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神奈神社へと向かう道中、僕達は終始無言だった。花火に何度か声をかけようとしてみたのだが、彼女は何かを考え込んでいるようで顔を合わせてくれず、喋らない方がいいんじゃないかと思ったからだ。
言いたいことは沢山ある。それは、神社に着いてからでも遅くはない。
葉月のお墓や、海の家を超えていく。そのまま海沿いの道をひたすらに歩き続けると、道の左側に山へ続く階段があった。
地図アプリによると、神奈神社はこの先にある。
日没が近づいて来ていて、空はオレンジ色に輝いていた。
階段を一段一段噛み締めて登る。少しでも花火と一緒にいたい。一歩でも遅く行きたい気持ちが芽生えるが、それでは彼女に残された時間が短くなってしまう。
一歩進むに連れて、花火との思い出が蘇ってくる。
初めて会ったのは、葉月の墓参りの帰りだったな。『あの、身体が透明になってしまう病気に心当たりはありますか?』いきなり、そう聞かれたんだった。耳を疑ってしまうような質問だ。だけど、彼女の瞳が真剣そのものだったから、なんとなく、本当なんだろうなと思った。
その日の夕方、花火ともう一度会ったんだ。花火は発作で倒れていた。今思えば、花火を助けた時から僕も助けて貰いたいと、誰かに手を差し伸べて欲しいと、そう願っていたのかもしれない。
階段を半分ほど登り終えた。左側に、山へと続く道がある。アプリは、そっちの方向を指し示していた。
花火と出会ってから、僕は急速に救われていった。一緒に駄菓子屋でカーレースをやった時は楽しかった。
花火のお陰で、清涼と立夏とも関係を取り戻せた。
花火がいなければ、僕は昔のままだ。
神奈神社へと続く道はだんだんと険しくなっていく。道も整備されていた物から獣道のような道無き道へと変化していった。
枝をかき分けて、進んで行く。足を滑らせないように、最新の注意を払う。
清涼や立夏と関係を取り戻せたから、ライブに出ようという決心もできた。
夏祭りでこれからの未来に絶望し、逃げ出した時も、みんなの力を借りて、戻ってくることができた。
ライブだって成功したし、葉月の家にだって行けた。後悔しないような人生を選ぼうっていう決心もついた。
それもこれも、全部、花火と出会ったからなんだ。
気がつくと、神社の前に立っていた。真っ赤な鳥居が建っていて、その先に本殿がある。小さな神社だ。
神社の周囲一帯には草木が生えていなかった。誰かが手入れを行なっているのかもしれない。上空から見たら、ぽっかりと穴が開いているように見えるだろうな。
僕の夢のような時間が、終わりを告げる。花火と過ごすのも、これで最後だ。
「花火。君と出会えて、本当に良かった。この夏のことは、これからも忘れない。だから、どうか生きていて」
僕は花火を見つめた。最後くらいは笑って見送ろうと思っていたけれど、涙が溢れて来てしまう。それでも、笑っていよう。
「ここに来るまで色々考えたんですけど、やっぱり、考えは変わりませんでした」
「え?」
間の抜けた声が漏れる。彼女の言っている意味が分からない。何の考えが変わらなかったのだろうか。
「私、帰りません。この世界に残ろうと思うんです」
言葉を発することができなかった。理解が追いつかなかった。ここまで来たのに、もう、移動できるのに、どうして。
気がつくと僕は花火の肩を掴んでいた。
「もう移動できるのに、生きられるかもしれないのに!」
かなり酷い顔をしていただろう。それでも、花火は優しく微笑んで言った。
「少し、昔話をさせてください」
言ってから、花火はゆっくりと話始めた。
「私は病気になる前から、ずっと、孤独でした。親は毎日深夜に帰ってきて、高熱を出しても病院に連れて行って貰えませんでした。真っ当な愛情を注いで貰えなかったので、人との関わり方も分かりませんでした。だから、友人もできず、親に見向きもされず、本当に、孤独でした」
「知ってると思うんですけど、友達、いなかったんですよ」と花火は苦笑した。
