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第45話

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「しかし、また別室長の野郎には嵌められたぜ」
「あの命令の真意がグラーダ星系の軍事独裁政権打倒、自由主義経済への移行のきっかけ作りだったって?」
「そうじゃねぇのか?」
「そうかも知れないね……やっぱり恐るべきはイヴェントストライカだよねえ」

「お前、嫌な予感がしてくるから、そいつを口にするなって何度言えば……」
「う……ごめん。でも別室にも任務完了報告したし、帰るだけなんだから」
「理由になってねぇって」
「それよりも貴方、怪我してワープは大丈夫? そっちの方が心配だよ」
「お前が処置したんだ、大丈夫だろ」

 弾の掠った右耳はアイリーンで借りたファーストエイドキットで厳重に固められている。
 やがてコイルはセトメ宙港の駐車場に滑り込み、身を沈ませ接地した。時刻は二十五時、日付が変わろうとしている今は、宙港メインビル内も閑散としている。

 広大なロビーフロアの中空に浮かんでいる出発便インフォメーションを三人で眺めた。

「タイタン第七宙港便、一時ジャストがあるね」
「じゃあ、そいつだ。チケット押さえようぜ」

 自販機でチケットを買ってリモータに流すとシドは幾つも設けられた喫煙ルームの人つに直行だ。ライアンではないがメディアで顔を知られているため、他の客がいないブースを選び、シドはそそくさと煙草を咥えて火を点けた。
 残り二人も付き合い通関をクリアするまでの僅かな時間をベンチに座って過ごす。
 チェーンスモーク三本目でハイファの無言の非難を無視できなくなり、シドは灰と煙の生産を敢えなく中止した。

「三十五分前、そろそろ動いた方がいいんじゃない?」

 三人はベンチから立ち上がり、ハイファはショルダーバッグを担ぎ上げる。そうして喫煙ルームから出たとき、通りかかった二人の男がライアンとぶつかった。

「失礼」

 さらりと言ってライアンは歩み去ろうとしたが二人の男が立ち塞がる。その目は燃えるような怒りを込めてライアンを睨みつけていた。

「愉しい知り合いみたいだな、ライアン」
「まさか……エディ、クラーク……?」

 その名にシドとハイファも聞き覚えがあった。確か惑星警察セトメ一分署員に捕まったのち秘密警察に引き渡され、拷問の上に処刑されたという『エウテーベの楯』のメンバーで、クロード=サティ陣営の男たちではなかったか。
 男たちが口々に叫ぶ。

「ライアン=ハンター、よくもクロードさんを!」
「クロードさんの恨み、ここで晴らしてくれる!」

 突然上着を脱いだ男二人の腹にガムテープでべったりと貼り付けられているのはいかにもな爆弾、咄嗟にシドはポケットに手を突っ込んだ男一人を無人の喫煙ルームに蹴り込んだ。もう一人を蹴り込むヒマはないと瞬時に判断したシドは、躰を投げ出しハイファの上に覆い被さる。背後で鈍い爆音が僅かな時間差で二度、響く。

 これまでのテロで使用されたような爆弾ならば全員助からなかったであろう。だが幸い爆発は小規模、爆風を覚悟したシドとハイファの上に降り注いだのは壁材の透明樹脂の欠片だけだった。二人は身を起こして破片を払い合う。
 オートドアの閉まった背後のブース内は黒煙で満たされていた。僅かに割れた壁の穴から煙が吐き出されている。

「ハイファ、怪我はねぇか?」
「うん。貴方は?」
「大丈夫だが、あいつは……?」

 辺りを見回したが、もう一人の男とライアンの姿が何処にも見当たらない。

「ライアン……またアルコールパワーで、今度は爆弾男とテレポートしちゃった?」
「みたいだな。……出航三十分前だ。行こうぜ」
「って、ライアンは?」
「爆弾だけは置いて行ったんだ、放っといても平気だろ。酔ってやがった本人も何処に跳んだか分からねぇだろうがな」

