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第6話

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 しなやかな足取りでシドは雑踏の人々を縫って行く。併設されたスライドロードにも乗らない。そんなシドはヴィンティス課長を困らせたくて歩いているのではない。歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。

 それを理解していて、ハイファも日々シドと共に靴底を擦り減らしている。

 愛し人と肩を並べたハイファは、光害で殆ど星の見えない空を見上げ、白っぽい半円のルナを眺めて、シドと手を繋ぎたいのをじっと我慢した。
 やがて二人は本当にノーストライクで官舎の根元まで辿り着いてしまう。

「ほらな、俺の勝ちだぜ」
「すごいすごい、雪でも降ってきそうだよ!」
「喜ばれても腹が立つのはどうしてだろうな?」
「そんなことで悩んでないで、後ろが詰まってきてるよ」

 二人はエントランス脇のリモータチェッカにリモータを交互に翳した。IDコードをマイクロ波で受けたビルの受動警戒システムが瞬時に二人をX‐RAYサーチ、本人確認してやっと防弾樹脂のオートドアが一人につき五秒だけ開く。勿論、銃は登録済みだ。

 住んでいるのは平刑事だけではないので、仰々しいセキュリティは仕方ない。

 ロビーを縦断してエレベーターホールへ。乗り込んで五十一階で降り、廊下を突き当たりまで歩くと右のドアがシドで左がハイファの自室である。
 だが今のような仲になって以来、着替えやバスルームでリフレッシャを浴びるとき以外の殆どのオフの時間をハイファはシドとともに過ごすようになっていた。故にもうシドの部屋の方が帰る家といった具合である。

 今日も二人してシドの部屋に直帰だ。シドがリモータでロックを解く。

 玄関に入るなり走ってきたオスの三毛猫タマが「ニャーン」と出迎えた。普段はえげつないまでに気性の荒い野生だが、今日は機嫌がいいらしい。

「丸一日、一発も発砲もせずにノーストライクで帰って、タマが可愛いなんて信じられない!」
「ハイファお前、いい加減にしろよ?」

 どんな生活スタイルを取っても構わない官舎だったが、シドは室内を土足厳禁にしていた。ポーカーフェイスの眉間にシワを寄せたまま靴を脱いで上がり、足に絡まるタマに難儀しながらチャコールグレイの対衝撃ジャケットを脱ぐ。

 執銃も解いて寝室のライティングチェストに置きに行くと、手を洗って真っ先にタマの水替えとエサやりだ。

「ほら、今日はお前の好きなマグロの半生ジュレソースだぞ」

 朝はカリカリ、夜は猫缶の決まりでカパリとフタを開けるとタマはエラい騒ぎだ。

「痛たた、噛むなって」

 専用の皿にスプーンで空けてやるとタマはふんふんと臭いを嗅いだのち、かつかつと食べ始める。三色の毛皮を撫でるとしっぽがボワッと膨らんだ。やはり野生だ。

「仕方ないよね、人でも住みづらいほど前衛的な衛星に引っ越した皆が大変すぎて、すっかり忘れられてたんだから」
「お蔭でスレちまったんだよな。御上のやるこたコレだ。動物虐待で訴えてやるところだぜ」

 過去の別室任務で預かったというか、押し付けられたタマに癒されることは滅多にない。シドとハイファは暫し大人しいタマを眺めた。
 それに飽きるとハイファは主夫として始動するべく、こちらもソフトスーツの上着を脱ぎ、ホルスタ付きショルダーバンドも外したドレスシャツとスラックス姿で手を洗う。

「さあて、今日は何を作ろうかな……って、シド、んんっ!」

 ふいに抱き竦められ廊下の壁を背にして噛みつくようなキスを仕掛けられたのだ。

「ん、んんぅ……はあっ、どうしたの?」
「どうもこうもねぇよ、帰ってまだキスしてなかっただろ。ほら――」

 再び唇を塞がれる。唇を捩るようにして開き、歯列を割って入り込んできた柔らかな舌に届く限りを舐め回された。舌を絡め取られ何度も吸い上げられては舌先を甘噛みされる。
 おまけにその場でプチプチとドレスシャツのボタンを外す愛し人に、ハイファは思わず抵抗した。

「んっ……あっ、ちょっと、シド!」

 だがその両手をシドは左手一本でまとめて明るい金髪の頭上に縫い止めてしまう。
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