forget me not~Barter.19~

志賀雅基

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第48話

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 みしみし軋む床板を気にしながら三人は廊下を辿る。
 間遠に灯った蛍光灯を頼りに案外あっさりと目的の部屋に着いたと思えば、そこは電脳世界で二人がウィザードと対峙したコンピュータルームだった。
 今は『Management room』となっている。

「この中で間違いないのか?」
「ああ。では俺が露払いになるとしようか」
「相手は超能力者並みの催眠術師だぞ、分かっているのか?」
「分かってるさ。銃もほら、持っている」

 作業服の懐から出したのは公開自殺でも使われたジュニア・コルトだ。

「弾丸よりも催眠術は遅いなどとタカを括っていると、とんでもない目に遭うぞ」
「ですよね、僕らもとんでもない目に遭ったし」
「じつは俺はひとつ嘘をついた。俺が所属していたのは海兵隊じゃない」
「それがどうした?」

「俺のいた組織では対・催眠術の訓練もあってな、俺はそれで最優秀賞を受賞した」
「貴様、最初から敵が催眠術師だと知って……くそう! それで自衛隊員が一人殺されたんだぞ! 貴様の組織は極東のエージェントの命くらいどうでもいいのか!」

 唸った霧島の切れ長の目が怒りを溜めて煌めくのを京哉は見逃さず、サムソンから離れた。とばっちりも返り血もご免である。サムソンも慌て気味に言い訳に走った。

「いや、聞いてくれ。俺は何も知らなかった、もう組織を辞めたつもりだったんだ」
「言い訳はいいから、行け。武士の情けで骨は拾ってやるから、あっさり死ね」

 嫌な顔をしてサムソンはドアに向かう。ここのドアはチャチな合板製で作られた引き戸でキィロックできるような鍵穴もついていない。だがサムソンが取っ手を握って無造作にスライドしたが開かなかった。何かがドアの内側に引っ掛かっている。
 ガタガタする訳にもいかず隙間を覗くと、どうやら掛け金が掛かっているらしかった。

「なるほど、そうきたか」

 呟いた霧島はサムソンと京哉にじっと見られ、ムッとしつつシグを構えた。

「うーん、やっぱりこうなるんですね」

 しみじみした京哉の呟きと同時に霧島が九ミリパラ二発でドアの一部ごと掛け金を吹き飛ばした。なりゆき上、先頭の霧島がドアをスライドさせ真っ先に室内へと飛び込む。次に京哉が、最後にサムソンが続いた。三人は室内の人物に銃口を向ける。

 小ぢんまりとした室内は事務室らしく、奥にデスクが三つ突き合わせて並べられていた。壁も真っ白などではなく木目、床も廊下に引き続いて板張りである。全体的に古臭く建材の木材は飴色をしていた。デスクのこちら側では赤々とストーブが焚かれている。

 そしてストーブの傍には仰向けに寝ているウィザードらしい老婆のように縮んだ青いワンピースの少女と、少女を看る金髪男、立ち尽くしている瑞樹の姿があった。
 そこまでを一瞬で映像記憶として見取った京哉の傍で霧島が日本語で大喝した。

「全員動くな!」

 銃をこちらに向けているのはサファリジャケットを着た瑞樹だった。その色の薄い瞳の瞳孔は開いている。顔つきも不自然に引き攣っているようで、不規則な吐息を繰り返していた。瑞樹はどうやら催眠術に嵌っているらしいと霧島は見取る。

 一方で金髪の催眠術師は燃えるようなアンバーの目でこちらを睨みつけていた。だがサムソンをまともに見据えた挙げ句、催眠術が効かないことに気付いたか表情が驚愕に彩られる。余程自分の技に自信があったのだろう。

 しかし状況を瞬時に察した某国のエージェントは攻め方を変えてきた。既に手駒にしていた瑞樹に有無を言わさぬ口調で命令したのだ。

「瑞樹、そいつを撃て! 殺せ!」
「だめ、やめて……できない……嫌だっ!」

 悲痛な叫びと裏腹にトリガが引かれた。咄嗟に霧島はサムソンを突き飛ばし精確な照準をさせないために威嚇発砲している。二射目を放たれる前に京哉も撃っていた。瑞樹の手から銃が部品を撒き散らしながら弾け飛ぶ。

 けれど次には金髪の催眠術師が赤毛の側頭部にハンドガンの銃口を当てていた。黒いコートの片腕はしっかりと瑞樹の首に巻きつけられ、催眠術師の躰は殆どが瑞樹の身で隠されている。これでは狙い所がない。
 催眠術師は長身なので京哉はスナイパー思考で脳幹を狙おうと思ったが、博打に失敗して霧島と撃ち合いは止したかった。

 そこまでが室内に霧島たちが飛び込んでから五秒ほどの出来事だった。

 腕を真っ直ぐに伸ばして銃を構えた霧島と京哉は暫し催眠術師と睨み合った。だがそのアンバーの目は見ない。まともに見れば術中に嵌るのは確実だった。
 瑞樹は解けた髪を振り乱すようにして泣いている。

 緊張に耐えられなくなったのは催眠術師で、余裕がなくなった口調で叫んだ。

「銃を置け、捨てろ! その男を部屋から出してお前らも出ろ! さっさとしろ!」

 言うことを聞く気は京哉には欠片もなかった。大体、一度に大量の命令や質問を投げる奴に論理的思考のできる人間はいないと相場が決まっている。そんな馬鹿の言いなりになるなどプライドが許さない。

 それにはっきり言って瑞樹がどうなろうと京哉には関係なかったのだ。特別任務を背負ってはいるが、この局面ではもう瑞樹を護る価値はない。
 隣で静かに立つ霧島もシグの銃口を揺らがせたりはしなかった。

「早くしろ、瑞樹がどうなってもいいのか!」

 泣いている本人が嗚咽混じりの声で訴えた。

「撃って……霧島さん、僕を撃って!」

 それに気を取られた刹那マズルフラッシュが迸った。サムソンが撃った二十五ACP弾は瑞樹の腕を掠める。鋭い悲鳴を瑞樹が放つのと霧島がポーカーフェイスのまま九ミリパラをサムソンの足元にぶちまけたのは殆ど同時だった。

 靴先五ミリの床に穴を空けられてサムソンが飛び退る。その瞬間、固体のような圧力を持った空気が霧島と京哉、サムソンを襲っていた。
 自らも傷つくことを覚悟で催眠術師が手投げ弾を室内で炸裂させたのだ。
 壁に向かって転がされた手投げ弾は正常作動し、爆風に混じった微細な木っ端が鋭利な凶器となって三人を襲う。

 熱い空気の奔流に背を向けて、霧島は反射的に京哉の躰を抱き込んだ。
 目を瞑ったのは一瞬だったが、三人が息を詰まらせつつ見回した時には、右側の壁に人が通れるほどの穴が空き、某国の催眠術師と瑞樹の姿はなかった。
 
 床には少女の姿をした老婆が寝かされていたが、その強力なウィザードは目を見開いたまま動かない。顔色は既に生きた人間のものではなく、とっくに命を手放していたらしかった。
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