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第34話
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「大丈夫か、おい?」
「大丈夫だとでも思ってるんですか?」
喘ぎ疲れて京哉の声は嗄れていた。
掠れ声で妙に迫力ある睨み方をされた霧島は慌ててベッドを降りると冷蔵庫からミネラルウォーターの五百ミリペットボトルを持ってくる。
さっきの今で身を起こすこともできない京哉は口移しで何度も水を飲ませて貰い、ボトル半分を空にしてやっと文句を言えるようになった。
「寝ている人間を叩き起こして、朝っぱらから貴方は何を考えているんですか!」
「すまん。お前があまりに良すぎて」
ようやく平静に戻った灰色の目を京哉は再び睨む。怜悧さすら感じさせる涼しい顔も戻っていて、もう本当に張り倒してやりたかったが躰は動かない。動かないが行為の中で決定的な言葉を聞かされたのは覚えていた。嬉しすぎて照れ隠しに口撃する。
「歯止めはなくても止まれますよ普通は! ブレーキも装備してないんですか!」
「いや。誰かがブレーキパッドに潤滑油を流し込んでだな。次から次へと溢れてくるんだ。お陰で止まれんどころか蛇行やドリフトまで――」
「――あああ、もう! 準強制性交で現逮もの、懲役五年執行猶予なしですよ!」
「合意の上だろう。何なら係争してみるか?」
口の減らない二人だが、これは京哉が却下する。
「結構です。忍さんって見た目は爽やかでも性格は土鍋だって知ってますから。何十年かけても終わらない裁判を平気で起こせる人でしょう?」
「簡単だ。時間は掛かっても勝てる裁判なら、受ける弁護士は幾らでもいる」
「僕なら簡単には起こしません。先に人生の何パーセント損するか考えます」
「そうか? ルーチンワークを彩る月一のイヴェントだぞ。私なら二十年でも三十年でも毎月一回必ず裁判所に通ってやるが。それで結審寸前に弁護士を替えて新しい争点を持ち出させるんだ。ふむ、我ながらこれは愉しそうだな」
本気で愉しそうに笑う霧島の新たな一面だったが、京哉は可能なら見たくなかった。
「うーわー、敵に回したら一番嫌なタイプかも」
「敵には回らんから安心しろ。私のお前への愛を理解して貰うための喩えだ」
「ったく、すました顔して」
「すましているように見えるのか。じつはパリパリに固まっているだけでな」
「パリパリ……機捜隊長のキャラを崩すのもそこまでにして下さい。それよりこの分じゃ二人とも確実に干涸びて死にますよ?」
「分かった。シャワーを浴びたら、海苔弁当の他に何か蛋白質を見繕ってくる。タンパク質、タンパク質、タンパク質……」
ぶつぶつ呟き続けながらバスルームに向かう長身を見送り、あの調子のまま下のコンビニに行きかねないと思った京哉は頭を抱えたくなった。
◇◇◇◇
三日の非番に続けて京哉は三日間の有休を取った。どうせ出勤したって資料室の住人でしかなく、事件が起きても員数外の幽霊署員である。
だが根が真面目な京哉はそれこそ税金泥棒のような気がして心が痛み、身近な上級者に相談したのだ。すると上級者も真面目な顔つきをして『では、勤労者に等しく与えられた権利を行使したらどうだ』と助言してくれた。
しかしたったそれだけの科白なのに途中からは嬉しさを押し隠せない笑顔となり、最後は大欠伸で締めた。
確かに眠くもなるだろう。京哉は所轄署及び県警本部の女性職員に売ったら一財産こさえられそうな激レア表情を眺めた。おそらくこの男は昨夜二時間と寝ていない。
冗談でも税金泥棒のそしりを受けた時、やましく思いたくなくて有休を取ると決めたのも事実だが、休みの延長に至ったもっと大きな事実があった。
