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第33話

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 随分と経ってから部屋のドアが開け閉めされる気配がしたのち、急に騒がしい気配が近づいてきて薫が戻ってきたのを知る。戻ってきたということは一度は出て行ったということだ。
 さっきの今で馬鹿かと思ったが自分の指示も上手くなかったのだと思い直す。もし薫が尾行され、この部屋まで敵に突き止められていたらアウトだが、こうなった以上は割り切って、その場その場で対応するしかない。

「恭介、何処撃たれたの!? 嫌だ、すごい血……死んだ?」
「ふざけるな。これで死ねるほど器用じゃない。いいからそいつを寄越せ」

 内線でコンシェルジュに頼めば外出せずとも手に入ったであろう救急箱とコンビニの袋に入った品々を風呂場の床にぶちまける。必要と思われる物が揃っているのを確かめてジャケットを脱ぎにかかった。薫が手を貸してくれる。どうせ血塗れ、袖を切っても良かったが、もし代替品が手に入らなければ困るハメになる。

 だがドレスシャツの損傷は激しすぎたので温存は諦め、力任せに右手で引き裂き毟り取った。すると傷は左上腕に二ヶ所。掠めた箇所より三センチほど上に被弾したまま抜けていない。まずはこいつを取り出す作業だ。
 薫がコンビニで買ってきた品物群を漁る。曖昧な『良く切れそうな刃物』なるリクエストに工作用のカッターナイフと鞘付きの果物ナイフがあった。両方を掴むと恐る恐る見ている薫に押し付け、外装を開封して貰う。

「あのさ、あんまり答えを聞きたくないんだけど……それどうするの?」
「弾を体内に入れっ放しにしておくと金属探知機で居場所を特定される」
「え、マジで!?」

「そんな訳あるか。埋めておくと鉛毒だの余計な心配事が増えるから出すだけだ」
「今日は四月一日でもないのに……何か僕にも手伝えること、あるかな?」
「なら今から一分間、目と耳を塞いでおいてくれ」

 言う通りにしたのかどうか恭介は確認もせず、まずはカッターナイフでチャレンジし、次に果物ナイフの先でリベンジしたのちに、救急箱のピンセットで弾丸を摘出するのに成功した。神経を圧迫していたらしく、取り出すと同時に勢いよく血は溢れたが痛みは随分と軽くなる。ひしゃげた弾丸はおそらく38口径SP弾サンパチ・スペシャル。敵の得物はリボルバだった可能性が高い。

 ホッとしたのはいいが見た目は惨憺たる有り様で、おまけに『裁縫セットを買ってこい』と言い忘れたために傷を縫い閉じることもできない。仕方なく消毒液をありったけぶっかけておいて薫に「新しいタオルくれ」と言ったが、薫の方こそ真っ白な顔色をして倒れそうな風情だった。

 だが恭介が自分で動こうとすると薫は弾かれたように出て行って、すぐに洗面所に積んであったタオルを持ってくる。それで出来る限りの血を拭ってから思い切り圧迫止血に挑みつつ、これも薫に命じて救急箱の医療用紙テープを十センチほどの長さに切ったものを何本も用意させた。あとはガーゼも開封させる。

 タオルを剥がすと同時に抗生物質入りの塗り薬をチューブ一本分、盛大に塗ったガーゼを当て、更にガーゼと何本もの紙テープで厳重に固めて塞いだ。二ヶ所の傷が近かったので一度に覆った形である。伸縮包帯で薫にグルグル巻きにして貰って、取り敢えず出来る範囲の治療は終了だ。

「くそう、思ったより出血したな」
「一旦、全部脱いでよ。血だらけだし拭いてあげるからさ。服はスーツだけ水洗いしてから干してみるし。身体、拭いたら寝てた方がいいよ、顔が真っ白だよ?」

「顔色に関しちゃ薫、お前も白いぞ。……まあいい、任せる。それとスーツは水洗いしてから内線でコンシェルジュにかけてクリーニングサーヴィスに頼んでくれ」
「分かった。じゃあ、ほら」

 脱いでシャワーで流せるだけ流し、後は薫に拭いて貰ってホテル備え付けの夜着を着ると窓側のベッドに潜り込む。薫が後始末をする水音を聞いているうちに寒気が襲ってきて仕方なく起き、エアコンで室温を上げた。

