たちの群れの奥から、ズルズルと何かを引きずるような耳障りな音が聞こえてきた。
「……さ、下がれ! 急いで距離を取るんだ!!」
豊樹の郷に続く木々の陰から、大木のような太い胴体の両端にそれぞれ一つずつ頭を持った巨大な毒蛇『アンフィスバエナ』が姿を現した。
俺の声とアンフィスバエナの姿に、リシュラが反応する。
「みんな~、響鎚の郷へ向かって走って! ルークス兄様、リゼット兄様も早く!!」
そう叫びながら、牽制のためか、手にしていたロングボウに矢を番えた。
弓を持つ女衆は、リシュラと同じように逃げる時間を稼ごうと次々と弓を射る。矢はアンフィスバエナの硬い鱗に弾かれたが、『両方向に進む蛇』という異名を持つこの毒蛇は、その射撃によって二つの頭が各々勝手に目標を定めて動き出したため、進攻速度が格段に遅くなった。
とはいえ、追うことをやめたわけではなく、このまま響鎚の郷へ逃げ込めば、アンフィスバエナまで連れて行ってしまうことになる。それ以前に、アンフィスバエナに追われながら二昼夜駆け続けることなど、子供や老人を抱えたダークエルフ氏族には不可能だった。
俺は意を決して服の袖を引き千切ると、鼻と口を覆い、バスタードソードを強く握り直す。
それを見たリゼットが声を上げた。
「何をしているんだ、ルークス? お前、まさか……馬鹿な真似はやめろ! 布で覆った程度でアンフィスバエナの吐く毒は防げない。とにかく今は逃げるんだ!!」
「そして、これから避難させてもらおうとしている響鎚の郷へ、あいつを連れていくのか?」
「なっ!? 馬鹿なことを言うな! そんなことをするはずがないだろう!!」
「だが、このまま響鎚の郷に逃げれば、結果的にそうなることは分かっているだろう! 確かに響鎚の郷にはあの硬い鱗を貫ける強力な射撃武具があるかもしれない。しかし、それらの武具を使ってアンフィスバエナを無事に撃退したとしても、郷に危難を招いた者を快く受け入れてくれるわけがない!」
「だったら、どうしろというんだ? 豊樹の郷の者をアンフィスバエナの人身御供にしろとでも言うのか! あの、リリ――」
「リゼット兄様!」
激高するリゼットの言葉を遮るように、リシュラの声が飛び、最後の方は聞こえなかった。
俺はリゼットの言葉を否定するように、バスタードソードを右腰に寄せて、切先をアンフィスバエナに突きつけ――プフルークの構えで告げた。
「この場でアンフィスバエナを屠る! 響鎚の郷に迷惑をかけるのは、絶対に避けなければならない。だからと言って、郷の者を犠牲にするなど言語道断。であれば、この場でアイツを斃すしかない!! 確かにアンフィスバエナの鱗は、リシュラの矢を弾くほどの硬度を持っている。だがこの剣なら、やつの鱗を斬ることができるだろう……いや、斬ってみせる!!」
俺の宣言に、一瞬呆気に取られ、息を呑むリゼットだったが、すぐに焦ったように反論してきた。
「何を馬鹿な! 確かにそのバスタードソードは名匠ダンカン殿の作だから、手傷を負わせることくらいは可能かもしれない。だが、アンフィスバエナの吐く毒気をどう防ぐつもりだっ! そんな口の周りを布で覆った程度でどうにかなるような毒気では――」
「黙れ、小童! 某の主君の邪魔をするではないわ!!」
バスタードソードから姿を現したウルヴァリンが、威嚇するように鼻筋に皺を寄せ、牙を剥き出しにしてリゼットに吼えた。
ウルヴァリンの姿と声に腰を抜かしたのか、ストンと地べたに座り込むリゼットと、目を見開くリシュラ。そんな二人の様子に俺は申し訳なくなって顔を顰めたが、当のウルヴァリンは気にした様子もなく、座り込むリゼットの周りを回っていた。
「ふん、惰弱者め。主君! 主君の決意、某は感じ入ったぞ。それでこそ主君だ!! 某の力を、十全に使わば、あの程度の輩など造作もなく退けられよう。そこな小童がゴチャゴチャと騒いでいる毒気も、風精霊術を用いれば……まあクドクド言わずとも、主君ならばわかっておるか」
