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第7話

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 帰る前にシドは課長に武器庫の解錠を申し出て、濡れてしまったレールガンの整備とフレシェット弾の補充をする。ここに九ミリパラはないので、その間ハイファはロッカールームでシドの濡れた衣服などを鞄に詰め込んだ。

 今日やれることはやり終えたのを確認して深夜番の二人にだけ頭を下げると、シドとハイファはデジタルボードの自分の名前の欄を見た。『自宅』と入力しようとして気付く。既に二人とも『研修』になっていた。
 思わずシドはヴィンティス課長を振り返った。だが課長はもう姿を消している。

「くそう、途中からやけにあの青い目が晴れやかだと思ったぜ」
「また課長と室長、居酒屋『穂足ホタル』で情報交換したのかな?」
「情報交換じゃなくて俺たちを地獄に蹴り落とす密談だろ」
「あの二人が飲み友達なんて、アンビリバボーだよね」

 事件発生率を建築基準法違反並みに積み上げるイヴェントストライカを、いつも何処かヨソに押し付けようと腐心しているのがヴィンティス課長だ。シドがいない間に命の洗濯をするという、かなりの鬼畜であった。
 故にこうして二人に別室任務が降ってくるときは、その情報を先んじて承知していることが殆どで、送り出すときもあからさまに喜んでは毎回シドを苛立たせるのである。

「ふん。帰るぞ、ハイファ」

 オートドアを二枚抜けて外に出ると気象情報通りにまだ小雨が降っていた。銃を扱う以上視界を遮り手も塞ぐ傘は差せないが、もう慣れきっているシドは右方向にためらうことなく足を踏み出した。
 鋼の塊である旧式銃を持つハイファはレインコートの胸元をかき合わせる。水に濡らすと錆の原因になるので厄介なのだ。

 二人の住む単身者用官舎ビルは七分署から七、八百メートルほど、併設のスライドロードも使わずにシドはファイバの歩道をしなやかな足取りで歩いてゆく。
 肩を並べるハイファが見上げると、超高層ビル同士を串刺しにして繋ぐ通路のスカイチューブに、今まさに航空灯が鈴なりに灯った。ビルの窓明かりと相まって、それはまるでクリスマスイルミネーションのようである。賑やかというより騒々しい。

 内部がスライドロードになったこのスカイチューブを利用しても帰れる上にストライク防止にもなるのだが、シドはいつも『刑事は歩いてなんぼ』を標榜して使いたがらない。
 隣を歩くバディに目をやった。ハイファは改めてその身のこなしを観察しながら、こんなテロリストとは絶対に対峙したくないものだと思う。

「ハイファ、買い物はどうすんだ?」

 二人が住む官舎の地下には一般客も利用できるショッピングモールがあり、そこで夕食の食材を買って帰るのが主夫ハイファの日課となっているのだ。

「うーん、出掛ける前だからパスしとく」

 単身者用官舎ビルのエントランスに何事もなく辿り着く。本日のストライクは消化したらしいなどとハイファは考えたが、愛し人の機嫌を損ねたくないので口は閉じたままだ。
 二人はエントランス脇のリモータチェッカに交互に左手首を翳した。IDコードをマイクロ波で受けたビルの受動警戒システムがX‐RAYサーチで本人確認し、五秒間だけオートドアをオープン。銃は勿論、登録済みだ。
 仰々しいまでのセキュリティだが、住んでいるのは平刑事だけではないので仕方ない。

 ロビーを抜けてエレベーターで五十一階まで上がった。エレベーターを降りて廊下を突き当たりまで歩くと右のドアがシド、左のドアがハイファの自室だ。
 ここで一旦左右に分かれて自室に帰宅する。シドはリモータでロックを解くと靴を脱いで上がった。過去の別室任務でたらい回しにされてやってきた、気ままなオスの三毛猫タマが長いしっぽを立てて出迎える。

「タマ、番猫ご苦労」

 珍しいことに機嫌良く足に絡まる毛玉を避けて歩き、対衝撃ジャケットを脱いだ。ただでさえゲル入りで重いジャケットは、噴水以来ずっしりとした重量物になっている。そのまま洗面所の脇にあるダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込み、持ち帰った鞄の中の濡れた衣類も一緒に押し込んだ。

 寝室に入ると執銃を解く。銃はホルスタごとライティングチェストに置き、捕縛用結束バンドの束やナノチップ付き警察手帳などと一緒にまとめて並べる。

 キッチンに戻るとコーヒーメーカをセットした。手先は器用なクセにキッチンでシドができることは少ない。せいぜいコーヒーを淹れるか酒を注ぐくらいで、あとは全てハイファ任せである。

 そのハイファが玄関のロックを解いて帰ってきた。こちらもソフトスーツの上着を脱いで執銃を解いた、ドレスシャツにスラックス姿だ。シドの許にやってくると、そっと胸に寄り添い背に腕を回す。シドも細い腰を抱き寄せて、静かなソフトキス。

「ただいま、シド」
「ああ、おかえり」

 約一年半前に二人が今のような仲になってから、ハイファは着替えやバスルームでリフレッシャを浴びる以外の、殆どのオフの時間をこちらで過ごすようになっていた。お蔭でもう、こちらが帰る家といった感覚である。

「晩メシ、何食わせてくれるんだ?」
「明日から出掛けるから、冷蔵庫と相談しなきゃ」
「主夫は大変だな」

「放っておくとアルコールでカロリー摂取を済ませる人がいるからね」
「酔わないんだからいいじゃねぇか」
「そういう問題じゃないんです」

 愛しのシドにどうやって新鮮なビタミンを摂らせるかはハイファにとって殺しやタタキの二、三件よりも日々の重大事なのである。

「ちょっと早いけど準備しようかな……ちょ、離して」

 腰に回されたシドの腕をハイファは押し戻そうとした。だがシドは更に腕に力を込めてハイファを引き寄せる。ボタンふたつ分くつろげているハイファの華奢な首筋にいきなり顔を埋め、キスを落とした。
 何度も唇を押し付けたのち、舌を這わせる。
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