 暫くしてドレスシャツの腕捲りを戻しつつ部屋に入ってきた薫が、

「暑っ! 何この熱帯。砂漠? ラクダ?」

 などと愚痴りながら寄ってくる。恭介は自分が常人より丈夫にできていて銃創も治りは早いと分かっていたが、やはり人間辞めたつもりもないので正常な反応として、撃たれて大量失血したショックから発熱したと気付いていた。

「コンシェルジュに電話、ついでに熱発グッズも頼む」
「ねっぱつ、ネッパツ……?」
「すまん、オツムが弱かったんだな。熱が出た。医者は呼ぶな。もういいか?」
「オツムはともかく、ごめん。寝てていいから」

 しかし何かと勝手の分からない薫にはこのあとも複数回にわたって疑問が湧き、素直に「あのさ」とその疑問をぶつけてくる。それを解消してやれるのは無論、恭介しかいないので落ち着いて眠れる体制が整う頃には既に窓外は日差しで満ちていた。

 夜型人間の恭介には却って都合のいい睡眠が取れそうな時間になった訳だが、ここにきて空腹第二弾がやってくる。睡眠不足&大量失血の吸血鬼はここでも薫の意見は訊かず、アホみたいに大量のルームサーヴィスを注文してベッドに倒れ込んだ。

 やがて部屋のチャイムが鳴ってインターフォンからルームサーヴィスが届いたとの言葉が流れた。腹にグロックを忍ばせた薫を傍に立たせて、恭介がドアロックを解くと僅かにドアを開けてホテルメイドと彼女が押すワゴンを確認し室内に入れる。

 ホテルメイドにはとっとと退出を願い、ワゴンを二台のベッドの間にゴロゴロと移動させると、恭介はものも言わずに朝飯だか何だか分からぬ飯を食い始めた。薫も反対側のベッドに腰掛けて負けじと食い始める。

 ワゴンには上の段だけでは載せきれなかった料理が順当に下の段にも満載されていたが、おそらく記録的なスピードで全ての料理は見事、二人の腹に収まった。恐るべきことに薫もキッチリ半分を受け持っていた。
 禅僧以下の食卓を長く経験してきたので食べ物を無駄にしないというより却って食い意地が張っているのである。

 食い終えるなりまたベッドに倒れ込み、潜り込んで恭介は今度こそ急速に深い眠りに落ちた。その整いすぎるほど端正な寝顔を眺めたのち、薫はワゴンを廊下に出す。勿論、警戒して腹にグロックを呑んでおくのも忘れない。
 気を利かせたつもりでドアの外側に『don't disturb』の札も下げておいた。

 そこまでしてしまうとやることもなくなり、暫くTVを眺めていたがニュースでも繁華街でボヤだのホテルで銃撃戦だのというネタも流れず、飽きて自分も寝ようと思う。軽くシャワーを浴びて夜着に着替え、開いている方のベッドに上がろうとして思い直し、眠っている恭介を覗き込むと素早くキスを奪った。

 深く考えもしない行動の後に空いたベッドに横になる。すぐにウトウトと眠りに引き込まれ、だがどのくらい経ったかも分からないまま目を見開いた。

「な、恭介。あんた……」

 被った布団の上からのしかかられ、傷付いた左腕で右肩を押さえつけられていた。更に恭介の右手は薫の右耳辺りを強く押さえて、つまりは薫の右首筋を露出させた形だった。その態勢で怖いくらいに綺麗で白い顔をした恭介が見下ろしている。
 その吐息はやや荒く、抑えに抑えた切ない目をしていた。

「いいよ、吸っても。さっき、あれだけ食べたから大丈夫だって……あ、あっ!」

 何も言わないまま恭介は布団を蹴り避けて薫の夜着の紐を解いている。引き剥がすように何もかもを脱がせて生まれたままの姿にさせると、恭介自身も身に着けたものをもどかしく脱ぎ捨てた。
 それからの恭介は完全に理性をとばしてしまっていた。本能的に身体の危機を覚えたために血を吸う、イコール欲望に直結した行動を取ったのかも知れない。

 とにかく薫は重傷を負っているとはとても思えないような恭介に思い切り貪られ、一度ならず血を吸われて甘く高い声を幾度も放った。こんな思いをすることは二度とないだろうと思えるような快感に堕とされ、自ら血を吸うよう乞うた。

 そうしてあらゆる意味で満ち足りた二人はひとつのベッドで抱き合って、いつしか安らいだ眠りに就いていた。
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