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8巻
8-2
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少しして、門の閂が外される重い音がしたかと思うと、『ギィ~ッ』という音とともにゆっくりと門が開かれ、一人の巨大な戦斧を持った鎧姿の大柄なドワーフ氏族が姿を見せる。彼は、リヒャルト、ルークス、リリス――三人のダークエルフ氏族の姿を確認するなり破顔した。
「おお~、まさしくリヒャルト様、それにルークス殿とリリス殿もご一緒か! っと、失礼いたしました。見知った顔を目の前にして、つい口が軽くなってしまった。改めてご挨拶申し上げる。響鎚の郷の郷守役を仰せつかっているヤコブ・コンラートです。ルークス殿とは先日、豊樹の郷からの凶報が届いた折にお会いしているな」
「はい。その節は豊樹の郷の窮状をお知らせいただき、ありがとうございました。また、ご配慮いただいたにもかかわらず、お礼もせずに立ち去った無礼をお許しください」
ルークスは恐縮しながら頭を下げる。
「いやいや、己の故郷に災厄が降りかかったと聞けば、平静でいられるわけはない。特に郷守衆の若頭ともなれば、郷を守るため急ぎ戻らねばと自然に体が動いてしまうものだ。俺にも似たような経験がないわけではない。気にする必要はない。さて、リヒャルト様。詳しいことは郷の長ヨゼフ・グスタフ様にお話しいただきたいところなのだが、先程申した通り、ただ今、郷で起きた不祥事についての評定が行われている真っ最中なのです。申し訳ないのですが、それが終わるまで、しばしお待ちいただけませんでしょうか」
だがリヒャルトは、ヤコブの背後で右往左往している響鎚の郷の者たちの様子を見回してから、ヤコブに射るような鋭い眼光を向ける。
「先程から郷での評定と口にしておられるが、門外にまで漏れ聞こえてくる喧騒から察するに、その評定は郷の者たちに見えるような形で行われているのではないかな? であれば、私たちが郷の中に入って、評定を見てもなんら問題はあるまい。まさか、公の場で評定を行うと言いながら、その実は疑いをかけられた者を晒し者に……などと愚かなことをしているわけでもあるまい」
「そっ、それはそうなのだが……」
リヒャルトの言葉に言い淀み、視線を泳がせるヤコブだったが、リヒャルトの背後にいる俺たちの中にアルディリアの姿を見つけると、驚きとともに微かな希望を滲ませたような声を上げた。
「そこにいるのはアルディリアではないか!? これは天の導き! ……失礼いたした。確かにリヒャルト様の申す通りだ。郷の者に公開しているのであれば、郷以外の者の目に触れようと問題ないはず。ここは俺の一存ではあるが、郷の門を開くとしよう! リヒャルト様、どうぞお入りください」
彼の背後では「そのようなことを勝手にされては」などと、ヤコブと同じく鎧を纏い戦鎚や戦斧を腰や背中に装備した、郷守衆と思しき年若いドワーフ氏族たちが騒いでいる。だがヤコブはそれを無視し、彼に似た屈強なドワーフ氏族の若き偉丈夫とともに、門を押し開き、俺たち全員を門内へと招き入れた。
門を潜り抜ける際、ヤコブの決定に対して騒いでいたドワーフ氏族たちに睨まれる。ただ、後ろに続く賢猪のサビオや白仔狼のアロウラの巨体に恐れをなしたのか、すぐに顔色を青くして後退った。
ヤコブは門扉を押し開いたまま、彼らが暴走しないか警戒しつつ、落胆したように溜め息交じりで見詰めていた。しかし、自分の脇をアルディリアが通り抜けるわずかな間に、小声で声をかける。
「アルディリア、よくぞ帰ってきてくれた。広場に急げ、養父が危難に遭っている。養父を助けられるのはお前だけだ!」
ヤコブの言葉に、評定の対象が誰なのかを知らされ――驚きつつ嬉しそうに目を見開いたアルディリアだったが、
「ヤコブおじ! ……ありがとう」
そう短く返して、いつもは見せないような弱気な表情で、俺の作務衣の袖を軽く掴み、
「驍! 養父が大変な目に……」
と、悲しげな声を上げる。俺は、袖を掴んでいたアルディリアの手をしっかりと握った。
「ヤコブが郷の広場に急げって言ったな。評定が行われているのはそこだな! 行くぞ!!」
まず俺は、アルディリアを連れて、先頭を行くリヒャルトのもとへ向かった。
「リヒャルト! どうやら事態は急を要するようだ。すまないが、俺たちは一足先に広場とやらへ行かせてもらうぞ!」
そう告げて、俺はアルディリアと全力で駆け出した。他の者も遅れてはまずいと思ったのか、同じように駆け出す足音が後に続いた。
◇
「俺はこの目で見たのだ! 翼竜街で亜人の鍛冶師が鍛造武具を用意するのを!!」
「だからといって、その亜人が鍛造武具を打ったとは言えぬのではないか? 大体、亜人だぞ、亜人! どの種族とも確定できない『出来そこないの者』に、高尚なる鍛造鍛冶ができるわけがないではないか!」
広場には、まるで響鎚の郷の住民全員が集まったかのように、大勢の者がいる。彼らは、広場に設けられた舞台の上で声を上げる二人のドワーフ氏族の主張を、時には野次を飛ばし、時には賛同の声を上げながら、注視していた。
この場にはいないダンカンを擁護するのは、壮年のドワーフ氏族の男。そして、糾弾しているのは若いドワーフ氏族なのだが、その顔に見覚えがあった。翼竜街で『武具比べ』をした相手だ。
そのことでアルディリアに声をかけようと思ったのだが、凍りつくような眼光で糾弾者を睨みつけていることから、彼女も気付いているのが分かったので、俺は口を閉じた。アルディリアは気付いた上で、事の推移を見極めるつもりのようだった。
「だから彼の裏切り者が鍛冶の方法を教えたというのだ! 翼竜街のギルドでは、ダンカンの養女となり、一時期響鎚の郷に住んでいた妖人族の娘が働いているのだ。子供のいないダンカンは、養女からの頼みだったために、郷の禁忌を侵す行為だと分かっていても断れなかったのだろう」