「孤独で孤独で仕方なかった。私という人間は本当に誰にも愛されず、必要とされず、透明人間みたいだな。なんて思ってました。そんな時です。私が『透化病』にかかったのは。その時私は、ああ、こんな何もない透明な私の人生にも『壮絶な死』という物語ができると、少し嬉しく思いました。それでも、結局は孤独で寂しい人間なんです。大病を患って入院しているのに、友人はおろか親すらも見舞いに来てくれませんでした。ああ、やっぱり私は最後まで孤独なんだなあって思いました。でもたった一人、見知らぬ人が私の病室に面会に来てくれたんです」
花火は、辛い過去を幸せそうに語っていた。まるで、大切な思い出かのように。
「最初はなんで私にって警戒していたんですが、その人は毎日私に会いに来てくれます。私に恩を売ったって何にもならないのに、来てくれます。次第に、私はその人と会うのが楽しいと思えるようになったんです。だんだんと、生きる希望が、持てるようになったんです。生きてみようって思えるようになったんです。幸せを知ろうって、思えたんです。思うことが、出来たんです。記憶に制限がかかっていて全てを思い出せているかは分からないんですが、確かにそう思ったんです。私、気づいちゃったんですよ。その人の正体。私に希望をくれた人は、私を彩り始めてくれた人はきっと、太陽くんだと思うんです」
本当に、言ってる意味が、分からなかった。なんでその人が僕なんだ。僕はこっちの世界の住人だ。花火の世界に、それも過去に、行けるはずがない。
そこで、僕は思い出した。
花火の世界には、『時間遡行』の技術があるのだ。立夏から海の誘いを受けた日、そんな話をした記憶がある。
「思い出しましたか? そうです。使用者本人の世界では時間遡行ができないけど、他の並行世界になら時間遡行ができるんです。つまり、太陽くんは私の過去に行くことができる」
「確かに、それはあり得ない話じゃない。でも、それが僕だとは限らないじゃないか。今ここで君が死を選ぶ理由にはならないよ」
僕の反論に、花火は落ち着いた様子で首を振る。
「いいえ。きっと、そうなんです。その人は私に『残された時間の中で、後悔がないように、やりたいことを、思った事を、全てやろう』って、言ってくれたんです。これは紛れもなく太陽くんの言葉です。太陽くんが私を励ましてくれた時に気づいたんですよ。それに、私には時間が残されていません。その残り少ない時間で、他の世界に行って、尚且つ病気を治せるかと問われたら、その可能性は限りなくゼロに近いでしょう。まず病気を治療できる技術があるか分からない。それに、技術があったとしても、私に残された時間で治療が間に合うとは思えません。それに、私はもう一度孤独に襲われてしまいます。太陽くんと別れて、また一人になってしまう。そのまま人生を送ったとしても、そのまま孤独を抱いて死んでも、私は後悔するでしょう。それなら、残りの数日を太陽くん達を過ごしていた方が良いです。私は、幸せなまま死んでいきたい」
花火は力強い眼差しで僕を見ていた。
「花火の気持ちも分かる。それでも、僕は君に生きていて欲しいんだ。僕の変わりなんて、いくらでもいるよ」
「いいえ……そんな人はいません」
「なんで……」
花火の決意はすでに固まっている。それでも、僕は諦めきれなかった。何か花火の考えが変わるような言葉はないだろうか。何と言えば、彼女の気が変わるだろうか。探しても探しても、そんな言葉は見つからなかった。それでも、何か言わなくては。花火が、死を選んでしまう。それだけは、嫌だ。
「僕だって……花火と離れたくないよっ……それは本当だ。心の底から、そう思ってる。だ、だけど……花火に死なれるのはそれ以上に嫌だ。少しでも生きれる可能性があるなら、それに賭けてみるのだっていいじゃないか……だから……考え直してくれ……頼む」
僕が最後に選んだ手段は、同情を誘うことだった。これで花火が生きる道を選んでくれれば、僕はそれで良い。
「嫌です。だって、私は後悔したくない。そう生きろと、太陽くんは言いました」
僕の泣きそうな、今にも崩壊しそうな顔を見ながら、花火は宣言した。はっきりと嫌だと。死を宣言した。僕の言葉だと、そう言われてしまっては、何も言い返すことができない。
目の前が真っ暗に染まり上がる。絶望だ。絶望が視界を埋め尽くしていた。死が、充満する。四年前と、同じだ。何も、何も変わっちゃいない。
「僕はまた……助けられなかった」
