最果てからきた魔女

北路 洋

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「夜明け」

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 米代港五〇〇〇トン級岸壁。
 クシェル兵たちの襲撃を受けて擱座着底し、燃え上がるクシェル王国外交使節船と海上保安庁の巡視船「ときわ」を背景にして、漆黒の魔女エリーネ・エイセスは悔しさに歯?筋みしていた。
 「くそ! あの雌餓鬼め! 」
 忌々しそうに吐き捨てる彼女はコンクリートの上に両膝を突いて踞り、その右肩口から右手首に掛けては醜く焼け爛れていた。
 エリーネが負った激しい火傷は船の火災に巻き込まれたものではない。
 碧天の魔女レヴィナ・フェルトスが発した火球に因るものであった。
 (あの餓鬼! こちらが発した念を辿って術を放ったのか! )
 レヴィナの火球の威力はエリーネが通信に用いていた精神干渉魔法の術式を破壊しただけではなく、焼夷手榴弾並みの爆発力を発揮して辺りを炎に包んだらしい。
 咄嗟に火球を避けて身を守ったエリーネだったが、負傷は避けられなかった。
 エリーネの傍には直卒していた三名の兵が倒れていたが、皆が火球の直撃を食らったようで一様に全身焼けただれており、身動き一つせず、息もしていないようだった。
 レヴィナを取り逃がしただけでも腹立たしいというのに、部下を死傷させられ自身も重傷を負わされるという大失態を犯してしまった。
 エリーネは、自らの身に刻み込まれた屈辱に対する怒りで身の震えが止まらずにいた。
 「エイセス様! 」
 一〇〇名のクシェル兵の中でエリーネの副官を努めているスーツ姿の男が、自らの持ち場を離れて負傷した彼女に大急ぎで駆け寄った。
 「直に回復の術士を参らせますので暫しお待ち下さい! 」
 そう言って、彼女の隣で恭しく跪いた。
 「かまうな! アルマス・デルス! この程度の火傷、自力で治せる。術士は他の者のために呼んでやれ! 」
 エリーネに言われてアルマス副官は傍に倒れている三名に目をやったが、彼らが既に治療を必要としていないことは一目瞭然だった。
 「エイセス様! 」
 「かまうなと言っている! 」
 アルマス副官の気遣いを一切無用としたエリーネは、辛うじて動く右の拳を強く握り締め、腕と肩に精一杯の力を込めた。
 「くっ! 」
 エリーネの美しい顔が苦痛に歪むと同時に、火傷の周囲に薄黒い靄が漂い始めた。
 その霧は徐々に濃くなり、間もなく全ての火傷が墨で塗りつぶしたような真っ黒な靄に覆われてしまった。
 「あ、あまり、ご無理をなさいませぬよう・・・ 」
 そうアルマス副官が声を掛けたくなるほど、エリーネは苦悶の表情を浮かべている。
 額に汗が滲み、眉間に深く皺を刻み、噛み締めた奥歯がギシギシと音を立てていた。
 「気にするな! この激しい痛みが、私の憎しみと怒りを一層掻き立てるのだ! 」
 その直後、エリーネの苦痛は絶頂に達し、天に向かって大きく開いた彼女の口から声の無い絶叫が発せられた。
 その様子を見て思わず俯いてしまったアルマス副官だったが、彼が再び顔を上げた時、エリーネの火傷を覆っていた黒い靄は消え、一部の皮膚が炭化するほどに焼けただれていた彼女の肌は元通りの美しい白さを取り戻していた。
 ホッとしながらも心配そうな顔を向けてくるアルマス副官に向かって、
 「心配を掛けて済まない。もう、大丈夫だ。」
 エリーネは強気の笑みを浮かべてみせたが、その呼吸は随分荒く、肩と背中は激しく上下していた。
 「アルマス、肩を貸せ。」
 立ち上がろうとするエリーネに肩を差し出したアルマス副官だったが、身体を起こした彼女の姿を一目見るなり慌てて目を背けた。
 「ん、どうした? 」
 エリーネはアルマスの態度に首を傾げながら、自分の格好に目をやった。
 すると、
 「うわっ! 」
 エリーネが身に着けていた白いカットソーは右袖と肩周りが焼失してしまっており、再生したばかりの肩と二の腕が剥き出しになっているだけではなく、さらに奥まで覗けそうなほどの大きな穴が空いていた。しかも、残された布地は水を被ったような大量の汗が染み込んでピッタリと身体に張り付き、肌の色が透けて、肩甲骨や鎖骨、鳩尾から臍に掛けて、さらには豊かな胸の膨らみと先端の色や形までが露な状態であった。
 裸同然の自分に気付いた一瞬、エリーネから冷酷な魔女であり厳格な軍人としての顔が消えてしまっていた。
 「あっ、す、すまん! 」
 顔を赤くしながら慌てて両腕を前に組んで胸を隠そうとする彼女は、魔女でも軍人でも無く、恥じらう普通の若い女の子に見えた。
 「これを、お使い下さい! 」
 透かさずアルマス副官が着ていたスーツの上着を脱いでエリーネに渡した。
 「助かる! 」
 エリーネは彼女の身体を支えながらも顔を背けたままでいる、忠実な副官の赤くなった横顔を見て微かに微笑んだ。
 「クシェルの男は、ロシア人よりも紳士のようだ。」
 「シンシですか? 」
 アルマス副官は単語の意味を解せずに首を傾げた。
 「何でも無い。もう、こちらを見ても構わないぞ。」
 「はっ! 」
 スーツの上着に袖を通し、アルマス副官の肩を借りて立ち上がったエリーネの顔は、再び魔女であり軍人に戻っていた。
 「既に、この場での戦闘は終わったようだな。」
 「はい。王の兵も日本兵も一人も生き残っておりません。」
 「よろしい。ところで、レヴィナ・フェルトスの所持品は、もう残っていないのか? 」
 「もう一度、精神干渉を試みられるのですか? 」
 アルマス副官は不安げな顔をした
 エリーネは対象の身近にあった物品を用い、そこに残された痕跡を媒体として念を送る精神干渉魔術を用いる。通信用魔法とでもいうべき高度な術だが、先ほどはレヴィナに念を逆に辿られて手痛い失敗を犯してしまった。
 「同じ過ちを繰り返しはしない。遠隔攻撃の術では奴に及ばぬからな。だが、奴の所持品があれば魔力の痕跡を辿ることが出来る。」
 「壁天の魔女の居場所を探るのですね? 」
 エリーネが頷くと、アルマス副官は直に近くにいた兵を呼んで指示を与えた。
 「急がせろ、あまり長く時間は掛けていられない。これ以上空間制御を続けていては、お前たちに施した防御術が解けて、私以外の皆が行動不能に陥ってしまうからな。巻き込んでしまった付近の住民たちも、この状態が続いたら長くは保たないだろう。」
 「はっ! 畏まりました。」
 アルマス副官は拳で胸を打つ敬礼をしてから、クシェル船から運び出した物品選別している部下たちの元へと駆けて行った。
 「さて、もうここに用は無い。早々に空間制御を解いて、レヴィナ・フェルトスの追跡を始めねばならんのだが・・・ 」
 一人呟いていたエリーネの左の瞼がピクリと痙攣した。
 彼女の鋭敏な超感覚的知覚が制御中の空間の外に何モノかの接近を察知したのだ。
 「ほほぉ、敵意を持った人の群れ、それと大量の鉄と油の臭いか。」
 それが何モノであるかを知り、エリーネは口角を上げた。
 「面白い。日本軍め、戦を仕掛けて来るつもりか。」


