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第43話(最終話)
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「シド、貴方病人なのに……ごめんね」
「大丈夫だ、もう病人じゃねぇからな。熱、抜けた」
「またそんな……」
と、ハイファは手を伸ばしてシドの額に触れてみる。
「うーん、本当に熱は下がったかもね」
「いつも言ってるだろ、俺にはお前がクスリだって」
「うん。いつまでもクスリでいさせて」
「ああ、俺の傍にずっといてくれ」
眠そうなハイファの明るい金髪をクシャリと掴み、撫でておいてシドはまた寝室から出て行く。戻ったときには湯で絞ったタオルを手にしていて、白く細い躰を丁寧に拭い始めた。
コトのあとで何かと世話を焼きたがるのはシドの趣味のようなものだ。
「出血はしてねぇし、でも痛かったら言えよな」
「ん、ありがと……僕、貴方の傍に……ずっと――」
そのままハイファは寝入ったようだった。下着とパジャマも丁寧に着せかけ、毛布をキッチリと被せておいてから、自分の身繕いをしてハイファの隣に潜り込んだ。
天井のライトパネルをリモータで常夜灯モードにし、いつも通りに金髪頭に左腕で腕枕をする。長いさらさらの金髪を指で梳いた。
そうしているうちにシドにも、とろりとした眠気が押し寄せる。
静かになるのを待っていたようにタマが現れ、ベッドにポトリと飛び乗ると、シドとハイファの毛布の足許辺りで丸くなった。
◇◇◇◇
「ねえ、資料のここ見て」
「あー、何だって? 任務関係資料ってか」
タマを構うのをやめたシドは向かい合ってキッチンの椅子に座り、テーブル越しにハイファのリモータから立ち上がった十四インチホロスクリーンを覗き込んだ。
季節的にハイネックの服は着られず、シドは出勤不能で三日目となっていた。
その間、ハイファは片時もシドと離れず、求め合うままに何度もひとつになって過ごした。慈しむように抱き、抱かれて、ハイファの中でくすぶり続けていたものもようやく薄まり、消えてなくなったように見えた。
そして今、遅まきながら別室からの【任務完遂を祝す】という発振とともに、任務に関する追加資料も送られてきたのである。
「ほら、ここ。コリス星系第四惑星リューラの海洋性人種の声には、ある種の催眠誘導波長が含まれる場合があるんだってサ」
「何だ、それ?」
「ええと、人体を海洋に適した形に改造する際に声帯を鰓の一部として利用し、その振動の波長が人間の視床下部に直接作用して――」
「頼む、もう少し脳ミソに染み込むように言ってくれ」
「ええとね、つまり平たく言えば貴方は本当にセイレーンの歌声に惑わされてた、喩えるなら催眠術に掛かってたってことだよ」
「ふうん、催眠術なあ」
「そっかあ、なあんだ。そういうことだったんだ」
曇りの一片もない微笑みを浮かべたハイファに、シドはそれこそ催眠術にでも掛かったようにふらりと立ち上がり、椅子の背ごと細い躰を抱き締める。白い頬に唇を押しつけた。
「本当にセイレーンの歌声に魅入られてたんだね。ごめんね、貴方ばっかり責めて」
「いや、もうその話は止そうぜ……なあ、ハイファ――」
またベッドでひとしきり融け合うような刻を過ごしたのちにシドが言い出す。
「そろそろ出勤してもいいんじゃねぇか?」
「ヴィンティス課長を肥え太らせたくないんだね」
「それもあるけどさ、いい加減に歩かねぇと足がなまっちまう」
逞しい胸に抱かれたまま、ハイファは茶色くなったシドの首筋のアザ群を見上げる。
「貴方が構わないなら別にいいよ。風邪もすっかり治ったみたいだし」
「お前の躰は大丈夫なのか?」
「ん、平気。じゃあ、お昼食べてからね」
昨夜のカレーを利用したハイファ謹製のドライカレーとスープにサラダのランチをしっかり摂ってから、シドはなるべく台襟の高い綿のシャツを選んで着替えた。コットンパンツを身に着けて執銃し、対衝撃ジャケットを着込むと出勤準備は完了だ。
玄関でハイファとソフトキスを交わして微笑み合い、番猫のタマを置いて七分署に出勤する。
そして重役出勤したシドとハイファの間にはひったくりと痴漢と不法入星者の計五名のツアー客が挟まっていて、ヴィンティス課長の顎を落とさせた。
哀しみを湛えた課長のブルーアイをガン無視したシドはハイファと手分けし、ヒマそうな待機人員に応援を要請して取り調べをさっさと済ませると、やっとデスクに着く。
懐かしの泥水コーヒーと煙草を味わいつつ、楽勝の書類四枚を挙げてから溜まった電子回覧板を眺めてチェックを始めた。
目を通した片端からポイポイとハイファのデスクに積み上げる。署内メールをざっと見終え、さて今日はどの方面を歩こうかと思案していると、唐突にハイファが大声を上げてヴィンティス課長までがビクビクッと反応した。
「ああっ、シド、貴方、今晩開催の『機捜課・警務課合コン』の最終出席欄にチェックつけてる!」
「お前も出席にしといたからな」
「なっ、酷いじゃないのサ!」
「何も酷くねぇよ。付き合いだ、付き合い」
「僕というものがありながら、貴方って人はいつもいつも――」
「幹事はマイヤー警部補だぞ、『是非、出てくれ』って約束させられてだな」
「約束って……まだ懲りてないなんて!」
「ネチこいこと言うなよ。懲りるも何もアレが催眠術だって言ったのはお前だろ?」
「誤魔化しても無駄です! 自分でも『催眠術』に納得してないクセに!」
「だから何もなかったんだって! 単に会う約束をだな……」
「約束の大安売りをする男なんて、もう信じらんない。そのシャツ脱がせてやるんだから!」
「ちょ、ハイファやめろ! うわ、ここで抜くな!」
ハイファがシドの首筋に愛銃をねじ込み、シドがハイファのしっぽを引っ張るという騒ぎに、ヴィンティス課長はこめかみを揉んで背を向け窓外を眺め始める。
待機人員らは大笑いし、ケヴィン警部の胴元で今日はどっちが勝つかで賭けが始まっていた。
了
「大丈夫だ、もう病人じゃねぇからな。熱、抜けた」
「またそんな……」
と、ハイファは手を伸ばしてシドの額に触れてみる。
「うーん、本当に熱は下がったかもね」
「いつも言ってるだろ、俺にはお前がクスリだって」
「うん。いつまでもクスリでいさせて」
「ああ、俺の傍にずっといてくれ」
眠そうなハイファの明るい金髪をクシャリと掴み、撫でておいてシドはまた寝室から出て行く。戻ったときには湯で絞ったタオルを手にしていて、白く細い躰を丁寧に拭い始めた。
コトのあとで何かと世話を焼きたがるのはシドの趣味のようなものだ。
「出血はしてねぇし、でも痛かったら言えよな」
「ん、ありがと……僕、貴方の傍に……ずっと――」
そのままハイファは寝入ったようだった。下着とパジャマも丁寧に着せかけ、毛布をキッチリと被せておいてから、自分の身繕いをしてハイファの隣に潜り込んだ。
天井のライトパネルをリモータで常夜灯モードにし、いつも通りに金髪頭に左腕で腕枕をする。長いさらさらの金髪を指で梳いた。
そうしているうちにシドにも、とろりとした眠気が押し寄せる。
静かになるのを待っていたようにタマが現れ、ベッドにポトリと飛び乗ると、シドとハイファの毛布の足許辺りで丸くなった。
◇◇◇◇
「ねえ、資料のここ見て」
「あー、何だって? 任務関係資料ってか」
タマを構うのをやめたシドは向かい合ってキッチンの椅子に座り、テーブル越しにハイファのリモータから立ち上がった十四インチホロスクリーンを覗き込んだ。
季節的にハイネックの服は着られず、シドは出勤不能で三日目となっていた。
その間、ハイファは片時もシドと離れず、求め合うままに何度もひとつになって過ごした。慈しむように抱き、抱かれて、ハイファの中でくすぶり続けていたものもようやく薄まり、消えてなくなったように見えた。
そして今、遅まきながら別室からの【任務完遂を祝す】という発振とともに、任務に関する追加資料も送られてきたのである。
「ほら、ここ。コリス星系第四惑星リューラの海洋性人種の声には、ある種の催眠誘導波長が含まれる場合があるんだってサ」
「何だ、それ?」
「ええと、人体を海洋に適した形に改造する際に声帯を鰓の一部として利用し、その振動の波長が人間の視床下部に直接作用して――」
「頼む、もう少し脳ミソに染み込むように言ってくれ」
「ええとね、つまり平たく言えば貴方は本当にセイレーンの歌声に惑わされてた、喩えるなら催眠術に掛かってたってことだよ」
「ふうん、催眠術なあ」
「そっかあ、なあんだ。そういうことだったんだ」
曇りの一片もない微笑みを浮かべたハイファに、シドはそれこそ催眠術にでも掛かったようにふらりと立ち上がり、椅子の背ごと細い躰を抱き締める。白い頬に唇を押しつけた。
「本当にセイレーンの歌声に魅入られてたんだね。ごめんね、貴方ばっかり責めて」
「いや、もうその話は止そうぜ……なあ、ハイファ――」
またベッドでひとしきり融け合うような刻を過ごしたのちにシドが言い出す。
「そろそろ出勤してもいいんじゃねぇか?」
「ヴィンティス課長を肥え太らせたくないんだね」
「それもあるけどさ、いい加減に歩かねぇと足がなまっちまう」
逞しい胸に抱かれたまま、ハイファは茶色くなったシドの首筋のアザ群を見上げる。
「貴方が構わないなら別にいいよ。風邪もすっかり治ったみたいだし」
「お前の躰は大丈夫なのか?」
「ん、平気。じゃあ、お昼食べてからね」
昨夜のカレーを利用したハイファ謹製のドライカレーとスープにサラダのランチをしっかり摂ってから、シドはなるべく台襟の高い綿のシャツを選んで着替えた。コットンパンツを身に着けて執銃し、対衝撃ジャケットを着込むと出勤準備は完了だ。
玄関でハイファとソフトキスを交わして微笑み合い、番猫のタマを置いて七分署に出勤する。
そして重役出勤したシドとハイファの間にはひったくりと痴漢と不法入星者の計五名のツアー客が挟まっていて、ヴィンティス課長の顎を落とさせた。
哀しみを湛えた課長のブルーアイをガン無視したシドはハイファと手分けし、ヒマそうな待機人員に応援を要請して取り調べをさっさと済ませると、やっとデスクに着く。
懐かしの泥水コーヒーと煙草を味わいつつ、楽勝の書類四枚を挙げてから溜まった電子回覧板を眺めてチェックを始めた。
目を通した片端からポイポイとハイファのデスクに積み上げる。署内メールをざっと見終え、さて今日はどの方面を歩こうかと思案していると、唐突にハイファが大声を上げてヴィンティス課長までがビクビクッと反応した。
「ああっ、シド、貴方、今晩開催の『機捜課・警務課合コン』の最終出席欄にチェックつけてる!」
「お前も出席にしといたからな」
「なっ、酷いじゃないのサ!」
「何も酷くねぇよ。付き合いだ、付き合い」
「僕というものがありながら、貴方って人はいつもいつも――」
「幹事はマイヤー警部補だぞ、『是非、出てくれ』って約束させられてだな」
「約束って……まだ懲りてないなんて!」
「ネチこいこと言うなよ。懲りるも何もアレが催眠術だって言ったのはお前だろ?」
「誤魔化しても無駄です! 自分でも『催眠術』に納得してないクセに!」
「だから何もなかったんだって! 単に会う約束をだな……」
「約束の大安売りをする男なんて、もう信じらんない。そのシャツ脱がせてやるんだから!」
「ちょ、ハイファやめろ! うわ、ここで抜くな!」
ハイファがシドの首筋に愛銃をねじ込み、シドがハイファのしっぽを引っ張るという騒ぎに、ヴィンティス課長はこめかみを揉んで背を向け窓外を眺め始める。
待機人員らは大笑いし、ケヴィン警部の胴元で今日はどっちが勝つかで賭けが始まっていた。
了
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