足の力が抜ける。立つことすらままならなくなり、膝から崩れ落ちそうになった。その時――包み込まれるように、僕は抱き抱えられた。
花火が崩れ落ちる僕を抱きしめてくれた。暖かい。向日葵のような香りだ。そこには確かに命があった。
「いいえ。私は、充分に助けられています。倒れていた私を背負って運んでくれた。並行世界のことも、病気のことも疑わずに信じてくれた。私を駄菓子屋にも、海にも連れて行ってくれた。大切な友達をくれた。打上花火の綺麗さだって、ライブの楽しさだって、愛情だって、全部全部、太陽くんから初めて貰ってきたんです。何もなく透明だった私を、太陽くんが彩ってくれたんです。だから……何もしてないだなんて軽々しく言わないでください……」
耳元で、花火のすすり泣く音が聞こえる。僕を抱きしめる力が、強くなる。
「私……嬉しかったんですよ……太陽くんが、私に希望をくれた人だと気づいた時。それに気がついた時本当に嬉しかった。私に生きる勇気をくれた人が、私の大好きな人だったんです。喜びを教えてくれた人だったんです。嬉しくないはずがありません。私は初めから最後まで、太陽くんに救われていたんだって。太陽くんに救われるのが、私の産まれてきた意味なんだって。そう思えたんです」
「僕だって、君に救われた。だから、そんな君を死なせたくはない」
花火を強く抱きしめ返す。気がついた時には叫んでいた。
「だったら、尚更最高じゃないですか。私は太陽くんに救われてこの世界に来た。そして、太陽くんは私にこの世界で救われた。そして、私を救うために私の世界に来てくれる。私達は世界を超えて、お互いを救いあうんです。だから太陽くん、お願いです。私を、過去で苦しんでいる私を、救いに来てください。そして、これから私を孤独にさせないでください……一人にさせないでください……最後まで、側にいさせてください……」
返す言葉が、見つからなかった。一人にさせないでください。救いに来てください。それを言われたら、もうだめだ。
確かに、花火を他の世界に送り出したところで、生存の可能性は限りなく低い。更には、孤独にもさせてしまう。姉さんのような暖かい人と出会えるかなんて、分からないからだ。なら、最後まで一緒にいるのが、彼女にとっての幸せなのかもしれない。
彼女を救えるのなら、彼女の願いを叶えられるのなら、後悔はない。それが、花火の幸せだからだ。
「分かったよ。でも……やっぱり……寂しいよ」
言ったものの、決心はつかない。どこまでも僕は、弱い人間だ。
「立夏ちゃんから聞いた歌に『悲しみは消えるというなら喜びだってそういうものだろう』という歌詞がありました。その歌は最後に『消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう』と唄って終わります。それは、消えない悲しみがあるのなら、消えない喜びもあるだろって言っているんだと思います。私は太陽くんの消えない悲しみになれたら嬉しい。私との思い出は、きっと、消えない喜びになってくれると思うからです。それに、私との思い出は空っぽにはなりません。何せ私は透明ですから。私との思い出は、透明になるだけです」
そう言って花火は抱いていた腕をほどき、腫れぼったい瞳でにこやかに笑ってみせた。
僕がまた空っぽに苛まれると思って言ってくれたんだろうな。本当に、最後の最後まで僕に気を使ってくれる。
でも、ここでもその歌かと思ってしまう。結局、最後まで葉月の力を借りてしまった。この歌は、昔よく葉月が口ずさんでいた曲だ。
確かに、花火との思い出は、消えない悲しみであり、消えない喜びだ。
「その歌。まさか花火が歌うとはな。だって『生き続けるだぞ』」
僕がそう言うと、花火は口を尖らせて言った。
「良いんですよ。幸せのまま最後まで生きていければ。幸せの絶頂で死ねるって、見方によっては最高なんですよ」
そう言って、花火は笑った。多分、怖いだろうに。僕を不安がらせないように、笑った。
花火は後悔のないように、生きたいように生きて、死ぬ。自分を救ってくれる人を見つけて、自分を救いに行かせるために、死ぬ。
きっと、そういうことなんだろう。花火がこの世界に来たということは。そういう運命なんだろう。
僕は花火の肩を抱き抱えた。そして、胸を貸す。きっと怖いだろう花火に泣いて貰うために。