僅かでも京哉が動けるようになるたび、ブレーキに不具合を起こしている誰かが殆ど犯罪の如き所業に及ぶのだ。夜中だろうが真っ昼間だろうが関係なく毎回失神するまで攻め抜かれて足腰はガタガタ、酷い時には立つことすら叶わないのである。
とてもではないが仕事に出て行ける状態ではない。
そして京哉の意識がない時くらい自分も眠ればいいのに、添い寝しては抱き締めたり撫で回したりしているのだ。新しいぬいぐるみを手に入れた子供のように延々と。
ふわりと意識が戻った際に暫く狸寝入りして確認したので間違いない。防音性の高い部屋で良かったと思いつつ今もまた霧島と攻防を続けている。
「ちょっと、もう本当に勘弁して下さいよ」
「そうガミガミ言うな。それとも私に飽きてしまったのか?」
「飽きていたらあんなにナニをアレしません」
「ならば何も問題はなかろう」
「大問題です。幾ら幽霊扱いされていたって資料室の住人の次はベッドの住人じゃ、つまらないじゃないですか。せっかく貴重な有休を三日も取ったのに」
「ふむ。では病床の妻のために夫として努力しよう。まずは落語でも覚えて――」
「――方向性がおかしいですって。大体、誰のせいで病床に就いてると」
だが立ち歩けない京哉を甲斐甲斐しく世話する霧島は介護者としても大変優秀で、京哉は殆どベッド上の生活ながら何ひとつ不自由を感じずに過ごせていた。それでも用を足すにも霧島の手を借りなければならないのはさすがに恥ずかしい。
照れもあって文句ばかり垂れているのだ。
けれど停職中の身ながら霧島は非常に愉しそうだった。怜悧さを感じさせる顔に涼しい微笑みを終始浮かべている。そんな男の表情や仕草に色気を見出し見とれてしまう京哉も結局は笑って許す他ない。
お陰で今日も夕方前から霧島カンパニーのその後を知りたくてTVニュースを見ていたところを襲われ、京哉が気付いた時には既に窓外には月が輝いていたという有様である。
ようやく微笑みも穏やかなものになった灰色の目に諦めの境地だ。
「大丈夫だとでも思ってるんですか?」
喘ぎ疲れて京哉の声は嗄れていた。
掠れ声で妙に迫力ある睨み方をされた霧島は慌ててベッドを降りると冷蔵庫からミネラルウォーターの五百ミリペットボトルを持ってくる。
さっきの今で身を起こすこともできない京哉は口移しで何度も水を飲ませて貰い、ボトル半分を空にしてやっと文句を言えるようになった。
「寝ている人間を叩き起こして、朝っぱらから貴方は何を考えているんですか!」
「すまん。お前があまりに良すぎて」
ようやく平静に戻った灰色の目を京哉は再び睨む。怜悧さすら感じさせる涼しい顔も戻っていて、もう本当に張り倒してやりたかったが躰は動かない。動かないが行為の中で決定的な言葉を聞かされたのは覚えていた。嬉しすぎて照れ隠しに口撃する。
「歯止めはなくても止まれますよ普通は! ブレーキも装備してないんですか!」
「いや。誰かがブレーキパッドに潤滑油を流し込んでだな。次から次へと溢れてくるんだ。お陰で止まれんどころか蛇行やドリフトまで――」
「――あああ、もう! 準強制性交で現逮もの、懲役五年執行猶予なしですよ!」
「合意の上だろう。何なら係争してみるか?」
口の減らない二人だが、これは京哉が却下する。
「結構です。忍さんって見た目は爽やかでも性格は土鍋だって知ってますから。何十年かけても終わらない裁判を平気で起こせる人でしょう?」
「簡単だ。時間は掛かっても勝てる裁判なら、受ける弁護士は幾らでもいる」
「僕なら簡単には起こしません。先に人生の何パーセント損するか考えます」
「そうか? ルーチンワークを彩る月一のイヴェントだぞ。私なら二十年でも三十年でも毎月一回必ず裁判所に通ってやるが。それで結審寸前に弁護士を替えて新しい争点を持ち出させるんだ。ふむ、我ながらこれは愉しそうだな」