「そんな馬鹿な! ドワーフ氏族の鍛冶師としての矜持を誰よりも尊び『響鎚の郷にダンカンあり!』と言われた、あのダンカン殿だぞ!! いくら可愛い養女の頼みとはいえ、郷の『ドワーフ氏族の精霊鍛冶を一族の者以外に伝えてはならぬ』という掟を破るはずがないではないか!!」
主張の応酬は既に佳境に入っているのか、双方ともに聴衆の心を掴もうと熱弁を振るっていた。だが、支持を得ることに成功しているのは、圧倒的にダンカンを糾弾する方だった。それでも諦めず、声を嗄らす壮年のドワーフ氏族。
そこへ突然、二人の間を割って入るように、一人の白髪の年老いたドワーフ氏族が進み出た。
「双方の意見はよく分かった! この場に集まった郷の者たちにも、今回の件がいかに重大なものか伝わったであろう。そこで、儂からも一言付け加えさせてもらうとする。これから話すことは、輝樹の郷に住まうハイエルフ氏族の方々からの通達じゃ。『天竜賜国に鍛冶師を名乗る亜人が現れた。だが、神聖なる鍛冶の御技が亜人などに扱えるわけがない。よって天樹国として、彼の亜人は鍛冶師を偽っていると断じる』とな。また漏れ聞くところによれば、かの亜人とダンカンの養女は、翼竜街にて懇意にしているとも聞いておる。このことは重大事じゃ。今はまだ疑惑の範疇に留まっているとはいえ、こうしてダンカンが彼の亜人に精霊鍛冶の秘術を漏らしたとの疑いが持たれているのも紛れもない事実。そのような中で、ダンカンを『鍛冶総取締役』の地位に付けておくのは不適切である……と、儂は考えるが、どうじゃ?」
言い終えた老人は、集まったドワーフ氏族たちに自分の言葉が行き渡ったのを確認するかのように見回した上で、満足げに軽く頷くと、壇上から下りていった。
そんな老人に微笑みながら頭を下げたのは、糾弾していた若いドワーフ氏族。片や擁護の姿勢を貫いていた壮年のドワーフ氏族は、苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げていた。
リヒャルトが囁く。
「あの白髪の老人が、響鎚の郷の族長ヨゼフ・グスタフ殿だ」
それを聞いて、先程壇上の二人のドワーフ氏族が見せた態度にも納得する。どうやらヨゼフって族長は、ダンカンを鍛冶総取締役からなんとしてでも引き摺りおろしたいらしい。まあ、そもそも今目の前で繰り広げられている茶番自体、アイツが企画したものなんだろう。
そう全体の構図に思いを巡らせていると――
「それでは、広場に集まった者に問おう! 我ら二人の主張、それに郷長ヨゼフ様のお言葉を聞いて、鍛冶総取締役であるダンカン・モアッレの罪状に、『疑いあり』と思う者は俺、トント・グスタフの側へ。『疑いあり』とするには無理があると思う者は、そちらのワシリー・ロズモンドの側に動いて欲しい!!」
トントの指示に従い、ドワーフ氏族たちは一斉にトントの側へと動きはじめた。
「待て! 先程から聞いていれば、当事者のいないところで好き勝手に讒言を弄しおって。その浅ましき姿、呆れ果てたわ!!」
空気を切り裂く怒気を孕んだ凛とした声が響く。ドワーフ氏族たちはビクリと体を硬直させると、少し青褪めながら声の主を求めて周囲を見回し……やがて声を発した者へ視線が集まっていく。
しかし、声を上げた当人――アルディリアは、周囲の視線など平然と受け流し、壇上にいる者たちをまっすぐに見詰めつつ、壇上に向かってゆっくり歩を踏み出した。
彼女の一歩にあわせて 進行方向にいるドワーフ氏族たちが逃げるように後退り、まるでとある預言者が多くの同胞を助けるために海を割ったように、檀上まで一本の〝道〟ができていた。
生み出された道をなんの気負いもなく進むアルディリア。俺たちも、群衆の視線を浴びながら、彼女についていく。
そこへ、いつの間に追いついたのか、先程ヤコブとともに門を押し開いた鎧姿の若き偉丈夫が、アルディリアの前に立ち塞がった。
「お待ちあれえ! この場は響鎚の郷内での揉めごとを明らかにし、審議する評定の場。公開の場ではあるが、郷の者以外が勝手に発言することは許されていない。お控えいただきたい!!」
彼は、背負っていた戦斧を手に持つと、逆さにして勢いよく斧頭を地面に突き立てた。『これより先には一歩も通さぬ!』ということだろう。
そんな若き偉丈夫の姿を一睨みしたアルディリアは、焦った様子など微塵も感じさせず、むしろ堂々とした態度で、
「ヤヌシュ・コンラートか。役目がらその態度や良し! されどワタシも引くわけにはゆかぬ。なぜならば、そこの壇上に立つ男はワタシがいないのを良いことに、根も葉もないことを並べ立ててダンカン・モアッレだけではなく、翼竜街ギルド、および翼竜街領主耀安劉様が認めた鍛冶師をも貶めた。さらに、偽りの罪をダンカン・モアッレに被せようとしているのだからな!!」
と、周囲に響き渡る声で告げた。
「根も葉もないこと? トント・グスタフの発言が偽りだというのか! 嘘ではないだろうな!? 評定の場での発言を偽りとするとは、何を根拠としているのだ? 根拠が明確でなければ、ただでは済まぬぞ!」
若き偉丈夫――ヤヌシュは、そう言ってアルディリアを睨むも、どこか面白がっているような様子が見え隠れしていた。
あとから聞くと、アルディリアはアルディリアで、ヤヌシュの顔を見てこう考えていたらしい――
ヤヌシュの奴、小さい頃は何かあると人の後ろに隠れてしまう気弱な性格だったのに、随分と立派になって。しかも、あえて煽るようなことを口にして、この場に集まる者にワタシの言葉が届くように誘導しているな。では、そのご厚意に乗らせてもらうとするか――と。
そんな風に腹の中で笑いながらも、アルディリアは体から一層の怒気を放出させる。
「根拠を示せだと? 根拠も何も、ダンカン・モアッレ、エレナ・モアッレ夫妻の養女、アルディリア・モアッレは、このワタシだ!!」
途端、周りにいたドワーフたちから地響きのような唸り声が上がり、壇上ではアルディリアを罵っていたトントの顔から精気が消えていた。
反対に、ダンカンを擁護していたワシリーが、慌てた様子で問いかけた。
「ほ、本当に貴女がアルディリア・モアッレ嬢か? 見違えた……随分と大きく立派になられて……。アルディリア嬢、儂のことを覚えておいでか? ダンカン殿のもとで鍛冶の修業をしていたワシリー! ワシリー・ロズモンドだ!!」