まるで俺を試すかのようなウルヴァリンの視線を真正面から受け止めると、俺は軽く頷き、改めて赤い舌を出して迫ってくるアンフィスバエナを睨みつけた。
「……エアリエルよ! 我を守りし風渦の防壁を。フェアタイディグングヴィルベングヴィント!!」
詠唱とともにバスタードソードに宿る精霊力を介し、周囲に漂うエアリエルたちに、俺の精気が放たれた。それに呼応したエアリエルが超常の力を示して、俺を護るように風が渦巻く。その様子を見たリゼットは恐れおののいて、這うように俺から離れた。リシュラや他のダークエルフ氏族は、驚きと憧憬の眼差しを俺に向けた。
俺は相対するアンフィスバエナに視線を向けたまま、『プフルーク』の構えから、バスタードソードを背中に担ぐような『ツォルンフート』の構えに変え――
「フゥルァァァァア!」
雄叫びとともにアンフィスバエナへ突貫した。
それを見ていたリシュラは、慌てて矢を放ち、アンフィスバエナの意識を俺から逸らそうとする。
リシュラのロングボウから矢継ぎ早に放たれた矢は、アンフィスバエナの二つの頭部へ飛んだ。ほとんどは硬い鱗に弾き返されていたが、そのうちの一本が片方の頭の右目を貫いた。
「シャァァァァァ!!」
矢で右目を射貫かれた片方の蛇頭は、痛みに悲鳴を上げながら、毒の呼気を周囲に振り撒いた。毒気を浴びた草木はすぐさま茶色に変色し、次々と枯れていく。
その光景に、リシュラは息を呑み、援護射撃の手を止めてしまう。だが既に、俺はアンフィスバエナと一刀一足の距離にまで近づいていた。
右目を貫かれた蛇頭の意識から俺の存在は消えたようだが、もう一方の無傷な蛇頭の瞳は俺の動きを捉えていた。迫る俺に向けて顎を大きく開くと、二股の舌をまるでフォーク・パイクのように突き出してきた。
俺は担ぎ上げていたバスタードソードを、二股の舌槍を薙ぐように振り下ろすと、そのまま斬り上げた。
バスタードソードが描いたVの字の軌道は、舌槍を中ほどから斬り落とし、そして顎を縦斬した。
のたうち回る蛇頭。激しく動く蛇頭に追撃を加えたいところだが、不用意に近づけば、のたうつ動きに思わぬ反撃をもらいかねない。一旦後方に飛んで距離を取り、再び『プフルーク』の構えをとって一呼吸入れたとき――
「ルークス兄様ぁ、危ない!!」
背後からリシュラの声が飛んだ。と、同時に俺の視界に飛び込んできたのは、矢を右目に受けて悶えていたはずの蛇頭が、毒に濡れる牙を剥き出しにして襲いかかってくる姿だった。
「ぅぐっ!」
バスタードソードを立てて、剣腹でアンフィスバエナの牙を受け止めたものの、相手の力は尋常ではなく、俺は地面に二本の足の跡をつけながら押されてしまった。だがなんとか耐えぬき、剣腹の角度を変えて、力を受け流しつつ、転がるようにしてアンフィスバエナから離れた。
「「ルークス(兄様)!!」」
「来るな!!」
土まみれになって立ち上がる俺を心配して、リシュラとリゼットが駆け寄ろうとするのを押し留める。
強敵を屠ると宣言してから、二人には悲鳴まじりに名を呼ばれてばかりだと内心苦笑してしまった。己の未熟と後の修練を心に刻み、これ以上無様な姿を見せてなるものか! とバスタードソードを握りなおす。
――脇腹を負傷しながらも、襲いくる妖精族に見事打ち勝った驍廣殿を見習おう――
筋肉に過度の力をこめず、体中に力が行き渡るよう自然体になる。そしてバスタードソードで自分の急所を護るように切っ先を上に向けた変形の『クラウン』の構え――正眼の構え――を取り、アンフィスバエナの出方を待つ。
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次の瞬間、凄まじい速度で双頭が左右に分かれたかと思うと、一気に下がり、地面を抉るのではと思うほどスレスレの高さで急進。右目を貫かれた蛇頭は再び毒が艶めく牙を剥き出しにし、顎を縦斬された蛇頭は頭突きをするかのごとく――俺を左右から挟撃してきた。
