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第23話

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 ポリアカなどで組み手を経験しているシドだったが、あまりにラフに『始め』と言われて却って手を出しづらくなる。周囲を見回すと慣れているのか約束組み手のように、それなりに交互に技を繰り出し合っていた。

 隣を窺うと出された手をハイファが上手く逆手にとって背後に捩り上げている。逮捕術の基本パターンだが、活きているのを知って安心した。

 などというのをロベルトの突きや蹴りを適当に捌きながら見取り、一歩下がって間合いを取ると「すまん」とひとこと謝ってから、上段回し蹴りでロベルトの横っ面を張る。手加減はしたつもりだったが、まともに入ってしまい、ロベルトは綺麗に撃沈した。

 どうしたものかと思っていると、クロフォード一尉の声が聞こえた。

「五分まであと三十秒、一分休憩で右にずれろ!」

 ということは五分ごとに十二人を相手にしなければならないのだ。一分休憩も含めて約七十分の一コマ動きっ放しということになる。これは過酷だ。
 だがシドは自分のあとの人間が至極、楽なことに気付いていなかった。

 気になるのはハイファのことだけだ。上の空で相手の技を流し、今度は肘関節をキメる。動くに動けぬ相手とじっと待つこと数分、相手は額に脂汗を浮かべて顔をこわばらせていた。
 まだハイファが無事なのをシドは確認する。

 そうして四人をやり過ごし、オードリーと当たった。女性とはいえ、まだ気力・体力ともに削がれてはいないらしく、本気で仕掛けてくる。
 しかしプロの目から見れば隙だらけ、ここでは仕掛けられる技を受け流すことに終始した。

「シド、ずるいわよ。逃げてないで相手をしなさい!」
「してるじゃねぇか。もっと軸足を安定させろ、腰が入ってねぇぞ……っと、五分だ」

 この頃になるとロベルトを始め、脱落者が呻きを上げ始める。だがハイファはまだ生き残っていて、適当に負傷者のフリでもしてくれとシドは切に願った。
 そう考えた途端に仮想共有ドライヴに思考が流れ込んだか、ハイファが戦列を離れて座ろうとした。しかしそれを許さないとばかりに相手がハイファの金髪のしっぽをわし掴む。

 引きずるようにして押し倒し、細い躰に馬乗りになって頬を殴るのをシドは見た。確かこいつも補習に出ていたジル=セドランとかいう男、けれど今、そんなことはどうでもよかった。
 周囲と教官のクロフォード一尉も異変に気付いた。仰向けになったままハイファが血を吐き出す。すぐ傍にいたクロフォードがジルをハイファから引き離した。

 駆け寄ったシドは衆目構わずハイファの上体を抱き締める。

「ハイファ、大丈夫か? おい、ハイファ!」
「ん、地面に頭ぶつけた。ちょっと脳震盪かも」
「口の中、かなり切ってるな。喋るなよハイファ、血を飲み込むとあとで吐くぞ」
「うん、分かったから……僕、ユーリーだよ」

 ハイファの小声に「しまった」と思ったのは一瞬、視界のふちで暴れるジルがクロフォードを蹴り倒した。更にクロフォードを目茶苦茶に蹴り始める。
 格技担当教官であるクロフォードをも、技とも云えない脚の一撃で倒したのは、保身能力のある者ならば誰でも持つリミッタが切れた証左だ。その目は先日の射撃で乱射事件を引き起こしたパウル=アドラーと同じ、瞳孔が収縮し狂気に彩られていた。

 口元から唾液の泡を飛ばしつつ際限なくジルはクロフォードを蹴っている。

「これじゃ、死んじまうぞ」
「止めろ、引き剥がせ!」
「誰か、メディックに発振しろ!」

 何とか大人数でクロフォードを引きずり、ジルから距離をとらせたが、ジルは焦点の定まらない目で、まだ次の獲物を探して悠々と歩いた。その先には足が竦んだクライヴの姿がある。
 クロフォードのやられ方を見ればジルがどれだけ危険な存在となっているか、誰にでも分かった。皆が息を呑んで見守る中、阻む者もなくクライヴにジルが手を伸ばす。