すると、アルディリアはわずかに表情を緩めた。
「ワシリーさん……もちろん。当時、妖人族のワタシに優しく接してくれた数少ない一人、そのときのことは今も忘れておりません。それに、今も鍛冶師ダンカンを慕ってくれているようで、嬉しく思います」
「何をそんな、畏まった言い方など不要。それに、儂が今あるのは、ダンカン・エレナ夫妻のおかげ。儂は当たり前のことをしているだけだ」
アルディリアは軽く頷くと、緩めていた表情を引き締め、再び氷のような冷たい視線で周りを睥睨する。
「今のワシリー殿の言からも、ワタシがダンカン・エレナ夫妻の養女アルディリアであると分かっただろう。数年前に響鎚の郷を出たワタシは今、養父母のモアッレ姓から実父母のアシュトレト姓に戻し、『アルディリア・アシュトレト』として、翼竜街ギルドでその職務に就いている。ここにも噂は伝わっているのではないか? 翼竜街ギルドの『氷鑑のアシュトレト』の名は」
『氷鑑のアシュトレト』という名前を耳にした瞬間、広場に集まっていた者たちは慄き、アルディリアを見る目に畏れが見え隠れし出す。
その様子が気になって、俺は傍らにいる麗華に小声で尋ねた。
「なんだ『氷鑑のアシュトレト』って? アルディリアを見るドワーフ氏族の目が変わったぞ」
すると、麗華は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あ~、翼竜街ではあまり呼ばれないのですが、他の街や郷からやって来る商人や職人が、アルディリアのことを語るときに口にする二つ名ですわ。氷のような冷徹で容赦のない鑑定眼で、翼竜街へ入ってくる品物を鑑定、選別する姿に畏れ慄いた商人、職人によって付けられたものです。もっとも翼竜街では、アルディリアの確かな目利きによって下される正当な評価は、商人職人どちらからも歓迎されていますから、こんな無礼な二つ名で呼ばれることはありませんわ♪」
そう言いながら、麗華は面白そうにドワーフ氏族の反応を見詰めていた。
「ふ~ん、なるほどね。アルディリアが翼竜街ギルドの職員になってから、それまで職員の目を盗んで甘い汁を吸っていた悪徳商人や不良職人が痛い目を見たってところか。しかし、この騒ぎから察するに、そういった不埒者がこの郷にもいたってことだな。それが、自分たちが迫害した妖人族の娘だったと知って、驚きも二倍ってところか? ざまぁないな」
俺も、ドワーフ氏族を鼻で笑いつつ、相槌を打つ。
一方、檀上でダンカンを糾弾していたトントは、アルディリアの出現に取り乱して、オロオロしはじめた。その場から逃れたい一心からか、衆目が集まる檀上から姿を隠そうと必死になって周囲に視線を走らせていた。だがそこは、立った者の姿がよく見えるように作られていたため、アルディリアに対してなんの反論もできずにオロオロする無様な姿を、衆目に晒し続けることとなった。
そんなトントを、アルディリアは鋭い眼光で睨み、再び凛とした声を飛ばした。
「そこで高説を振るっていたのは、翼竜街領主の御息女・耀緋麗華嬢に、鍛造武具だと偽り、鋳造したものにそれらしく装飾を施した武具を納めようとした者ではないか! 響鎚の郷の鍛冶師として唾棄すべき恥知らずな行為をしでかし、郷の名に泥を塗った者が、自分のことを棚に上げ、よくもまあもっともらしく熱弁できたものだな」
その言葉にトントは、羞恥心からかそれとも事実を白日の下に晒された怒りからか分からないが、顔を真っ赤に染めた。
「何を言うか! あれは鼠人族の武具商人の横槍で仕方なく……。そもそも、お前が余計な口出しをしなければ、領主御息女の持ちものとしては十分だったのだ! 我儘なお転婆娘の、実際に使うかどうかも分からないようなお飾りの武具に、鍛造武具などもったいないだろうが! 装飾を施した鋳造武具程度のもので十分だ!!」
ついにはひらきなおって喚き散らすが、その姿は酷く醜いもので、広場に集まったドワーフ氏族の中にさえ嫌悪の視線を向ける者が出はじめた。
アルディリアは呆れた表情を見せた後、大仰に驚いた顔をする。
「なんと! まさか響鎚の郷にはまだ伝わっていないのか? 先の翼竜街を襲った『魔獣騒動』の元凶である魔獣『不死ノ王』を打ち倒した者の中心には、お前がお飾りの武具で十分だと口にした麗華嬢がいたのだぞ。そうであろう! 耀緋麗華殿!!」
アルディリアに名前を呼ばれ、俺の横で成り行きを傍観していた麗華は、面倒くさそうに眉間に皺を寄せると、アルディリアを一睨みしてから小さく溜め息を吐き、スッと胸を張った。
「そうですわね。図らずもそういうことになってしまいましたが、確かに魔獣『不死ノ王』を退けたのは、わたくしとわたくしの仲間たちで間違いありません。あのとき、もし貴方が『十分だ』と評するあの偽鍛造武具を手にしていたら、わたくしの命は当然のことながら、翼竜街すら地上から消えていたかもしれません。そう思うとゾッといたしますわ。見栄えの良さだけに惑わされずに、偽鍛造武具を選ばず、今もわたくしが頼りとするこの『突角』を己が得物と選んだ自分を誇らしく思います」
麗華が、背負っていた五鈷杵型突撃槍を鞘から抜き高々と頭上にかざすと、太陽の光があたり、黒く艶やかな刀身がより一層煌めいた。
その姿に、周りにいるドワーフから感嘆の溜め息が漏れる。
それを見たトントは、真っ赤にしていた顔を真っ青に変え、ブルブルと震えながら力なく崩れ落ちた。
急転直下の成り行きにワシリーは茫然としていたが、トントの無様な様から視線が自分の方に動いているのを感じ、慌てて居住まいを正した。
「こ、これで分かったであろう! 今までこの者が壇上にて声高に主張していた事柄は、捏造された真っ赤な嘘! このような者の言に一片の真もあろうはずがない。よって、ダンカン殿へ向けられた疑いは全て虚偽にすぎない!」
ワシリーの言葉で、広場に集まったドワーフ氏族からは同意を示す雄叫びが上がり、これにてこの場の茶番は終わると思っていた。しかし――
「静まらぬか!」