最後の最後まで、彼女に孤独を味合わせないために。
花火は大声を出して泣いた。その声は、夜の山に響き渡る。どこまでもどこまでも、響いていく。
言いたいことは沢山ある。それは、神社に着いてからでも遅くはない。
葉月のお墓や、海の家を超えていく。そのまま海沿いの道をひたすらに歩き続けると、道の左側に山へ続く階段があった。
地図アプリによると、神奈神社はこの先にある。
日没が近づいて来ていて、空はオレンジ色に輝いていた。
階段を一段一段噛み締めて登る。少しでも花火と一緒にいたい。一歩でも遅く行きたい気持ちが芽生えるが、それでは彼女に残された時間が短くなってしまう。
一歩進むに連れて、花火との思い出が蘇ってくる。
初めて会ったのは、葉月の墓参りの帰りだったな。『あの、身体が透明になってしまう病気に心当たりはありますか?』いきなり、そう聞かれたんだった。耳を疑ってしまうような質問だ。だけど、彼女の瞳が真剣そのものだったから、なんとなく、本当なんだろうなと思った。
その日の夕方、花火ともう一度会ったんだ。花火は発作で倒れていた。今思えば、花火を助けた時から僕も助けて貰いたいと、誰かに手を差し伸べて欲しいと、そう願っていたのかもしれない。
階段を半分ほど登り終えた。左側に、山へと続く道がある。アプリは、そっちの方向を指し示していた。
花火と出会ってから、僕は急速に救われていった。一緒に駄菓子屋でカーレースをやった時は楽しかった。
花火のお陰で、清涼と立夏とも関係を取り戻せた。
花火がいなければ、僕は昔のままだ。
神奈神社へと続く道はだんだんと険しくなっていく。道も整備されていた物から獣道のような道無き道へと変化していった。
枝をかき分けて、進んで行く。足を滑らせないように、最新の注意を払う。
清涼や立夏と関係を取り戻せたから、ライブに出ようという決心もできた。
夏祭りでこれからの未来に絶望し、逃げ出した時も、みんなの力を借りて、戻ってくることができた。
ライブだって成功したし、葉月の家にだって行けた。後悔しないような人生を選ぼうっていう決心もついた。
それもこれも、全部、花火と出会ったからなんだ。
気がつくと、神社の前に立っていた。真っ赤な鳥居が建っていて、その先に本殿がある。小さな神社だ。
神社の周囲一帯には草木が生えていなかった。誰かが手入れを行なっているのかもしれない。上空から見たら、ぽっかりと穴が開いているように見えるだろうな。
僕の夢のような時間が、終わりを告げる。花火と過ごすのも、これで最後だ。
「花火。君と出会えて、本当に良かった。この夏のことは、これからも忘れない。だから、どうか生きていて」
僕は花火を見つめた。最後くらいは笑って見送ろうと思っていたけれど、涙が溢れて来てしまう。それでも、笑っていよう。
「ここに来るまで色々考えたんですけど、やっぱり、考えは変わりませんでした」
「え?」
間の抜けた声が漏れる。彼女の言っている意味が分からない。何の考えが変わらなかったのだろうか。
「私、帰りません。この世界に残ろうと思うんです」
言葉を発することができなかった。理解が追いつかなかった。ここまで来たのに、もう、移動できるのに、どうして。
気がつくと僕は花火の肩を掴んでいた。
「もう移動できるのに、生きられるかもしれないのに!」
かなり酷い顔をしていただろう。それでも、花火は優しく微笑んで言った。
「少し、昔話をさせてください」
言ってから、花火はゆっくりと話始めた。
「私は病気になる前から、ずっと、孤独でした。親は毎日深夜に帰ってきて、高熱を出しても病院に連れて行って貰えませんでした。真っ当な愛情を注いで貰えなかったので、人との関わり方も分かりませんでした。だから、友人もできず、親に見向きもされず、本当に、孤独でした」
「知ってると思うんですけど、友達、いなかったんですよ」と花火は苦笑した。
「孤独で孤独で仕方なかった。私という人間は本当に誰にも愛されず、必要とされず、透明人間みたいだな。なんて思ってました。そんな時です。私が『透化病』にかかったのは。その時私は、ああ、こんな何もない透明な私の人生にも『壮絶な死』という物語ができると、少し嬉しく思いました。それでも、結局は孤独で寂しい人間なんです。大病を患って入院しているのに、友人はおろか親すらも見舞いに来てくれませんでした。ああ、やっぱり私は最後まで孤独なんだなあって思いました。でもたった一人、見知らぬ人が私の病室に面会に来てくれたんです」
