希望の果実~楽園17~

志賀雅基

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第30話

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 総勢四十名ばかりでカレーのランチを摂ったのち『嘆きの果実』を人質にしてシドとハイファは銃とショルダーバッグの返還を申し入れた。
 しかつめらしくオリバーは、「うむ、仕方ない」などと言っていたが、シドの脅しだけでなくエマとハイファの働きが功を奏したのは間違いなかった。

 所詮、女っ気のない男所帯でモノを言うのは旨いメシである。

 餌付けされた男たちから銃とバッグを取り返したが、だからといってすぐさま出て行くことはできなかった。惑星バイナスの核ミサイル問題が残っているからだ。シドたちにも相談する時間が必要だった。

 マイケルとフィリップの案内で取り敢えず個室に落ち着いた。十四階の元・ローゼンバーグの社員寮だったらしいシングルとツインの二部屋だ。部屋の外には当然見張りがついたが、オートドアにはリモータチェッカも付属していて、ハイファはその場でキィロックコードを変更した。

 これで誰も勝手に入ってはこられない。
 まずはツインの部屋に三人集まって互いの話をすり合わせるところから始める。

「つーことで、今回こそは別室長の野郎の卑劣さに呆れたぜ」

 片側のベッドに並んで腰掛けたハイファとエマに長話を聞かせ、向かいのベッドに独り座ったシドは厨房から奪ってきた灰皿の上で灰を弾き落としながら、ポーカーフェイスの眉間に嫌悪感を浮かべた。
 だが厨房で手に入れた保冷ボトルのコーヒーを飲みつつ、ハイファが首を傾げる。

「でもサ、それって逆なんじゃないのかな?」
「逆って何がだよ?」
「だからね、室長は絵を僕らに託すことでテラに渡すまいとしたんじゃないのかってこと」
「何だよ、幾ら上司だからって、何万人かを吹っ飛ばそうって奴に援護射撃か?」

「そういうんじゃないけど……でも、放っておけば調別が手にしてお終いだった『嘆きの果実』は事実、まだ僕らの手元にあるじゃない」
「それはそうだが、だからどうだって言うんだ?」
「もしかして今回室長はテラ連邦議会のオーダーを実行する、その体裁を取りつつも『テラに対抗する者』として僕らを選んだんじゃないのかなって」

 そんなことが自分たちに可能だとでも……確かに別室戦術・戦略コンは弾いたかも知れない。

「ふん。もしお前の仮説通りでも偶然に頼りすぎだろ。あんまり都合が良すぎるぜ」

 吐き捨ててシドはハイファのコーヒーを奪い、グビグビと半分ほど飲み干した。
 一方のハイファは『それはイヴェントストライカだから』などと思ったが、口に出すのは控える。なのに切れ長の黒い目に睨まれて首を竦めた。

「で、エマ。『嘆きの果実』は、あんたのものだ。あんたはどうしたい?」
「もうそれって一個人の思惑や思い入れだけで判断できないと思うの。クレジットでも決められない。わたしは惑星バイナスの人たちを救ってくれる人なら誰にだってあの絵を渡すわ。きっとそのためにハリーはわたしに託したんだと思うから」

 そう言ってエマはふんわりと笑った。

「けどバイナスを救う人っつーのが、なあ。お前ハイファ、誰かいねぇのかよ?」
「敵はテラ連邦だよ、無茶振りしないで欲しいよ。大体、僕らも表立って核ミサイルプログラムの停止に関わっちゃったら、イコール絵の破壊者ってことで自動的にお尋ね者だよ」
「だよなあ、軍には頼れねぇってか」

 コーヒーを飲んでいたエマがそこで口を開く。

「オリバーはダメなのかしら?」
「あのがめついオッサンなあ」
「でも手下の人たちが言ってたよ、『贋作売ってるのも理由がある』みたいなこと」
「だからそいつはカネのためなんだろ」

「まあ、そうだろうけど、それだけじゃない感じだったよ、何か含みもあったし。そうそう、明日の昼の日になったらその『理由』も分かる、見せてくれるって言ってたっけ」
「ふうん。いったい何を意味深に隠してやがるのか……ふあーあ」

 大欠伸して涙を滲ませながらもチェーンスモークする愛し人の様子に気付き、ハイファは隣のシングルの部屋までエマを送っていった。心細いかも知れないが一応レーザーガンは渡してある。部屋もビジネスホテル並みにモノは揃っているので不自由はないだろう。

 シドかハイファからの発振がない限りは、絶対に開けないよう念を押してハイファはツインの部屋に戻った。戻るとシドはまだ生欠伸をしながらも紫煙を吐いていた。

「はーい、怪我人はお昼寝タイムでーす」
「何だよそれは?」
「もう誤魔化されないからね。貴方、胸が痛んでるでしょ?」

「別に、何てことは――」
「ないなんて、嘘をつかないで。昨日の病院でクスリも貰ってるから正直に」

 溜息をついたシドは煙草を消し諸手を挙げる。

「悪い、少し痛むかも知れん」
「そっか。じゃあちょっと待ってね」

 この男が痛いと言えば相当痛んでいる筈だ。内心焦りつつショルダーバッグから鎮痛剤を出した。アルコールにも酔わない、クスリにも強い体質のシドに倍量の四錠を手渡す。そのとき触れた手の温度で熱まで上がっているのを知った。それもかなりの高熱だ。

「シドっ! 貴方はいつもいつも、いつも何でそう隠そうとするのサ!」

 いきなり叫ばれて何のことやら分からず、シドはハイファを見上げて目で訊いた。

「そんな熱出してて自覚がないなんて言わせないからね!」
「熱? そういや何だかフラフラするのは熱のせいか、そうか」

 その言葉でいつもと違い、シドが本当に自身で気付いていなかったらしいと悟る。

「知らなかったんだ?」
「ん、ああ、そうみたいだな」
「そっか……ごめん。まずはこれ飲んでみて。鎮痛剤だから熱にも効く筈だし」
「ん、すまん」

 受け取った四錠を水もなしに飲み込んだシドに、ハイファは慌てて洗面所から水の入った紙コップを持ってくる。シドはその水もひと息に飲み干して紙コップを捻り、抜群のコントロールで部屋の隅のダストボックスに投げ入れた。

「少し様子見てからクスリ、効かないようなら追加するからね」
「んあ、分かった。でもさ」
「でも?」
「分かってんだろ、俺に一番効くクスリはお前だって」

 ハイファは掴まれた自身の手首を困ったように見てから首を横に振った。

「また、そんなこと……だめだよ。もう本当に絶対だめ」
「なあ、ハイファ」

 自分を呼んだ声色がこういったときの常套である甘えた風でなく、やけに硬く響いたので、ハイファは思わず俯いたシドの長めの前髪に隠れた目を覗き込む。すると高熱が原因というには過剰なほどに切れ長の目が赤く潤んでいたので驚いた。

「シド……貴方、どうしたの?」
「怖かったんだ」
「怖かった?」
「あいつらにお前がどうにかされてるんじゃねぇかと思ったら……頭ん中が熱くなって、でも汗は冷たいのが出て、俺……あいつら皆殺しにするつもりだった」

「そう、なんだ」
「俺、お前のことしか……誰がどれだけ死んでも、お前だけが生きててくれればいいんだ。そうじゃなきゃ何万人でも俺は殺す……お前が傍にいてくれねぇと、もう……ああ、俺、何言ってんだろうな」
「シド……分かったから」
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