突然その場に響き渡った、族長ヨゼフ・グスタフの怒声で、評定の終了を喜んでいた広場は一瞬にして静まりかえる。
「評定の場において、虚偽の主張が行われたことはまことに遺憾である。しかしそれは、翼竜街にて鋳造の武具を鍛造と偽り、鍛冶師の郷である響鎚の郷に泥を塗った者がいたというだけのこと。今、耀緋麗華嬢が掲げられた鍛造武具を打ったという『亜人の鍛冶師』が存在することが明白となった。であれば、その亜人に鍛冶の技術を教えた者が必ずおるはずじゃ! これまで一度として耳にしたことのない亜人の鍛冶師が、突如翼竜街に出現した。そして、その翼竜街には、響鎚の郷を追われ、郷に恨みを持つ妖人族のアルディリアがいたこともまた事実。となれば、卑しき亜人に響鎚の郷の技術を教えることで恨みを晴らそうと、養父を頼ったかもしれぬではないか! ダンカン・モアッレの疑いはまだ晴れてはおらぬ!!」
広場全体に、ヨゼフの怒気を孕んだ声が轟いた。広場に集うドワーフ氏族は畏れ慄き、族長ヨゼフの機嫌がこれ以上悪くなって自分たちに火の粉が降りかかることを恐れて、この言いがかりのような言葉を肯定するように頷く者さえ出てきた。
彼らの弱腰な態度に呆れる俺や麗華だったが、アルディリアは初めからそういう反応を示すことが分かっていたらしい。慌てることもなく、呆れることもなく、変わらず凛とした眼差しを向けたまま淡々と告げる。
「では、耀緋麗華嬢の鍛造武具を鍛えた鍛冶師に、事の真偽を問い質せばはっきりするな」
言葉の意味が一瞬分からなかったのか、ヨゼフは狐につままれたような『ポカン』とした間抜け面を浮かべたが、すぐに勝ち誇った表情に変わった。
「ふん! では早くその亜人の鍛冶師とやらを連れてくるがいい。もっとも、先に貴様が口にした言葉が本当ならば、翼竜街の翼竜人族が手放すことを嫌い、容易に外へ出すとは思えんがな。亜人の鍛冶師が響鎚の郷に来るまでは、ダンカンは郷の牢に投獄しておく。ただし、鍛冶総取締役の役職は剥奪する。たとえ疑いが晴れたとしても、響鎚の郷の鍛冶総取締役ともあろう者が、疑いを持たれること自体が罪。そのままにしておくわけにはいかんからな。亜人の鍛冶師が郷に着けば、改めて真偽を明確にするための評定を開いてやろう。だが、これだけは覚えておけ。評定の結果、裏切りの罪が明らかとなったときには、裏切り者は言うに及ばず、貴様にもそして亜人の鍛冶師にも罰を与える。その覚悟はあるの……」
明らかにヨゼフは、自分の思惑通りに評定を進め、邪魔をするなとアルディリアに脅しをかけてきた。なら――
「ここにいるんだがな!」
ヨゼフの話を遮るように、俺の声が広場に木霊した。
「…………」
広場に静寂が訪れる。俺は一歩踏み出し、壇上のヨゼフに対峙しているアルディリアの隣に並び、不遜な笑みを浮かべて睨みつけてやった。
俺の後ろには、紫慧とリヒャルトにリリス、さらにはサビオとアロウラまでもが立ち、ドワーフ氏族たちをその偉容で震え上がらせていた。
「ここにいる『俺』が、麗華の武具を鍛えた鍛冶師だよ! さっきから好き勝手なことを言ってくれていたが、確かめたいことがあるんだろ? 答えてやろうじゃないか。何を確かめたいんだ、言ってみろよ!!」
俺は、思いっ切りドスを利かせた声で、壇上にいるヨゼフに恫喝するように語りかける。すると、彼の虚勢が剥がれ、ヨロヨロと数歩後退った。そして、腰が砕けたように崩れ落ちそうになるのを、膝に両手をついてなんとか踏みとどまると、血走った目でトントを睨みつけた。
「トントォ! お前が翼竜街で目にした亜人の鍛冶師とは、コヤツのことか? どうなのだ、トント~ォ!?」
先程までの威厳をかなぐり捨てて、トントに声を荒らげるヨゼフ。だがトントの方は、俺が姿を見せた途端、目を大きく見開いたまま体を硬直させていた。石像のように突っ立ち、何も耳に入らないらしく、ヨゼフの問いかけに返答ができなかった。
そんなトントの様子に、ヨゼフは大きな溜め息とともに肩を落とすも――もう一度怒りを含んだ声で呼んだ。
「トント、しっかりせぬかぁ!!」
怒声を叩きつけられたことで、トントはようやく正気を取り戻したものの、俺に対する恐怖からか、声は震えている。
「はっはい、族長! そ、その者に間違いありません。翼竜街の武具鍛冶師スミス・シュミートの鍛冶場で鎚を振るい、俺たちの『響鎚の郷の鍛冶師』という矜持を木端微塵にした亜人の鍛冶師は……」
その言葉に、ヨゼフは愉悦に顔を歪ませて雄叫びを上げた。
「郷守衆、この者を捕らえよ! 我ら……天樹国に仇なす偽りの鍛冶師じゃ。捕らえて何者から鍛冶の技術を盗み取ったのか吐かせるのじゃ! 『飛蛾の火に入るが如し』とはまさにこのこと♪ これでハイエルフ氏族の方々もお喜びになられる。我らドワーフ氏族は、偽鍛冶師を捕らえて天樹国の懸念事項を解決した氏族として賞され、さらなる栄達が約束されるじゃろう!!」
「「「「「応~ぉ!!」」」」」
ヨゼフの雄叫びに呼応して、周囲で警護にあたっていた、鱗鎧や鎖鎧などを纏い、手に戦斧や戦鎚といった打撃武具を持つドワーフ氏族の男たちが、人々を手荒く掻き分け、俺たちを取り囲む。
彼らの中で、一際豪奢な、黄金に光る鱗鎧に、斧刃の側面に華美な装飾を施した半月形戦斧を持った男が、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて進み出た。
「コイツか? なんだ、トントの奴はこんな痩せっぽちの野郎に武具比べで負けたってのか。まあ、アイツは修業をサボって遊びほうけていて、誰からも一人前の鍛冶師とは認めてもらえない落伍者だからな。それにしても……オイ! お前、そんな華奢な体でよくも『鍛造鍛冶師』を名乗ったもんだな。そんな細腕じゃ、鎚をまともに振るうことだってできやしないんじゃねェか? まあいい、お前を捕らえて輝樹の郷に送りゃあ、族長の言うように響鎚の郷の栄誉になり、実際に捕縛した俺たちにだってたんまりと報奨金が貰えるだろうからな、悪く思うなよっ!」
言い終わると同時に、彼は半月形戦斧を俺の肩目がけて振り下ろしてきた。
――ガッキ!