本気で愉しそうに笑う霧島の新たな一面だったが、京哉は可能なら見たくなかった。
「うーわー、敵に回したら一番嫌なタイプかも」
「敵には回らんから安心しろ。私のお前への愛を理解して貰うための喩えだ」
「ったく、すました顔して」
「すましているように見えるのか。じつはパリパリに固まっているだけでな」
「パリパリ……機捜隊長のキャラを崩すのもそこまでにして下さい。それよりこの分じゃ二人とも確実に干涸びて死にますよ?」
「分かった。シャワーを浴びたら、海苔弁当の他に何か蛋白質を見繕ってくる。タンパク質、タンパク質、タンパク質……」
ぶつぶつ呟き続けながらバスルームに向かう長身を見送り、あの調子のまま下のコンビニに行きかねないと思った京哉は頭を抱えたくなった。
◇◇◇◇
三日の非番に続けて京哉は三日間の有休を取った。どうせ出勤したって資料室の住人でしかなく、事件が起きても員数外の幽霊署員である。
だが根が真面目な京哉はそれこそ税金泥棒のような気がして心が痛み、身近な上級者に相談したのだ。すると上級者も真面目な顔つきをして『では、勤労者に等しく与えられた権利を行使したらどうだ』と助言してくれた。
しかしたったそれだけの科白なのに途中からは嬉しさを押し隠せない笑顔となり、最後は大欠伸で締めた。
確かに眠くもなるだろう。京哉は所轄署及び県警本部の女性職員に売ったら一財産こさえられそうな激レア表情を眺めた。おそらくこの男は昨夜二時間と寝ていない。
冗談でも税金泥棒のそしりを受けた時、やましく思いたくなくて有休を取ると決めたのも事実だが、休みの延長に至ったもっと大きな事実があった。
僅かでも京哉が動けるようになるたび、ブレーキに不具合を起こしている誰かが殆ど犯罪の如き所業に及ぶのだ。夜中だろうが真っ昼間だろうが関係なく毎回失神するまで攻め抜かれて足腰はガタガタ、酷い時には立つことすら叶わないのである。
とてもではないが仕事に出て行ける状態ではない。
そして京哉の意識がない時くらい自分も眠ればいいのに、添い寝しては抱き締めたり撫で回したりしているのだ。新しいぬいぐるみを手に入れた子供のように延々と。
ふわりと意識が戻った際に暫く狸寝入りして確認したので間違いない。防音性の高い部屋で良かったと思いつつ今もまた霧島と攻防を続けている。
「ちょっと、もう本当に勘弁して下さいよ」
「そうガミガミ言うな。それとも私に飽きてしまったのか?」
「飽きていたらあんなにナニをアレしません」
「ならば何も問題はなかろう」
「大問題です。幾ら幽霊扱いされていたって資料室の住人の次はベッドの住人じゃ、つまらないじゃないですか。せっかく貴重な有休を三日も取ったのに」
「ふむ。では病床の妻のために夫として努力しよう。まずは落語でも覚えて――」
「――方向性がおかしいですって。大体、誰のせいで病床に就いてると」
だが立ち歩けない京哉を甲斐甲斐しく世話する霧島は介護者としても大変優秀で、京哉は殆どベッド上の生活ながら何ひとつ不自由を感じずに過ごせていた。それでも用を足すにも霧島の手を借りなければならないのはさすがに恥ずかしい。
照れもあって文句ばかり垂れているのだ。
けれど停職中の身ながら霧島は非常に愉しそうだった。怜悧さを感じさせる顔に涼しい微笑みを終始浮かべている。そんな男の表情や仕草に色気を見出し見とれてしまう京哉も結局は笑って許す他ない。
お陰で今日も夕方前から霧島カンパニーのその後を知りたくてTVニュースを見ていたところを襲われ、京哉が気付いた時には既に窓外には月が輝いていたという有様である。
ようやく微笑みも穏やかなものになった灰色の目に諦めの境地だ。
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