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第三章 四つの創家
最期に残すもの-③
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「いやああああああ……っ お父様! お母さまああああ……!」
「陛下……皇后陛下……」
頬に爪を立てて叫ぶファイネッテの身体を支えたが、声を出すなとはもう言えなかった。王、皇后、皇太后の身体は川の字に並べられていた。その顔はすでに魂のない穏やかなもので、その死に際がどのようなものだったか窺い知ることはできない。
廊下を兵士が駆けてくる音がする。シアーラは王の机まで行き、その床の扉を開いた。人一人がやっと入れる空間に、目を見開き震えるファイネッテの身体を押し込んだ。
「ファイネッテ様、ここは城下の雑貨店に繋がっています。そこにはローゼンタール派の貴族が控えています。そこであれば、御身を守れるでしょう。大丈夫です、逃げきれます。過去にも王族が逃げ、貴族に匿われて密かに生き延びたことなどいくらでもあります。……ただ、道が険しいので、今のうちに少し、休まれたほうがいいかもしれませんね」
どう考えても矛盾した言葉がすらすらと口から出た。ここに死体が並べられているのなら、この先の人間もとうに亡き者になっているだろうに。
ファイネッテの顔は恐怖に歪み、頬は爪を立てたせいで、いくつもの無惨な赤い線がついていた。怒りとも絶望ともつかないギラギラとした目でシアーラを見たあと、シアーラが差し出した、中身を知っているはずの小瓶を奪うように手に取り飲み干した。もう、中身がなんであろうと、この場にこのままいては狂ってしまうという動物的な本能のように見えた。
狭い空間で頭を膝に埋めたファイネッテの身体から徐々に力が抜けていくのを確認して、シアーラは床扉を閉めた。
「ああ……」
直後、部屋の扉を開き入ってきたのがその男だったことに、シアーラは驚かなかった。無表情のままリンゼイが近づいてくる。怒りと憎しみで胸の中は混沌として、逆に静かなくらいだった。
もう、自分がここで終わることは分かっているが、それでもシアーラは疑問を口にした。
「最初から、決まっていたのか?」
男は答えない。あの盗賊たちを殺した時と同じように、表情を変えずに剣を抜く男にシアーラは続けた。
「私の勘でしかないんだが……もう、お前にしか頼めない。ここに書かれた道順を辿って、記録番と呼ばれる男を探ってくれないか」
リンゼイは差し出した紙を受け取りもせず、その言葉にも反応すらしなかった。シアーラは首に剣を当てられてもリンゼイをまっすぐ見上げていた。残った使命に意識を集中させなければ、死ぬ恐怖に狼狽してしまう。その姿だけは見られたくない。
何もかも許せることではない。だが、もう終わりだ。死に怯え泣き叫ぶ自分も心のどこかにいたが、この男ならばすぐに楽にしてくれるだろうという確信がシアーラを落ち着かせてくれた。
あの共同訓練の時、このような未来が待っているとは想像もしていなかった。
「……お前たちが始めたことだ」
「……本当に、そう思うか?」
命の手綱を握っておいて、やっと言葉を出したかと思えばそれか? と違和感を覚えた。まるで言い訳のように聞こえておかしくなり、微笑むことまでできた。
だがその時浮かんだのは、フリードの最期の笑顔だった。何かを言おうとして、でも彼はシアーラのためにそれを伝えなかった。
この男には、そのような優しい真似をしてやる必要はない。この使命にもう一つ、重しをつけてやる。
「最後に、これは、お前と私の、取り巻く状況の全てと、……関係のないことだ」
リンゼイの首元を掴み、かかとを上げて口づけした。
リンゼイは一点を見つめ、微動だにしなかった。身体を離したシアーラは、毒薬を仕込まれるかもしれないのに無用心すぎると、またおかしくなった。おかげで恐怖がほとんどなくなった。
「……どうした」
リンゼイは先ほどの無表情ではなく、瞳で殺せそうなほど怖い顔でシアーラを睨み下ろしている。
