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第17話
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様々な想像でポーカーフェイスを崩したシドを置き去りに、ハイファはてきぱきとチャーリ及びジリアンのリモータから奪った航行プランを機器に読み込ませる。一見して、さほど無理のある計画ではないらしい。
「行きと帰りでワープ五回限定のエネルギ……土星じゃなく木星まで跳んでから、スイングバイでタイタン第七宙港に向かうのかあ。今の太陽系の惑星配置なら、それも結構アリなパターンらしいね。そしてまたこのリスピア星系第四惑星ジュネーに戻るんだ、へえ」
などと、胆の据わった別室員は呟いている。
「聞いたことはあるが、スイングバイって、いったい何なんだよ?」
「重力ターンともいうけど、天体の引力を利用して艦の方向を変えたり、天体すれすれに近づいて、その星の公転運動を使って速度を増減する……どうせ時間はあるから、あとでレクチャしてあげる。それよりほら、もうそろそろだよ」
「ちょ、待ってくれ。もうひとつだけすまん」
「何? 早くしてよ」
「どうしてお前はそんなに落ち着いてられるんだ? 怖くねぇのかよ?」
訊いたシドをハイファはまじまじと見てから答えた。
「もしこの艦がエンジン点火と同時に爆散したって、僕は最期まで貴方と一緒だから」
そこまでで会話すら困難なほど外の歓声が高まる。まさに宇宙を股にかけた大イヴェント、TVクルーの中継カメラ前で女性レポータの興奮も最高潮となり、主催者側のトップらしき老人がシャンパンのボトルを割るのが見えた。
途端に耳がおかしくなりそうなジェットエンジンの始動音が辺りに鳴り響く。
「その大きいボタン、押して」
「あ、ああ」
カチリと押すと、それまでの騒音がヒヨコの鳴き声であったかのような、とんでもなく高周波なタービンの吸気音がコクピット内を席捲した。
「次は!?」
「管制塔の明かりが消えて、もう一度点いたらスタート、パワーコントロール全開!」
大声で怒鳴り合わなければ互いに聞こえない。
「ところでお前、何でンなことまで知ってんだよ?」
「ここに書いてあるんだもん!」
見るとそれぞれのシートの前、コンソールから生えている操縦桿に豆本が三冊ぶら下がっており、その表紙には、
『宇宙レースに出るために・リスピア編』
『初めての宙艦操作』
『とっておき非常糧食・各社食べ比べ』
なる文字が書かれていたのであった。
「落ち着いてはいても、怖いのは僕だって一緒なんだからね!」
「それだけは俺には内密にしておいて欲しかったぜ!」
だがそれこそもう後戻りはできない。管制塔の明かりが消え、そして灯った。
◇◇◇◇
数分後。あっという間に艦は飛び立ち、今はもう黒い宇宙空間にいた。
「G制御装置が付いてて良かったね」
「すっげぇGでぺっちゃんこになるのとプカプカ浮くの、覚悟してたんだけどな」
「それに宇宙は音もなし、と」
「マジで鼓膜が割れると思ったぜ。で、このまま放っておいて構わねぇんだろ?」
「そう、二回目のワープまでは、ね」
「ふうん。でも行きと帰りでワープ五回って言ってなかったか?」
「確かに言ったね」
「行きにワープ二回、リスピア星系に戻るワープで二回……俺たちはワープ二回の木星付近でレースから離脱するとしても、計算上では一回余るぞ?」
訊かれたハイファは曖昧に笑って見せる。
「チェックポイントがあるらしいよ」
「って、二回目のワープで何処かの星に降りなきゃならねぇってことなのか?」
「そういうことかな」
「おい、隠し事はナシだぜ? 全部吐けよな」
「うーん、じゃあ言うけど、そこで一泊しなきゃならないんだよね。TG831っていう未開惑星らしいんだけど。そこは順調に辿り着けば昼で、翌朝までは必ずそこにいなくちゃならないみたい」
「それで居住ポッドがくっついてるのか。でも何で翌朝なんだ?」
「朝にしか現れない現地固有種の蝶を採集して持ち帰る。それがチェックポイント通過の証しになるんだってサ」
