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番外編『座敷牢の狂人』
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「秋鹿、昼飯だ」
山奥。森がまだ開拓されずに、自然が残っていて、昼は小鳥のさえずり、夜は梟の鳴く声がある場所にその屋敷はあった。
現代で珍しい広い平屋で、使用人がせっせと働いて庭の鶏に餌をやり、馬の毛並みをブラシで整えてやったり、畑では旬の作物が収穫されていた。
ギシギシと音を立てる廊下を歩くのは、赤髪短髪で髪と同じ色の着流しを着た体格のいい若い男だった。
平屋の隅にある座敷牢の戸をコンコンと叩く。
「あ、ご飯ー?」
座敷牢にあるたくさんのパソコン画面の前でキーボードを叩いていた「秋鹿」と呼ばれた華奢で中性的な顔の男が、うーん、と大きく伸びをした。
「いい加減、菓子食いながらパソコン触るの辞めろよ」
本来ならば開いてはいけないはずの座敷牢の戸をガチャリと開け、潜るようにして中に入った赤い着流しの男は、
「秋鹿、お疲れ。飯にするぞ」
「ふふふ、疲れたよ、冬儺ー。ハッキングも体力勝負だね」
真ん中のちゃぶ台に「冬儺」と呼ばれた赤髪短髪の男が秋鹿の昼食を置いた。
すると、背中が張って疲れた秋鹿が伸びをして畳に寝転んだ。足に繋がれている鎖がじゃらじゃら鳴る。
男なのに黒に染め抜かれた女物の浴衣を着ている秋鹿の太ももが露わになった。
「やめろ、目の毒だ」
顔を背ける冬儺の足をひょいと掴むと、くいくいと引き、子供のようなあどけない瞳で、
「ご飯、食べる」
「はいよ」
冬儺は箸を取ると手慣れた手つきで、炊き立ての白米や、骨を取ってやった焼き魚を、まるで鳥の雛に餌をやるように秋鹿に食べさせていく。
朗らかな笑顔で食べる秋鹿。こぼすなよ、と笑う冬儺。
この風景を見て、一体誰がこの2人が昔『九想典』を破滅の危機に陥れたと思うだろうか?
『四気』の『頭がおかしい』秋鹿。
同じく『四気』の『鬼やらい』冬儺。
「春紅から連絡来たか?」
「こないだ電話で少し話したよ。ボク達の『仲間』について」
「へぇ、そういえば、メール来てたな」
秋鹿の好きな鮭の皮を綺麗に取りながら呟いた。
それを噛み付いて奪った秋鹿は、咀嚼しながら、
「ね?ボクの側に冬儺がいるんだから、ボクが言うって言ったのに、あの花魁ってば拒否するんだよー?効率悪くない?ボクと冬儺は床も一緒なのにねー」
ご飯を食べ終わった秋鹿は笑って言う。冬儺は呆れたように、
「あんまり下世話なこと言うとまた夏梅に冷たい目で見られるぞ」
「あの『毒姫』のことは気にしなくていいよ。『仲間』のこともね」
満腹になった秋鹿がトロンとした目付きで言う。
「…眠いのか?」
「うん。血糖値の急上昇だね。このままじゃ仕事にならないよ。『九想典』に魂売った奴が謀ってメニューを変えたのかな?」
「まさか」
冬儺はそう言って笑うが、すぐに笑みを消し、
「疑うなら俺様が使用人全員殺してこようか」
鍛えられた冬儺の右手が、パキパキと音をたて、鱗に覆われ、鉤爪が生えた人外の手となる。
「大丈夫だよ、ここが『九想典』に見つかるわけないし。また信用出来る使用人探すのも大変だしさぁ…なんかあったときに対処すればいいよ」
秋鹿はもたれ掛かり、冬儺が抱きとめる。
うとうとした秋鹿は間延びした声で、
「15分経ったら起こして。その前にギュってして」
「おう」
冬儺はいつものように秋鹿を抱きしめ、額に口付けすると、赤子を寝かしつけるかのように、背中をぽんぽんと叩く。
しばらくすると、スーと寝息を立て始めたので手近にあった柔らかいタオルケットで包み、寒くないようにしてやった。