花火は、辛い過去を幸せそうに語っていた。まるで、大切な思い出かのように。
「最初はなんで私にって警戒していたんですが、その人は毎日私に会いに来てくれます。私に恩を売ったって何にもならないのに、来てくれます。次第に、私はその人と会うのが楽しいと思えるようになったんです。だんだんと、生きる希望が、持てるようになったんです。生きてみようって思えるようになったんです。幸せを知ろうって、思えたんです。思うことが、出来たんです。記憶に制限がかかっていて全てを思い出せているかは分からないんですが、確かにそう思ったんです。私、気づいちゃったんですよ。その人の正体。私に希望をくれた人は、私を彩り始めてくれた人はきっと、太陽くんだと思うんです」
本当に、言ってる意味が、分からなかった。なんでその人が僕なんだ。僕はこっちの世界の住人だ。花火の世界に、それも過去に、行けるはずがない。
そこで、僕は思い出した。
花火の世界には、『時間遡行』の技術があるのだ。立夏から海の誘いを受けた日、そんな話をした記憶がある。
「思い出しましたか? そうです。使用者本人の世界では時間遡行ができないけど、他の並行世界になら時間遡行ができるんです。つまり、太陽くんは私の過去に行くことができる」
「確かに、それはあり得ない話じゃない。でも、それが僕だとは限らないじゃないか。今ここで君が死を選ぶ理由にはならないよ」
僕の反論に、花火は落ち着いた様子で首を振る。
「いいえ。きっと、そうなんです。その人は私に『残された時間の中で、後悔がないように、やりたいことを、思った事を、全てやろう』って、言ってくれたんです。これは紛れもなく太陽くんの言葉です。太陽くんが私を励ましてくれた時に気づいたんですよ。それに、私には時間が残されていません。その残り少ない時間で、他の世界に行って、尚且つ病気を治せるかと問われたら、その可能性は限りなくゼロに近いでしょう。まず病気を治療できる技術があるか分からない。それに、技術があったとしても、私に残された時間で治療が間に合うとは思えません。それに、私はもう一度孤独に襲われてしまいます。太陽くんと別れて、また一人になってしまう。そのまま人生を送ったとしても、そのまま孤独を抱いて死んでも、私は後悔するでしょう。それなら、残りの数日を太陽くん達を過ごしていた方が良いです。私は、幸せなまま死んでいきたい」
花火は力強い眼差しで僕を見ていた。
「花火の気持ちも分かる。それでも、僕は君に生きていて欲しいんだ。僕の変わりなんて、いくらでもいるよ」
「いいえ……そんな人はいません」
「なんで……」
花火の決意はすでに固まっている。それでも、僕は諦めきれなかった。何か花火の考えが変わるような言葉はないだろうか。何と言えば、彼女の気が変わるだろうか。探しても探しても、そんな言葉は見つからなかった。それでも、何か言わなくては。花火が、死を選んでしまう。それだけは、嫌だ。
「僕だって……花火と離れたくないよっ……それは本当だ。心の底から、そう思ってる。だ、だけど……花火に死なれるのはそれ以上に嫌だ。少しでも生きれる可能性があるなら、それに賭けてみるのだっていいじゃないか……だから……考え直してくれ……頼む」
僕が最後に選んだ手段は、同情を誘うことだった。これで花火が生きる道を選んでくれれば、僕はそれで良い。
「嫌です。だって、私は後悔したくない。そう生きろと、太陽くんは言いました」
僕の泣きそうな、今にも崩壊しそうな顔を見ながら、花火は宣言した。はっきりと嫌だと。死を宣言した。僕の言葉だと、そう言われてしまっては、何も言い返すことができない。
目の前が真っ暗に染まり上がる。絶望だ。絶望が視界を埋め尽くしていた。死が、充満する。四年前と、同じだ。何も、何も変わっちゃいない。
「僕はまた……助けられなかった」
足の力が抜ける。立つことすらままならなくなり、膝から崩れ落ちそうになった。その時――包み込まれるように、僕は抱き抱えられた。
花火が崩れ落ちる僕を抱きしめてくれた。暖かい。向日葵のような香りだ。そこには確かに命があった。
