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第28話

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 ショッピングセンタービルの屋上にヘリを駐めさせたレイフは、京哉を促してエレベーターに乗った。レイフは相変わらず顔色を真っ白にした京哉を見下ろす。あれからひとことも口を利かない京哉と一階に下り、外に出てタクシーを捕まえた。

 雨の中タクシーを走らせて隠れ家の近く、霧島と京哉が泊まっていた小さなホテルの前でタクシーを止めた。料金精算している間に黙って京哉は降り、ホテルの中へと一旦消える。
 部屋からショルダーバッグと二人分のコートを持ち出した京哉はチェックアウトをして出てきた。ロビーで待っていたレイフは京哉と共に徒歩で隠れ家に向かう。

 途中のコンビニでレイフは買い物をしてから隠れ家に戻った。

 ドアロックをして買い物袋をデスクに置くと、ネイビーのジャンパーを脱いでショルダーホルスタを外す。その間、京哉はずっと倒れそうな顔色をしたまま突っ立っていた。

「手当てする。この前の礼だ」

 それでも部屋の真ん中で動こうとしない京哉にレイフは溜息をつく。仕方なく京哉のスーツのジャケットに手を掛けた。その手を京哉は払い除ける。レイフを見上げて睨んだ。

「自分で脱げます」
「是非ともそうしてくれ。男を脱がせる趣味はないからな」

 風穴が空いて血の滲んだジャケットを脱ぎ、ショルダーホルスタを外すとタイを解いて血の染みが広がったドレスシャツの前を開く。脇腹からはまだ出血していた。

「二発食らってるな。だが幸い掠り傷だ」

 タオルでレイフは京哉の傷の周辺を拭う。京哉自身が買ってきた消毒薬を二ヶ所の銃創にぶっかけ、乾いてから抗生物質入りの傷薬を防水ガーゼに塗って貼り付けた。

 今度は京哉がレイフの被弾した左肘を無言で治療する。

「シャワーを浴びてこい。この国の雨に慣れていない奴がいつまでも濡れていると肌をやられるからな。洗濯乾燥機も適当に使っていい」

 何とか英語を理解した京哉はショルダーバッグを抱えてバスルームに消える。無表情で返事もせず動作も緩慢な様子は、ただ言われた通りに機械的に動いているらしかった。

 買い物袋からレイフは当面の食料を出してデスクに並べ、一部は冷蔵庫にしまう。そうしてデスクの引き出しから弾薬の紙箱を取り出し、グロックのマガジンに装填し始めた。実際、どうしていいかレイフにも判断がつきかねていた。

(フランセルとグラチェフのトップを殺す、それで俺は納得できるか……?)

 グリーンディフェンダーのエージェントを消し続ければ、何れは黒幕が姿を現すだろうと思っていた。それをこの手で殺すことだけを望んできた。だが開けてみれば違法な人体実験に、まさかの某大国の軍だ。

 殺して有耶無耶にしてしまってはならない。そう、刑事だった己の心が叫ぶ。

 デスク上のフォトスタンドを手に取った。微笑んだ自分と、寄り添って満開の、幸せでいっぱいの笑顔のエメリナ。

(悔しいだろう、エメリナ。奴らを地獄に叩き落とすつもりだった。だが俺は――)

 気配に目を上げると京哉がバスルームから出てきたところだった。古い洗濯乾燥機が低い音を立てている。京哉は白いドレスシャツに濃いブラウンのスラックスを身に着けていた。部屋に入ってくると、また途方に暮れたように立ち尽くした。

「座って食わないか?」

 デスクの上のサンドウィッチを目で指したが、京哉はそれには応えず、レイフの手にしたフォトスタンドをじっと見つめていた。溜息をついて京哉に訊く。

「県警本部長とやらには連絡したのか?」

 黙って頷いた京哉はショルダーバッグから九ミリパラの紙箱を出して、シグ・ザウエルP226とスペアマガジンに装填すると、今度は入れ違いに携帯を出して翻訳アプリを立ち上げた。それで何とか互いに込み入った話も通じるようになる。

「返答は?」
「まだこない。でも県警は忍さんを助けるために動けるような組織じゃないから」
「そうか。だが今は待て。たった今、ここで焦ってもいいことはない」

「それ、エメリナ=オドンネルさんですよね。レイフはそれから刻が動かないって言ってたっけ。僕も……僕は、忍さんが傍にいないと息の仕方まで忘れたみたい……」

「ただのバディじゃないんだな」
「一生、どんなものでも一緒に見てゆくって誓った。なのに忍さんだけあんな所に」

 事実、霧島があそこで警備員を引き付けなければ、脱出は困難な状況だった。

 だが京哉は元スナイパーで政府要人とも関わりがあった。ときに政府、その思惑を受けた軍などというものが、どんなに残酷になるのかも知っているのだ。

「何であんな所に一人だけ置いてきちゃったんだろう?」

 フォトスタンドをデスクに戻したレイフは立ち上がり、声を出さず、涙も見せずに慟哭する京哉の頭を思わず抱き締めていた。シャワーを浴びたばかりだというのに、細い躰は冷え切っていた。真上から黒髪を見下ろしそっと撫でると、指先が背に回されるのを感じる。

 互いに何より大事な者を想いながら、目前にいないそれらを投影し抱き締め合った。

(エメリナ。俺はこいつに、いや、誰にも、もう俺と同じ思いはさせたくない)

 腕の中で震える京哉は今この時も、生死すら分からぬ霧島を想って戦っているのだ。
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