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第11話

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「本気で草木も生えないってことですかね?」
「資料に依れば食料自給率は六パーセントだ、まだ少しは生えるんじゃないか?」
「こういう過酷な環境に耐えられるハイブリッド種とか?」
「それとも巨大温室かも知れん」

 喋っている間に大通りに出た。大通りではあるが相変わらずの薄暗さに周囲は高層建築の林立で、京哉はキノコの株の根元に紛れ込んだような気がした。

「もうこのままチェックインするんですよね?」
「ああ。あとで雨が上がってから外回りに出掛けよう」

 だがいつの間にか交通量が多くなりタクシーは殆ど進まなくなっていて、ドライバーによるとこの先のオフィス街に出勤する人々の通勤ラッシュのラストスパートらしかった。
 しかし本格的なオフィス街に突入する手前にホテルはあった。タクシーは車寄せに滑り込み停止する。料金を支払うとドアマンにドアを開けられた。

 かなりの高級ホテルである。
 ガラスの回転ドアに金文字で書かれた英語を京哉は何とか読み取った。

「レキシントンホテルって白藤市内にもチェーンがある、あれでしょうか?」
「そのようだな。ここにもチェーン展開していたのか」
「こんな高級ホテルに泊まってもいいんですか?」
「誰も文句は言わん。たまにはこういう恩恵に与ってもいいだろう」

 伝統ある耐乏官品の京哉はまだ僅かにためらいがあったが、雨に濡れた肌を早く洗い流したくて涼しい表情の霧島に倣い、レキシントンホテルの回転ドアをくぐった。

 中に入ると右側にロビー、左側にフロントがあった。国際的にも有数のチェーン展開を誇るレキシントンはドレスコードがないギリギリのランクである。
 ロビーは天井に凝ったシャンデリアが下がり、壁には当代の有名作家のシルクスクリーンが掛かって、足元は磨き込まれた淡いパープルの天然石材、置かれたソファは本革張りという豪華さだった。

 ロビーの向こうは宿泊者でなくとも利用可能なレストランと喫茶店になっている。だが何よりもエアコンの清浄な空気にヘドロ臭さがないのが京哉には有難かった。

 フロントで口を利くのは当然ながら霧島の仕事である。

「喫煙でダブル一室、空いていたら頼む」

 ダブルなる単語に照れてしまい、京哉は目を逸らしてしまうのを止められない。

「かしこまりました。十七階の一七〇二号室で、こちらがカードキィになります」

 ショルダーバッグを受け取ろうとしたポーターには案内だけ頼み、エレベーターホールに向かう。エレベーターに乗り廊下を辿ると、一七〇二号室のドアを開けてくれたポーターに霧島がチップを渡した。笑顔のポーターを見送って二人は部屋に足を踏み入れる。

 予想を裏切らず、そこは高級感のある部屋だった。

 ペールブルーにエンボスで小花を浮き上がらせた壁紙と天井。敷かれた毛足の短い絨毯は紺色から空色のグラデーションだ。ソファセットやクローゼットにナイトテーブルなどの調度は明るいブラウンで統一されている。
 フリースペースも広く、紺色のシルクサテンのカバーが掛かったベッドの向こうには、洗面所と小容量の洗濯乾燥機もあった。洗面所の左右のドアはトイレとバスルームだ。 

「外は雨でもここは晴れてるみたいですね」
「やっと昼間という実感が湧いてきたな」

 二人はレインコートをバスルームに干すと、まずは洗面所で雨に濡れた手と顔をザブザブと洗い流した。そうして座面が青を基調としたゴブラン織りのソファに落ち着くとTVを点けてみる。ニュースの気象情報を見て京哉は溜息を洩らした。

「今日一日ずっと雨、明日も午後から雨みたいです。一週間、殆ど雨マークですよ」
「もしかしてこれは梅雨、いや、雨季というヤツではないのか?」
「ああ、そうかも。じゃあ諦めて傘を差すしかないのかな。で、どうします?」

 丸投げ状態で訊かれてもノープランの霧島は、取り敢えずショルダーバッグから資料ファイルを出してみる。京哉は煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。