その寝顔を見て、「ガキの頃から変わらないな」と呟くと小さく笑った。
秋鹿の顔を眺めていると、廊下がギシギシとなった。
この座敷牢に来るには鶯張りになっている廊下を通らなくてはならない。
外から刺客が来ることを考えた秋鹿の案である。
眠っている秋鹿は戦えない。冬儺は警戒して廊下を見つめた。
近づいてきたのは、使用人の女だった。
「御膳を取りに…」
そこまで聞いた冬儺は安堵して小さく笑い、人差し指を口に当て、
「しー」
と言った。
秋鹿の夢は数字と記号で出来ている。
それは、幼い頃にもらったパソコンを見てからだった。
普通の人間なら、『パソコン』は『パソコン』だろう。
しかし、秋鹿の目には数字と記号で詰まっている無限の箱に見えた。当時3歳。座敷牢に入れられて3年が経っていた。
元々、知能指数が高く生まれた秋鹿は母親の胎内で聞き、覚えた言葉を産まれた時から喋っていたそうだ。
母親は見た目だけ美しく、それ以外は目も当てられない程、酷い生活をしていた。
母親の美しさだけで結婚した父親は、秋鹿が胎内に居た時に母親が行った不祥事を秋鹿が喋るのを恐れ、座敷牢に入れて、表面上は色々証拠隠滅に走った。
秋鹿は孤独は感じなかった。ただ、秋鹿を哀れんだ使用人が与えたパソコンにのめり込んだ。
紅葉のような小さい手でカタカタとキーボードを打ち、最初は文章を書き、次はネットサーフィンを楽しんだ。
ハッキングを行うようになるまで、時間は掛からなかった。
そのまま育ち、15歳になった頃、当時同い年だった冬儺が世話人として付いた。
冬儺は実の母親から凄惨で陰湿なネグレクトを受けており、逃げ出すようにして秋鹿の屋敷に来たのだ。
それまでは、秋鹿と誰もまともに喋ってくれなかった。ただ、「黙れ、キチガイ」と言わんばかりの言葉ばかり押し付けられた。
冬儺は『拾都』の実験体だった。身体は傷だらけで自分から喋ることは、ほぼなかった。
しかし、秋鹿は初めて言葉が通じる相手が来た、と心から喜んだ。
「秋鹿、飯だ」
「今日は、何?」
「サバの塩焼きだ。骨は取ってある」
「食べさせてよ」
「まるで子供だな」
そんな会話すら、身体が蕩けそうな程の快感だった。
秋鹿と冬儺が親密になるのは早かった。
秋鹿は父親に「冬儺を側近にする。文句があるなら、父さんの会社と愛人達にネットウイルスを送り続けるよ」と脅したところ、それが通り、座敷牢の中で2人は暮らし始めた。
しかし16歳くらいになると、冬儺が『拾都』に呼び出されることが増えてきた。
帰ってくる冬儺はいつも熱を出し、秋鹿は山の中では貴重な氷で氷枕を作ってやった。
「悪いな、秋鹿」
その日、冬儺は高熱を出して、目も焦点が合わず、意識は朦朧としていた。
「大丈夫、薬も飲んだし、明日には下がるよ」
汗の浮かぶ額をタオルで拭いてやりながら、秋鹿は笑った。
冬儺が眠った後も、秋鹿は数時間おきに氷枕を変え、汗を拭ってやった。
魘されている様なら、頭を撫で。
水を欲しがれば、口移しで水を与え。
汗でびしょ濡れになった着流しを変え。
まるで、それは2人が受けることのなかった、子を愛する親の様な行為だった。
冬儺の体調が悪くても『拾都』の呼び出しは続いた。
「…さむい…」
雨上がり、夏だというのに冷たい風が窓から入ってくる日のこと。
秋鹿は薄い布団に包まっていた。
一緒に温めてくれる冬儺は今日も『拾都』に呼び出されていた。
窓を閉めてくれる使用人も居ない。ここでも秋鹿の味方は冬儺だけだった。
「冬儺ぁ…」
ポツリと呟くと、答えるように玄関が開く音が微かに聞こえた。
「冬儺!?」
思わず立ち上がり、足の鎖を引き摺りながら、座敷牢の冷たい格子を掴んだ時、
「きゃああああ!!!!!」
と、耳障りな甲高い女中の声が屋敷中に響いた。
「何!?何が起こってるの!?ねぇ、誰か教えてよ!!」
