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第26話
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本部長の誘いを丁重に断って本部長室を辞した紫堂は、この格好で再びタクシーに乗るのはさすがに拙いのではないかと思い至って一旦官舎に戻った。
シャワーを浴びてすっきりし、綿のシャツにジーンズとオフホワイトのジャケット姿になる。
あとはバックパックに自分と秋人の着替えやノートパソコンまで詰め込んで背負うと県警本部の第五倉庫に向かい、二丁のヴァーテックを分解清掃した。
放っておくと血や海水で錆び付いてしまうのだ。気が済むまで整備して二丁とも身に帯び、今度はタクシーのドライバーを怯えさせることなく篠宮総合病院に戻る。
そうして紫堂のICU前ベンチでの生活が始まった。
誰に何と言われても紫堂は頑として窓ガラス越しに秋人が見えるベンチから動こうとはしなかった。一日二回病院内の売店に通い、その際に捜査の進捗状況を訊くため県警本部と連絡を取る以外、ずっと色素の薄い瞳を眠る秋人に向け続けた。
そんな生活を五日半続けた挙げ句、秋人が意識を取り戻したことに最初に気付いたのも紫堂だった。酸素マスクをつけたまま端正な顔がこちらを向き、光を怖がるようにまぶたを震わせながらも切れ長の目が見返してくれた瞬間を紫堂は生涯忘れないだろう。
だが秋人が未だ重傷なのには変わりなく、神原本部長の計らいもあって狭くはあったが二人部屋に移された。ベッドの片方は食事付きで紫堂が使えるようにして貰う。
しかし左肩から腕まで動かせないものの、秋人は意識が戻ると同時に周囲が呆れるほど元気な極悪患者となった。何せ片手と足と口は無事なのだ。
「あー、煙草吸いてー」
「さっきまで行方不明になってた患者は何処に行ってたのさ」
「んあ、屋上喫煙所」
「あんたは七日前、一千五百メートルクラスでも狙えるライフルで超至近距離、それも.338ラプアマグナム弾で肩ぶち抜かれて死にかけたばかりなんだけど、覚えてないのかなあ?」
「献血してくれた奴の誰かが健忘症だったんじゃねぇか?」
「じゃあ、僕の双極性障害も伝染してるかもな」
「どのくらい分けてくれたんだ?」
「医者を脅し上げても六百弱だった。でも実際、死ぬかと思ったね」
それを聞いて今度は秋人が紫堂を寝かせようとする騒ぎである。あまりの五月蠅さに看護師長がやってきて、二人一緒にどやされるハメになった。その前にも病院内を駆けずり回って行方不明患者を連れ戻した紫堂は、理不尽にも自分まで叱られて憤慨している。
この生活を一ヶ月は続けなければならないのだ。紫堂は眩暈がする思いだった。
けれど一方の秋人も紫堂と煮詰まる怖さから院内徘徊を続けているのだ。
それでも幾ら避けようと所詮は狭い二人部屋である。薄っぺらな患者服は見事に躰のラインを露わにしてくれる代物で、秋人は眠くもないのに毛布にくるまり不貞寝をすることが徐々に増えていった。だが秋人の不機嫌の原因が紫堂には分からない。
タフな秋人は撃たれてから二週間もしないうちに腕が固まらないようリハビリを始めたが、療法士のみに任せない紫堂の努力にも笑顔で応えてやれないことが多くなった。
まだギプスで固められていて動かすことができるのは肘から先だけだが、互いに体毛の薄い滑らかな肌が触れるだけで秋人は過剰反応してしまう。
しかしリハビリに手を貸す紫堂は訝しくも不安を膨らませるばかりだ。
紫堂の不安を感じ取り、秋人もここで再び『触るな』とは言えず不機嫌になる。腕だけは差し出しても紫堂と目も合わせようとしない。そんな日が続くうちに紫堂は急激に気分を下降させ始めていて、秋人より紫堂の方が患者らしくなりつつあった。
救いはこの病院で既に紫堂は精神科を受診し、取り敢えず気分変調性障害なる診断を下されて服薬も始めていることだった。
だがこの手の病気の薬が劇的に効くことは少ない。
基本的な気分調整薬は一生飲むものと覚悟した上で、あとは躁・鬱・平静時の時々で必要な薬をチョイスし組み合わせるのだが、最初からヒットすれば僥倖で、普通は長い時間を掛けて千差万別の症状に合わせ、多種の薬剤を調整していかなければならないのだ。
