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第四章 逃亡の道
説得-③
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ヤリスはふと、顔を上げた。
ナターナの開発に伴い急激に増えた書類に囲まれ、それに一枚一枚目を通していたのだが、今、窓の外を何かが通ったような気がしたのだ。
(鳥、か……?)
扉の外に控えている兵士に命じようかとも思ったが、彼は外を覗くことにすら怯えるような領主ではない。どしどしとそのまま窓に近づいた。その瞬間、ギッと鈍い音を立てて窓が開かれ、開いた隙間からひらりと誰かが舞い込んだ。剣を部屋の隅に置いてきたヤリスは、声を上げる間もなく、頭に覆い被さるように押さえつけられた。もがくうちにどさりと何かを床に置く音がし、もう一人が背後に回る。一段強い力で拘束されるまで、一瞬だった。
やっと解放された口と鼻を塞がれ、口に何かを注がれる。咳き込み抵抗したが、ヤリスはそれを少量飲み込んでしまった。静かな女の声が告げた。
「同時に解毒剤を摂取すればただの薬だが、そうしなければ強い毒となりすぐに中毒症状が起こる。大人しくなさるよう」
「こん……っ、の、……糞どもが……」
ヤリスはとうに、この侵入者たちが何者であるかは分かっていた。
「逃げたとは聞いていたが、わざわざここにやって来るとは……!」
リンゼイもヤリスも、互いに腕に血管を浮き立たせながらぴくりとも動かない。だが、眉を顰めたリンゼイの表情から、ヤリスがとてつもない力で抵抗していることが伝わってくる。
「私たちに手を貸していただきたい」
「誰が、……うぐ……っ」
リンゼイが腕をさらに固めた。シアーラは畳み掛ける。
「ナターナ公。記録番、という名を聞いたことはあるか?」
「記録、番、だぁ?」
「ああ。その男が、今回の反乱の糸を引いている可能性がある」
脂汗を浮かべながら、くくっ、とヤリスが笑いを落とした。
「いいじゃないか」
「な……」
「ローゼンタールが崩れてバルドバ政権になれば、俺にはそのほうがいい。裏で何が動いていようが、結果どちらが自分に有利になるか、それだけだろう」
「ナターナ公……先の戦で、情勢が貴殿に有利に働いたことがあっただろう」
シアーラが話の流れを急激に変えたからか、あるいはその内容を聞いてか、ヤリスが訝しげに眉を上げた。
「変だとは思わなかったか? あなたの部隊は間違いなく精鋭だった。だが戦況は決して良くはなかったはずだ。あれだけの犠牲で済んだことに、違和感を抱かなかったか?」
「まさか、それも……その記録番とやらの仕業だと言うのか」
馬鹿にしたように笑う目。シアーラはそこに、静かに告げた。
「息子殿がお亡くなりになったことも、本当に……不運な事故なのだろうか」
「なんだと……?」
ヤリスは顔に出さないように努めてはいたが、目は驚愕の感情を表していた。その横を汗が伝っていく。
「あれは確かめた。間違いない。崖から足を滑らせ、動けない所を囲まれた。その痕跡があった」
「本当に? あなたがこの領地に追いやられたことだってそうだ。本当に、全てが偶然か?」
「やめろ……」
ぜいぜいという音が息に混じる。シアーラとヤリスの目が通い合った。瞳孔が開いている。興奮状態もあいまって、予想より限界が近い。
「お前は、それも……そいつが関わっていると言うのか」
「おそらく」
「おそらく、だと?」
ギラギラとした視線がシアーラに突き刺さる。これほどの炎が彼の中にあったのかと驚くほどの激しさだった。
「もしそうでなければ、……一番にお前を殺してやる。お前の知らない、最も残酷な方法でな」
「ああ……構わない」
静かな湖面のようなシアーラの目を見て、はあ、とヤリスが息を吐いた。二人は次に出る言葉を待った。
ヤリスはふと、顔を上げた。
ナターナの開発に伴い急激に増えた書類に囲まれ、それに一枚一枚目を通していたのだが、今、窓の外を何かが通ったような気がしたのだ。
(鳥、か……?)
