最優先事項~Barter.4~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
44 / 61

第43話

しおりを挟む
 京哉としては二度と関わって欲しくなかったのに、こんな所で霧島を富樫と出遭わせてしまうとは。

 本部長もこれらの件から手を離せと言い、更に京哉に霧島の行動に注意するよう釘まで刺して行ったのだ。だが元々この辺りもシマだった富樫がその気になれば京哉たちの動向など簡単に掴める。

 京哉は臍を噛む思いだった。
 顔を見て霧島が看過するとは思えず、予想通り富樫の前で足を止める。

「先日は世話になったな」
「こちらこそ大いに世話になった。お蔭で不自由極まりないよ」
「ふん、身から出た錆というものだろう。それで貴様と誰が合意に達したんだ?」
「だから凄まないでくれたまえ。きみの姿をひとめ見るためにやってきたのだから」

 気味の悪い言葉に僅かな眩暈を感じた霧島は自分に腹を立て、眉間に不機嫌を浮かべて京哉を促し踵を返した。その背に更に声が投げられ思わず歩が止まる。

「忍くん。きみは一生わたしのものだよ」
「ふざけたことを抜かすな」
「いつも、何度斬っても反抗的だった灰色の目、苦痛に歪むその綺麗な顔……血の似合うきみの躰――」

「くっ……黙れ、富樫!」
「あの味は忘れられない。わたしはすっかり中毒になってしまったよ。きみだって忘れられないんだろう?」
「富樫、貴様!」

 振り向くなり霧島は富樫の胸ぐらを掴み締め持ち上げていた。同時に手下らが一斉に懐や腹に呑んだ銃のグリップを握ったのが分かる。だがここで銃撃戦はできない。しかしいきり立った手下らは他の客などお構いなしに威嚇し殺気を振り撒く。

 撃たせてはならないと思った瞬間、霧島は何より危険な事態に陥っているのを察知した。無表情の京哉がためらいもなく富樫を射殺する気でいる。もし抜き撃てば京哉はこの場の誰より速く銃声を轟かせ、富樫は間違いなく死体になって転がるだろう。
 
 結果として京哉がどうなるのか明らかだ。

 霧島は富樫を放り出すように突き放した。富樫はさも可笑しそうに笑っている。

「どうかな、このわたしがきみの心を占めることに成功したかい?」
「私の心を占めるのは唯一人と言った筈。貴様が今、生きているのはそのお蔭だ」

 そう告げると今度こそ踵を返して京哉と店を出た。隣の控室で食事を摂り終え待機していた柚原秘書やガードたちに声を掛ける。ふいに京哉が思い出して言った。

「忍さん、貴方の食事がまだでしたよね?」
「いや、今はいい」
「だめですよ。栄養を摂らなきゃ傷も治りづらく……忍さん、酷い顔色してます」

「何でもないから心配するな。大丈夫だ」
「大丈夫って顔じゃないですよ。いいからこっちにきて下さい!」

 半ば強引に京哉に手洗いにつれて行かれ、霧島はとうとう我慢しきれず嘔吐する。富樫の言葉で嬲られた時の状態を脳が勝手にリピートしてしまったらしい。京哉は吐くものもなく苦しむ霧島の背を京哉はさすってやりながら悔しくて涙を滲ませた。

 平然と見せていても、やはりここまで霧島は傷ついていたのだ。とっくに予測はしていたが目の当たりにすると、きつい。

 やっぱり富樫を撃ち殺すべきだったか。戻りたい思いに京哉は駆られる。けれどこの自分が手を下してしまったら霧島は余計に苦しむだろう。先刻も殺すこと自体にためらいはなかったが考えてしまったのだ。
 その一瞬で霧島に悟られた。

「忍さん、ゆっくりなら歩けますか?」
「ん、ああ……すまん。悪かった」
「貴方は何も悪くないじゃないですか。すみません、僕が傍にいながら」

「お前こそ謝るな、私が甘く見ていただけだ。ただ私にお前を現逮させないでくれ」
「……早く逮捕状フダ取ってくれたらいいですね」

 口をすすがせて霧島の手を引くとその手は酷く熱かった。高熱まで発していると知り京哉は切なくも哀しい気分になる。控室に戻ると皆に声をかけて一階に降り、車寄せから黒塗りに乗り込んで霧島を自分の肩に凭れさせなるべく休ませた。

 また二時間ほどかけて保養所に戻り霧島をベッドに寝かせる。思ったより消耗していたのか霧島は文句も言わず寝入った。医師を呼んで点滴も再開したが目を覚ます気配はない。枕元に置いたチェアに腰掛けて京哉はじっと霧島の顔を見つめ続けた。

 これまでの付き合いでこの年上の愛しい男が強靭かつ非常に安定した精神の持ち主だと知っていた。その霧島がこれである。筆舌に尽くしがたい体験だったのだと察せられた。それでも身体の傷はいつかは治る。

 けれど、この男の持つ高貴なまでのプライドは――?

 自分を助けるために負った傷を思い、京哉は毛布の上から霧島を抱き締める。
 富樫をスナイプしたい気持ちを宥めながら京哉は再び悔しさに涙を滲ませた。
しおりを挟む

処理中です...