パソコンしか触らず、食事も自分で食べなかったため、痩せ細った枝のような両手を格子に打ち付ける音が虚しく響く。
釘に引っ掛かったのか、右手から血が流れる。それでも、格子を叩き続けた。
「冬儺ぁ!!帰ってきてよおおお!!」
右手から流れた血に、秋鹿の色素の薄い目から流れた涙が混じる。産まれてから、一度も泣かなかった秋鹿が初めて泣いたのは親の前ではなく、愛しい冬儺を求めてだった。
「秋鹿…」
ハッと、顔を上げる。それは、焦がれ続けた結果の幻聴かと思った程の微かな声だったからだ。
「冬儺…?」
目の前に居たのは、冬儺だった。しかし、風貌がどこか違っていた。
「右手…どうしたの?」
冬儺の右手がゴツゴツとして血に染まった鉤爪が伸びていた。
そう、それは、昔ネットで見た怪物の。
鬼の手。
「俺様…化物になっちまった…」
冬儺がくつくつと笑う。
「右半身、鬼だぜ?『拾都』の研究結果がこれだ。これ見て母さんは笑ったから、殴った。昔母さんが俺にしたみたいに。一瞬で汚い肉の塊になった。なぁ、秋鹿。これでも俺様を愛せるか?」
秋鹿は、そっと手を伸ばすとギリギリで触れた。血に染まった冬儺の右手に。
「冬儺」
「なんだ」
「逃げよう」
冬儺が目を目を見開く。
「ここから逃げよう。ボクはどんな冬儺でも好きだから。ボクは狂人。座敷牢の狂人。座敷牢の中にしかいられない。そんな奴の側にいて欲しい。ねぇ」
秋鹿は血に染まった冬儺の着流しを引っ張った。
「またボクにご飯食べさせてよ。背中流してよ。一緒に寝てよ」
途中からは、上手く言葉に出来なかった。
「冬儺がいなくてどれだけ寂しかったか、判る?」
「秋鹿…」
冬儺は鬼と化した右手で座敷牢の講師をこじ開けた。
倒れそうになった秋鹿を抱きしめて、冬儺は、
「俺様と逃げるか?」
「うん」
「また座敷牢でもいいのか?」
「いいよ。ボクの異能力は座敷牢の中でだけ発動するんだから」
「じゃあ、俺様は全てを秋鹿に託す。だから」
2人の声が、甘く囁くように重なった。
「「逃げよう」」
山奥。森がまだ開拓されずに、自然が残っていて、昼は小鳥のさえずり、夜は梟の鳴く声がある場所にその屋敷はあった。
現代で珍しい広い平屋で、使用人がせっせと働いて庭の鶏に餌をやり、馬の毛並みをブラシで整えてやったり、畑では旬の作物が収穫されていた。
ギシギシと音を立てる廊下を歩くのは、赤髪短髪で髪と同じ色の着流しを着た体格のいい若い男だった。
平屋の隅にある座敷牢の戸をコンコンと叩く。
「あ、ご飯ー?」
座敷牢にあるたくさんのパソコン画面の前でキーボードを叩いていた「秋鹿」と呼ばれた華奢で中性的な顔の男が、うーん、と大きく伸びをした。
「いい加減、菓子食いながらパソコン触るの辞めろよ」
本来ならば開いてはいけないはずの座敷牢の戸をガチャリと開け、潜るようにして中に入った赤い着流しの男は、
「秋鹿、お疲れ。飯にするぞ」
「ふふふ、疲れたよ、冬儺ー。ハッキングも体力勝負だね」
真ん中のちゃぶ台に「冬儺」と呼ばれた赤髪短髪の男が秋鹿の昼食を置いた。
すると、背中が張って疲れた秋鹿が伸びをして畳に寝転んだ。足に繋がれている鎖がじゃらじゃら鳴る。
男なのに黒に染め抜かれた女物の浴衣を着ている秋鹿の太ももが露わになった。
「やめろ、目の毒だ」
顔を背ける冬儺の足をひょいと掴むと、くいくいと引き、子供のようなあどけない瞳で、
「ご飯、食べる」
「はいよ」
冬儺は箸を取ると手慣れた手つきで、炊き立ての白米や、骨を取ってやった焼き魚を、まるで鳥の雛に餌をやるように秋鹿に食べさせていく。
朗らかな笑顔で食べる秋鹿。こぼすなよ、と笑う冬儺。
この風景を見て、一体誰がこの2人が昔『九想典』を破滅の危機に陥れたと思うだろうか?
