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あれから僕達は、水族館内のカフェで食事をとってから別れた。常田はもう一度人魚の顔を見るからと言って人魚エリアに向かい、月野は「では」とだけ言い残して僕の前から消えた。
家に帰ったら虐待を受けるのではないか。彼女が家に帰るたびにそう思うが、彼女はそのまま家へと帰っていった。
家に帰る前にスーパーに寄って買い物を済まし、部屋に戻ってからシャワーを浴びた。
汗でベタベタと汚れた体が溶けていくようで夏のシャワーは気持ちよかった。風呂からあがり、体を拭く。洗面所から出ると、既に日が暮れかけており季節が変わっていた。
窓を開けると、ちょうどよく涼しい風がほてった体を撫でた。秋日だ。どうやら今日の夜は秋らしい。
それから僕は簡単な夕食を作って、ウィスキーをちびちび飲みながら一人で食事を摂った。
最近はどういうわけか、昔よりも孤独を感じなくなっている。洗面所に立っている時、あの白いコップが視界に入っても胸を締め付けられなくなった。朝起きて、隣に誰かがいないことに悲しみを負わなくなった。
僕は間違いなくこの世界から抜け出したいはずなのに、抜け出したいと思い込もうとしている自分に気が付いた。
これはとても良くない。僕の中の信念が揺らぎ始めている。こんなことでは、過去の僕に殴られてしまう。それらの考えを押し出そうと、ウィスキーをロックでぐいっと飲んだ。煙草が吸いたいと思った。
★☆★☆★☆
その日の夜のことだ。僕は突然目が覚めた。悪夢を見たとか、嫌な予感がしたとか、そういうわけじゃない。理由もなく起きてしまった。強いて言えば、何か音がしたような気がしたのだ。時計を確認すると深夜の一時過ぎ、というところだった。
完全に目が冴えてしまった僕は、口の中がアルコール臭いことに気がつき、蛇口ですすいだ。そのまま、なんとなく小腹が空いたので冷蔵庫を開けた。
中にはパックに詰められた肉や、剥き出しの野菜しか入っていない。すぐに口に詰め込めそうなものは、魚肉ソーセージ程度だった。
そのソーセージに手を伸ばし、袋を剥いて食べた。このピンク色のソーセージが元は魚だったなんて、言われなければ想像すらしないだろう。
そこまで考えて、僕は思い出した。
『君達には罰を与えないといけないな』
星の骸は、数日前に確かにそう言った。そして星の骸はこう続けたはずだ。
『ヒントは、そうだな。八尾比丘尼だ』
それを思い出した瞬間、背筋が凍った。どうして僕は今までそのことを忘れていたのだろう。
八尾比丘尼伝説――人魚の肉を誤って食べて、不老長寿を得た尼の物語。星の骸は、罰を受けた僕達が嘆き悲しむことになると予言していた。
彼がやろうとしていることは――――まさか。
その時、ドンドンドンドン!! と部屋の扉が鳴り出した。
急に鳴り響いた音に、思考が断絶される。太鼓を叩いているようなその異音に、僕は肩を弾ませた。
震える膝に力を込め、僕は玄関に向かう。リビングにたどり着いた時、もう一度激しくドアが叩かれた。
こんな夜中にいったい誰がなんのようなんだ。とにかく、何が起きているのか確かめたくちゃいけない。恐る恐る限界に向かおうとしたところで――ヴーーー、ヴーーー、とスマホが鳴った。
どちらに向かうべきなのか。その答えはすぐに決まった。
「サンタさん! 起きてるなら早く開けてください!! お願いです!」
扉の向こうから、月野の悲鳴に近い声が聞こえた。喉が裂けそうなくらい、必死な声だ。
急いで玄関に向かい扉を開けると、雪崩れ込むようにして月野が僕にしがみ付いた。
「サンタさん! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい……」
彼女は壊れた機械みたいに、繰り返し繰り返し「ごめんなさい」と言い続けた。どう見ても、普通の精神状態ではない。
「おい。どうしたんだよ。落ち着けって」
僕は月野の両肩を掴んで、彼女の顔を真正面から見た。
月野は、泣いていた。左目を真っ赤に腫らして、ぽたぽたと涙を流していた。だが、本当に驚いたのはそこではない。
「月野、その、右目はどうしたんだよ」
彼女は、外では絶対に眼帯を外そうとしない。なのに、彼女は眼帯を付けていなかった。月野は夏の空のように澄んだ青い目で僕を見る。
「そ、そんな余裕なんてなかったんです。もう……無我夢中でここまで来ました」
そこでまた思い出してしまったのだろう。月野は「ああ……」と頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「だ、大丈夫か? とにかく中に入って。話はそれから聞こう」
「いや、そんな時間はないんですよ。常田さんを呼んでください」
月野は真に迫るような表情をしていた。その表情に、僕の中で嫌な予感が芽生え始める。
「常田? なんで常田なんだ」