「逃げろ、ルークス!」
「逃げて、ルークス兄様!!」
「「「若頭!!」」」
リシュラやリゼットだけでなく、他の者たちからも、悲鳴にも似た叫び声が上がる。その声を背に受けながら、俺は一層精神を研ぎ澄まし――アンフィスバエナの牙と硬頭が俺の体を捉える寸前で、身を翻した。後方へ飛びながら『クラウン』から『ツォルンフート』へと構えを変え、足が地についた瞬間――
「ゥルゥアァァァ!!」
裂帛の気合とともに地面を踏みしめて、交差する双頭へとバスタードソードを振りおろした。
バスタードソードの刃筋は、直上から唐竹割りにアンフィスバエナの双頭の首を斬り飛ばした。アンフィスバエナは、頭を失ったことで動きに乱れが生じ、左右から動いていた胴体同士がぶつかり合い、鱗を剥がしつつ土煙を上げて……ようやく動きを止めた。
「スーーーーぅ……は~~……」
「「「「ゥヲォォォォォ!!」」」」
アンフィスバエナが地に伏したことで、俺は長い深呼吸をし、胸の中に溜めていた呼気を吐き出す。それに呼応するように、戦いを見守っていたダークエルフ氏族から一斉に歓声が上がった。
その声で、周囲にいた魔獣たちは一斉に木々の奥へと逃げていった。俺がとりあえず無事に切り抜けることができたと安堵していたら、背後から誰かが飛びついてきた。
「な、なんだ?」
「ルークス兄様♪」
飛びついてきたのはリシュラだった。彼女は、魔獣の血と土で汚れた俺に、なんら躊躇せずに抱きついてきたのだ。俺は慌てて彼女を振り払おうとしたのだが、アンフィスバエナとの戦いで力を使い果たしていたため……できなかった。
「は~まったく、とんでもないことをやらかすやつだよな、お前は……」
渋面を浮かべたリゼットが、困っている俺に近づいてきて、溜息交じりに声をかけた。
「リゼット殿……リシュラ様をなんとかしていただけませんか? お召しものが魔獣の血で汚れてしまいます」
俺は、妹の暴走を見ているだけのリゼットにそう懇願すると、ようやくリゼットは、俺の背中に張りついていたリシュラを引き剥がしてくれた。おかげで俺はやっと一息つくことができた。だがそんな俺の態度が、リシュラは気に入らなかったらしく、頬を膨らませて俺とリゼットを睨みつける。リゼットは軽く肩をすくめ、困ったような表情を浮かべた。
「……ところで、響鎚の郷の郷守役ヤコブ・コンラート殿に聞いたのだが――」
魔獣の群れを撃退し、みんなも安堵の表情を浮かべて、しばしの休息を取る。そんな中、負傷者を見舞ったり、幼い子供や老人たちの様子を見て回っていたリゼットに、ヤコブ殿から聞いたことを話した。すると、リゼットと傍らにいたリシュラは、沈痛な面持ちで下を向いてしまった。
「どうやら本当のことなんだな。豊樹の郷が穢呪の病に呑まれたというのは……」
「……ああ。ルークス、お前が翼竜街に旅立って数日後のことだ。奇妙な濁った水溜りが郷の門の方に現れたかと思ったら、あっという間に郷中に広がった。しかも、その水溜りに触れた花々や木々が次々と枯れていって……父や母も色々と手は尽くしたのだが……」
淡々と答えつつも、リゼットの言葉の端々から無念の思いが伝わってくる。だが、一つ気にかかることがあった。
「ちょっと待ってくれ。穢呪の病の発生は、俺が翼竜街に発って数日後だと言ったな? 時期的にそれより後になるはずだが、翼竜街にいたリリスを、豊樹の郷からの使者と名乗る者が連れていったというが、理由はなんだ?」
俺の問いかけにリシュラは真っ青になって目に涙を溜めており、リゼットの噛み締めている唇には血が滲んでいた。
「ハイエルフ氏族のやつらっ!」
突然吐き捨てるリゼット。リシュラはその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らす。俺は一体なにがどうなっているのか分からなくなり、救いを求めるように周囲の者たちに視線を向けるが、彼らもみな、悲しそうな表情を浮かべ視線を逸らすだけ。