 そのとき反射的に動いたのはシドと銀堂だった。

 真正面に割り込んだシドはジルの懐に飛び込むなり右腕と胸ぐらを掴み、躰を返して腰に体重を乗せ、背負い投げた。ファイバの地面に背から叩き付ける。それでもなお起き上がったジルの右腕を取った銀堂が背に捻り上げた。関節の外れる鈍い音がして銀堂は手を離したが、まるでジルには効いていない。

 暴れて振り上げた足が銀堂の胸に入り、銀堂は咳き込んで身を折る。その隙にシド、ジルの軸足を払って横ざまに倒し、顎を蹴り上げた。骨まで砕ける感触が伝わったが、口から血泡を吹きながらも、まだジルは立ち上がる。

 咳き込みながらも銀堂はシドがジルと相対している間に背後へと回り込んだ。暴れるジルの無事な左腕を思い切り捻り上げる。その体勢でジルをシドの方へと突き飛ばした。タイミングを外さずシドがみぞおちに渾身の回し蹴りを叩き込む。ジルは三メートルほども吹っ飛んで地面に後頭部を強打し白目を剥いて頽れた。

 シドは銀堂と二人、溜息をつく。

「大丈夫か、銀堂?」
「たぶん、打撲程度だろう」

 他人事のような銀堂の返答に頷くとハイファの許へと駆け戻った。地面に座り込んで明るい金髪の頭をそっと膝に載せる。血を飲み込まないように横になった口許を戦闘服の袖で拭ってやった。まとめた髪が緩んでいたので銀の金具を外し、髪を解いて金具は胸ポケットに仕舞う。

 まもなく衛生兵が二名駆け付けたがジルは勿論クロフォードも意識のない状態、衛生兵は基地内にある軍病院に救急BELの出動要請をした。三分と経たずにBELは到着し、ついでに銀堂とハイファも病院送りとなる。

「クライヴ、俺とユーリーの銃を頼む!」

 叫んでおいてシドはハイファを横抱きに抱え上げた。

「ちょ、シド、歩けるってば……下ろして、シド!」
「喋るなって言ってるだろ」

 お姫様抱っこされて顔を赤らめたハイファの抗議など聞かず、そのまま救急BELに乗り込むとシートに腰を下ろしてしっかりと細い躰を抱き締める。
 怪我人を収容した救急BELはテイクオフし、すぐに軍病院にランディングだ。救急処置室のある天井の高い七階駐機場にBELは滑り込む。

 意識がなく呼吸困難も起こしているクロフォード一尉は再生槽に投げ込まれ、ジル=セドラン候補生は強力な鎮静剤を持続的に注入されながらの外科的処置だ。

 本来なら幹部学校の医務室で済む程度のハイファと銀堂は、随分待たされてから全身の簡易スキャンで異常なしを確認された。銀堂は胸の打撲に消炎スプレーをかけられて終わり、ハイファも頬に消炎スプレーと、口内の傷を合成蛋白接着剤で閉じて無罪放免だ。

 間違っても同じ棟にある別室専属医務官の管轄エリアにつれて行かれなくてヨカッタと、シドだけでなくハイファも内心ホッとしていた。
 とにかく処置も終わって救急処置室を追い出された三人は取り敢えず廊下に出る。そしてオートドリンカと灰皿のある待合室のようなコーナーでベンチに陣取った。

「この際だ、互いに持ち合わせたカードを晒したいんだがな」

 煙草を咥えて火を点けたシドに銀堂が頷く。

「俺は部下だったジョアン=マーロンの自殺を調べるために、タイタン基地司令のアデライデ=クラーリ陸将に願い出て、ここに編入という形で一ヶ月前から潜入した」
「アデライデ=クラーリ陸将、貴方と同じテレパスだもんね」

「知ってるのか?」
「貴方がダブルタレント、PK使いだってこともね」
「そうか。職歴も司令が手を回してくれた。俺の本当の仕事は憲兵隊長だ」
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