「いいえ。私は、充分に助けられています。倒れていた私を背負って運んでくれた。並行世界のことも、病気のことも疑わずに信じてくれた。私を駄菓子屋にも、海にも連れて行ってくれた。大切な友達をくれた。打上花火の綺麗さだって、ライブの楽しさだって、愛情だって、全部全部、太陽くんから初めて貰ってきたんです。何もなく透明だった私を、太陽くんが彩ってくれたんです。だから……何もしてないだなんて軽々しく言わないでください……」
耳元で、花火のすすり泣く音が聞こえる。僕を抱きしめる力が、強くなる。
「私……嬉しかったんですよ……太陽くんが、私に希望をくれた人だと気づいた時。それに気がついた時本当に嬉しかった。私に生きる勇気をくれた人が、私の大好きな人だったんです。喜びを教えてくれた人だったんです。嬉しくないはずがありません。私は初めから最後まで、太陽くんに救われていたんだって。太陽くんに救われるのが、私の産まれてきた意味なんだって。そう思えたんです」
「僕だって、君に救われた。だから、そんな君を死なせたくはない」
花火を強く抱きしめ返す。気がついた時には叫んでいた。
「だったら、尚更最高じゃないですか。私は太陽くんに救われてこの世界に来た。そして、太陽くんは私にこの世界で救われた。そして、私を救うために私の世界に来てくれる。私達は世界を超えて、お互いを救いあうんです。だから太陽くん、お願いです。私を、過去で苦しんでいる私を、救いに来てください。そして、これから私を孤独にさせないでください……一人にさせないでください……最後まで、側にいさせてください……」
返す言葉が、見つからなかった。一人にさせないでください。救いに来てください。それを言われたら、もうだめだ。
確かに、花火を他の世界に送り出したところで、生存の可能性は限りなく低い。更には、孤独にもさせてしまう。姉さんのような暖かい人と出会えるかなんて、分からないからだ。なら、最後まで一緒にいるのが、彼女にとっての幸せなのかもしれない。
彼女を救えるのなら、彼女の願いを叶えられるのなら、後悔はない。それが、花火の幸せだからだ。
「分かったよ。でも……やっぱり……寂しいよ」
言ったものの、決心はつかない。どこまでも僕は、弱い人間だ。
「立夏ちゃんから聞いた歌に『悲しみは消えるというなら喜びだってそういうものだろう』という歌詞がありました。その歌は最後に『消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう』と唄って終わります。それは、消えない悲しみがあるのなら、消えない喜びもあるだろって言っているんだと思います。私は太陽くんの消えない悲しみになれたら嬉しい。私との思い出は、きっと、消えない喜びになってくれると思うからです。それに、私との思い出は空っぽにはなりません。何せ私は透明ですから。私との思い出は、透明になるだけです」
そう言って花火は抱いていた腕をほどき、腫れぼったい瞳でにこやかに笑ってみせた。
僕がまた空っぽに苛まれると思って言ってくれたんだろうな。本当に、最後の最後まで僕に気を使ってくれる。
でも、ここでもその歌かと思ってしまう。結局、最後まで葉月の力を借りてしまった。この歌は、昔よく葉月が口ずさんでいた曲だ。
確かに、花火との思い出は、消えない悲しみであり、消えない喜びだ。
「その歌。まさか花火が歌うとはな。だって『生き続けるだぞ』」
僕がそう言うと、花火は口を尖らせて言った。
「良いんですよ。幸せのまま最後まで生きていければ。幸せの絶頂で死ねるって、見方によっては最高なんですよ」
そう言って、花火は笑った。多分、怖いだろうに。僕を不安がらせないように、笑った。
花火は後悔のないように、生きたいように生きて、死ぬ。自分を救ってくれる人を見つけて、自分を救いに行かせるために、死ぬ。
きっと、そういうことなんだろう。花火がこの世界に来たということは。そういう運命なんだろう。
僕は花火の肩を抱き抱えた。そして、胸を貸す。きっと怖いだろう花火に泣いて貰うために。
最後の最後まで、彼女に孤独を味合わせないために。
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