それから数日後。
部屋で出来るリハビリにまた紫堂は手を貸していたが、秋人はポーカーフェイスというより能面並みの無表情、そんな顔つきで腕一本だけを突き出された紫堂も秋人に負けない能面状態だが、その一枚下には泣きたいほどの恐怖を押し隠していた。
自分の何処が悪くて秋人にこんな表情をさせるのだろう。
どうして最近いつも怒っているのか。自分と目も合わせようとせず不用意に触れると全身で弾き返すように拒否されるのは何故なのか。まるで分からなかった。
だが理由を訊きたくても決定的な言葉を聞かされるのが怖くて、とても訊けない。
見捨てられ不安が強いのも自分の症状のひとつだと知っていた。一昨日辺りから本格的な鬱に自分が呑み込まれ、全てをマイナス方向に考えてしまっているのも理解している。これを自分は何度も繰り返してきたのだから。
だが理性では分かっているのに、解っているのに感情がついてこない。だから人間は何十年生きていても嬉しく哀しく感動もして飽きることがないのだ。
そこまで理性的に考える力はあるのに紫堂は耐えられなくなった。動かしてやっていた秋人の腕を無言で手放すとこちらを見ようとしない切れ長の目を窺って更に絶望感に打ちのめされ、重たく怠い躰を何とか自分のベッドに引きずり上げて横になる。
頭まで毛布を被った。全身で期待したが、秋人からは声ひとつ掛からなかった。
頭痛と耳鳴り、薬の飲み始めに起こる副作用の吐き気が酷かった。つらくて眠ってしまいたいがロクに効かない睡眠薬は夜にしか処方されない。こうしていても生きる気力が刻々と低下していく。これが進行すると、もう死のうとする気力すらなくなってしまうのだ。
故に鬱は行動力が残っている時期の方が危ないとも言われていた。
今回の鬱は思いがけなく長く続いた躁の反動というだけでなく、明らかに秋人から拒否されているというファクタが大きかった。
そのためか以前に経験したことがないほどの深みにまで落ち込んでしまい、それを二人部屋でなるべく表に出すまいとしているのが、余計につらさに拍車を掛けているようだった。
時折フラッシュバックまで襲ってくる。手の中で柔らかく細い猫の首が身じろぎして細く鳴いた。僕は苦しませずに殺せた? 大切な、家族以上に大切なものたちを僕は殺す以外に何かなかったのか……。
冷たい石を積んだこの手を伸ばしても、握ってくれる者はいない。
ここ二年なかったくらいに心がよじれてしまい呼吸すら上手くできなかった。
毛布の陰で喉に詰まった熱いものを何度も呑み込もうとする。
いい大人の男が情けないが、大声を上げて泣き喚くことのできる場所が欲しかった。そこで秋人の体温と艶やかな長めの前髪の感触を指に甦らせながら、思い切り泣けたらいいのにと思う。
何もかもが苦しかった。吐き出せずに心の内圧が高まりすぎて破裂しそうだ。
かつては暴発してしまわないよう、大きな風船がパチンと割れてしまう前にごく小さな穴を開けるつもりでリストカットをしていたが、既にずたずたになった腕に刃を当てることを、この二年はやっていなかった。だが思い出してしまうと誘惑に負けそうになる。
いつだかリスカの痕をまともに秋人に見られたことがあった。そのとき秋人はただ『すげぇな。痛くねぇの?』と訊き、『今は痛くない』と答えると、次にはその日の夕食をどうするか紫堂に訊いたのだった。
そんな秋人にこれ以上見苦しく増えた傷痕など見られたくなかった。見捨てられ不安は強いが、あれこれと過剰に心配されたい訳ではないつもりだ。
それなら秋人に知られないように……いや、既に差し伸べられていた手は離されてしまい、切れ長の目は自分をまともに覗き込むことなどない。唯一損得もなく自分に触れてくれた温かな手はもう存在しないのだ。今更秋人の目を気にする必要などないだろう。
思考が暴走していることに心の一部は気付いていた。もう一人の醒めきった自分が背後から実体の自分を俯瞰し「何を大袈裟な」と嗤っている。だが他人のように解離した自分も紫堂を止められない。いや、止める理由がなかったという方が精確か。
秋人不在の世界に自分は用がないと思っていたが、今は世界から自分が弾き出されてしまったように感じていた。また闇に戻ったのだ。