俺は左手に持っていた太刀――焔を掲げて、それを難なく受け止めると、金ぴかドワーフ氏族に一瞬視線を向ける。
金ぴか男は、自分の戦斧が片手で受け止められたことが理解できなかったのか、ポカンと馬鹿面を浮かべていた。
そんな金ぴか馬鹿面ドワーフ氏族の半月形戦斧を払い飛ばすように焔を振れば、斧は男ごと飛んでいってしまった。そして彼は何名かの同輩を巻き込みながら地面に転がり、豪奢な黄金色の鱗鎧はところどころ凹みを作りつつ土塗れになっていた。
その様子を一瞥し、俺は視線をヨゼフへと戻す。
すると、それまで余裕の表情を浮かべていた他の郷守衆の顔から、笑みが消えた。戦場にいる戦士のような引き締まった表情に変わり、戦斧や戦鎚を構え、ジリジリと囲みを狭める。あと少しで一歩踏み込めば俺に武具の刃が届く『一足一刀の間合い』に入るか? というとき、彼らの機先を制するように、スッとリヒャルトが俺の前に立った。
「聞けぇい、響鎚の郷の者たちよ! これ以上、豊樹の郷の恩人に対して無礼な所業に及ぶのならば、穢呪の病より逃れた郷の者たちを受け入れてくれた響鎚の郷の者であっても、看過することはできぬ。ハイエルフ氏族が何を言っているのかは知らぬが、我が恩人に対して弓を引くというのであれば、豊樹の郷族長リヒャルト・アーウィン以下、ダークエルフ氏族がお相手いたす!!」
「おお~、まさしくリヒャルト様、それにルークス殿とリリス殿もご一緒か! っと、失礼いたしました。見知った顔を目の前にして、つい口が軽くなってしまった。改めてご挨拶申し上げる。響鎚の郷の郷守役を仰せつかっているヤコブ・コンラートです。ルークス殿とは先日、豊樹の郷からの凶報が届いた折にお会いしているな」
「はい。その節は豊樹の郷の窮状をお知らせいただき、ありがとうございました。また、ご配慮いただいたにもかかわらず、お礼もせずに立ち去った無礼をお許しください」
ルークスは恐縮しながら頭を下げる。
「いやいや、己の故郷に災厄が降りかかったと聞けば、平静でいられるわけはない。特に郷守衆の若頭ともなれば、郷を守るため急ぎ戻らねばと自然に体が動いてしまうものだ。俺にも似たような経験がないわけではない。気にする必要はない。さて、リヒャルト様。詳しいことは郷の長ヨゼフ・グスタフ様にお話しいただきたいところなのだが、先程申した通り、ただ今、郷で起きた不祥事についての評定が行われている真っ最中なのです。申し訳ないのですが、それが終わるまで、しばしお待ちいただけませんでしょうか」
だがリヒャルトは、ヤコブの背後で右往左往している響鎚の郷の者たちの様子を見回してから、ヤコブに射るような鋭い眼光を向ける。
「先程から郷での評定と口にしておられるが、門外にまで漏れ聞こえてくる喧騒から察するに、その評定は郷の者たちに見えるような形で行われているのではないかな? であれば、私たちが郷の中に入って、評定を見てもなんら問題はあるまい。まさか、公の場で評定を行うと言いながら、その実は疑いをかけられた者を晒し者に……などと愚かなことをしているわけでもあるまい」
「そっ、それはそうなのだが……」
リヒャルトの言葉に言い淀み、視線を泳がせるヤコブだったが、リヒャルトの背後にいる俺たちの中にアルディリアの姿を見つけると、驚きとともに微かな希望を滲ませたような声を上げた。
「そこにいるのはアルディリアではないか!? これは天の導き! ……失礼いたした。確かにリヒャルト様の申す通りだ。郷の者に公開しているのであれば、郷以外の者の目に触れようと問題ないはず。ここは俺の一存ではあるが、郷の門を開くとしよう! リヒャルト様、どうぞお入りください」
彼の背後では「そのようなことを勝手にされては」などと、ヤコブと同じく鎧を纏い戦鎚や戦斧を腰や背中に装備した、郷守衆と思しき年若いドワーフ氏族たちが騒いでいる。だがヤコブはそれを無視し、彼に似た屈強なドワーフ氏族の若き偉丈夫とともに、門を押し開き、俺たち全員を門内へと招き入れた。
門を潜り抜ける際、ヤコブの決定に対して騒いでいたドワーフ氏族たちに睨まれる。ただ、後ろに続く賢猪のサビオや白仔狼のアロウラの巨体に恐れをなしたのか、すぐに顔色を青くして後退った。
ヤコブは門扉を押し開いたまま、彼らが暴走しないか警戒しつつ、落胆したように溜め息交じりで見詰めていた。しかし、自分の脇をアルディリアが通り抜けるわずかな間に、小声で声をかける。
「アルディリア、よくぞ帰ってきてくれた。広場に急げ、養父が危難に遭っている。養父を助けられるのはお前だけだ!」
ヤコブの言葉に、評定の対象が誰なのかを知らされ――驚きつつ嬉しそうに目を見開いたアルディリアだったが、
「ヤコブおじ! ……ありがとう」
そう短く返して、いつもは見せないような弱気な表情で、俺の作務衣の袖を軽く掴み、
「驍! 養父が大変な目に……」
と、悲しげな声を上げる。俺は、袖を掴んでいたアルディリアの手をしっかりと握った。
「ヤコブが郷の広場に急げって言ったな。評定が行われているのはそこだな! 行くぞ!!」
まず俺は、アルディリアを連れて、先頭を行くリヒャルトのもとへ向かった。
「リヒャルト! どうやら事態は急を要するようだ。すまないが、俺たちは一足先に広場とやらへ行かせてもらうぞ!」
そう告げて、俺はアルディリアと全力で駆け出した。他の者も遅れてはまずいと思ったのか、同じように駆け出す足音が後に続いた。
◇
「俺はこの目で見たのだ! 翼竜街で亜人の鍛冶師が鍛造武具を用意するのを!!」
「だからといって、その亜人が鍛造武具を打ったとは言えぬのではないか? 大体、亜人だぞ、亜人! どの種族とも確定できない『出来そこないの者』に、高尚なる鍛造鍛冶ができるわけがないではないか!」
広場には、まるで響鎚の郷の住民全員が集まったかのように、大勢の者がいる。彼らは、広場に設けられた舞台の上で声を上げる二人のドワーフ氏族の主張を、時には野次を飛ばし、時には賛同の声を上げながら、注視していた。
この場にはいないダンカンを擁護するのは、壮年のドワーフ氏族の男。そして、糾弾しているのは若いドワーフ氏族なのだが、その顔に見覚えがあった。翼竜街で『武具比べ』をした相手だ。
そのことでアルディリアに声をかけようと思ったのだが、凍りつくような眼光で糾弾者を睨みつけていることから、彼女も気付いているのが分かったので、俺は口を閉じた。アルディリアは気付いた上で、事の推移を見極めるつもりのようだった。
「だから彼の裏切り者が鍛冶の方法を教えたというのだ! 翼竜街のギルドでは、ダンカンの養女となり、一時期響鎚の郷に住んでいた妖人族の娘が働いているのだ。子供のいないダンカンは、養女からの頼みだったために、郷の禁忌を侵す行為だと分かっていても断れなかったのだろう」