「リリスは……妹は、穢呪の病を鎮めるために人身御供に選ばれたんだ……ハイエルフ氏族族長の后ラクリアの命によってな!」
リゼットの口から吐き出された呪詛めいた言葉に、俺は我が耳を疑った。
「な、何を言ってるんだ? 確かに穢呪の病は妖精族が最も忌避する土壌病だが、ヴァルトエルフ氏族には穢呪の病を鎮める秘術が伝わっていると……」
「その秘術が、穢呪の病に呑まれた郷を治める氏族長の身内の生娘を捧げるってものだったんだよ! それで、リリスを穢呪の病に捧げるようにと。なにが、汚れた竜人族の街で暮らす者なら捧げ物にちょうどいいだっ! ラクリアがっ……クソッ!!」
「なんで? リリス姉様。なんでなの……」
硬い地面を殴りつけるリゼットの拳は血が滲み、リシュラの嗚咽にリリスを呼ぶ声が交じる。
しかし、そんなリゼットの憤慨も、リシュラの慟哭も、俺の耳を通り抜けていった。頭の中は、リリスのことでいっぱいだったのだ。
リリスが穢呪の病を鎮める人身御供に……何なんだそれは!! そんな馬鹿なことがあってたまるか!!
怒りで目の前が赤黒く染まるように感じたとき――
「馬鹿主君! 怒りに我を忘れるでない!!」
一喝とともに、頬へ受けた強烈な衝撃で思わず踏鞴を踏んでしまった。打たれた頬を押さえながら視線を振ると、俺の頬を殴りつけた体勢のままで睨んでいる、宙に浮いたウルヴァリンと目が合った。
「どうやら怒りの虜囚とはならずに済んだようだな。よかったよかった♪」
俺の目を見て、ウルヴァリンは表情を和らげたが、殴られた俺はなんのことか分からず、先程とは別の怒りが沸々と湧いてきた。
「どういうつもりだ、ウルヴァリン! いきなり人の頬を殴りやがって!!」
「ふん! 怒りに我を忘れておった主君の目を覚ましてやったのだ。感謝するがいい」
あまりにも傲慢な態度に、怒りを通り越して呆れてしまう。驍廣殿が心血を注いで鍛えてくれた武具だが、宿った精獣に主君と認められたことを少し後悔しかけた。しかし、続いてウルヴァリンから告げられた言葉に、俺の体は硬直した。
「だいたい、怒りに囚われたままで、奥方にと心に決めた者のもとへ行っても、助けられるものも助けられなくなるだけぞ、主君!」
「ウ、ウルヴァリン!? それはどういうことだ? リリスを助ける方法があるのか!」
俺のウルヴァリンへの問いかけに、リゼットは驚いた表情で、リシュラは涙に濡れた顔を上げて、俺を見つめた。そんな二人の様子など意に介さず、ウルヴァリンはニヤリと口角を上げた。
「もちろんだ、主君。といっても、主君にできるのは時間を稼ぐことだけだがな。奥方が生贄にされる時間を引きのばしさえすれば、シュバルツティーフェの森で起きたことが再び起こる。さすれば、奥方も助かる」
「シュバルツティーフェの森で起きたこと? 何なんだ、それは一体? どういうことだ、ウルヴァ――」
「ゴチャゴチャと言っておらんで、急がんか! 某と問答をしている暇があったら、一刻も早く奥方のもとに向かい、時間稼ぎの算段をせい!!」
ウルヴァリンの言葉では何が何やら分からず、問い詰めようとしたのだが、そんな俺の機先を制すように急かされてしまった。そして、その言葉に俺よりも早く反応したのは、リリスの兄妹たちだった。
「ルークス! 精獣様の言葉に従い、豊樹の郷に急げ!!」
「ルークス兄様、リリス姉様のこと、よろしくお願いします! 郷のみんなは、私とリゼット兄様とで誰一人欠けることなく響鎚の郷に送り届け、ルークス兄様とリリス姉さまが二人揃って、父様たちとともに私たちを迎えにきてくれるのをお待ちします!!」
二人の声に後押しされて、俺は再び駆け出した。
リリスがいる豊樹の郷に向かって――
第二章 乗り物酔いになってしまいましたが何か!
