この夏の終わりに君を彩る

37se

文字の大きさ
5 / 40

4

しおりを挟む
 放課後――僕はすぐに教室を出た。別に居心地が悪いとかそういうのではない。立夏や清涼に再び声をかけられるのが嫌だからってわけでもない。嫌ではあるが、すぐに交わせるからだ。

 今はとにかく一人になりたい。一人の時間が欲しかった。基本的にお前は一人でいるじゃないかと思うかもしれないが、今の僕が求めているのは完璧な一人だ。近くに誰一人としておらず、あるのは自然が創り出す音だけの静かな世界。

 そこで落ち着きたい。ゆっくりとこの乱れた感情を沈めたい。

 外に出ると、空は未だ青いままで、海の上には天高く伸びる入道雲が浮かんでいた。至る所から聞こえる蝉時雨が心地よく鼓膜を打った。

 帰り道と反対側に向かって歩いて行く。そっち側に目的の場所があるんだ。

 僕の周りにはまだ下校途中の生徒達が大勢いた。彼らを避けるように僕は道路の端、海側の方に備え付けられている階段へ向かう。

 この道路は坂道のようになっていて、海側の道には海沿いの道路へ続く階段が付いているところがある。ジェットコースターの横に付いてある係員用の階段みたいなものだと思ってくれていい。岩を削って作った階段で、ステンレス製の柵がついた丈夫な作りになっているが、高さによる恐怖からあまり利用されていない。

 下り方面へ向かって伸びている階段を一段一段慎重に降りて行く。

 しばらく歩いた所に、小さな踊り場のようなところがある。

 そこが僕のお気に入りスポットだ。嫌なことがあると、良くここに来ていた。

 柵からぶらんと足を放り出して踊り場に腰を下ろした。

 眼前には広大すぎる海が広がっている。空へと伸びる雲。海へ向かって滑空する鳥。耳元を通り過ぎる風の音。岩場に当たるさざなみのリズム。

 ここに来ると、現実を忘れられる。水平線の向こう側に連れて行ってもらっているような気になる。

 しばらく海を眺めてから今さっき降りてきた階段に視線を移した。

 ゴツゴツとした岩の階段がどこまでも続いている。昔よく、ここで千と千尋の神隠しごっこをした。

 千が釜爺の元へ行くために降りた階段。あれを連想した当時の僕達はここの危険度も知らずにこの危ない階段を駆け下りていた。

 一人になって、自然の力を借りて、頭から今日のことを振り払おうとしてみても、結局のところ過去へ、葉月へ行き着いてしまう。

 辛くなった時、苦しくなった時、最終的に助けてくれたのは昔の記憶達だ。

 過去は美しいものだから。この記憶は僕の逃げ道なんだと、自分に言い聞かせる。だから、僕は立夏や清涼と友達に戻りたいと思っているわけではない。

 海の上に光の道を作りながら、陽が沈みかけていた。

 もう、家に帰ろうと思った。

 ここは暗くなったら危ない。足を滑らせたりしたら大変だ。そう思った瞬間、葉月のことが頭に浮かんだ。僕は慌てて頭を振って、その想像を振り払った。

 事故だけは、何が何でも起こしてはならない。

 一段一段、階段を慎重に降りて行く。陽はまだ完全に暮れきってはいないが、階段を下り終わる頃には空は真っ赤に染まっていた。

 海沿いの道路に降り立ち、夕日に照らされた緋色の海を横目に歩く。風に流された砂浜の砂が、靴底と擦れ合いじゃりじゃりと音を立てている。

 しばらく進んでいるとバス停が見えて来た。小屋のような木製の休憩所があるバス停だ。小屋の中には青いベンチがあって、何度かそこで雨宿りをしたことがある。そのバス停の前を通り過ぎようと歩いた時、背筋が凍りついた。

 そのベンチの前に、今朝会った女の子が倒れていたからだ。あの、カーディガンを羽織っていた少女だ。彼女が、苦しそうに顔を歪めて倒れていた。

 酷く呼吸が乱れていて、額にはあぶら汗が浮かんでいる。死んだ葉月や父母の姿が頭の中にフラッシュバックする。

 僕は頭の中に蘇って来た彼らの姿を振り払い、倒れている少女に駆け寄った。

「どうしました? 大丈夫ですか?」

 この状況を見過ごせるほど腐った覚えはない。

「う……うぅ……」

 少女は呻き声を上げていた。どうやら意識はあるようだ。

「とりあえず救急車をよびます。もう少しですから、頑張ってください」

 救急車を呼ぼうとケータイを取り出した時だ。

「待……って……くだ……さい」

 少女が震える腕を伸ばして、力無く僕のケータイを掴んできた。

「お、お願い……です……救急車は……呼ばないで」

 振り絞って出した微かな声で、彼女は必死に訴えてくる。

「でも、君。凄く苦しそうだ」

「お願い……です……から……辞めて……ください。できれば……貴方の家まで……連れて行って……くだ……さい……たす……け……」

 少女はそこまで言うと意識を失ってしまった。

 どうするべきなんだ。

 彼女を僕の家まで連れて行くべきなんだろうか。

 今も少女は身体を汗でぐっしょりと濡らしながら荒い息を立てている。

 救急車は呼ぶなと言われた。家まで連れて行ってくれと頼まれた。

 でも、彼女をこのまま家まで連れて行ったら、僕は彼女を失った時にまた心に深い傷を負うかもしれない。このまま彼女を見捨てたならば、僕は今罪悪感を覚えるだけで済むだろうか。

 だが、彼女は最後なんと言いかけていた。

 苦しむ少女の横顔が、葉月の顔と重なって見えた。

 ああ、ダメだ。そんな風に見えてしまったら見捨てることなんてできない。

 彼女の身を案じるならば救急車を呼ぶのが一番だろう。ただ、彼女がこんなに苦しみながらも、意識を失う寸前でありながらも、救急車を拒んだということには、何かそれなりの理由があるはずだ。

「僕はやっぱり弱いな。弱すぎて自分で自分が嫌になる」

 人とは関わりたくないと自分で決めたはずなのに、かつての友人さえも拒んできたはずなのに、僕は彼女を背負って歩き出していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

居酒屋で記憶をなくしてから、大学の美少女からやたらと飲みに誘われるようになった件について

古野ジョン
青春
記憶をなくすほど飲み過ぎた翌日、俺は二日酔いで慌てて駅を駆けていた。 すると、たまたまコンコースでぶつかった相手が――大学でも有名な美少女!? 「また飲みに誘ってくれれば」って……何の話だ? 俺、君と話したことも無いんだけど……? カクヨム・小説家になろう・ハーメルンにも投稿しています。

ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~

藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。 戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。 お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。 仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。 しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。 そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...