零れたミルクをすくい取れ~Barter.18~

志賀雅基

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第6話

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 喘ぎ疲れて嗄れた喉に口移しでグラス一杯の水を流し込んで貰い、ようやく声が出せるようになった。だが霧島の背に赤い引っ掻き傷を見て不毛な言い争いは避ける。お互い様だ。
 既に躰は拭かれ、シーツまで取り換えられているようだった。

「もういいですから忍さんも、ここにきて横になって下さい」
「あ、いや、明日の朝食の食材が少々足らなくてな。コンビニまで行ってくる」

 唐突な外出宣言に京哉は目を瞬かせる。『何それ?』と思っている間に霧島はスーツに着替え、ドレスシャツにショルダーホルスタを装着し、ベルトの上から警官グッズのついた帯革まで締めていた。あまりのことに京哉は唖然としたまま眺めていた。

 ジャケットを羽織ってコートに袖を通す男を見て、京哉は慌てて留める。

「えっ、ちょ、忍さん、そんな今から出掛けなくても」
「すぐ近くだ、お前は寝ていろ」

 寝ていろも何も、あれだけの行為のあとで京哉は足腰が立たない。寝ているしかないのだが、そんな年下の恋人に霧島は笑って見せるとラフな挙手敬礼をして言った。

「心配するな、ただの買い物だ。煙草は?」
「それはあるからいいですけど、風邪引きますからマフラーもしていって下さい」

 予定を変える気が全くなさそうなので言ってはみたが、これまでになかったパターンに京哉は妙な胸騒ぎを覚える。そんな京哉に再び笑って霧島は出て行ってしまった。京哉は呆気に取られて見送るしかない。いきなり静かになった寝室で文句を垂れる。

「ったくもう、忍さんったら。本当に風邪を引いても知らないぞ」

 そう怒ってみたが、霧島もたまには一人になりたいのかも知れない、などと思い直してブルーの毛布を引っ張り上げると目を瞑った。
 だがいつもの腕枕がないのでなかなか眠りは訪れない。静かすぎる、いつも傍にある筈の気配も吐息もない部屋で京哉は天井を眺め続けた。

 更に三十分ほど経った頃、ナイトテーブル上で携帯が震えた。操作する。

「ええと、【ミランダで飲んで帰る】って、わあ、一人で酷ーい!」

◇◇◇◇

 不審な霧島の単独行動も二日目になると京哉は許さなかった。まさか浮気とは思わなかったが、そうでなければ何を目当てに外に出たがるのか皆目見当がつかなくて、京哉はオーバーヒート気味の頭で霧島に食って掛かった。

「どうしてですか、貴方は昨日だって帰ってきたの午前四時ですよ?」
「だから明日の食材がだな……」
「見え透いた嘘をつかないで下さい、貴方が行くなら僕も行きますからね!」

「お前はだめだ。この寒い中、風呂上がりに風邪を引くぞ」
「それは忍さんも一緒でしょう。なら貴方も外出は禁止です!」

 ムッとした風に黙り込んだ霧島だったが、それでも銃を吊りジャケットとコートに袖を通し始めた。頭が沸騰しかけた京哉も倣って外出準備をする。色違いお揃いのマフラーを巻いて霧島にくっついて玄関を出た。キィロックして一階に降りる。

 マンションのエントランスを出ると、霧島はスーパーカガミヤの方へとぐいぐい歩いて行く。まるで自分の存在を無視した行動に京哉は更に頭が過熱するのを感じた。

 長身の霧島についてゆくのは難儀で、だが意地を張った京哉も負けじと歩く。競歩のように歩を進めた結果、五分ほどでスーパーカガミヤの駐車場に着いてしまった。

 時刻は二十二時でクローズしたばかりのカガミヤの駐車場には、まだ車がポツポツと駐められている。ギリギリで飛び込んで買い物した客の行き来も多い。周辺に建つスナックやバーからはカラオケの音が洩れ聞こえていた。