『四気』の『頭がおかしい』秋鹿。
同じく『四気』の『鬼やらい』冬儺。
「春紅から連絡来たか?」
「こないだ電話で少し話したよ。ボク達の『仲間』について」
「へぇ、そういえば、メール来てたな」
秋鹿の好きな鮭の皮を綺麗に取りながら呟いた。
それを噛み付いて奪った秋鹿は、咀嚼しながら、
「ね?ボクの側に冬儺がいるんだから、ボクが言うって言ったのに、あの花魁ってば拒否するんだよー?効率悪くない?ボクと冬儺は床も一緒なのにねー」
ご飯を食べ終わった秋鹿は笑って言う。冬儺は呆れたように、
「あんまり下世話なこと言うとまた夏梅に冷たい目で見られるぞ」
「あの『毒姫』のことは気にしなくていいよ。『仲間』のこともね」
満腹になった秋鹿がトロンとした目付きで言う。
「…眠いのか?」
「うん。血糖値の急上昇だね。このままじゃ仕事にならないよ。『九想典』に魂売った奴が謀ってメニューを変えたのかな?」
「まさか」
冬儺はそう言って笑うが、すぐに笑みを消し、
「疑うなら俺様が使用人全員殺してこようか」
鍛えられた冬儺の右手が、パキパキと音をたて、鱗に覆われ、鉤爪が生えた人外の手となる。
「大丈夫だよ、ここが『九想典』に見つかるわけないし。また信用出来る使用人探すのも大変だしさぁ…なんかあったときに対処すればいいよ」
秋鹿はもたれ掛かり、冬儺が抱きとめる。
うとうとした秋鹿は間延びした声で、
「15分経ったら起こして。その前にギュってして」
「おう」
冬儺はいつものように秋鹿を抱きしめ、額に口付けすると、赤子を寝かしつけるかのように、背中をぽんぽんと叩く。
しばらくすると、スーと寝息を立て始めたので手近にあった柔らかいタオルケットで包み、寒くないようにしてやった。
その寝顔を見て、「ガキの頃から変わらないな」と呟くと小さく笑った。
秋鹿の顔を眺めていると、廊下がギシギシとなった。
この座敷牢に来るには鶯張りになっている廊下を通らなくてはならない。
外から刺客が来ることを考えた秋鹿の案である。
眠っている秋鹿は戦えない。冬儺は警戒して廊下を見つめた。
近づいてきたのは、使用人の女だった。
「御膳を取りに…」
そこまで聞いた冬儺は安堵して小さく笑い、人差し指を口に当て、
「しー」
と言った。
秋鹿の夢は数字と記号で出来ている。
それは、幼い頃にもらったパソコンを見てからだった。
普通の人間なら、『パソコン』は『パソコン』だろう。
しかし、秋鹿の目には数字と記号で詰まっている無限の箱に見えた。当時3歳。座敷牢に入れられて3年が経っていた。
元々、知能指数が高く生まれた秋鹿は母親の胎内で聞き、覚えた言葉を産まれた時から喋っていたそうだ。
母親は見た目だけ美しく、それ以外は目も当てられない程、酷い生活をしていた。
母親の美しさだけで結婚した父親は、秋鹿が胎内に居た時に母親が行った不祥事を秋鹿が喋るのを恐れ、座敷牢に入れて、表面上は色々証拠隠滅に走った。
秋鹿は孤独は感じなかった。ただ、秋鹿を哀れんだ使用人が与えたパソコンにのめり込んだ。
紅葉のような小さい手でカタカタとキーボードを打ち、最初は文章を書き、次はネットサーフィンを楽しんだ。
ハッキングを行うようになるまで、時間は掛からなかった。
そのまま育ち、15歳になった頃、当時同い年だった冬儺が世話人として付いた。
冬儺は実の母親から凄惨で陰湿なネグレクトを受けており、逃げ出すようにして秋鹿の屋敷に来たのだ。
それまでは、秋鹿と誰もまともに喋ってくれなかった。ただ、「黙れ、キチガイ」と言わんばかりの言葉ばかり押し付けられた。
冬儺は『拾都』の実験体だった。身体は傷だらけで自分から喋ることは、ほぼなかった。
しかし、秋鹿は初めて言葉が通じる相手が来た、と心から喜んだ。
「秋鹿、飯だ」
「今日は、何?」
「サバの塩焼きだ。骨は取ってある」
「食べさせてよ」
