32 / 51
第32話
しおりを挟む
若い医師は映し出したレントゲン撮影結果を指差して説明を始める。
「肩を脱臼するとこの関節唇という軟骨が損傷して、再脱臼しやすくなりますので今後は気を付けて下さい。それとここ上腕骨骨頭を剥離骨折、大結節を骨折してます。おまけに左第四、第五肋骨にもヒビが入ってます。満身創痍ですね、はっはっは」
朗らかに笑う医師の前で、京哉がキリキリと目を吊り上げた。
「忍さんっ! いったい何処が大丈夫なんですか!」
「大したことはないから、騒ぐな」
「そんな貴方、大怪我じゃないですか!」
「いいから先に話を聞け」
笑いを収めた若い医師は二人のやり取りを暫し眺めたのちに再び口を開く。
「入院してここで一ヶ月ほど日光浴でもしてたらどうですか?」
「入院させて下さい」
「断る。そんなにヒマではない」
舌戦は決着がつかなかったが、取り敢えず今晩は脱臼した左肩だけ固定する方向でまとまった。アバラのヒビは固定帯でも巻いて放置するしかないということで、そちらは帰国してから病院にかかるよう医師から念を押される。
あとは火傷と全身の打撲に消炎剤のスプレーを吹き付けられ、様々な注意事項を聞かされ、左腕をアームホルダーで吊られて、この場は釈放となった。
医務室を出ると廊下で瑞樹と女性局員が待っていた。
「来訪者専用ルームのキィをお渡しします」
そのために待っていたらしい女性局員に恐縮しながら二人はキィを受け取る。女性局員は瑞樹に声を掛け、手を握ってから姿勢良く去った。
来訪者の部屋は全て最上階の二十二階となっている。三人はエレベーターで上がると静かな廊下を歩いた。三人とも一人部屋で、瑞樹、霧島、京哉の順にキィロックを外す。
霧島は京哉のショルダーバッグから出した着替えを右腕に抱え、アームホルダーで吊られた動かしづらい左手でノブを回し、自分に割り当てられた部屋に入った。
京哉の監視がなくなった途端、アームホルダーを首から外す。肩を固定するためのものなので、左腕は単に吊るだけでなく曲げた肘から下を腹に巻いたベルトにくっつけた状態なのだ。非常に鬱陶しい。
だからといって外していたら良くないことが起こると云われた気もするが、京哉の前でしていればそれでいいだろうと思っている。
室内はシングルベッドにロッカー、鍵の掛かるキャビネットにデスクと椅子でいっぱいだった。奥に洗面所と洗濯乾燥機があり、その左右のドアがバスルームとトイレだろう。フリースペースの殆どないビジネスホテルのようなシングルルームだ。
まずは肩に掛けていたジャケットを脱いでショルダーホルスタを外す。
服を脱ぎ洗濯乾燥機に放り込みスイッチを入れたのちにシャワーを浴び、備え付けのバスタオルで拭い清潔な衣服を身に着けると少し疲れも和らいだ気がした。目も覚める。
ベッドに仰向けに寝転がっていると洗濯乾燥機が止まった。ショルダーホルスタを装着して乾燥機から引っ張り出した衣服を畳んでしまうと準備完了だ。
何の準備かといえば隣室に行く準備である。京哉を独りで寝かせる気など毛頭ない霧島である。何故なら京哉には腕枕、自分には抱き枕が安眠の必需品なのだ。
さっさと部屋を出て廊下に出た。そこで瑞樹と出くわす。
「瑞樹、お前何をしているんだ?」
色の薄い瞳を覗き込むと瑞樹は眩しそうに霧島を見上げた。シャワーを浴びたのかラフな長袖のTシャツとカーゴパンツで長い赤毛は解かれている。
髪が伸びてはいたがその格好は付き合っていた頃そのままで、霧島は鮮明すぎる記憶を脳裏に甦らせた。何気なく交わした会話、観に行った映画の科白、流行っていた歌のフレーズ、果ては当時追っていた事件に至るまで、ありとあらゆる数ヶ月間が去来して――。
「――瑞樹、ありがとうな」
眩しそうだった瑞樹の表情が泣き笑いになる。
「いきなり何それ……霧島さん、貴方って本当に変わらないね」
「そう簡単に変われん。そんな格好で出歩いていると風邪を引くぞ。部屋に戻れ」
「ん。ありがとう、霧島さん」
隣のドアまで数メートルを送ってやり、ロックが掛かるのを確認した。踵を返して京哉の部屋のドアをノックする。開けてくれた京哉はドレスシャツに下着姿で煙草を吸っていたようだが、衣服を抱えた霧島を見るなり叫んだ。
「何で貴方は肩、固定してないんですか!」