「そんな馬鹿な! ドワーフ氏族の鍛冶師としての矜持を誰よりも尊び『響鎚の郷にダンカンあり!』と言われた、あのダンカン殿だぞ!! いくら可愛い養女の頼みとはいえ、郷の『ドワーフ氏族の精霊鍛冶を一族の者以外に伝えてはならぬ』という掟を破るはずがないではないか!!」
主張の応酬は既に佳境に入っているのか、双方ともに聴衆の心を掴もうと熱弁を振るっていた。だが、支持を得ることに成功しているのは、圧倒的にダンカンを糾弾する方だった。それでも諦めず、声を嗄らす壮年のドワーフ氏族。
そこへ突然、二人の間を割って入るように、一人の白髪の年老いたドワーフ氏族が進み出た。
「双方の意見はよく分かった! この場に集まった郷の者たちにも、今回の件がいかに重大なものか伝わったであろう。そこで、儂からも一言付け加えさせてもらうとする。これから話すことは、輝樹の郷に住まうハイエルフ氏族の方々からの通達じゃ。『天竜賜国に鍛冶師を名乗る亜人が現れた。だが、神聖なる鍛冶の御技が亜人などに扱えるわけがない。よって天樹国として、彼の亜人は鍛冶師を偽っていると断じる』とな。また漏れ聞くところによれば、かの亜人とダンカンの養女は、翼竜街にて懇意にしているとも聞いておる。このことは重大事じゃ。今はまだ疑惑の範疇に留まっているとはいえ、こうしてダンカンが彼の亜人に精霊鍛冶の秘術を漏らしたとの疑いが持たれているのも紛れもない事実。そのような中で、ダンカンを『鍛冶総取締役』の地位に付けておくのは不適切である……と、儂は考えるが、どうじゃ?」
言い終えた老人は、集まったドワーフ氏族たちに自分の言葉が行き渡ったのを確認するかのように見回した上で、満足げに軽く頷くと、壇上から下りていった。
そんな老人に微笑みながら頭を下げたのは、糾弾していた若いドワーフ氏族。片や擁護の姿勢を貫いていた壮年のドワーフ氏族は、苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げていた。
リヒャルトが囁く。
「あの白髪の老人が、響鎚の郷の族長ヨゼフ・グスタフ殿だ」
それを聞いて、先程壇上の二人のドワーフ氏族が見せた態度にも納得する。どうやらヨゼフって族長は、ダンカンを鍛冶総取締役からなんとしてでも引き摺りおろしたいらしい。まあ、そもそも今目の前で繰り広げられている茶番自体、アイツが企画したものなんだろう。
そう全体の構図に思いを巡らせていると――
「それでは、広場に集まった者に問おう! 我ら二人の主張、それに郷長ヨゼフ様のお言葉を聞いて、鍛冶総取締役であるダンカン・モアッレの罪状に、『疑いあり』と思う者は俺、トント・グスタフの側へ。『疑いあり』とするには無理があると思う者は、そちらのワシリー・ロズモンドの側に動いて欲しい!!」
トントの指示に従い、ドワーフ氏族たちは一斉にトントの側へと動きはじめた。
「待て! 先程から聞いていれば、当事者のいないところで好き勝手に讒言を弄しおって。その浅ましき姿、呆れ果てたわ!!」
空気を切り裂く怒気を孕んだ凛とした声が響く。ドワーフ氏族たちはビクリと体を硬直させると、少し青褪めながら声の主を求めて周囲を見回し……やがて声を発した者へ視線が集まっていく。
しかし、声を上げた当人――アルディリアは、周囲の視線など平然と受け流し、壇上にいる者たちをまっすぐに見詰めつつ、壇上に向かってゆっくり歩を踏み出した。
彼女の一歩にあわせて 進行方向にいるドワーフ氏族たちが逃げるように後退り、まるでとある預言者が多くの同胞を助けるために海を割ったように、檀上まで一本の〝道〟ができていた。
生み出された道をなんの気負いもなく進むアルディリア。俺たちも、群衆の視線を浴びながら、彼女についていく。
そこへ、いつの間に追いついたのか、先程ヤコブとともに門を押し開いた鎧姿の若き偉丈夫が、アルディリアの前に立ち塞がった。
「お待ちあれえ! この場は響鎚の郷内での揉めごとを明らかにし、審議する評定の場。公開の場ではあるが、郷の者以外が勝手に発言することは許されていない。お控えいただきたい!!」
彼は、背負っていた戦斧を手に持つと、逆さにして勢いよく斧頭を地面に突き立てた。『これより先には一歩も通さぬ!』ということだろう。
そんな若き偉丈夫の姿を一睨みしたアルディリアは、焦った様子など微塵も感じさせず、むしろ堂々とした態度で、
「ヤヌシュ・コンラートか。役目がらその態度や良し! されどワタシも引くわけにはゆかぬ。なぜならば、そこの壇上に立つ男はワタシがいないのを良いことに、根も葉もないことを並べ立ててダンカン・モアッレだけではなく、翼竜街ギルド、および翼竜街領主耀安劉様が認めた鍛冶師をも貶めた。さらに、偽りの罪をダンカン・モアッレに被せようとしているのだからな!!」
と、周囲に響き渡る声で告げた。
「根も葉もないこと? トント・グスタフの発言が偽りだというのか! 嘘ではないだろうな!? 評定の場での発言を偽りとするとは、何を根拠としているのだ? 根拠が明確でなければ、ただでは済まぬぞ!」
若き偉丈夫――ヤヌシュは、そう言ってアルディリアを睨むも、どこか面白がっているような様子が見え隠れしていた。
あとから聞くと、アルディリアはアルディリアで、ヤヌシュの顔を見てこう考えていたらしい――
ヤヌシュの奴、小さい頃は何かあると人の後ろに隠れてしまう気弱な性格だったのに、随分と立派になって。しかも、あえて煽るようなことを口にして、この場に集まる者にワタシの言葉が届くように誘導しているな。では、そのご厚意に乗らせてもらうとするか――と。
そんな風に腹の中で笑いながらも、アルディリアは体から一層の怒気を放出させる。
「根拠を示せだと? 根拠も何も、ダンカン・モアッレ、エレナ・モアッレ夫妻の養女、アルディリア・モアッレは、このワタシだ!!」
途端、周りにいたドワーフたちから地響きのような唸り声が上がり、壇上ではアルディリアを罵っていたトントの顔から精気が消えていた。
反対に、ダンカンを擁護していたワシリーが、慌てた様子で問いかけた。
「ほ、本当に貴女がアルディリア・モアッレ嬢か? 見違えた……随分と大きく立派になられて……。アルディリア嬢、儂のことを覚えておいでか? ダンカン殿のもとで鍛冶の修業をしていたワシリー! ワシリー・ロズモンドだ!!」
すると、アルディリアはわずかに表情を緩めた。
「ワシリーさん……もちろん。当時、妖人族のワタシに優しく接してくれた数少ない一人、そのときのことは今も忘れておりません。それに、今も鍛冶師ダンカンを慕ってくれているようで、嬉しく思います」
