薔薇の檻~Barter.10~

志賀雅基

文字の大きさ
28 / 45

第28話

しおりを挟む
 ノックするなり返事を待たずに霧島はドアを引き開けた。
 するとそこに立っていたハーバートが諸手を挙げて見せる。奥側に蒼白となって口を引き結んだイヴがいた。

 イヴは二人を目にすると、手にしていた果物ナイフを投げ捨てて霧島に駆け寄り、その胸に飛び込む。霧島は落ち着かせるために身を震わせるイヴの肩を何度か叩いた。薄笑いを浮かべたハーバートに霧島は眉間に不愉快を溜めて低い声を出した。

「ふん、そういうことか。ハーバート、言い訳できるか?」
「僕は何もしていない」
「単に未遂だったというだけではないのか?」

 イヴにも不名誉になりかねない出来事である。なるべく声が洩れぬよう京哉はドアを後ろ手に閉めるとハーバートを睨んだ。霧島に宥められたイヴは震える手でブラウスの胸元のボウタイを結び直している。

 バディに負けない不機嫌さを滲ませた京哉は、自分より僅かに上背のあるハーバートに詰め寄り、超至近距離で片言英語を放った。

「最っ低の男の犯罪だからな」
「犯罪だなんて大袈裟な。ちゃんと意思表示されれば尊重したさ」
「何だと、イヴのせいにする気か? それこそ最低だぞ!」
「その、キミの英語は酷いね。映画で使い古されたスラングを覚えたのかい?」
「使い古されて汚いのが嫌なら新品の弾丸でもどうだ?」
「だめだ、京哉! 落ち着け!」

 目茶苦茶な単語の羅列でも意味は通じるもので、それ以上に京哉の本気度は霧島に通じたらしく抜き撃つ寸前に右腕を掴まれる。まさか京哉が本当に撃つ気だったとは知らないハーバードは暢気に諸手を挙げたまま突っ立っていた。

 誤魔化そうにも誤魔化しきれない空気の中、ようやくハーバートは曖昧な薄笑いで裂けたドアから去ろうとし、拙いことにお茶を持ってきたメリッサと鉢合わせする。

 足早に出て行ったハーバートを目で追い、ドアの裂け目を不思議そうに眺め、次に室内を見回したメリッサはことを悟ったらしく一人頷いたのち、ロウテーブルに三人分のお茶の支度をした。これで今日中にこの一件は皆に知れ渡ることになった訳だ。

 メリッサが下がると白い顔のイヴは悔しそうに唇を噛む。一方で霧島と京哉は半信半疑だった超能力などというものを目の当たりにして溜息をつきながら頭を振った。

「でもハーバートを吹き飛ばさなくて良かったですよね」
「全くだ。だが京哉、お前も沸点が低すぎるぞ」
「力で勝るからと驕って他者を意のままにする、そんな行いを僕は許せません。それでも僕は命まで取る気はありませんでしたよ、己の愚かさを一生忘れずいて貰う程度で済ませるつもりでしたから。まあ、生きていられるかはランスロット先生の腕にも依りますが」

 涼しく述べた相棒に霧島は冷や汗を拭いたくなる。

「お前まで勘弁してくれ。何れにせよあの男は命拾いをしたな。イヴ?」
「あんまり吃驚しすぎて……わたしが油断したのかも知れない」
「それはないですよ、あの手合いは何を言っても無駄なんですから。今度やったら本当に蜂の巣にしてやりますからね! てゆうか何で止めたんですか、忍さん!」
「お前が案外ジョークを言わないたちだと知っているからだ」
「なら余計に一発くらい撃たせてくれても――」

 自分よりも憤っている京哉に、イヴはやっと僅かな笑みを見せる。

「またやっちゃったわ。ハーバートに悟られたかしら?」
「それどころではなかっただろうし、おそらく大丈夫ではないのか。何にせよ他人に吹聴できる話ではない上、我々という証人までいる。奴が何を言おうが水掛け論だ」
「そうね。でも貴方たちがいてくれて助かったわ」

 やや顔色が戻ったイヴはゴドウィンに連絡してドアの修繕を命じたのち、少し淋しげに霧島と京哉を見つめた。
 初めて入った部屋を京哉は見回し霧島は姿勢良くソファに座って前を向いている。そうして三者三様に薔薇の香りの紅茶を愉しんでいた時だった。

