世界が終わる。そして、僕は生き返る。

37se

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 ほとんど転がるようにしてアパートの部屋に駆け込み、鍵を閉める。

「はっ、はあっ」

 扉に体重を預けて、ゆるゆると崩れ落ちた。夢を、見ているのだろうか。たった今起きた出来事が、信じられなかった。なぜ来夏が現れたのか、理解できなかった。だって、彼女が僕の前に現れることはない。あいつはいったい、誰なんだ。何者なんだ。

 まずは落ち着く必要があると思い、ふらふらと台所に向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干す。次に、蛇口をひねって冷水を頭から浴びた。

 ポタポタと、前髪から水が滴り落ちる。酔いはもう、完全に消えていた。なのに、先程の手の温もりがまだ残ってる。あの暖かな温もりだけは、消えてくれなかった。

 それでも、どれだけ声や容姿が一緒だろうと、あいつは来夏じゃない。来夏は、もういない。葬儀だって火葬だってすんでる。墓だってある。

 奴が本物ではない事は分かってる。分かっているんだ。

 なのに、なぜこんなにも胸が痛いのだろうか。

 来夏の怯えたような姿が脳裏をよぎった。それだけで、頭をかきむしりそうになる。

 その瞬間、ビーッとインターホンが鳴った。

 近くにあったハンドタオルで頭を拭いてから恐る恐る玄関まで向かう。無意識のうちに、足音を立てないように歩いていた。のたうちまわるホースのように、脈が暴れている。ドアスコープから外を見ると、そこには先程の来夏がいた。

 心臓が止まるかと思った。

 なぜあいつが、僕の家を知っているんだ。

 コン、コン、と来夏はドアをノックする。

 一度深呼吸をしてから、扉を開けた。このまま付きまとわれるくらいなら、いっそのこと出てやろうと思ったのだ。

「あっ、良かった。留守なのかと思っちゃったよ。さっきはごめんね。急で、びっくりしたよね。ケーキとかお酒とか沢山買って来たから、また昔みたいに一緒に食べよう」

 来夏は持っていたスーパーの袋を掲げながら、昔のように、にへへと笑う。だが、良く見ると少しだけ顔つきが異なっていた。だけどその少しというのは、安達来夏が成長していたらこうなっていたという些細な変化に過ぎない。

 つまり、僕の前には二十歳になった安達来夏が立っていた。でも、僕はそんな事には騙されない。騙されてはいけない。

「お前はいったい誰なんだ」
「忘れちゃったの? 来夏だよ。優太くんの、幼馴染」
「僕の幼馴染はもう死んだ。この世にはいない。分かるか?」

 言いながら、これはきっと、自分に言い聞かせているのだろうなと思った。そうでもしないと、僕はこの偽物に心を許してしまいそうだったから。

「分かるよ。確かに、この世界の私は死んじゃった。それは、私のせいなんだ。でも、私は来夏なんだよ。信じて欲しい。私は優太くんの幼馴染の来夏なの」
「この世界の私は死んだ? なんだよそれ。どうせ、それっぽいことを言えばなんとかなると思ってるんだろ」
「違うよ」

 来夏は悲しそうに目を伏せる。来夏の顔でそんな表情をしないで欲しい。これ以上、来夏の悲しんだ表情を見たくない。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「いいや、違くない。お前は、僕の悲しみに付け込もうとしてるんだ」

 僕がそう言うと、来夏は瞳に大粒の涙を溜めて一歩二歩と後ずさった。

「お前が来夏だって証拠はあるのかよ。なんで生き返ったのか、理由を言えるのかよ」
「ごめんなさい。理由は、言えないの。でも、私は来夏なんだよ」
「そんなの信じられるか。お前は偽物だ。今後、来夏を騙るな。そして、二度と僕の前に現れるな」

 それだけ言い残して、扉を閉めた。

 扉の奥からは、来夏のすすり泣く声が聞こえる。辞めてくれ。来夏の声で、そんな風に泣かないでくれ。今僕が泣かした相手は、決して来夏じゃない。それは分かってるんだ。なのに、なんでこんなにも胸が痛いのだろう。でも、もしかしたらそれが相手の狙いなのかもしれない。

 しばらくして、扉の向こうから泣き声が無くなった。音を立てないよう、慎重にドアスコープから外を覗く。来夏の姿は、無くなっていた。

 あれだけ泣いていたら、流石にもう二度と来ないだろう。

 そう思ったら、なぜか少し悲しくなった。気づいたら、僕は扉を開けて外に出ていた。来夏はもう、いなかった。

「僕、何やってんだろうな」

 外に出て、少し冷静になって思った。なんでそんな行動を取ってしまったのか、そんなこと分かりたくもなかった。僕は別に、騙されているわけではない。

 アパートの廊下にある錆びついた欄干に手を乗せて、はあ、と深いため息をついた。顔を上げて、もう寝ようと思った時だ。

 僕の視線の先、その光景を見て、僕は息を呑んだ。

 僕のアパートの向かい側には、道路を一本挟んでマンションが建っている。そのマンションの一室に、先程の来夏が涙を拭いながら入っていった。
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