「う……うっぷ。もうダメ、限界ぃ……」
「えっ!? ちょっと驍廣、ここじゃ駄目だってえ。サビオ、驍廣が限界だよ、止まって! このままじゃ、サビオの背中が汚れちゃう……止まってえ~!」
安劉の要請を受けて甲竜街に向かうことになった俺――津田驍廣と紫慧紗、それに随行するアルディリア・アシュトレトと曽呂利斡利の四名は賢猪サビオハバリーの背に乗っている。俺たちは、青毛の八脚神馬に騎乗する耀緋麗華とレアン・ケルラーリウスの先導で、シュバルツティーフェの森を抜けて、第一の目的地であるリリスのいる豊樹の郷へと驀進中だった。
賢猪サビオハバリー――サビオは樹精霊術を使い、進行の邪魔にならないよう木々を地面に寝かしたり曲げたりしながら、森の中をまるで平原を行くがごとく悠々と疾走していた。
森に入るまでは麗華の駆る八脚神馬――黒翔がサビオを先導していたが、森に入ってからは逆になっている。だが、黒翔もサビオのおかげで森を颯爽と駆けている。これで順調に旅程を稼げるかに思えた。
だが、それに待ったをかける事態が発生する。
俺が、サビオの背に揺られ乗り物酔いになってしまったのだ。
冥府から文殊界に来て初めて翼竜街を訪れた際も、サビオの背に乗せてもらったが、そのときは急ぐ理由もなかったため、サビオはのんびりと歩いていたようだ。しかし今回は、甲竜街の招聘から随分と日数が経過してしまっている。おまけに、安劉やテルミーズのもとに催促の手紙が届けられたこともあり、サビオは旅程を早めようとしてくれていた。
豊樹の郷へも最短であるシュバルツティーフェの森を横断する経路を選択し、進路にある木々に樹精霊術を使い森の中を疾駆してくれていた。
その速度は相当なもので、追走する麗華たちの乗る黒翔の瞳の色が変わるほどの速さだった。
もちろん、サビオの上に乗る俺たちが受ける震動も生半可なものではない。魔獣騒動の後、俺の体作りの際に、疾駆するサビオの背を経験していたアルディリアと紫慧は平気らしいが、俺と斡利は初めての経験だったため、揺れに翻弄されてしまった。
サビオに振り落とされないように腹這いで毛を掴み、必死にしがみつく俺と斡利。
しばらくすると、俺は内臓まで揺らされ気持ち悪くなり、青い顔になった。
斡利の方は、最初は俺と同じようにサビオの背に張りついていたが、次第に慣れたのか徐々に上体を起こしていった。やがて、軽やかに腰を動かして揺れを解消する方法を身につけたようだ。俺が吐き気をもよおす頃には、サビオの背中で一番高い、たてがみの位置に座って、背後へと流れていくシュバルツティーフェの森の風景を楽しんでいた。
「うぅ……ぅげぇぇぇぇぇぇ……」
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