楽園の方舟~楽園1~

志賀雅基

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第51話

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 三週間が経ち、今日中に意識が戻ると告げられていた。

 だがじっと待ち続けるも目は未だ開かず、胸まで白いシーツに覆われている。まだ外せない様々なメカやチューブを装着された上半身は半分以上が新品で、肌の色もうっすらと違っていた。一ヶ月もすれば元通りになるという話だが、見ていて痛々しい。

 退院してからもずっとシドは、この無意味に豪華な部屋に昼夜関係なく居座りハイファを眺め続けていた。刺客からの護衛という建前の許、目覚めるのを待っているのだ。
 勿論、あれだけのワーカホリックだったのが嘘のように仕事も放擲している。

 工夫すれば専用工具の要らないハイファの銃を整備して身に帯びたまま、昼の病院食を三分でかき込んだシドはトレイを片付け、座面がゴブラン織りの椅子に前後逆に腰掛けると、またハイファを見つめ始めた。

 本当に目覚めるのか。五体満足に戻ったのも全て夢で自分も世界線の変更をした、『あの世』にシフトしただけじゃないのか。そんな風に考えるほど時間が経つのが遅い。何もかも病室とは思えない無意味に豪華な部屋が拙いのだろう。

 馬鹿馬鹿しいことに天井から下がっているのは小ぶりながらシャンデリアだ。ペールグリーンにピンクの小花模様の壁紙。リフレッシャ・トイレ・ダートレス付きは当たり前である。ベッド自体は診察・治療の都合があるので一般病棟と同じだが、シーツがシルクだの毛布もカシミヤだのと、今どき天然素材の豪奢な品だ。

 その柔らかな寝具に挟まり、シャンデリアの光の虹色を浴びたハイファは確かに美人ではあったが、毎日よくもこうして男の顔を飽かずに眺めているものだとシド自身も思う。
 だがハイファが意識を取り戻して最初に目にするのは自分でなければならない、他人にその権利を譲る訳にはいかない、何故かそう思って仕事すら放擲しているのだ。

 半日我慢した煙草を吸いに行こうかと思った時、ハイファの長いまつげが動いた。

 光に怯えるように何度もまぶたを震わせながら若草色の瞳が現れる。シドは慌てて椅子から立ち上がり、白い顔を覗き込んだ。

「おいっ! ハイファ、分かるか俺が?」
「……ん。シド、大丈夫だったんだね。良かった」

 掠れた小さな声だったが、ハイファは予想よりもはっきりと言葉を繰り出した。安堵でシドは膝が萎えるような感覚を味わいながらも、その唇が乾燥しきっているのに気付く。

「医者に了解は取ってある。水、要るか?」
「少し、だけ」

 急いでシドは作り付けの冷蔵庫から水のボトルを出して自分が口に含むと、ハイファに口づけて飲ませた。そっと流し込み終えると様子に変化がないかじっと窺う。
 ゆっくりとシドのいる側にハイファは訝しげな目を向けた。

「どういう風の吹き回し?」
「あんまり冷たいと躰が吃驚するだろ」
「じゃあ、もうひとくち貰おうかな」

 甘いおかわりを貰ってハイファは微笑んだ。花がほころぶように微笑み、やがて満開に咲き誇ってとうとう笑い出す。つられてシドもポーカーフェイスをやや崩した。

「何だよ、お前。いきなり元気だな」
「だって心臓が吃驚して……ああ、幸せ~っ!」
「幸せ、結構。だがな、お前本気で俺に命張りやがって。俺にそんなに優しくすんな」
「へえ。優しさだとでも思ってんの?」

 さらりと言ったハイファの若草色の瞳には、シドへの愛しさが溢れている。シドが無事だった安堵と、僅かに揶揄するような声。シドは溜息をついてハイファの金髪に手を伸ばした。顔に掛かった髪を指先で除けてやりながら溜息をつく。

「幾らなんでもそんな重いモン、寄越すんじゃねぇって言ってんだよ」
「ふふん、修行が足らないね。んで、それが言いたくて張り込みしてたの?」
「いや。ちょっと訊きたいことがあっただけだ。喋ってても平気なら教えてくれ」
「ん、それは大丈夫。でも訊きたいことって何?」
「前にさ、キール=アルトハイムにお前がリクエストした曲があっただろ。それでお前ら俺に内緒でひそひそやって……『ジュトゥヴ』とかいう曲だっけか?」

 悪戯っぽく微笑みながらハイファは答えた。

「ああ、あれ。刑事さんは記憶力がいいよね。Jeジュ teトゥ veuxって曲だよ」
「あの曲が頭から離れなくてさ。いったいどういう意味なんだ?」
「貴方が欲しい」
「って、いきなり何だあ?」
「『貴方が欲しい』って、そういう意味だって言ってんの」
「ふうん……じゃあ、やる」
「やるって、そんな……えっ?」

 いつものポーカーフェイスながら酷く真面目に発したシドの言葉に、ハイファは耳を疑ったようだった。微笑みを引っ込め、息まで詰めてじっとシドを見つめている。
 やがて恐る恐ると言った風に、押し殺したような声を出した。

「――何て言ったの、今?」
「だから、俺が欲しいんだろ。お前に、この俺をやる、そう言ったんだ」
「……」

 またもハイファが呼吸を止めていて、シドは慌てて言葉を継ぐ。

「あのさ、別にお前に貰った命だからその代償に、とかじゃねぇからな」
「じゃあ、どうして?」
「それは、アレだ。俺が、俺自身が、お前のことを……なんていうか、その……」
「好きなの?」
「気がついたら、な」
「愛してくれてるの?」

「ああ。たぶん……誰よりお前が大事だって思ったりして……この先、傍にいつでもいて笑ってて欲しいとか、お前のあったかい腕と声が……あああ、何言ってんだ俺は!」

「僕は男で、貴方は完全ストレートのオスだよ?」
「それがどうした。ってか、色々と考えはしたんだが……くそう、もう分からねぇよ!」
「やっぱり往生際が悪い」
「じゃあ、これしかねぇな――」

 ベッドに屈み込んだシドと未だ動けないハイファの唇が重なる。
 この部屋は一〇七二号室、キールの許嫁であるクリスティナ=エヴァンズが入院していた部屋だった。その恋人たちも今頃はこうしているのかも知れない。

「んっ、あっ……はぁん!」

 シドからのキスはハイファの体調を充分考慮した上でのものだったが、思うがままにならないハイファの躰は急激な血圧・脈の上昇を招いて、豪華な特別室はナースステーションから看護師が駆け付けてくるまでの短い楽園となった。


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