「そうだな……この資料を読んでお前は何か気が付いたか?」
「貴方がそう言うってことは忍さん、何かに気付いたんですね?」

 咥え煙草で器用に喋りながら京哉は立つと電気ポットの湯が沸いているのを確認してサーヴィスに置かれていたドリップ式のコーヒーを淹れ、カップを霧島に手渡す。霧島はそれをひとくち飲んでから資料のページをパラパラと捲って指差した。

「お前が飛行機の中で言っていた『マル害から絞り込み』だ」
「マル害に共通点があったんですか?」

「一応な。社長が殺されたスズモト製鋼株式会社。会長が殺された西山化学工業に同じく会長が殺されたトキノ油化工業。専務が殺された外資系のディン資源公司に同じく専務が殺されたビクトリア資源開発工業の日本支社。これらは殆どが製造業だ。それも化学系に手を広げている。あとは資源開発関係か、それを扱う総合商社だ」

「それくらいは僕にも分かりますよ。他には?」
「考えてみれば霧島カンパニーも同じだったから気付いたんだが、これらの企業は全てシンハ国内にも支社を置いている。あとひとつ、これらの企業トップは全員エネルギー財団の幹部会員なんだ」

「エネルギー財団?」
「資源開発関係の企業トップが集まって茶を飲む、ヒマ人の国際的な寄り合いだ」

 酷い説明で京哉はますます分からなくなったが、それはさておき話を先に進める。

「なら今後もエネルギー財団員が殺される可能性は否定できませんよね」
「そうだな。私が思いつく線はそのくらいだ」
「でもすごい、あっという間に今まで見えなかった共通点を発見しちゃうなんて。それにエネルギー財団なんてよく思い出しましたね。それも霧島カンパニーの帝王学ですか?」

「いや、じつはトランジットの間に検索しただけだ。それにこのシンハに霧島カンパニーの支社があることも知らなかったくらいだからな」
「そうですか。けど一歩前進しましたよね」

 だがそこから先に進めず何となくTVニュースに目を向ける。早口の英語に耳をすませ映像を眺めていると『スズモト』などという単語が出てきて霧島を見る。

「二日前だがスズモト製鋼のシンハ支社長が殺されたそうだ。おまけにトキノ油化工業とビクトリア資源開発の支社長もここ一週間で続けざまにられているらしい。それも殆どの件でアッパー系薬物を摂取していると思しきマル被が挙がっている」

「ってことは、もしかして……」
「そう、霧島カンパニーのシンハ支社も狙われる可能性が大だということだ」

 顔を上げた京哉に、霧島は灰色の目で頷いて見せる。

「やれることが見つかったようだな」
「霧島カンパニーのシンハ支社長に張り付くんですね?」
「ああ。ということで京哉、霧島カンパニー会長にメールで依頼してくれ」

「僕が御前にですか? 御前は貴方の父上でしょう、貴方が連絡すればいいのに」
「嫌だ。あのクソ親父とは今後二度と関わらんと私は決めたんだ。それに私があの親父に借りなど作ってみろ、バーターとして何を要求されるか分からんぞ?」

 自分の生母を愛人とした上に、あの手この手で霧島を本社社長に据えようと画策してくる父親を霧島は毛嫌いしていた。京哉の方が御前と呼び親しむほど気が合うのだ。

「うーん、確かにそれは言えるかも。じゃあ僕からメールを送りますからね」

 携帯操作を始めた京哉を暫し眺めたのちに霧島はTVニュース画面に目を移した。日本でもこのシンハでも殆どの案件でホシは挙がっている。だが全てバラバラの単独犯に思えた。だが何処かで繋がっている筈なのだ。それを追えば必ず謎の薬物に辿り着くだろう。

 だが本ボシの狙いが分からない。企業トップをるだけならテロ的思想として分からないでもないが、そこに日本の議員が紛れ込んだことで動機を不明瞭にしている。

 そこでやっと霧島は衆議院議員・平塚吾朗と県会議員の坂下俊夫に参議院議員・沢村忠治の経歴を真剣に読み始めた。熱中してふと顔を上げると京哉がにっこり笑う。 

「明日から霧島カンパニーのシンハ支社長・ベネット=ホンダ氏を張り込み、OKです。その代わりに貴方は本社代表取締役専務という役どころですからね」 
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