「まるで子供だな」
そんな会話すら、身体が蕩けそうな程の快感だった。
秋鹿と冬儺が親密になるのは早かった。
秋鹿は父親に「冬儺を側近にする。文句があるなら、父さんの会社と愛人達にネットウイルスを送り続けるよ」と脅したところ、それが通り、座敷牢の中で2人は暮らし始めた。
しかし16歳くらいになると、冬儺が『拾都』に呼び出されることが増えてきた。
帰ってくる冬儺はいつも熱を出し、秋鹿は山の中では貴重な氷で氷枕を作ってやった。
「悪いな、秋鹿」
その日、冬儺は高熱を出して、目も焦点が合わず、意識は朦朧としていた。
「大丈夫、薬も飲んだし、明日には下がるよ」
汗の浮かぶ額をタオルで拭いてやりながら、秋鹿は笑った。
冬儺が眠った後も、秋鹿は数時間おきに氷枕を変え、汗を拭ってやった。
魘されている様なら、頭を撫で。
水を欲しがれば、口移しで水を与え。
汗でびしょ濡れになった着流しを変え。
まるで、それは2人が受けることのなかった、子を愛する親の様な行為だった。
冬儺の体調が悪くても『拾都』の呼び出しは続いた。
「…さむい…」
雨上がり、夏だというのに冷たい風が窓から入ってくる日のこと。
秋鹿は薄い布団に包まっていた。
一緒に温めてくれる冬儺は今日も『拾都』に呼び出されていた。
窓を閉めてくれる使用人も居ない。ここでも秋鹿の味方は冬儺だけだった。
「冬儺ぁ…」
ポツリと呟くと、答えるように玄関が開く音が微かに聞こえた。
「冬儺!?」
思わず立ち上がり、足の鎖を引き摺りながら、座敷牢の冷たい格子を掴んだ時、
「きゃああああ!!!!!」
と、耳障りな甲高い女中の声が屋敷中に響いた。
「何!?何が起こってるの!?ねぇ、誰か教えてよ!!」
パソコンしか触らず、食事も自分で食べなかったため、痩せ細った枝のような両手を格子に打ち付ける音が虚しく響く。
釘に引っ掛かったのか、右手から血が流れる。それでも、格子を叩き続けた。
「冬儺ぁ!!帰ってきてよおおお!!」
右手から流れた血に、秋鹿の色素の薄い目から流れた涙が混じる。産まれてから、一度も泣かなかった秋鹿が初めて泣いたのは親の前ではなく、愛しい冬儺を求めてだった。
「秋鹿…」
ハッと、顔を上げる。それは、焦がれ続けた結果の幻聴かと思った程の微かな声だったからだ。
「冬儺…?」
目の前に居たのは、冬儺だった。しかし、風貌がどこか違っていた。
「右手…どうしたの?」
冬儺の右手がゴツゴツとして血に染まった鉤爪が伸びていた。
そう、それは、昔ネットで見た怪物の。
鬼の手。
「俺様…化物になっちまった…」
冬儺がくつくつと笑う。
「右半身、鬼だぜ?『拾都』の研究結果がこれだ。これ見て母さんは笑ったから、殴った。昔母さんが俺にしたみたいに。一瞬で汚い肉の塊になった。なぁ、秋鹿。これでも俺様を愛せるか?」
秋鹿は、そっと手を伸ばすとギリギリで触れた。血に染まった冬儺の右手に。
「冬儺」
「なんだ」
「逃げよう」
冬儺が目を目を見開く。
「ここから逃げよう。ボクはどんな冬儺でも好きだから。ボクは狂人。座敷牢の狂人。座敷牢の中にしかいられない。そんな奴の側にいて欲しい。ねぇ」
秋鹿は血に染まった冬儺の着流しを引っ張った。
「またボクにご飯食べさせてよ。背中流してよ。一緒に寝てよ」
途中からは、上手く言葉に出来なかった。
「冬儺がいなくてどれだけ寂しかったか、判る?」
「秋鹿…」
冬儺は鬼と化した右手で座敷牢の講師をこじ開けた。
倒れそうになった秋鹿を抱きしめて、冬儺は、
「俺様と逃げるか?」
「うん」
「また座敷牢でもいいのか?」
「いいよ。ボクの異能力は座敷牢の中でだけ発動するんだから」
「じゃあ、俺様は全てを秋鹿に託す。だから」
2人の声が、甘く囁くように重なった。
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