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第17話

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「シド、後ろ向いて」

 黒いエクステンションを幾筋か束ね、シドの短い襟足に苦労して縛り付ける。伸縮性のある青い紐でぐるぐると巻き、チョウチョ結びを作って出来上がりだ。
 微妙な顔つきでシドは五十センチ近くある髪束の毛先をつまみ上げる。

「あんまり強く引っ張らないでよ、抜けちゃうから」
「分かってる。けど、ロン毛なあ……似合うか?」
「うーん……まあ、外に出るときだけだしね」

 嘆息してシドは毛先を振り払った。そのとき窓外の視界が急にひらける。

「おっ、ハイファ、海だぞ!」
「わあ、眩しいね」

 普段二人が暮らすテラ本星セントラルエリアは、三千年前の大陸大改造計画で内陸部に造られた。それ故に幾ら好きでも滅多に海は拝めない。シドは波頭を輝かせる海を、ハイファはそれを眺めるシドをじっと見つめて暫し幸せに浸った。

 別室任務を背負ってはいるが、強行軍でやってきたお蔭で予定より一日早い到着である。稼いだ一日で海を満喫するべくフレイヤ星系からハイファがホテルも予約済み、存分に愉しむつもりの二人だった。
 海沿いの道を七、八分も走ると、タクシーは円筒形の建物の車寄せに滑り込んで接地する。予約した第一パレスホテルに到着したのだった。

 文化の違いかドアマンはいなかったが何の文句もなく、ハイファがクレジット精算して、二人はホテルのエントランスに降り立った。オートドア脇のリモータチェッカに交互にリモータを翳して認識されると、センサ感知して回転式のオートドアが作動する。ハイファはシドにぴったり寄り添ってホテル内へと足を踏み入れた。

 内部は外から見た印象よりも豪華だった。

 足許は磨き抜かれた乳白色の天然石材、高い天井には繊細な透かし彫りを施された球形のライトが幾つも下がり、虹色の光を投げている。ロビーには本物らしい観葉植物が配され、汎銀河レヴェルで著名な作家のシルクスクリーンがホロで浮かび上がっていた。更にあちこちに置かれたソファは本革張りらしい。

 ロビーの向こうはカフェテリアになっていて、遅いティータイムを人々が愉しんでいる。誰もが軽装でリゾート気分がここまで伝わってくるようだ。

 それだけ見取ってハイファは左側の有人フロントカウンターに声を掛けた。

「予約していたファサルートです」
「お待ち申し上げておりました。二名様で喫煙のダブル一室ですね。二十五階の二五〇七号室になります。キィロックコードを流しますのでリモータにお受け下さい」

 ダブルという言葉に照れて、あらぬ方を眺めていたシドもキィコードを受ける。
 これも文化の違いなのかホテルのグレードの割にはポーターも現れず、だが荷物はハイファのショルダーバッグだけなので困ることもなく、二人はエレベーターホールへ向かった。
 階数表示を眺めて二人はこのホテルが三十一階建てだと知る。

 何処もかしこも掃除が行き届いて清潔な廊下を歩き、着いた二五〇七号室は建物が円筒形のために、大きく切ったシフォンケーキのような形をしていた。

 敷かれたカーペットはブルー系、壁紙もごく淡いパステルブルーだ。入って左奥にクローゼットとベッド、その右側にソファセットがある。更に猫足のテーブルとチェア二脚も窓際に配置されていた。生活空間が全て窓際に寄せられている訳だが、それもその筈で、カーブを描いた広い窓からは輝く海が眺められるのだ。

「わあ、すごい。お風呂もオーシャンビュー、リフレッシャ浴びながら海が見られるよ」

 ハイファが部屋中を検分している間に、シドはずっと我慢していた煙草を咥え、オイルライターで火を点ける。吸い込んで盛大に紫煙を吐き出した。
 遙か昔にニコチン・タールが無害物質と置き換えられた煙草だが、企業努力として依存物質は含まれている。それに嵌った哀れな中毒患者は、やっと脳ミソが固まった気がした。

 戻ってきたハイファと窓辺で暫し海を眺める。

「水平線までクッキリしてて、綺麗だな。あの船、かなりデカくねぇか?」
「豪華客船ってとこかな。甲板から上だけでも七階建てだよ」

 と、スナイパーだったハイファは抜群の視力を披露した。
 テーブル上に置かれていたクリスタルの灰皿でシドは煙草を消すとハイファの唇を奪う。

「んっ、んんぅ……ん、はぁん……シド」
「チクショウ、色っぽいな……なあ、ハイファ」

 愛し人の低い囁きの方が余程色っぽく、思わずハイファは身を震わせた。だが細い腰に巻かれた力強い腕に流されることなく、切れ長の目を真っ直ぐ見返してリモータを振って見せる。

「現在時、二十三時。今ならまだ明るいうちに海遊びができるけど?」
「日没は何時だって?」
「この時期、この辺りは二十六時頃だってサ。どうするの?」
「一日三十三時間二分十六秒か。そうだな、遊びに出るか」

「でも、あんまり遊んで疲れ過ぎないでよね」
「俺は疲れてるくらいの方が、お前を抱くには丁度いいからな」
「また、そんなことを」

 目を逸らしたハイファは貴重品用のロッカーにショルダーバッグとスペアマガジンを収め、慎重にロックを確かめた。予備弾を盗まれては敵わない、そこらで買う訳にもいかないのだ。
 それぞれの銃は持って出る。何が起こるか知れない上に、ここの海は淡水なので必要以上に錆びつく心配をしなくていい。

 二人はソフトキスを交わすと部屋を出てロックし、エレベーターに乗った。一階に着いてエレベーターから出るときにシドはハイファに手を差し出す。ハイファは他星での特典に思い切り嬉しくなってその手を握った。
 フロントでも手を繋いだまま外出を告げる。ホテルマンたちは微笑んで見送ってくれた。
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