「チョウチョ……?」
シドは思い浮かべた。ジャングルの中、枝を叩き切って薪にして火を焚き、蔓を切り裂き木の根に足を取られながら、必死で昆虫一匹を奪い合う現代人の姿を。
人間はいつでも何処でも破壊者だ。
「でね、これが肝心なんだけど。そこの一日って約三十八時間もあるんだってサ」
「そうか、そんなに……って、お前! それじゃ単純計算でも三回目のワープが明後日、爆発までに中和液が間に合うかどうか分からねぇんじゃ――」
「そうだね」
「そうだねって、レースなんかぶっちぎって、とっととワープ二回に短縮だ!」
ハイファはコンソールで頬杖をつき、喚いたシドをじんわりと眺める。
「で、その航行プログラム計算は誰がやるの?」
「リモータにやらせれば……」
「ふうん。貴方がリモータに全ての条件入力をしてくれる、と」
「あ、いや……」
「それこそ単純計算で何事もなければ、ええと、テラ標準時で三十日の朝八時には木星近くにワープアウトできる筈だから」
「……筈、か」
「そう。そこからならガニメデ衛星のMCSを使って別室戦術コンとアクセスできる。そこで全部任せちゃえばギリギリ間に合うでしょ」
怪しいものだとシドは思ったが、今更引き返すのは物理的、いや、能力的にも不可能なのだ。ここはチャーリーとジリアンの計算を信じてコクピットに鎮座しているしかない。
「そろそろ一回目のワープだよ」
差し出された掌には錠剤がふたつ載っていた。有難く頂戴してシドは飲み下す。残りをハイファも口に含んだ。
「じゃあさ、このレースって殆どプログラミング段階で決まっちまうんじゃねぇか?」
「それも多分にあるだろうけど、艦の整備、チェックポイントでの立ち回り方、スイングバイ方式、その進入角度の選定と不測の事態への対応、色々あるでしょ」
「ああ、おまけにジャッジメントのいない殴り合いか」
「そう。でもまあ、僕らも急いでるけどレースで勝とうとは思ってないからね」
「チョウチョ追っかけたりしなくていい、と。空気のねぇ場所で殴り合いもご免だしな」
そのとき軽い眩暈がして一瞬だけ躰の感覚が失せた。一回目のワープだ。
「ふう。あと四十分で二回目、そこから四十分間は通常航行で一旦着陸ご一泊だからね」
「チョウチョが要らねぇなら着陸、即、出航できねぇのか?」
「チャーリー=ノートン氏とジリアン某は日の出から採集に、たったの十五分しか当ててない。そこら辺もレースの駆け引きなんだろうね。でも僕は残念ながら十五分をマイナス三十八時間にする方法を知らないんだよね」
「エンジンかけてパワーコントロール全開にしちまえば――」
「――他の参加者がこぞって撃ち落としに掛かるのをお忘れなく」
どう足掻いてもチャーリーとジリアンが組んだスケジュールから逃れるのは無理なようだった。そもそも宙艦操作の基礎の欠片も知らない二人である。それで大宇宙へと飛び出したのだから無茶もいいところだ。
「ねえ、貴方も少しくらいはこれ、読んでおいてよね。それとリモータに入れたマニュアルも。何かあってからじゃ遅いんだからサ」
「お前の言い分じゃねぇが、何があってもお前と二人だ。本望かも知れねぇな」
「何、急にしみじみしちゃってどうしちゃったのサ……って、シド、貴方すっごい熱!」
額に当てられた白い手の冷たい感触が心地良く、シドはシートに凭れて目を瞑る。クシャミも鼻水も止まって治ったかと思っていたのだが、そう甘くはないらしい。
「寒気とかは?」
「いや、暑いくらいなんだがな」
「よっぽど熱が上がって……居住ポッドに移って横になった方がいいよ」
「独りでワープと着陸、大丈夫か?」
「それは貴方がいてもいなくても一緒だから」
「失礼だな」
「本当のことでしょ」
「気持ちの問題だ」
「うーん。なら、ちょっと待ってて」
そう言うとハイファは席を外して、後部の居住ポッドへの背の低い扉を開くと中に消えた。暫くして保冷プレートと解熱剤の紙箱、水の入った紙コップを手にしてくる。
「貴方は倍量、これ二錠飲んで。ちょっと眠くなるかも知れないけど」