「何をそんな、畏まった言い方など不要。それに、儂が今あるのは、ダンカン・エレナ夫妻のおかげ。儂は当たり前のことをしているだけだ」
アルディリアは軽く頷くと、緩めていた表情を引き締め、再び氷のような冷たい視線で周りを睥睨する。
「今のワシリー殿の言からも、ワタシがダンカン・エレナ夫妻の養女アルディリアであると分かっただろう。数年前に響鎚の郷を出たワタシは今、養父母のモアッレ姓から実父母のアシュトレト姓に戻し、『アルディリア・アシュトレト』として、翼竜街ギルドでその職務に就いている。ここにも噂は伝わっているのではないか? 翼竜街ギルドの『氷鑑のアシュトレト』の名は」
『氷鑑のアシュトレト』という名前を耳にした瞬間、広場に集まっていた者たちは慄き、アルディリアを見る目に畏れが見え隠れし出す。
その様子が気になって、俺は傍らにいる麗華に小声で尋ねた。
「なんだ『氷鑑のアシュトレト』って? アルディリアを見るドワーフ氏族の目が変わったぞ」
すると、麗華は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あ~、翼竜街ではあまり呼ばれないのですが、他の街や郷からやって来る商人や職人が、アルディリアのことを語るときに口にする二つ名ですわ。氷のような冷徹で容赦のない鑑定眼で、翼竜街へ入ってくる品物を鑑定、選別する姿に畏れ慄いた商人、職人によって付けられたものです。もっとも翼竜街では、アルディリアの確かな目利きによって下される正当な評価は、商人職人どちらからも歓迎されていますから、こんな無礼な二つ名で呼ばれることはありませんわ♪」
そう言いながら、麗華は面白そうにドワーフ氏族の反応を見詰めていた。
「ふ~ん、なるほどね。アルディリアが翼竜街ギルドの職員になってから、それまで職員の目を盗んで甘い汁を吸っていた悪徳商人や不良職人が痛い目を見たってところか。しかし、この騒ぎから察するに、そういった不埒者がこの郷にもいたってことだな。それが、自分たちが迫害した妖人族の娘だったと知って、驚きも二倍ってところか? ざまぁないな」
俺も、ドワーフ氏族を鼻で笑いつつ、相槌を打つ。
一方、檀上でダンカンを糾弾していたトントは、アルディリアの出現に取り乱して、オロオロしはじめた。その場から逃れたい一心からか、衆目が集まる檀上から姿を隠そうと必死になって周囲に視線を走らせていた。だがそこは、立った者の姿がよく見えるように作られていたため、アルディリアに対してなんの反論もできずにオロオロする無様な姿を、衆目に晒し続けることとなった。
そんなトントを、アルディリアは鋭い眼光で睨み、再び凛とした声を飛ばした。
「そこで高説を振るっていたのは、翼竜街領主の御息女・耀緋麗華嬢に、鍛造武具だと偽り、鋳造したものにそれらしく装飾を施した武具を納めようとした者ではないか! 響鎚の郷の鍛冶師として唾棄すべき恥知らずな行為をしでかし、郷の名に泥を塗った者が、自分のことを棚に上げ、よくもまあもっともらしく熱弁できたものだな」
その言葉にトントは、羞恥心からかそれとも事実を白日の下に晒された怒りからか分からないが、顔を真っ赤に染めた。
「何を言うか! あれは鼠人族の武具商人の横槍で仕方なく……。そもそも、お前が余計な口出しをしなければ、領主御息女の持ちものとしては十分だったのだ! 我儘なお転婆娘の、実際に使うかどうかも分からないようなお飾りの武具に、鍛造武具などもったいないだろうが! 装飾を施した鋳造武具程度のもので十分だ!!」
ついにはひらきなおって喚き散らすが、その姿は酷く醜いもので、広場に集まったドワーフ氏族の中にさえ嫌悪の視線を向ける者が出はじめた。
アルディリアは呆れた表情を見せた後、大仰に驚いた顔をする。
「なんと! まさか響鎚の郷にはまだ伝わっていないのか? 先の翼竜街を襲った『魔獣騒動』の元凶である魔獣『不死ノ王』を打ち倒した者の中心には、お前がお飾りの武具で十分だと口にした麗華嬢がいたのだぞ。そうであろう! 耀緋麗華殿!!」
アルディリアに名前を呼ばれ、俺の横で成り行きを傍観していた麗華は、面倒くさそうに眉間に皺を寄せると、アルディリアを一睨みしてから小さく溜め息を吐き、スッと胸を張った。
「そうですわね。図らずもそういうことになってしまいましたが、確かに魔獣『不死ノ王』を退けたのは、わたくしとわたくしの仲間たちで間違いありません。あのとき、もし貴方が『十分だ』と評するあの偽鍛造武具を手にしていたら、わたくしの命は当然のことながら、翼竜街すら地上から消えていたかもしれません。そう思うとゾッといたしますわ。見栄えの良さだけに惑わされずに、偽鍛造武具を選ばず、今もわたくしが頼りとするこの『突角』を己が得物と選んだ自分を誇らしく思います」
麗華が、背負っていた五鈷杵型突撃槍を鞘から抜き高々と頭上にかざすと、太陽の光があたり、黒く艶やかな刀身がより一層煌めいた。
その姿に、周りにいるドワーフから感嘆の溜め息が漏れる。
それを見たトントは、真っ赤にしていた顔を真っ青に変え、ブルブルと震えながら力なく崩れ落ちた。
急転直下の成り行きにワシリーは茫然としていたが、トントの無様な様から視線が自分の方に動いているのを感じ、慌てて居住まいを正した。
「こ、これで分かったであろう! 今までこの者が壇上にて声高に主張していた事柄は、捏造された真っ赤な嘘! このような者の言に一片の真もあろうはずがない。よって、ダンカン殿へ向けられた疑いは全て虚偽にすぎない!」
ワシリーの言葉で、広場に集まったドワーフ氏族からは同意を示す雄叫びが上がり、これにてこの場の茶番は終わると思っていた。しかし――
「静まらぬか!」
突然その場に響き渡った、族長ヨゼフ・グスタフの怒声で、評定の終了を喜んでいた広場は一瞬にして静まりかえる。
「評定の場において、虚偽の主張が行われたことはまことに遺憾である。しかしそれは、翼竜街にて鋳造の武具を鍛造と偽り、鍛冶師の郷である響鎚の郷に泥を塗った者がいたというだけのこと。今、耀緋麗華嬢が掲げられた鍛造武具を打ったという『亜人の鍛冶師』が存在することが明白となった。であれば、その亜人に鍛冶の技術を教えた者が必ずおるはずじゃ! これまで一度として耳にしたことのない亜人の鍛冶師が、突如翼竜街に出現した。そして、その翼竜街には、響鎚の郷を追われ、郷に恨みを持つ妖人族のアルディリアがいたこともまた事実。となれば、卑しき亜人に響鎚の郷の技術を教えることで恨みを晴らそうと、養父を頼ったかもしれぬではないか! ダンカン・モアッレの疑いはまだ晴れてはおらぬ!!」