その想像を否定したくて、答えは分かりきっているのに、質問してしまった。だが、それが決定打となった。
「だって! 人魚さんが殺されたんです! 私の、最低な父親のせいで……」
家に帰ったら虐待を受けるのではないか。彼女が家に帰るたびにそう思うが、彼女はそのまま家へと帰っていった。
家に帰る前にスーパーに寄って買い物を済まし、部屋に戻ってからシャワーを浴びた。
汗でベタベタと汚れた体が溶けていくようで夏のシャワーは気持ちよかった。風呂からあがり、体を拭く。洗面所から出ると、既に日が暮れかけており季節が変わっていた。
窓を開けると、ちょうどよく涼しい風がほてった体を撫でた。秋日だ。どうやら今日の夜は秋らしい。
それから僕は簡単な夕食を作って、ウィスキーをちびちび飲みながら一人で食事を摂った。
最近はどういうわけか、昔よりも孤独を感じなくなっている。洗面所に立っている時、あの白いコップが視界に入っても胸を締め付けられなくなった。朝起きて、隣に誰かがいないことに悲しみを負わなくなった。
僕は間違いなくこの世界から抜け出したいはずなのに、抜け出したいと思い込もうとしている自分に気が付いた。
これはとても良くない。僕の中の信念が揺らぎ始めている。こんなことでは、過去の僕に殴られてしまう。それらの考えを押し出そうと、ウィスキーをロックでぐいっと飲んだ。煙草が吸いたいと思った。
★☆★☆★☆
その日の夜のことだ。僕は突然目が覚めた。悪夢を見たとか、嫌な予感がしたとか、そういうわけじゃない。理由もなく起きてしまった。強いて言えば、何か音がしたような気がしたのだ。時計を確認すると深夜の一時過ぎ、というところだった。
完全に目が冴えてしまった僕は、口の中がアルコール臭いことに気がつき、蛇口ですすいだ。そのまま、なんとなく小腹が空いたので冷蔵庫を開けた。
中にはパックに詰められた肉や、剥き出しの野菜しか入っていない。すぐに口に詰め込めそうなものは、魚肉ソーセージ程度だった。
そのソーセージに手を伸ばし、袋を剥いて食べた。このピンク色のソーセージが元は魚だったなんて、言われなければ想像すらしないだろう。
そこまで考えて、僕は思い出した。
『君達には罰を与えないといけないな』
星の骸は、数日前に確かにそう言った。そして星の骸はこう続けたはずだ。
『ヒントは、そうだな。八尾比丘尼だ』
それを思い出した瞬間、背筋が凍った。どうして僕は今までそのことを忘れていたのだろう。
八尾比丘尼伝説――人魚の肉を誤って食べて、不老長寿を得た尼の物語。星の骸は、罰を受けた僕達が嘆き悲しむことになると予言していた。
彼がやろうとしていることは――――まさか。
その時、ドンドンドンドン!! と部屋の扉が鳴り出した。
急に鳴り響いた音に、思考が断絶される。太鼓を叩いているようなその異音に、僕は肩を弾ませた。
震える膝に力を込め、僕は玄関に向かう。リビングにたどり着いた時、もう一度激しくドアが叩かれた。
こんな夜中にいったい誰がなんのようなんだ。とにかく、何が起きているのか確かめたくちゃいけない。恐る恐る限界に向かおうとしたところで――ヴーーー、ヴーーー、とスマホが鳴った。
どちらに向かうべきなのか。その答えはすぐに決まった。
「サンタさん! 起きてるなら早く開けてください!! お願いです!」
扉の向こうから、月野の悲鳴に近い声が聞こえた。喉が裂けそうなくらい、必死な声だ。
急いで玄関に向かい扉を開けると、雪崩れ込むようにして月野が僕にしがみ付いた。
「サンタさん! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい……」
彼女は壊れた機械みたいに、繰り返し繰り返し「ごめんなさい」と言い続けた。どう見ても、普通の精神状態ではない。
「おい。どうしたんだよ。落ち着けって」
僕は月野の両肩を掴んで、彼女の顔を真正面から見た。
月野は、泣いていた。左目を真っ赤に腫らして、ぽたぽたと涙を流していた。だが、本当に驚いたのはそこではない。
「月野、その、右目はどうしたんだよ」
彼女は、外では絶対に眼帯を外そうとしない。なのに、彼女は眼帯を付けていなかった。月野は夏の空のように澄んだ青い目で僕を見る。
「そ、そんな余裕なんてなかったんです。もう……無我夢中でここまで来ました」
そこでまた思い出してしまったのだろう。月野は「ああ……」と頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「だ、大丈夫か? とにかく中に入って。話はそれから聞こう」
「いや、そんな時間はないんですよ。常田さんを呼んでください」
月野は真に迫るような表情をしていた。その表情に、僕の中で嫌な予感が芽生え始める。
「常田? なんで常田なんだ」
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