大人しく二錠飲み込むとシドは保冷プレートを受け取ってビニール素材の内部の板をパキリと割る。途端に柔らかく、冷たくなったそれを額に載せた。温まって硬くなれば何回でも割って使える優れものだ。
「行きと帰りでワープ五回限定のエネルギ……土星じゃなく木星まで跳んでから、スイングバイでタイタン第七宙港に向かうのかあ。今の太陽系の惑星配置なら、それも結構アリなパターンらしいね。そしてまたこのリスピア星系第四惑星ジュネーに戻るんだ、へえ」
などと、胆の据わった別室員は呟いている。
「聞いたことはあるが、スイングバイって、いったい何なんだよ?」
「重力ターンともいうけど、天体の引力を利用して艦の方向を変えたり、天体すれすれに近づいて、その星の公転運動を使って速度を増減する……どうせ時間はあるから、あとでレクチャしてあげる。それよりほら、もうそろそろだよ」
「ちょ、待ってくれ。もうひとつだけすまん」
「何? 早くしてよ」
「どうしてお前はそんなに落ち着いてられるんだ? 怖くねぇのかよ?」
訊いたシドをハイファはまじまじと見てから答えた。
「もしこの艦がエンジン点火と同時に爆散したって、僕は最期まで貴方と一緒だから」
そこまでで会話すら困難なほど外の歓声が高まる。まさに宇宙を股にかけた大イヴェント、TVクルーの中継カメラ前で女性レポータの興奮も最高潮となり、主催者側のトップらしき老人がシャンパンのボトルを割るのが見えた。
途端に耳がおかしくなりそうなジェットエンジンの始動音が辺りに鳴り響く。
「その大きいボタン、押して」
「あ、ああ」
カチリと押すと、それまでの騒音がヒヨコの鳴き声であったかのような、とんでもなく高周波なタービンの吸気音がコクピット内を席捲した。
「次は!?」
「管制塔の明かりが消えて、もう一度点いたらスタート、パワーコントロール全開!」
大声で怒鳴り合わなければ互いに聞こえない。
「ところでお前、何でンなことまで知ってんだよ?」
「ここに書いてあるんだもん!」
見るとそれぞれのシートの前、コンソールから生えている操縦桿に豆本が三冊ぶら下がっており、その表紙には、
『宇宙レースに出るために・リスピア編』
『初めての宙艦操作』
『とっておき非常糧食・各社食べ比べ』
なる文字が書かれていたのであった。
「落ち着いてはいても、怖いのは僕だって一緒なんだからね!」
「それだけは俺には内密にしておいて欲しかったぜ!」
だがそれこそもう後戻りはできない。管制塔の明かりが消え、そして灯った。
◇◇◇◇
数分後。あっという間に艦は飛び立ち、今はもう黒い宇宙空間にいた。
「G制御装置が付いてて良かったね」
「すっげぇGでぺっちゃんこになるのとプカプカ浮くの、覚悟してたんだけどな」
「それに宇宙は音もなし、と」
「マジで鼓膜が割れると思ったぜ。で、このまま放っておいて構わねぇんだろ?」
「そう、二回目のワープまでは、ね」
「ふうん。でも行きと帰りでワープ五回って言ってなかったか?」
「確かに言ったね」
「行きにワープ二回、リスピア星系に戻るワープで二回……俺たちはワープ二回の木星付近でレースから離脱するとしても、計算上では一回余るぞ?」
訊かれたハイファは曖昧に笑って見せる。
「チェックポイントがあるらしいよ」
「って、二回目のワープで何処かの星に降りなきゃならねぇってことなのか?」
「そういうことかな」
「おい、隠し事はナシだぜ? 全部吐けよな」
「うーん、じゃあ言うけど、そこで一泊しなきゃならないんだよね。TG831っていう未開惑星らしいんだけど。そこは順調に辿り着けば昼で、翌朝までは必ずそこにいなくちゃならないみたい」
「それで居住ポッドがくっついてるのか。でも何で翌朝なんだ?」
「朝にしか現れない現地固有種の蝶を採集して持ち帰る。それがチェックポイント通過の証しになるんだってサ」
「チョウチョ……?」
シドは思い浮かべた。ジャングルの中、枝を叩き切って薪にして火を焚き、蔓を切り裂き木の根に足を取られながら、必死で昆虫一匹を奪い合う現代人の姿を。
人間はいつでも何処でも破壊者だ。