「うわあーっ!」

 と、窓の外から男の絶叫が聞こえ三人は弾かれたように立ち上がってバルコニーに走り外を見る。芝生の地面に落下した大小幾つかの石の中に倒れているのはグリシャムだ。
 
 上を見ると三階のカードルームと覚しき部屋のバルコニーが一部崩れている。

「チッ、あそこの石は緩んでいたんだ。京哉、ランスロットに連絡!」
「はいっ!」
「イヴ、あんたはここにいろ!」

 駆け出しながら言ったがイヴは聞かず、霧島のあとを追ってきた。

 何処にいたのか現着は霧島たちよりもランスロット医師の方が早かった。霧島の顔を見るなりランスロットは首を横に振る。霧島はイヴがそれ以上近寄らないよう押し留めた。

 口を押さえたイヴが立ち竦んでいる間に、霧島は京哉と共にグリシャムの傍に寄ってみる。グリシャムは口の端から血を流し、茶色い目を見開いて絶命していた。
 
 明らかに首の骨が折れている。後頭部には落下した時にできたのであろう陥没した傷があった。頸骨が折れなくても、この傷なら助からなかったに違いない。

 だが霧島は石が緩んでいるのを警告しようと一度は思い、しかしフェイの一件で忘れていたのだ。悔やむに悔やみきれず歯軋りをする。そんな霧島の心の揺れを感じ取って京哉はより霧島に近づくと腕同士を触れ合わせた。

 体温に宥められて霧島の気持ちがフラットさを取り戻してゆく。今は終わったことを悔やんでいる時ではない。

「忍さん、平気ですか?」
「大丈夫だ、問題ない。すまんな」

 イヴが連絡したのだろう。数分もしないうちにゴドウィンの巨体が駆け付け、叫び声を聞いてのことか、メリッサやハーバート、エルバートにアーネスト老、黒猫のヴィンセントまでが集まってきた。皆、怖々と遠巻きに眺めている。

 グリシャムに近づいたのは黒猫のヴィンセントだけだ。霧島の足に絡みついたヴィンセントは結局腕を登って肩に乗る。場違いにも肩に黒猫を乗せたまま、霧島はランスロット医師を見た。

「あんたはどう見る、事故か?」
「だろうな」

 短く答えたランスロット医師は三階のバルコニーを振り仰いで言った。

「そうそう殺人なんかあって堪るか。だが、いったい何の時計が動き出したんだ?」

 医師の呟きはここで百年一日の如き暮らしを続けてきた面々にとって、的確過ぎる言い回しだったに違いない。そんな彼らとハーバートを置いて黒猫のヴィンセントにも降りて頂き、霧島は京哉と共に城内に戻ると階段を駆け上がった。

 三階のカードルームのドアを開ける。当然ながらバルコニーの窓は開いていた。

「忍さん、出ない方がいいですよ。床も崩れるかも」
「ああ、そうだな」

 手すりと柵を形作った石組みが丁度人がすり抜けられるくらい崩れている。この隙間から落下したらしかった。斜めに凭れて体重を掛けたのだろうと思われた。

「あっ、ここ見て下さい、忍さん」
「何か見つけたか?」

 崩れぬことを祈りつつ、そっとバルコニーに出て屈む。

 SATの現役スナイパーで抜群に視力の良い京哉が見つけた、黒っぽい石の床に黒く付着した僅か数ミリの染みだった。霧島が指先で擦ると乾き切っていない染みは指に粘り気を感じる。指の腹に微かだが赤いものがついていた。

 異様に嗅覚の敏感な京哉に指を差し出してみる。

「んー、鉄錆び臭いです」
「血、だな」
「ここで転んで勢いがついて落っこちた……なんてことに普通なりますかね?」

 黙った霧島も器用すぎるシチュエーションを口にした京哉も同じ事を考えていた。

 カードルームを出てライフルなどが飾ってあるホビールームに行ってみると手入れも途中のライフルがソファに立て掛けられていた。
 食堂で見覚えたグリシャムが持ち出した得物に間違いなかった。手入れの途中で想定外の事態に直面したのだろう。

「あのう、言った方がいいんでしょうか?」
「グリシャムが殴り殺されて突き落とされたという事実をか?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...