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第24話

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「で、どうするかだな」
「うーん、本当に実戦投入されるかどうかにも依りますよね」
「医務室兼補給倉庫の裏にヘリが二機あったぞ」
「あの救急ヘリですね。でもここの人たちの命綱をぶち切る根性は僕にもちょっと」

 過去の特別任務でヘリの操縦まで覚えてしまった器用な京哉である。日本国内では航空交通法規が分からないので飛ばせないが他国で盗んで逃げ出すだけなら可能だ。

「何だ、義憤に駆られるなと言う割には弱気だな」
「僕をどんな鬼畜と思って……それなら二百キロ歩いた方が気が楽ですよ」
「確かにそうかも知れんが、暢気に歩いていたらドゥルマ少佐の追っ手に捕まること請け合いだぞ。二度目はそれこそ三日くらいでは済まんだろうしな」

「じゃあ車を盗んでも……直線では二百キロでも実際には山あり谷ありでしたっけ」
「その通りだな。ヘリから見たがかなり険しい山脈越えだった」
「退路ナシと。ところで一ノ瀬本部長は何て言ってたんですか?」
「それがあったか、すっかり忘れていた」

 メールを打ったのに返事もない本部長の存在を忘れていた霧島は、携帯で再びメールを打ったのち、直接本部長の携帯にコールした。果たして本部長は電話に出た。

《――ああ、すまないね。今、首相官邸での会議から戻ったところなのだよ》
「我々の状況はメールでお知らせした通りです」
《分かっている。その件について官邸に行ってきたのだ》
「官邸会議では、何と?」

《申し訳ないが唯一現場にいるきみたちにはそのまま留まって貰い、現場からのレポートを定期的に上げて貰うよう、日米の首脳電話会談で決まったと首相の仰せでね》
「あ……ああ?」

《オルセキア政府の意向ではないにしろ、軍部ではきみたちという日米の国民を拉致監禁するほど反感が高まっているのは事実だ。つい先日まで合同軍事演習を行っていた友好国として、全く以て理解し難い。やはり未知のウイルスで相当ひっ迫している証左だ》

「だからそのように申し上げましたし、我々二人は件のエルミトにまで連れてこられた上に、どうやら兵士に混じって働かねばならない様相を呈しているのですが」

《なるほど、それは却って好都合だよ。では霧島警視と鳴海巡査部長に新たな特別任務を下す。オルセキアの都市エルミトにおいて起きているパンデミックの実情について調査し報告せよ。じゃあ風邪など引かないよう頑張ってくれたまえ。ああ、そうそう。今回問題になっている未知のウイルスは米軍や自衛隊から洩れたものではないという話だ》
「ちょ、あ、本部長? 本部長!」

 切れた電話を呆然と霧島は眺め、霧島を京哉は頬杖をついてじーっと眺めた。

「風邪を引くなだと? 何も分かっていないらしいな、この地獄の如き現状を!」
「だからこそ現場からのレポートが必要なんでしょう」
「ときどき私は京哉、お前の胆の太さが羨ましく思えるぞ」
「僕は忍さんと一緒なら世界が滅亡したって構いませんからね」
「そうか。では取り敢えず昼寝でもして夜に備えるとしよう」

 そう言うと二本目だった煙草を消し、コーヒーを一気飲みして霧島は寝室に移動する。コートとジャケットを脱いだだけでショルダーホルスタの銃も吊ったまま、ベッドに上がって毛布を被ると、三十秒後には穏やかな寝息を立てていた。

 それを見てどちらの胆が太いのかを考えながら、京哉はカップふたつを洗いにキッチンに戻った。すると水に触れたせいか目が冴えてしまい、ベッドに入る気を失くす。リビングでTVを眺めながら時間潰しをすることにした。外国語の勉強のつもりでもある。

 そうして護られた霧島の睡眠は三時間で破られた。携帯にアナベル=ドゥルマ少佐からセオドア=エリクソン中尉経由でしつこく三度もメールが入ったのである。

◇◇◇◇

「今晩二十三時から三時まで任務に就け」

 CPの天幕内でドゥルマ少佐に開口一番そう言われ霧島は一気に頭に血が上った。

「何故軍人でもない、組織表にない私たちがあんたの指揮下に入らねばならない!」
「貴様らには特等席で観戦させてやろうと言っているのだ」
「ふざけるな! そんな観戦チケットは叩き返させて貰うぞ!」

 だが薄笑いを浮かべたドゥルマ少佐は相手にしない。

「何処ぞの経済大国ほどカネが有り余っていない我が軍でタダ飯を食わせる気などない。レストラン屋上からナイトウォーカーズを支援する任務を与える。お得意のスナイプだ」
「だから、どうして私たちがこんな所で人殺しなどしなければならないんだ!」
「見るべきを見たら帰してやるというのだ、悪い話ではないだろうが」

 睨みつける霧島を鼻であしらい、ドゥルマ少佐は京哉の方を向く。

「お前だけでも構わん。やることさえやれば明日ヘリを出してやる」
「……分かりました。勝手に補給倉庫を漁っていいですか?」
「京哉、そんなものを受けるな!」

 何故ここまで霧島がスナイプ任務を避けたがるのか京哉にも分かっていた。京哉は自分の意志でなく赤の他人を射殺した後には必ずPTSDから酷い高熱を出すのだ。薬を飲もうが注射を打とうが効かず、時間が経たなければ下がらない高熱は京哉の心がそれだけ削られ傷ついた証拠だった。だから霧島は京哉に『殺すスナイプ』をさせたがらない。

 出会った頃は具合が悪くても自分の躰に構おうとせず、高熱を発していても周囲に悟られまいとしていた京哉は、自分がトリガを引いたあまたの犠牲者たちの墓標を心に無数に並べ立てている。お蔭でその心は一部が壊れかけてしまっていた。

 その弊害として顕著なのが、時に必要以上の非情さを見せたり、ぞっとするような科白を場違いに明るく言い放ったりといったことだ。だが霧島が四六時中傍に寄り添って限りない無償の愛情を注ぐことで癒され、壊れかけた心も治り始めているように思えた。また自分の命よりも大切で優しくしたい人間を得たのも京哉にとって最良の薬だった。

 一年近く掛けてやっとここまできたのに、霧島はもう京哉を傷つけたくはない。
 しかし京哉から言質を取ったドゥルマ少佐は既に霧島を相手にしていなかった。

「豪語するだけのことは果たして貰うぞ」

 無表情で京哉は頷いた。女指揮官は満足げに笑いを浮かべる。

 傍観者にされた霧島は歯噛みする思いだったが、ピストル射撃なら京哉と五分を張れても狙撃ではとても敵わず、代わってやる訳にもいかないので仕方ない。
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