不自然なほどの沈黙のあと、リンゼイはシアーラの腕を引いた。
「来い」
「陛下……皇后陛下……」
頬に爪を立てて叫ぶファイネッテの身体を支えたが、声を出すなとはもう言えなかった。王、皇后、皇太后の身体は川の字に並べられていた。その顔はすでに魂のない穏やかなもので、その死に際がどのようなものだったか窺い知ることはできない。
廊下を兵士が駆けてくる音がする。シアーラは王の机まで行き、その床の扉を開いた。人一人がやっと入れる空間に、目を見開き震えるファイネッテの身体を押し込んだ。
「ファイネッテ様、ここは城下の雑貨店に繋がっています。そこにはローゼンタール派の貴族が控えています。そこであれば、御身を守れるでしょう。大丈夫です、逃げきれます。過去にも王族が逃げ、貴族に匿われて密かに生き延びたことなどいくらでもあります。……ただ、道が険しいので、今のうちに少し、休まれたほうがいいかもしれませんね」
どう考えても矛盾した言葉がすらすらと口から出た。ここに死体が並べられているのなら、この先の人間もとうに亡き者になっているだろうに。
ファイネッテの顔は恐怖に歪み、頬は爪を立てたせいで、いくつもの無惨な赤い線がついていた。怒りとも絶望ともつかないギラギラとした目でシアーラを見たあと、シアーラが差し出した、中身を知っているはずの小瓶を奪うように手に取り飲み干した。もう、中身がなんであろうと、この場にこのままいては狂ってしまうという動物的な本能のように見えた。
狭い空間で頭を膝に埋めたファイネッテの身体から徐々に力が抜けていくのを確認して、シアーラは床扉を閉めた。
「ああ……」
直後、部屋の扉を開き入ってきたのがその男だったことに、シアーラは驚かなかった。無表情のままリンゼイが近づいてくる。怒りと憎しみで胸の中は混沌として、逆に静かなくらいだった。
もう、自分がここで終わることは分かっているが、それでもシアーラは疑問を口にした。
「最初から、決まっていたのか?」
男は答えない。あの盗賊たちを殺した時と同じように、表情を変えずに剣を抜く男にシアーラは続けた。
「私の勘でしかないんだが……もう、お前にしか頼めない。ここに書かれた道順を辿って、記録番と呼ばれる男を探ってくれないか」
リンゼイは差し出した紙を受け取りもせず、その言葉にも反応すらしなかった。シアーラは首に剣を当てられてもリンゼイをまっすぐ見上げていた。残った使命に意識を集中させなければ、死ぬ恐怖に狼狽してしまう。その姿だけは見られたくない。
何もかも許せることではない。だが、もう終わりだ。死に怯え泣き叫ぶ自分も心のどこかにいたが、この男ならばすぐに楽にしてくれるだろうという確信がシアーラを落ち着かせてくれた。
あの共同訓練の時、このような未来が待っているとは想像もしていなかった。
「……お前たちが始めたことだ」
「……本当に、そう思うか?」
命の手綱を握っておいて、やっと言葉を出したかと思えばそれか? と違和感を覚えた。まるで言い訳のように聞こえておかしくなり、微笑むことまでできた。
だがその時浮かんだのは、フリードの最期の笑顔だった。何かを言おうとして、でも彼はシアーラのためにそれを伝えなかった。
この男には、そのような優しい真似をしてやる必要はない。この使命にもう一つ、重しをつけてやる。
「最後に、これは、お前と私の、取り巻く状況の全てと、……関係のないことだ」
リンゼイの首元を掴み、かかとを上げて口づけした。
リンゼイは一点を見つめ、微動だにしなかった。身体を離したシアーラは、毒薬を仕込まれるかもしれないのに無用心すぎると、またおかしくなった。おかげで恐怖がほとんどなくなった。
「……どうした」
リンゼイは先ほどの無表情ではなく、瞳で殺せそうなほど怖い顔でシアーラを睨み下ろしている。
不自然なほどの沈黙のあと、リンゼイはシアーラの腕を引いた。
「来い」
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