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第38話

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 レジェンディオを連れて向かいのハイファの部屋にレックスが引っ込み、ハイファは食器を片付け始めた。納得できないシドは黙々と灰を生産し続けていたが、それで何かが変わる訳でもなく、仕方なくリフレッシャを浴びにバスルームに立った。

 リフレッシャを浴びて全身をドライモードで乾かし、寝室でグレイッシュホワイトのパジャマを身に着けて出てくると、キッチンの椅子に前後逆に腰掛けてまた煙草を吸う。
 四本を灰にした頃、ハイファがリフレッシャを浴びて出てきた。シドとお揃いで色違いの紺のパジャマを着ている。そのまま近づいてきて椅子の背ごとシドを抱き締めた。

「シド……ごめん」
「そいつは爆殺されたあの家族に言うんだな」
「……」

 言葉もなく離れて俯いたハイファに発振。続いてシドのリモータも震える。操作して見た。

【中央情報局発:先の任務を解除する】

 こんな組織に足を突っ込んだ自分にシドは堪らなく嫌気が差していた。煙草を自動消火の灰皿に放り込み、立ち上がると寝室に引っ込む。ベッドに横になって毛布に潜り込んだ。隣にハイファがやってきて横になったのは知っていたが、背中を向け続けた。

 何もハイファは悪くない。そんなことは分かっていたが気持ちに収まりがつかなかった。腰が酷く痛んで、なかなか寝付けなかった。

◇◇◇◇

 腹を減らしたタマに足を囓られ起こされたシドは、エサのカリカリを盛りつけ水を換えてやったのち、寝癖を直して着替えた。煙草を吸いつつホロTVを点けて眺めていると、ハイファが起き出してきて朝食の用意を始める。

 そのうちレジェンディオを肩に載せたレックスもやってきて、三人で朝食のテーブルを囲んだ。メニューはパンケーキとベーコンエッグにサラダ、コーヒーだ。

 食べながら聴いていたTVのニュースでは、一連の爆殺事件はあれだけ派手だった割に小さな扱いしかされていなかった。原因も『何らかのガス漏れか?』などという曖昧な報道しかされておらず、明らかに何処からかの圧力を感じさせるものだった。

 そして食事を終えたのち、出勤しようとしたシドと、リモータリンクで傷病休暇を出そうとしたハイファとで睨み合いだ。

「病院に行くって約束でしょ!」
「そんな約束は覚えがねぇな」
「殆ど寝てない顔して、何言ってるのサ!」

「爆殺の帳場が立つ筈だ、一週間も休んでられるか」
「いつまで歩けるかも分からない爆弾抱えて、捜査員は他にも沢山いるじゃない!」
「……」

 もう返事もせずにシドはハイファを無視して執銃した。時刻はまだ七時四十分で、八時半の始業には随分と早いにも関わらず、対衝撃ジャケットを羽織ると玄関から出て行ってしまう。いつもの儀式であるソフトキスも交わさなかったのは、レックスという第三者がいるという理由だけではあるまい。

 哀しい想いを抱きつつ、溜息をついたハイファは食器を片付け始めた。

「レックスは今日はどうするの?」
「セントラルエリア観光だ!」
「ふうん。でも一人は危ないなあ。どうしよっか?」
「わたしはそれほど危なくはない、何故ならナイト側の人間が何をほざいても水掛け論である上に、大物だからだ!」

「うーん、確かにね。レックス=ナイトを殺して、ここでナイト損保を本気にさせるリスクは誰も冒さないか」
「その通りだ!」
「でも狙われる可能性はゼロじゃない、早めにネオニューヨークに帰ることをお勧めするよ」
「分かっている、そう心配するな」

 何度もレックスに念を押して、だがシドが心配で堪らないハイファは急いで出勤した。外は歩かずに三十九階のスカイチューブで短縮オート通勤までする。
 しかし七分署機捜課のデカ部屋に駆け込んでデジタルボードの自分の名前の欄に『在署』と入力しようとして気付いた。シドの欄が『有休』になっている。まさかと思いデスクに着いてみたが、やはりシドが見あたらない。

 いつも椅子に掛けてある対衝撃ジャケットもなかった。
 多機能デスクのヴィンティス課長を見ると、哀しみを湛えたブルーアイで首を振る。

 引き継ぎを終えて深夜番を下番したばかりのマイヤー警部補を捕まえた。

「ご苦労様です。シドを知りませんか?」
「昨日はご苦労様でしたね。シドは有休取得申請して帰りましたよ」
「って、五階の帳場に組み込まれたんじゃ……?」

「それが、帳場は立たないことになったようです」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。昨夜の爆破に使われたフレームチャージの特殊爆薬と手投げ弾が軍から流出したものだという鑑識結果が出ましてね。勿論、捜一は捜査を続けますが、まあ、大っぴらにしたくない軍の意向を汲んで……という建前の許、いわゆる上層部の馴れ合いと圧力ですよ」

 シニカルな物言いをしたマイヤー警部補は、いつもと変わらぬ涼しげな表情ながらも頬に冷たいものを浮かばせていた。悔しいのだとハイファは悟る。

 これが本当の刑事の姿なのだとハイファは思い知るとともに、気が急いてきた。シドがのんびりと普段通りの外回りなどしている訳がないからだ。独自に捜査を始めたに違いなかった。

 だが動き出した愛し人は手負いだ、ハイファの中で不安が膨らむ。
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