もういいだろうと思う。もう充分だ……。
重たい躰を叱咤して起きると、秋人は窓際のベッドで毛布にくるまり背を向けていた。紫堂は静かにベッドから滑り降りると売店に向かうべく二人部屋を出た。
シャワーを浴びてすっきりし、綿のシャツにジーンズとオフホワイトのジャケット姿になる。
あとはバックパックに自分と秋人の着替えやノートパソコンまで詰め込んで背負うと県警本部の第五倉庫に向かい、二丁のヴァーテックを分解清掃した。
放っておくと血や海水で錆び付いてしまうのだ。気が済むまで整備して二丁とも身に帯び、今度はタクシーのドライバーを怯えさせることなく篠宮総合病院に戻る。
そうして紫堂のICU前ベンチでの生活が始まった。
誰に何と言われても紫堂は頑として窓ガラス越しに秋人が見えるベンチから動こうとはしなかった。一日二回病院内の売店に通い、その際に捜査の進捗状況を訊くため県警本部と連絡を取る以外、ずっと色素の薄い瞳を眠る秋人に向け続けた。
そんな生活を五日半続けた挙げ句、秋人が意識を取り戻したことに最初に気付いたのも紫堂だった。酸素マスクをつけたまま端正な顔がこちらを向き、光を怖がるようにまぶたを震わせながらも切れ長の目が見返してくれた瞬間を紫堂は生涯忘れないだろう。
だが秋人が未だ重傷なのには変わりなく、神原本部長の計らいもあって狭くはあったが二人部屋に移された。ベッドの片方は食事付きで紫堂が使えるようにして貰う。
しかし左肩から腕まで動かせないものの、秋人は意識が戻ると同時に周囲が呆れるほど元気な極悪患者となった。何せ片手と足と口は無事なのだ。
「あー、煙草吸いてー」
「さっきまで行方不明になってた患者は何処に行ってたのさ」
「んあ、屋上喫煙所」
「あんたは七日前、一千五百メートルクラスでも狙えるライフルで超至近距離、それも.338ラプアマグナム弾で肩ぶち抜かれて死にかけたばかりなんだけど、覚えてないのかなあ?」
「献血してくれた奴の誰かが健忘症だったんじゃねぇか?」
「じゃあ、僕の双極性障害も伝染してるかもな」
「どのくらい分けてくれたんだ?」
「医者を脅し上げても六百弱だった。でも実際、死ぬかと思ったね」
それを聞いて今度は秋人が紫堂を寝かせようとする騒ぎである。あまりの五月蠅さに看護師長がやってきて、二人一緒にどやされるハメになった。その前にも病院内を駆けずり回って行方不明患者を連れ戻した紫堂は、理不尽にも自分まで叱られて憤慨している。
この生活を一ヶ月は続けなければならないのだ。紫堂は眩暈がする思いだった。
けれど一方の秋人も紫堂と煮詰まる怖さから院内徘徊を続けているのだ。
それでも幾ら避けようと所詮は狭い二人部屋である。薄っぺらな患者服は見事に躰のラインを露わにしてくれる代物で、秋人は眠くもないのに毛布にくるまり不貞寝をすることが徐々に増えていった。だが秋人の不機嫌の原因が紫堂には分からない。
タフな秋人は撃たれてから二週間もしないうちに腕が固まらないようリハビリを始めたが、療法士のみに任せない紫堂の努力にも笑顔で応えてやれないことが多くなった。
まだギプスで固められていて動かすことができるのは肘から先だけだが、互いに体毛の薄い滑らかな肌が触れるだけで秋人は過剰反応してしまう。
しかしリハビリに手を貸す紫堂は訝しくも不安を膨らませるばかりだ。
紫堂の不安を感じ取り、秋人もここで再び『触るな』とは言えず不機嫌になる。腕だけは差し出しても紫堂と目も合わせようとしない。そんな日が続くうちに紫堂は急激に気分を下降させ始めていて、秋人より紫堂の方が患者らしくなりつつあった。
救いはこの病院で既に紫堂は精神科を受診し、取り敢えず気分変調性障害なる診断を下されて服薬も始めていることだった。
だがこの手の病気の薬が劇的に効くことは少ない。
基本的な気分調整薬は一生飲むものと覚悟した上で、あとは躁・鬱・平静時の時々で必要な薬をチョイスし組み合わせるのだが、最初からヒットすれば僥倖で、普通は長い時間を掛けて千差万別の症状に合わせ、多種の薬剤を調整していかなければならないのだ。
それから数日後。