すっかり忘れていた霧島は首を竦めた。忘れすぎて腕枕などと思っていたのだから我ながら笑える。怒られて笑う年上の男に京哉は呆れ顔だ。
「笑い事じゃないでしょう! ったく、もう。それに瑞樹は?」
「何故そこで瑞樹が出てくるんだ?」
黙って指差した先にはキャビネットに二本、汗をかいた缶コーヒーがあった。つまりは廊下の自動販売機に行った際、霧島の部屋の前にいる瑞樹を見たのだろう。
脱いだスーツのジャケットを椅子の背に掛けながら霧島は頷き報告した。
「部屋に帰したぞ。こんな所では男女関係なく一人は危ないからな」
「一人にしなきゃいいじゃないですか」
「冗談に聞こえるうちに止めてくれ」
「何でですか? あんな目に遭ったんですよ、抱いてあげればいいのに」
「……京哉」
「嫌いで別れたんじゃないんでしょう、なら傷を舐めてあげるくらいしたって――」
「京哉!」
大声だけでなく左手でドレスシャツの胸元を掴み上げられて、京哉は口を閉じた。
「何故、私がお前以外の誰かを抱かなければならない? 傷があるなら舐めてやりたい人間はお前だけ、他の誰でもない、京哉、私にはお前だけしかいないんだ!」
本気の怒りを抑えに抑えた低い声にまず驚き、次に京哉は襟元を掴んで揺さぶる愛し人の肩と胸とを心配しつつ遠慮がちに言ってみる。
「瑞樹は忍さんのこと、間違いなく好きですよ?」
「それがどうした、私には関係ない」
半ば躰を持ち上げられて耳許に囁かれ、京哉はぞくりと身を震わせた。超至近距離で見つめる灰色の目はこれ以上なく真剣でありながらも堪らない色気を湛えている。
ふいにまた肩と胸のことを思い出し、京哉は自分から霧島に抱きついた。ドレスシャツの下で息づく逞しい躰を優しく包み込むように腕を回す。
「すみません。本当に僕、嫌いで別れたんじゃないならって思い込んじゃって……」
「余計なことに気を回すんじゃない」
「本当に……本当に余計なことですか?」
「ああ。私はお前がいい。誰よりもお前がいいんだ」
「そっか、すみません。でも僕は何度聞いても不安になっちゃいますよ?」
「何度でも訊けばいい。そのたびに分からせてやるから」
「肩を脱臼するとこの関節唇という軟骨が損傷して、再脱臼しやすくなりますので今後は気を付けて下さい。それとここ上腕骨骨頭を剥離骨折、大結節を骨折してます。おまけに左第四、第五肋骨にもヒビが入ってます。満身創痍ですね、はっはっは」
朗らかに笑う医師の前で、京哉がキリキリと目を吊り上げた。
「忍さんっ! いったい何処が大丈夫なんですか!」
「大したことはないから、騒ぐな」
「そんな貴方、大怪我じゃないですか!」
「いいから先に話を聞け」
笑いを収めた若い医師は二人のやり取りを暫し眺めたのちに再び口を開く。
「入院してここで一ヶ月ほど日光浴でもしてたらどうですか?」
「入院させて下さい」
「断る。そんなにヒマではない」
舌戦は決着がつかなかったが、取り敢えず今晩は脱臼した左肩だけ固定する方向でまとまった。アバラのヒビは固定帯でも巻いて放置するしかないということで、そちらは帰国してから病院にかかるよう医師から念を押される。
あとは火傷と全身の打撲に消炎剤のスプレーを吹き付けられ、様々な注意事項を聞かされ、左腕をアームホルダーで吊られて、この場は釈放となった。
医務室を出ると廊下で瑞樹と女性局員が待っていた。
「来訪者専用ルームのキィをお渡しします」
そのために待っていたらしい女性局員に恐縮しながら二人はキィを受け取る。女性局員は瑞樹に声を掛け、手を握ってから姿勢良く去った。
来訪者の部屋は全て最上階の二十二階となっている。三人はエレベーターで上がると静かな廊下を歩いた。三人とも一人部屋で、瑞樹、霧島、京哉の順にキィロックを外す。
霧島は京哉のショルダーバッグから出した着替えを右腕に抱え、アームホルダーで吊られた動かしづらい左手でノブを回し、自分に割り当てられた部屋に入った。
京哉の監視がなくなった途端、アームホルダーを首から外す。肩を固定するためのものなので、左腕は単に吊るだけでなく曲げた肘から下を腹に巻いたベルトにくっつけた状態なのだ。非常に鬱陶しい。
だからといって外していたら良くないことが起こると云われた気もするが、京哉の前でしていればそれでいいだろうと思っている。