広場全体に、ヨゼフの怒気を孕んだ声が轟いた。広場に集うドワーフ氏族は畏れ慄き、族長ヨゼフの機嫌がこれ以上悪くなって自分たちに火の粉が降りかかることを恐れて、この言いがかりのような言葉を肯定するように頷く者さえ出てきた。
彼らの弱腰な態度に呆れる俺や麗華だったが、アルディリアは初めからそういう反応を示すことが分かっていたらしい。慌てることもなく、呆れることもなく、変わらず凛とした眼差しを向けたまま淡々と告げる。
「では、耀緋麗華嬢の鍛造武具を鍛えた鍛冶師に、事の真偽を問い質せばはっきりするな」
言葉の意味が一瞬分からなかったのか、ヨゼフは狐につままれたような『ポカン』とした間抜け面を浮かべたが、すぐに勝ち誇った表情に変わった。
「ふん! では早くその亜人の鍛冶師とやらを連れてくるがいい。もっとも、先に貴様が口にした言葉が本当ならば、翼竜街の翼竜人族が手放すことを嫌い、容易に外へ出すとは思えんがな。亜人の鍛冶師が響鎚の郷に来るまでは、ダンカンは郷の牢に投獄しておく。ただし、鍛冶総取締役の役職は剥奪する。たとえ疑いが晴れたとしても、響鎚の郷の鍛冶総取締役ともあろう者が、疑いを持たれること自体が罪。そのままにしておくわけにはいかんからな。亜人の鍛冶師が郷に着けば、改めて真偽を明確にするための評定を開いてやろう。だが、これだけは覚えておけ。評定の結果、裏切りの罪が明らかとなったときには、裏切り者は言うに及ばず、貴様にもそして亜人の鍛冶師にも罰を与える。その覚悟はあるの……」
明らかにヨゼフは、自分の思惑通りに評定を進め、邪魔をするなとアルディリアに脅しをかけてきた。なら――
「ここにいるんだがな!」
ヨゼフの話を遮るように、俺の声が広場に木霊した。
「…………」
広場に静寂が訪れる。俺は一歩踏み出し、壇上のヨゼフに対峙しているアルディリアの隣に並び、不遜な笑みを浮かべて睨みつけてやった。
俺の後ろには、紫慧とリヒャルトにリリス、さらにはサビオとアロウラまでもが立ち、ドワーフ氏族たちをその偉容で震え上がらせていた。
「ここにいる『俺』が、麗華の武具を鍛えた鍛冶師だよ! さっきから好き勝手なことを言ってくれていたが、確かめたいことがあるんだろ? 答えてやろうじゃないか。何を確かめたいんだ、言ってみろよ!!」
俺は、思いっ切りドスを利かせた声で、壇上にいるヨゼフに恫喝するように語りかける。すると、彼の虚勢が剥がれ、ヨロヨロと数歩後退った。そして、腰が砕けたように崩れ落ちそうになるのを、膝に両手をついてなんとか踏みとどまると、血走った目でトントを睨みつけた。
「トントォ! お前が翼竜街で目にした亜人の鍛冶師とは、コヤツのことか? どうなのだ、トント~ォ!?」
先程までの威厳をかなぐり捨てて、トントに声を荒らげるヨゼフ。だがトントの方は、俺が姿を見せた途端、目を大きく見開いたまま体を硬直させていた。石像のように突っ立ち、何も耳に入らないらしく、ヨゼフの問いかけに返答ができなかった。
そんなトントの様子に、ヨゼフは大きな溜め息とともに肩を落とすも――もう一度怒りを含んだ声で呼んだ。
「トント、しっかりせぬかぁ!!」
怒声を叩きつけられたことで、トントはようやく正気を取り戻したものの、俺に対する恐怖からか、声は震えている。
「はっはい、族長! そ、その者に間違いありません。翼竜街の武具鍛冶師スミス・シュミートの鍛冶場で鎚を振るい、俺たちの『響鎚の郷の鍛冶師』という矜持を木端微塵にした亜人の鍛冶師は……」
その言葉に、ヨゼフは愉悦に顔を歪ませて雄叫びを上げた。
「郷守衆、この者を捕らえよ! 我ら……天樹国に仇なす偽りの鍛冶師じゃ。捕らえて何者から鍛冶の技術を盗み取ったのか吐かせるのじゃ! 『飛蛾の火に入るが如し』とはまさにこのこと♪ これでハイエルフ氏族の方々もお喜びになられる。我らドワーフ氏族は、偽鍛冶師を捕らえて天樹国の懸念事項を解決した氏族として賞され、さらなる栄達が約束されるじゃろう!!」
「「「「「応~ぉ!!」」」」」
ヨゼフの雄叫びに呼応して、周囲で警護にあたっていた、鱗鎧や鎖鎧などを纏い、手に戦斧や戦鎚といった打撃武具を持つドワーフ氏族の男たちが、人々を手荒く掻き分け、俺たちを取り囲む。
彼らの中で、一際豪奢な、黄金に光る鱗鎧に、斧刃の側面に華美な装飾を施した半月形戦斧を持った男が、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて進み出た。
「コイツか? なんだ、トントの奴はこんな痩せっぽちの野郎に武具比べで負けたってのか。まあ、アイツは修業をサボって遊びほうけていて、誰からも一人前の鍛冶師とは認めてもらえない落伍者だからな。それにしても……オイ! お前、そんな華奢な体でよくも『鍛造鍛冶師』を名乗ったもんだな。そんな細腕じゃ、鎚をまともに振るうことだってできやしないんじゃねェか? まあいい、お前を捕らえて輝樹の郷に送りゃあ、族長の言うように響鎚の郷の栄誉になり、実際に捕縛した俺たちにだってたんまりと報奨金が貰えるだろうからな、悪く思うなよっ!」
言い終わると同時に、彼は半月形戦斧を俺の肩目がけて振り下ろしてきた。
――ガッキ!
俺は左手に持っていた太刀――焔を掲げて、それを難なく受け止めると、金ぴかドワーフ氏族に一瞬視線を向ける。
金ぴか男は、自分の戦斧が片手で受け止められたことが理解できなかったのか、ポカンと馬鹿面を浮かべていた。
そんな金ぴか馬鹿面ドワーフ氏族の半月形戦斧を払い飛ばすように焔を振れば、斧は男ごと飛んでいってしまった。そして彼は何名かの同輩を巻き込みながら地面に転がり、豪奢な黄金色の鱗鎧はところどころ凹みを作りつつ土塗れになっていた。
その様子を一瞥し、俺は視線をヨゼフへと戻す。
すると、それまで余裕の表情を浮かべていた他の郷守衆の顔から、笑みが消えた。戦場にいる戦士のような引き締まった表情に変わり、戦斧や戦鎚を構え、ジリジリと囲みを狭める。あと少しで一歩踏み込めば俺に武具の刃が届く『一足一刀の間合い』に入るか? というとき、彼らの機先を制するように、スッとリヒャルトが俺の前に立った。
「聞けぇい、響鎚の郷の者たちよ! これ以上、豊樹の郷の恩人に対して無礼な所業に及ぶのならば、穢呪の病より逃れた郷の者たちを受け入れてくれた響鎚の郷の者であっても、看過することはできぬ。ハイエルフ氏族が何を言っているのかは知らぬが、我が恩人に対して弓を引くというのであれば、豊樹の郷族長リヒャルト・アーウィン以下、ダークエルフ氏族がお相手いたす!!」
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