部屋で出来るリハビリにまた紫堂は手を貸していたが、秋人はポーカーフェイスというより能面並みの無表情、そんな顔つきで腕一本だけを突き出された紫堂も秋人に負けない能面状態だが、その一枚下には泣きたいほどの恐怖を押し隠していた。
自分の何処が悪くて秋人にこんな表情をさせるのだろう。
どうして最近いつも怒っているのか。自分と目も合わせようとせず不用意に触れると全身で弾き返すように拒否されるのは何故なのか。まるで分からなかった。
だが理由を訊きたくても決定的な言葉を聞かされるのが怖くて、とても訊けない。
見捨てられ不安が強いのも自分の症状のひとつだと知っていた。一昨日辺りから本格的な鬱に自分が呑み込まれ、全てをマイナス方向に考えてしまっているのも理解している。これを自分は何度も繰り返してきたのだから。
だが理性では分かっているのに、解っているのに感情がついてこない。だから人間は何十年生きていても嬉しく哀しく感動もして飽きることがないのだ。
そこまで理性的に考える力はあるのに紫堂は耐えられなくなった。動かしてやっていた秋人の腕を無言で手放すとこちらを見ようとしない切れ長の目を窺って更に絶望感に打ちのめされ、重たく怠い躰を何とか自分のベッドに引きずり上げて横になる。
頭まで毛布を被った。全身で期待したが、秋人からは声ひとつ掛からなかった。
頭痛と耳鳴り、薬の飲み始めに起こる副作用の吐き気が酷かった。つらくて眠ってしまいたいがロクに効かない睡眠薬は夜にしか処方されない。こうしていても生きる気力が刻々と低下していく。これが進行すると、もう死のうとする気力すらなくなってしまうのだ。
故に鬱は行動力が残っている時期の方が危ないとも言われていた。
今回の鬱は思いがけなく長く続いた躁の反動というだけでなく、明らかに秋人から拒否されているというファクタが大きかった。
そのためか以前に経験したことがないほどの深みにまで落ち込んでしまい、それを二人部屋でなるべく表に出すまいとしているのが、余計につらさに拍車を掛けているようだった。
時折フラッシュバックまで襲ってくる。手の中で柔らかく細い猫の首が身じろぎして細く鳴いた。僕は苦しませずに殺せた? 大切な、家族以上に大切なものたちを僕は殺す以外に何かなかったのか……。
冷たい石を積んだこの手を伸ばしても、握ってくれる者はいない。
ここ二年なかったくらいに心がよじれてしまい呼吸すら上手くできなかった。
毛布の陰で喉に詰まった熱いものを何度も呑み込もうとする。
いい大人の男が情けないが、大声を上げて泣き喚くことのできる場所が欲しかった。そこで秋人の体温と艶やかな長めの前髪の感触を指に甦らせながら、思い切り泣けたらいいのにと思う。
何もかもが苦しかった。吐き出せずに心の内圧が高まりすぎて破裂しそうだ。
かつては暴発してしまわないよう、大きな風船がパチンと割れてしまう前にごく小さな穴を開けるつもりでリストカットをしていたが、既にずたずたになった腕に刃を当てることを、この二年はやっていなかった。だが思い出してしまうと誘惑に負けそうになる。
いつだかリスカの痕をまともに秋人に見られたことがあった。そのとき秋人はただ『すげぇな。痛くねぇの?』と訊き、『今は痛くない』と答えると、次にはその日の夕食をどうするか紫堂に訊いたのだった。
そんな秋人にこれ以上見苦しく増えた傷痕など見られたくなかった。見捨てられ不安は強いが、あれこれと過剰に心配されたい訳ではないつもりだ。
それなら秋人に知られないように……いや、既に差し伸べられていた手は離されてしまい、切れ長の目は自分をまともに覗き込むことなどない。唯一損得もなく自分に触れてくれた温かな手はもう存在しないのだ。今更秋人の目を気にする必要などないだろう。
思考が暴走していることに心の一部は気付いていた。もう一人の醒めきった自分が背後から実体の自分を俯瞰し「何を大袈裟な」と嗤っている。だが他人のように解離した自分も紫堂を止められない。いや、止める理由がなかったという方が精確か。
秋人不在の世界に自分は用がないと思っていたが、今は世界から自分が弾き出されてしまったように感じていた。また闇に戻ったのだ。
もういいだろうと思う。もう充分だ……。
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