◇◇◇◇

「やっと懐かしの本星セントラル、無事に辿り着いたぜ。ふあーあ」

 定期BEL停機場となっている単身者用官舎ビルの屋上に降り立ち、大欠伸をするシドを愛しげにハイファは見つめた。

「テラ標準時、五時か。微妙にワープラグだな」
「で、どうするの?」
「まずはヤクザ猫の回収だ」

 既に定期BELの中で深夜番のマイヤー警部補には発振してあった。二人は急いでエレベーターに乗り一階に降りる。エントランスの外にはもう人影が佇んでいた。

「すんません、マイヤー警部補」
「いいえ、どうせ誰かさんたちのいない深夜番はヒマでしたから」

 タマの入ったキャリーバッグをシドが受け取る。中身は眠っているようだ。

「長い『研修』はご苦労様でしたね。ところでシド、今晩ですよ」

 そう言って笑いながらマイヤー警部補は七分署へと帰って行った。

「今晩って?」
「警務課・機捜課の合コン」
「あっ、間に合っちゃったんだ……」

 ビミョーな空気にシドは僅かに緊張しつつ、地階ショッピングモールでの主夫の買い物に付き合い、無事に部屋へと帰り着く。

 帰るなりタマが起きて五月蠅くなった。カリカリと新しい水を皿に入れてやり、コーヒーメーカをセットしながらキッチンの椅子に前後逆に腰掛ける。
 コーヒーと煙草を味わっているとハイファが戻ってきた。屈んだハイファの薄い背を片手で抱いてソフトキスを交わす。

「おかえり」
「ん、シドもおかえり。お腹空いた?」
「ああ。ネコでも食うぞ……痛っ、いたた、冗談だっつーの!」

 足に食い付いたどう猛な獣とシドが格闘している間に、ハイファは買い物袋から食材を取りだして冷蔵庫に収め、朝食の準備に取り掛かる。

「トーストとパンケーキ、どっちがいい?」
「パンケーキにネコのスプレッド……くそう、このヤクザ猫!」
「猫と同列に喧嘩なんてやめてよね。……うーん、野菜が豊富で幸せかも」

 ほどなく香ばしく甘い香りが漂い始め、引っ掻かれながら猫のヒゲを引っ張っていたシドはハイファに渡された竹輪の一切れでタマと和解した。
 せめてもの手伝いでカトラリーを出し、コーヒーを注いだシドはキチンと着席する。メニューはパンケーキとハムソテーにグリーンサラダだ。

 メープルシロップをかけたパンケーキのプレートをシドに押しやりながら、ハイファはハムソテーに噛みつく愛し人を眺める。

「ねえ。まさか今日このまま署に出勤するつもりじゃないよね?」
「つもりだが? ヴィンティス課長も今頃太ってるかも知れん」
「いつも身も細る思いをしてるんだもんね」
「ふん。他人事みたいに言うな、テメェの胸にも訊けよな」

 食事を終えて男二人で後片付けすると、ハイファはリフレッシャを浴びに自室へと帰って行った。シドも煙草を吸ったのちリフレッシャを浴びる。
 バスルームから出て寝室で綿のシャツとコットンパンツを身に着け、リビングに出て行くとまだ七時だ。出勤するには早く、コーヒーを淹れ直した。

 ホロTVを点け、ニュースで不在の間の太陽系での事件・事故にチェックを入れつつ、咥え煙草でタマの遊び相手を務める。タマも今日からまた孤独に番猫、淋しいだろうと遊んでやっているうちに片手がミミズ腫れだらけになった。
 そこに帰ってきたハイファがシドの手を見て顔をしかめる。

「ちょっとシド、血が出てるじゃない」
「舐めときゃ治る。ってか、お前は出勤しねぇのかよ?」

 ハイファは紺色のパジャマを身に着けていた。明るい金髪がさらりと背に流れている。

「僕だけじゃないよ、貴方も今日は休むの。約束したじゃない」
「約束ってなんだよ?」

 途端にハイファは機嫌を悪くした。ムッとしてシドを残し寝室に歩いていく。

「おい、何なんだよ?」
「……もう、知らないっ!」

 あとを追いかけるシドを振り返りもせずに、ハイファはさっさとベッドに上がると、毛布に潜り込んで横になってしまった。その薄い背を眺めながらシドはなるほどと思う。

「なあ、ハイファ。機嫌直せよ」
「……」
「仕事、午後からにするからさ。……な?」
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