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第36話

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 ふいにコウが声を出してシドは現実に引き戻される。

「それでこのままナレス入りしてしまうんですか?」
「んあ、考えどころだな」
「マップ通りならナレスも山岳地帯の山間の町だ。聞き込みするなら、まずは――」

「いや、聞き込みはしねぇよ。マフィアの手先がやってる歓楽街、そこに絞る」
「ハズレだったらどうする?」
「実行犯が誘拐ビジネスに長けたマフィアか、タダのよそ者か、鉱山の労働者か。どうだ?」

 ここにハイファがいたなら『イヴェントストライカはハズさないから』などという突っ込みをするところだが、シドが驚異の確率男だと知らない後席二人はただ頷いただけである。

「で、そろそろメシにしねぇか?」

 時刻は十二時過ぎだった。座りっ放しだが腹が立つと腹が減る体質の男は、ポーカーフェイスに色々と怒りを溜めていたので、もう腹ぺこだったのだ。

「じゃあこれがサンドウィッチにホットドッグ、こっちがオニギリと卵焼き。この紙パックがサラダです。紅茶もありますよ」

 等分に配給されたランチをシドは誰より早く平らげて、酸っぱい匂いのするサラダを持て余した。生野菜が得意でなく酸っぱいモノ嫌いのシドはハイファお手製のドレッシングを懐かしく思いつつ、使い捨てのフォークで刺した野菜を嫌々ながらパリパリと噛み締める。

 まだ温かい保温ボトルの紅茶でサラダを流し込み、皆が食べ終わるのを待ってから煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。ユウキも倣う。
 そうして互いの刑事稼業についての話などをし、暗さのお蔭でついに昼間だという感覚をシドが持てないまま、十五時三十二分、オンボロコイルは停止し接地した。

 三人はコイルから降りてそれぞれに伸びをする。数時間も座り続けた躰をほぐしながらシドが辺りを眺めるに、ここはナレスの町でも本当に入り口でしかないらしかった。足元が押し固めた土からひび割れたファイバブロックに変わる、丁度境目にコイルは駐まっている。

 この辺りは人影がなく、背後は木々の生い茂った森、前方は急に幅が広くなった道が一本。暗さで見えなくなるまで道は続いていたが、その両側にはロキニの町と同じく家屋や店舗らしき石と木と土で出来た建物が並んで侘びしい明かりを零していた。

 ぐるりと見渡すと星空を切り取って採掘場であろう山がなだらかな稜線を作っている。そして採掘場の裾野辺り、たぶん町の端に当たる辺りの空がボウッと光を溜めていた。コイルから移植したマップに依ればそこは歓楽街である。

「どうします、目立たない宿でも取りますか?」
「まだ昼間らしいからな。宿を取ってもおかしくねぇ時間まで、そこらを流そうぜ」
「それこそよそ者が目立つだろう。夜までコイルに隠れていた方がよくないか?」

「いや、どうせマフィアに絞ったんだ。夜には歓楽街に乗り込む。それまで逃走経路に当たりをつけたい。マップ頼みじゃ心許ないからな」

 ここでもイヴェントストライカを知らない他星の刑事二人は納得し頷いてしまう。シドが練り歩けばどんなことでも起こり得るというのを知らないのだ、仕方ない。

「なら一旦コイルで通りを流す。それでいいな?」

 無難な選択だった。また三人はオンボロコイルに乗り込んでシドが発進させる。
 まずは低速で真っ直ぐ伸びる道路を縦断するよう、シドがモニタパネルにペン型デバイスで指示を出した。ここも広いというだけで雰囲気はロキニの町と変わらない。ただ夜の日なので普通に営業している店々がまるで祭りの屋台のように見えた。

 夜の日に慣れた地元民はこれも普通に生活を営んでいるようだった。男は鉱山に働きに行っているのだろう、見かけたのは殆どが女性だった。

 人が走るくらいの速度でコイルを走らせたが三十分も掛からず町を縦断し終えてしまう。今度はコイルの入れる細い路地をぐるぐると走らせて非常時の逃走経路を刑事たちは頭に叩き込んだ。その間に幾つかの宿屋の看板と二件の診療所を発見する。

「あとはBELを重点的に探してくれ」
「診療所にもBELはありませんでしたね」
「だが、そこで何でBELなんだ、シド?」
「逃げるなら最強の武器だろ」

「最強のって、もしかしてBELまで買うのか?」
「買う訳ねぇだろ、拝借するんだ」
「拝借って……まさか盗むのか?」
「命が懸かった時には、そのBELが誰の所有かなんてことは、殆ど気にならないもんだぜ」

 後部座席の二人の刑事は低い天井を仰いだ。同時に自分たちがいかに危険なことに足を突っ込んだのか何となく悟ったようで、今更ながら暗い顔つきで溜息をつく。

「辛気臭ぇ溜息なんかついてんじゃねぇぞ。それよりあんたら武装はしてるんだろうな?」
「リモータのスタンレーザーとシリルだけだ」

 シリルM220は広域惑星警察の制式拳銃だ。雨や霧などでパワーが減衰するレーザーガンではなく火薬カートリッジ式の旧式機構、チャンバ一発マガジン九発の計十連発である。難をいえば弾頭は硬化プラスチックで威力も弱いが、至近距離ならば殺傷能力は充分だ。

「予備弾は?」
「持ってない」
「ふん。俺は残弾が二百八十五、予備弾が三百。フルオートも可能だ」

 互いの装備を知っておくのは基本だが、二人はしみじみと首を横に振った。

「厭世的になってるヒマはねぇぞ、マフィアにカチコミかけるまで残り二十時間だからな」
「やっぱり僕、お腹が痛くなって」
「俺も持病の頭痛が――」

 マップで見た町長の家だけにBELがあったのを確認したのち、納得すると鉱山に針路を取る。低速でこれも三十分と掛からず採掘場が見える道の端までやってきた。

「採掘場と歓楽街は隣り合わせか。しかしこんな町にまで歓楽街とは恐れ入るぜ」
「働いたあと、そのまま疲れを紛らわす人が多いんじゃないでしょうか」
「博打に女、もっと疲れそうな気がするがな」

「ところでシド、ここまで手を伸ばしているのは何処のファミリーか分かるのか?」
「別室資料が……ライマンファミリーだとよ。何だ、たったひとつか。楽勝だな」

 その自信が何処からくるのかに暫し思いを馳せて、コウとユウキは遠い目になる。

「ライマンファミリーはマイネでも最大手だぞ?」
「ふうん」

「『ふうん』で済ませるな! 珍しく銃犯罪があれば必ずと言っていいほどライマンファミリーが絡んでいるくらいだ。ドン・ライマンは武闘派、別室とやらに援軍要請でもしろ!」
「援軍があんたらじゃねぇか」
「……」
「資料では常に歓楽街にいる手下は三十人前後だ。一人十人、シリルで丁度間に合うぜ?」

 言葉を失くしたコウとユウキはまた遠い目をしていた。どうしてこんな所に自分がいるのか分からないといった顔つきである。
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