扉の外に控えている兵士に命じようかとも思ったが、彼は外を覗くことにすら怯えるような領主ではない。どしどしとそのまま窓に近づいた。その瞬間、ギッと鈍い音を立てて窓が開かれ、開いた隙間からひらりと誰かが舞い込んだ。剣を部屋の隅に置いてきたヤリスは、声を上げる間もなく、頭に覆い被さるように押さえつけられた。もがくうちにどさりと何かを床に置く音がし、もう一人が背後に回る。一段強い力で拘束されるまで、一瞬だった。
やっと解放された口と鼻を塞がれ、口に何かを注がれる。咳き込み抵抗したが、ヤリスはそれを少量飲み込んでしまった。静かな女の声が告げた。
「同時に解毒剤を摂取すればただの薬だが、そうしなければ強い毒となりすぐに中毒症状が起こる。大人しくなさるよう」
「こん……っ、の、……糞どもが……」
ヤリスはとうに、この侵入者たちが何者であるかは分かっていた。
「逃げたとは聞いていたが、わざわざここにやって来るとは……!」
リンゼイもヤリスも、互いに腕に血管を浮き立たせながらぴくりとも動かない。だが、眉を顰めたリンゼイの表情から、ヤリスがとてつもない力で抵抗していることが伝わってくる。
「私たちに手を貸していただきたい」
「誰が、……うぐ……っ」
リンゼイが腕をさらに固めた。シアーラは畳み掛ける。
「ナターナ公。記録番、という名を聞いたことはあるか?」
「記録、番、だぁ?」
「ああ。その男が、今回の反乱の糸を引いている可能性がある」
脂汗を浮かべながら、くくっ、とヤリスが笑いを落とした。
「いいじゃないか」
「な……」
「ローゼンタールが崩れてバルドバ政権になれば、俺にはそのほうがいい。裏で何が動いていようが、結果どちらが自分に有利になるか、それだけだろう」
「ナターナ公……先の戦で、情勢が貴殿に有利に働いたことがあっただろう」
シアーラが話の流れを急激に変えたからか、あるいはその内容を聞いてか、ヤリスが訝しげに眉を上げた。
「変だとは思わなかったか? あなたの部隊は間違いなく精鋭だった。だが戦況は決して良くはなかったはずだ。あれだけの犠牲で済んだことに、違和感を抱かなかったか?」
「まさか、それも……その記録番とやらの仕業だと言うのか」
馬鹿にしたように笑う目。シアーラはそこに、静かに告げた。
「息子殿がお亡くなりになったことも、本当に……不運な事故なのだろうか」
「なんだと……?」
ヤリスは顔に出さないように努めてはいたが、目は驚愕の感情を表していた。その横を汗が伝っていく。
「あれは確かめた。間違いない。崖から足を滑らせ、動けない所を囲まれた。その痕跡があった」
「本当に? あなたがこの領地に追いやられたことだってそうだ。本当に、全てが偶然か?」
「やめろ……」
ぜいぜいという音が息に混じる。シアーラとヤリスの目が通い合った。瞳孔が開いている。興奮状態もあいまって、予想より限界が近い。
「お前は、それも……そいつが関わっていると言うのか」
「おそらく」
「おそらく、だと?」
ギラギラとした視線がシアーラに突き刺さる。これほどの炎が彼の中にあったのかと驚くほどの激しさだった。
「もしそうでなければ、……一番にお前を殺してやる。お前の知らない、最も残酷な方法でな」
「ああ……構わない」
静かな湖面のようなシアーラの目を見て、はあ、とヤリスが息を吐いた。二人は次に出る言葉を待った。
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