ゴミと茸と男が二人~楽園の外側~

志賀雅基

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第9話

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 木星の衛星軌道上を巡るガニメデの生体科学研究所で二人は初めて邂逅した。

 万崎志賀はアズラエル=トラスの前で戦車やワープ航法も可能な大型宙艦を次々と破壊した。古くなり用途廃止になった機を訓練用に持ってきたものだ。
 そして絞った後の果実にも似た巨大なそれらを前に彼はニッコリ笑った。幼子が自分の玩具を自慢げに大人に見せ胸を張って誇る、そんな無垢ともいえる笑顔だった。

 その人懐こい笑みに釣り込まれるように、いつのまにかアズラエルも僅か笑んでいたようだ。そのうち志賀は不意に呆けたような顔をしたかと思うとふらりとアズラエルに近づき、視線を合わせた自分に手を差し出した。
 自分の接触テレパシーを一通りの説明だけで、どれだけ志賀が理解していたのかは判らない。だが反射的に握り返したアズラエルはその手を通して何かがドッと自分に流れ込んでくるのを視た。

 一瞬後にはそれが何なのか気付いた、目前の青年の記憶だ。

 過去において志賀の目から見た数々の光景、きっと彼自身の印象に残るシーン。志賀の目に映るアズラエル自身の姿さえも視た。時系列も目茶苦茶な大量の記憶画像。

 こんな経験はアズラエルにも初めてだった。

 アズラエルの接触テレパシーは弱い共感サイキでシンパスともいい、通常いわれるテレパスとは少し違う。他人の考えが読めたりはしない。気分くらいなら分かることもあるが。

 だが通常は自身の実視野だけでなくサーチ能力で脳内に写し取った透視画や、広大な立体地図を触れた相手に送る。そう、送るだけでそれも触れていなければ無理である。送る相手の条件によっては、まともに伝わらないことすらあった。

 意識してやり取りできるのは画だけで、それだって自分は仲介するのみだ。欲したとしても他人のそれを読むことなど不可能である。意外に人間の精神は外部介入に対するブロックが固いものなのだ。

 そのときアズラエルは読もうとも思わなかった。握手という意識さえもなく反射的に握り返しただけだ。アズラエル自身接触テレパスだからか、元々他人との不必要な接触を嫌う。それなのに何故差し出された手を握ったのかは分からない。しかしたったそれだけの行為で他人の記憶が一気に、津波のような勢いで以って押し寄せてきたのだ。

 視覚野に強くフラッシュが焚かれた。光の圧力だ。ゼロコンマ数秒間に無限回とも思われる画の蓄積。苦痛と恐怖感をも伴ったが握った手は離せなかった。

 志賀は己が出会った初めての敵でない能力者に対してありのまま、全ての自分を晒していた。それがマインドオープンとでもいえる現象を引き起こしたのだろう。
 どれだけの間そうしていたかは分からなかった、まるきり自覚がない。気になり後で確認するとほんの十秒足らずだった。

 だが余りの情報量の多さに空間感知などというサイキで、常人より視覚情報処理能力に突出している筈のアズラエルの脳が耐え切れずオーバーフロー、そしてシステムダウン。つまり、そのまま失神したのだ。

 目を覚ましたのは数時間後で研究所内の医務室のベッド上だった。

 気付いて嬉しげに近づいた志賀に記憶を読んだことを告げた。言わなければ自分が昏倒した説明がつかないというだけでなく、こればかりは黙っているのはフェアではないと思ったからだ。顔を合わせる前から始まっていた任務を考えてみればフェアも何もなかったが、それでも言わずにはいられなかった。

 同族の過去を視た。そしてその内容はアズラエルにとって重い体験だったのだ。
 志賀は少しだけ困った顔をした。への字に曲げた唇を戻し、ふっと息をつく。俯き前髪をかき上げながら呟いた。

『マインドオープンか。犬が腹見せてるみたいで情けねーの』

 バサリと鬱陶しい長い黒髪を背に払うと途端に明るい声になる。

『けどま、しょうがないじゃん。見せちまったもんはサ』

 まだかなりの熱を持ちふらつく頭を宥めながら半身起き上がったアズラエルに対し、志賀は思いも寄らなかったが何故か謝った。

『どうなってんだかさっぱりだけど、まだ具合悪そうだな。顔色が死人だぜ。わざとやった訳じゃないけど一応、ごめん』

 こちらこそ、などともいえず黙っていると志賀は続けた。

『しっかし他人の、それも男の記憶なんて気色悪ぃだけだよなー』

 アズラエルの腕に繋がる輸液パックのシリコンチューブをひねくり回しながら、照れたように相好を崩した。志賀は何を想像したのかそう言ったが、アズラエルが視た画はどれもストレートな視点と突き抜けた明るさ、好奇心、若さというフィルタが掛かり、目映く美しく思えた。

 彼が戦い、人の形をしたものを破壊するシーンでさえも。

 悪意や欺瞞、差別に満ちたこの世界をこんな風に凡て捉えられたら、どれだけ自分を取り巻くものたちが輝き、そして優しげに見えるだろう。どれほどこの青年は生きること自体に喜びを見い出しているのだろう。そう思わせる不可思議な感動さえ伴った。

 だからこそ、その画像群に酔ったように結んだ手を振り払えなかったのだ。

 しかし志賀が物事をいかように捉えようと、客観的に観て現実社会が彼に対して残したものはリアルな残酷だ。視た内容なぞ口には出さなかったが。
 紅い目を眇めて見返すアズラエルに志賀は言った。

『アンタが笑ったとき思ったんだ。筋金入りの情報軍人って聞いてたけど、何だ、笑えるんじゃんって。そしたらその紅い目ン玉に引っ張られるような感じがして吸い込まれるってか、呼ばれたってか。上手く言えねーけど。そんで何となく手ぇ伸ばした』

 このときの彼のたどたどしい説明で、アズラエルは志賀に感応力の素質がゼロではない事を確信している。自身はサイキをフルに使う任務を長くこなして来て、自分の側からそんな作用を起こせる訳がないと熟知していた。

 志賀にはまだ何か本人が全く意識していないサイキがあるのではないか。
 無意識のサイキ発現ではないかと問うてみると、『ないない、そんなの』と笑う。俺がやったのはアンタを丸ごと信用することに決めた、ただそれだけだと。

 その言葉はアズラエルにとってまさに青天の霹靂ともいえた。すぐには脳に染み込んでこないほど予想外だったのだ。画を視た事実より衝撃を受けたかも知れない。

 研究所の最新医療設備が整った医務室に沈黙が降りた。
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