室内はシングルベッドにロッカー、鍵の掛かるキャビネットにデスクと椅子でいっぱいだった。奥に洗面所と洗濯乾燥機があり、その左右のドアがバスルームとトイレだろう。フリースペースの殆どないビジネスホテルのようなシングルルームだ。
まずは肩に掛けていたジャケットを脱いでショルダーホルスタを外す。
服を脱ぎ洗濯乾燥機に放り込みスイッチを入れたのちにシャワーを浴び、備え付けのバスタオルで拭い清潔な衣服を身に着けると少し疲れも和らいだ気がした。目も覚める。
ベッドに仰向けに寝転がっていると洗濯乾燥機が止まった。ショルダーホルスタを装着して乾燥機から引っ張り出した衣服を畳んでしまうと準備完了だ。
何の準備かといえば隣室に行く準備である。京哉を独りで寝かせる気など毛頭ない霧島である。何故なら京哉には腕枕、自分には抱き枕が安眠の必需品なのだ。
さっさと部屋を出て廊下に出た。そこで瑞樹と出くわす。
「瑞樹、お前何をしているんだ?」
色の薄い瞳を覗き込むと瑞樹は眩しそうに霧島を見上げた。シャワーを浴びたのかラフな長袖のTシャツとカーゴパンツで長い赤毛は解かれている。
髪が伸びてはいたがその格好は付き合っていた頃そのままで、霧島は鮮明すぎる記憶を脳裏に甦らせた。何気なく交わした会話、観に行った映画の科白、流行っていた歌のフレーズ、果ては当時追っていた事件に至るまで、ありとあらゆる数ヶ月間が去来して――。
「――瑞樹、ありがとうな」
眩しそうだった瑞樹の表情が泣き笑いになる。
「いきなり何それ……霧島さん、貴方って本当に変わらないね」
「そう簡単に変われん。そんな格好で出歩いていると風邪を引くぞ。部屋に戻れ」
「ん。ありがとう、霧島さん」
隣のドアまで数メートルを送ってやり、ロックが掛かるのを確認した。踵を返して京哉の部屋のドアをノックする。開けてくれた京哉はドレスシャツに下着姿で煙草を吸っていたようだが、衣服を抱えた霧島を見るなり叫んだ。
「何で貴方は肩、固定してないんですか!」
すっかり忘れていた霧島は首を竦めた。忘れすぎて腕枕などと思っていたのだから我ながら笑える。怒られて笑う年上の男に京哉は呆れ顔だ。
「笑い事じゃないでしょう! ったく、もう。それに瑞樹は?」
「何故そこで瑞樹が出てくるんだ?」
黙って指差した先にはキャビネットに二本、汗をかいた缶コーヒーがあった。つまりは廊下の自動販売機に行った際、霧島の部屋の前にいる瑞樹を見たのだろう。
脱いだスーツのジャケットを椅子の背に掛けながら霧島は頷き報告した。
「部屋に帰したぞ。こんな所では男女関係なく一人は危ないからな」
「一人にしなきゃいいじゃないですか」
「冗談に聞こえるうちに止めてくれ」
「何でですか? あんな目に遭ったんですよ、抱いてあげればいいのに」
「……京哉」
「嫌いで別れたんじゃないんでしょう、なら傷を舐めてあげるくらいしたって――」
「京哉!」
大声だけでなく左手でドレスシャツの胸元を掴み上げられて、京哉は口を閉じた。
「何故、私がお前以外の誰かを抱かなければならない? 傷があるなら舐めてやりたい人間はお前だけ、他の誰でもない、京哉、私にはお前だけしかいないんだ!」
本気の怒りを抑えに抑えた低い声にまず驚き、次に京哉は襟元を掴んで揺さぶる愛し人の肩と胸とを心配しつつ遠慮がちに言ってみる。
「瑞樹は忍さんのこと、間違いなく好きですよ?」
「それがどうした、私には関係ない」
半ば躰を持ち上げられて耳許に囁かれ、京哉はぞくりと身を震わせた。超至近距離で見つめる灰色の目はこれ以上なく真剣でありながらも堪らない色気を湛えている。
ふいにまた肩と胸のことを思い出し、京哉は自分から霧島に抱きついた。ドレスシャツの下で息づく逞しい躰を優しく包み込むように腕を回す。
「すみません。本当に僕、嫌いで別れたんじゃないならって思い込んじゃって……」
「余計なことに気を回すんじゃない」
「本当に……本当に余計なことですか?」
「ああ。私はお前がいい。誰よりもお前がいいんだ」
「そっか、すみません。でも僕は何度聞いても不安になっちゃいますよ?」
「何度でも訊けばいい。そのたびに分からせてやるから」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる