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第31話

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「解除薬は完璧の筈よ。あとはハイファス自身の心の問題としか言えないわ」
「治るのか?」

「治ってるわよ。それでも機能していないから心の問題なのよ。明日起きたら、何かのショックで、心の底から安堵できたら……色々とシチュエーションは考えられるけれど、一生聞こえないってことも有り得る。こればかりは現代医療でもブラックボックスなのよ、分かった?」

 ミエラ医師は早口で一気に云うと再びハイファに向かい、今度は優しい口調で幾つかの質問をしてから首を横に振った。

「リモータでの筆談も可能。そう凹むこともないわよ、シド」
「分かってる。大概、互いに考えてることくらい理解できるしな」

「それは御馳走さま。で、また再生槽に入った方が痛みもないし治りも早いけど?」
「ハイファ、再生槽に入るか、このまま起きて入院か、どうしたい?」

 リモータで伝えられたそれに、ハイファは暫し考えたのちに答えた。

「シド、貴方には迷惑掛けちゃうけど、起きていたい。貴方を見ていたいよ」

 女医がそこでポンと手を打つ。

「じゃあ、たっぷり二週間はヒマを持て余して貰うわよ。それに形成手術もあと何度か受けて貰う。本当なら培養移植した方がいいくらいだけれど……どっちがいいかしら?」

 訊いておいて答えは待たずにミエラ女医は去った。二人の仲はミエラも承知している。そして投げた質問は他人が口を挟めることでもない。シドとハイファが相談して決めることだ。
 リモータ入力でミエラ医師の問いをそのままシドはハイファに伝える。

 するとハイファは殆ど即答した。

「余計に迷惑掛けるけど、僕は移植したい」
「迷惑迷惑って、それこそお前は俺を舐めてないか?」
「どうして? 日数は掛かるしその間ずっと貴方は僕を介護するつもりでしょ?」

「普段と逆、世話くらいさせてくれ。これでも……悪いが愉しんでるんだぞ」
「でも培養移植なら本気であと二週間は掛かるよね。歩けもしないだろうし、義肢をつけられる場所でもないし。それに……」

「何だよ?」
「少し恥ずかしいかも」
「バカ」

 唇を読んでの会話をしていると、カタンと音がした。シドが咄嗟にレールガンを掴んで振り向く。だがそれは食事を運ぶリフトの音だった。食事が届いたという合図のグリーンランプが灯っている。二人部屋のベッドは両方押さえてあり、シドも寝泊まりできる食事付きだ。

 トレイを片手にひとつずつ持ってきて、ふたつともハイファ側のベッドの付属テーブルに置いた。枕元に腰掛け、まだベッドに角度もつけられないハイファの口と、自分の口に交互に食事を運び始める。ハイファも素直に口を開けていた。

 昼の日の昼食、メニューは寝ていても食しやすいためか中華風のあんかけ丼にとろみのついた魚と野菜の和え物だった。デザートに果実入りヨーグルトがついている。

「結構旨いな」
「やっぱり魚は培養モノなのかな」

 食べ終えるとシドはハイファに口移しで薬を飲ませ、またハイファの枕元に腰掛けた。指で長い金糸を梳いてやり白い額にキス。唇を読んでのゆっくりとした会話に戻った。

「ハイファ、お前が移植したいなら止めない。けど俺はどんなお前も大好きだぞ」
「ありがと。でも僕は、ちゃんとした躰に戻りたい」

「そうか。本音を言わせて貰うが、俺は喩えお前を抱けなくてもお前を愛してる。これは一生変わらない。でも、できるなら抱きたい。愛してるから、抱きたい」
「そっか。僕もシドに抱かれたいよ」

 優しくシドはハイファを抱き締め、二人は口づけ合った。

「でもさ、本当にどんなお前だって愛してるんだからな。何も心配せずに治せよな」

 頷いたハイファは小さく欠伸する。長話をし食事を摂って疲れたのだろう。シドはそっと毛布を掛けてやった。だがふいにハイファは驚くほどの大声を上げた。

「いやだ、そんなの……やめて、いや、あぅんっ!」
「ハイファ、どうした、ハイファ!」
「痛い、やだ、助けて……抜いて……やあ、ん、痛いよ!」
「ハイファ、俺だ、こっちを見ろ、ハイファ!」
「あうっ……シド、シド……助けて――」

 暴れるハイファをベッドに押さえつけながらナースコールを押した。

 だがそのときにはもう細い躰から力が抜け、ベッドに沈み込むようにしてハイファは目を瞑っていた。眠ったか気絶したかしたようだった。看護師とミエラ女医が駆け付け、点滴に精神安定剤を混ぜることをシドと相談し、これもハイファの腕に安定剤を射って様子を診る。

「本当は無理にでも再生槽に入れて意識を落とした方がいいのだけれど」

 ここで保護者たるシドは同意し培養移植の希望も伝えた。すぐさまサンプルを採られて培養に回され、ハイファは再び再生槽の住人となった。
 躰の損傷した部位が培養完了するまでの約十日間は再生液で揺らめいて過ごすことになり、準備はまたシステマチックに進められ、今度は窓際の方に再生槽がしつらえられる。

 薄緑色の液体に沈んだハイファをシドは眺めた。揺らめく長い髪をすくい上げてキスしたい想いが膨れ上がり、恋しくて堪らなくなるのですぐに離れる。
 やることを探した挙げ句にハイファの黒革のショルダーバンドを手にし、組み上げて満タンにロードしたテミスコピーをショルダーホルスタに収め、再生槽の傍のキャビネットに置いてやった。起きればすぐに手の届く位置だ。

 そして自分は執銃する。ヒップホルスタを右腰に着け、巨大すぎて突き出したバレルをホルスタ付属のバンドで大腿部に留めると、対衝撃ジャケットを羽織った。
 またもハイファから自分が離れるのは不安だった。だがこのままで終わらせることなどできない。尤も黒幕を押さえない限りは分離主義者たちもFCや別室、牽いてはハイファへの攻撃の手を緩めることはないだろう。

 リスキーでもハイファの言う通り、駒を進めないと終わらないのだ。

 シドが別室長に噛みついたお蔭で就いたハイファのガード、地元惑星警察ではなく第三惑星ミントのマイネ統合本部からやってきた警備部のエリートSP四名が護りを固める廊下に出ると丁度やってきた客とニアミスした。客はコウとユウキだった。

「何だ、あんたらは。見舞いか?」
「いや、美人の見舞いもいいが、俺たちにあんたへの捜査共助依頼がきた」
「何だよ、それは。俺は何も出してねぇぞ」

 そこでユウキに代わってコウが困惑した風に説明する。

「上の上の上から降ってきたみたいで、僕らにもよく分からない命令なんですけど」
「実際、マイネ統合本部長に呼ばれて直々の命令だ、俺たちも驚いた」
「とにかく命令ですし、お手伝いさせて下さい」

 キレたシドのハイファへの想いがユアン=ガードナーに伝わった、などというのは甘いだろうが謎かけした以上は言葉通り、何かを期待して援軍を寄越したのだろう。

「何処に行くのか知ってるのか?」
「ナレスの街に、明後日の十五時ですよね?」
「そこまで知ってるなら手伝って貰う。ただ、覚悟しておいてくれ」
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