 永田町、内閣府六階にある内閣情報調査室。
 渋江内閣情報官は午前四時半の朝日が差し込む執務室の窓に向かい、
 「よぉーしっ! 」
 と、執務室の外にまで響くほどの大きな声を上げた。
 その手には、解読したばかりの暗号メールが表示されたタブレットがある。
 執務室の外では、滅多に無い渋江の感情表現を壁越しに聞いてしまった部下たちが一斉に仕事の手を止めて目を丸くしていた。
 「何だ? まだトラブルかよ? 」
 「今度は何処で何が起きたの? 」
 「全く何時だと思ってんだ! 勘弁してくれよ! 」
 部下たちは上司の異変を肯定的に捉えることが出来ないようである。
 完徹の者、帰宅途中に引き返した者、一旦帰宅した後に呼び戻された者、この場にいる者は皆が散々な一夜を過ごした後で気怠い朝日を迎えているのだから、その思考がネガティブになってしまうのもやむを得ないだろう。
 だが、渋江は元気である。
 部下たちの疲労などお構い無しにインターホンを鳴らした、
 『真壁君、ちょっと来たまえ。』
 「はっ、はい! 」
 呼び出しを受けたのは、先ほど米代港の監視と陸上自衛隊による包囲の段取りを命じていた部下の一人である。
 「失礼します。」
 真壁が執務室の扉を閉めるなり、
 「DOLLは無事に確保した。」
 渋江は窓際に立ち、東の空に昇る朝日に向かいながら、そう伝えた。
 朗報である。
 真壁は返事の代わりに右の拳を持ち上げてガッツポーズをした。
 渋江も部下の手前でさえなければ、サッカーの試合でゴールシュートを決めたフォワードのように雄叫びを上げてしまいたいほどの気持ちだった。
 この時、真壁の立ち位置からではピンと背筋を伸ばしたワイシャツ姿の渋江の背中が見えているだけだったが、もし正面に回ったならば渋江のニヤニヤと笑み崩れた顔が見られただろう。
 「DOLLはクルマと一緒に米代市の郊外だ。至急回収の手筈を整えてくれ。」
 「了解しました。早速取り掛かります。」
 一礼して執務室を出て行こうとする真壁を渋江は呼び止めた。
 「米代港に展開した陸自は至急撤収させろ。DOLLを確保できた以上、彼らに戦ってもらう必要は無くなった。」
 真壁は意外な顔をした。
 「不法入国した武装集団の逮捕は? 」
 「必要無い。おそらく、陸自の戦力では奴らに敵わない。DOLLを手に入れた以上、彼らがリスクを犯す必要は無くなった。」
 「しかし、秋田の普通科連隊は対ゲリラコマンドの精鋭です。剣や槍を振り回す連中など、敵ではないと思いますが? 」
 「違う! 」
 振り返った渋江の顔からは笑みが消え、いつもの冷厳な内閣情報官に戻っていた。
 「米代港一帯を閉じ込めてしまうほどの強力な結界を張れる魔法使いがいることを忘れるな! DOLLと同等の力を持った奴なら陸自の一個連隊など瞬殺されてしまう。それに、武装勢力にロシアの協力があるならば、兵器の提供もあるかもしれん。下手に手を出すと米代市は戦場になってしまう。」
 「わ、分かりました! 至急防衛省に伝えます! 」
 「武装勢力の始末は後で良い。今はDOLLの回収が最優先だ! 」
 「はっ! 」
 再び一礼した後、真壁は足早に執務室を出て行った。
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