「でね、これが肝心なんだけど。そこの一日って約三十八時間もあるんだってサ」
「そうか、そんなに……って、お前! それじゃ単純計算でも三回目のワープが明後日、爆発までに中和液が間に合うかどうか分からねぇんじゃ――」
「そうだね」
「そうだねって、レースなんかぶっちぎって、とっととワープ二回に短縮だ!」
ハイファはコンソールで頬杖をつき、喚いたシドをじんわりと眺める。
「で、その航行プログラム計算は誰がやるの?」
「リモータにやらせれば……」
「ふうん。貴方がリモータに全ての条件入力をしてくれる、と」
「あ、いや……」
「それこそ単純計算で何事もなければ、ええと、テラ標準時で三十日の朝八時には木星近くにワープアウトできる筈だから」
「……筈、か」
「そう。そこからならガニメデ衛星のMCSを使って別室戦術コンとアクセスできる。そこで全部任せちゃえばギリギリ間に合うでしょ」
怪しいものだとシドは思ったが、今更引き返すのは物理的、いや、能力的にも不可能なのだ。ここはチャーリーとジリアンの計算を信じてコクピットに鎮座しているしかない。
「そろそろ一回目のワープだよ」
差し出された掌には錠剤がふたつ載っていた。有難く頂戴してシドは飲み下す。残りをハイファも口に含んだ。
「じゃあさ、このレースって殆どプログラミング段階で決まっちまうんじゃねぇか?」
「それも多分にあるだろうけど、艦の整備、チェックポイントでの立ち回り方、スイングバイ方式、その進入角度の選定と不測の事態への対応、色々あるでしょ」
「ああ、おまけにジャッジメントのいない殴り合いか」
「そう。でもまあ、僕らも急いでるけどレースで勝とうとは思ってないからね」
「チョウチョ追っかけたりしなくていい、と。空気のねぇ場所で殴り合いもご免だしな」
そのとき軽い眩暈がして一瞬だけ躰の感覚が失せた。一回目のワープだ。
「ふう。あと四十分で二回目、そこから四十分間は通常航行で一旦着陸ご一泊だからね」
「チョウチョが要らねぇなら着陸、即、出航できねぇのか?」
「チャーリー=ノートン氏とジリアン某は日の出から採集に、たったの十五分しか当ててない。そこら辺もレースの駆け引きなんだろうね。でも僕は残念ながら十五分をマイナス三十八時間にする方法を知らないんだよね」
「エンジンかけてパワーコントロール全開にしちまえば――」
「――他の参加者がこぞって撃ち落としに掛かるのをお忘れなく」
どう足掻いてもチャーリーとジリアンが組んだスケジュールから逃れるのは無理なようだった。そもそも宙艦操作の基礎の欠片も知らない二人である。それで大宇宙へと飛び出したのだから無茶もいいところだ。
「ねえ、貴方も少しくらいはこれ、読んでおいてよね。それとリモータに入れたマニュアルも。何かあってからじゃ遅いんだからサ」
「お前の言い分じゃねぇが、何があってもお前と二人だ。本望かも知れねぇな」
「何、急にしみじみしちゃってどうしちゃったのサ……って、シド、貴方すっごい熱!」
額に当てられた白い手の冷たい感触が心地良く、シドはシートに凭れて目を瞑る。クシャミも鼻水も止まって治ったかと思っていたのだが、そう甘くはないらしい。
「寒気とかは?」
「いや、暑いくらいなんだがな」
「よっぽど熱が上がって……居住ポッドに移って横になった方がいいよ」
「独りでワープと着陸、大丈夫か?」
「それは貴方がいてもいなくても一緒だから」
「失礼だな」
「本当のことでしょ」
「気持ちの問題だ」
「うーん。なら、ちょっと待ってて」
そう言うとハイファは席を外して、後部の居住ポッドへの背の低い扉を開くと中に消えた。暫くして保冷プレートと解熱剤の紙箱、水の入った紙コップを手にしてくる。
「貴方は倍量、これ二錠飲んで。ちょっと眠くなるかも知れないけど」
大人しく二錠飲み込むとシドは保冷プレートを受け取ってビニール素材の内部の板をパキリと割る。途端に柔らかく、冷たくなったそれを額に載せた。温まって硬くなれば何回でも割って使える優れものだ。
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