 そんな駐車場を霧島は目立たぬよう、ゆっくりと二周したのち、カガミヤのロゴが入ったトラックの蔭で立ち止まる。京哉は霧島を見上げてじっと窺った。
 結局そこで十分ほども立ち止まった挙げ句に霧島は真っ直ぐミランダに向かう。

 入店したミランダは盛況でテーブル席の七割が埋まっていたが、以前にも座ったことのあるカウンター席は空いていて、霧島はその真ん中に腰を下ろした。左隣に京哉は座る。
 すぐに霧島のキープボトルをバーテンが出してくれた。霧島はストレートのまま、そう強くない京哉は水割りをバーテンに作って貰い、ナッツを肴に飲み始める。

「忍さん。そういうことなら何でバディの僕にも言ってくれないんですか?」
「そういうこととは、どういうことだ?」
「スーパーカガミヤの前の売人とシキテン。張り込みしたかったんでしょう?」

 マンションを出てから初めて霧島は京哉の顔をまともに見た。

「でも機捜隊長がこんな所で張り込みなんて御法度の管轄破りもいいところ。だから僕を巻き込みたくなかった。違うんですか?」
「……すまん」

 溜息をついて京哉はグラスを置くと、煙草を咥えてオイルライターで火を点ける。

「けれど何で忍さんが売人を張るんですか。それって厚生局の麻薬取締官かこの管区の麻薬取締員か、一報を入れた組対・薬銃課の仕事じゃないですか。それも機捜隊長殿が直々に張り込みなんてバレたら一悶着じゃ済まなくなるかも知れないのに」

「分かっている。だが証拠もなく厚生局にタレ込んでも麻取は動かん。薬銃課も所轄の真城署も同じくこの段階でタレ込んでも、それこそ子供の使いだからな」
「で、忍さんは我が身を犠牲にして管轄破りですか、機捜隊長で警視殿がわざわざ」

 この業界で管轄破りは御法度なのだ。職分を侵しただの情報を横取りしただので掴み合いの喧嘩に発展することも珍しくはない。それで京哉はシニカルな口調になってしまう。バディでパートナーの自分に黙って張り込みなんぞしていた男に腹を立てているのだ。

 だが目前の犯罪を看過できない霧島の行動を、小気味のいいものに感じてもいた。

 ここ暫く特別任務で生きる側に回るために殺してきた。人命を吹き消してきたのである。
 どんなに悪辣な相手であっても、たったひとつの命を叩き折る権利は本来自分たちに与えられていない。

 ただ便利に使える駒だからという理由で、自分たちのやらかした後始末を『上』がしてくれたり、内紛の如き状況下でドサクサに紛れて上手く逃げたり、咄嗟の判断力もあり何とか殺人罪に問われず今こうしていられるのだ。

 そういった命のやり取りにまで慣れてしまい『クスリの売人くらい』などと些末な犯罪のように扱わず、霧島が日本での犯罪をちゃんと日本での犯罪と認識し、重要視して薬銃課の箱崎警視に一報したのも京哉は嬉しかった。

 当たり前のことを当たり前にする霧島を確認できた。それはイコール、霧島は自分と一緒にいて麻痺していない証拠でもあったからだ。

 そんな霧島なら更に自分と信輔の電話の内容を聞き懸念しただろう。もしかしたら真城署にタレコミがあった闇カジノや素人を海外に売り飛ばすといった、派手な犯罪とカガミヤでの売人とシキテンがクスリで繋がるかも知れないと。

 そんな悪事のヒントが目前に転がっているのに霧島が放置できる訳がない。
 自分と関わる前の警察官の鑑のような正義漢……それが目前の犯罪を看過できない霧島警視の本来の姿のように京哉には思えたのである。

 憧れて同じサツカンであるのが誇らしく一歩でも近づきたかった、だからこそ自分が殺されてでも暗殺スナイパーを辞めようと決心できた、あの頃のままの霧島警視なら管轄破りをしてでも犯罪は捨て置かない。

 張り込みだと気付いてからの京哉は、そんな風に期待も込めて半ば決めてかかっていた。そして霧島警視の行動は京哉の思いと期待を裏切らなかった。
 勝手に霧島警視を型に嵌め満足していたツケか、ただひとつを除いて。
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