命の終わりとユートピア・ワンダーワールド

37se

文字の大きさ
40 / 44

39

しおりを挟む
 最近、僕はアパートを借りた。月野との約束を果たすため、半端願掛けのような気持ちで契約した家だ。僕が二人で暮らすためのアパートを借りたと言えば、月野にも元気が出るかもしれない。

 そんな部屋で一人、僕は寂しく暮らしている。夜、ベッドの上でユートピア・ワンダーワールドのことを空想するようになった。

 誰もが幸せな理想的な世界で、月野が楽しそうに過ごしている。サンタクロースを見上げて、人魚姫を見つけて、声を上げてはしゃいでいる。

 その世界では、月野は健康体そのもので病気に苦しめられてなんかいない。僕はそんな彼女の姿を遠くから眺めている。

 そんな光景を、僕は思い描くようになっていた。どうにかして、月野を救いたい。薬と病気のせいで、もがき苦しむ月野をこれ以上見ていたくない。

 僕に何かできないかと、色んなことを手当たり次第に調べていた。中でも一番馬鹿馬鹿しかったのが、八尾比丘尼伝説について本気で調べていた時だった。

 人魚を食って数百年生きたという尼の話だ。
 僕は月野を救うため、本気で人魚を探していた。仕事が終わって、月野の面会に行く。その後、海に行って人魚をひたすら探す。

 十月の海はかなり寒かった。凍えるほど寒いと言ってもいいかもしれない。

 僕はその海の中に私服のまま飛び込んで、人魚を探した。どこまでも潜っていくつもりだった。風邪をひくかもしれない。でも、どうでもいい。僕の体なんていくらでも蝕んでくれて構わなかった。

 人間、本当に追い詰められるとこんな伝説も信じるのかと笑った。僕は馬鹿だった。でも、縋り付くしかなかった。というより、本当は人魚がいるとかいないとか、そういうのは究極的にはどうでも良かったのかもしれない。ただ、何か行動を起こしていなければ気が済まなかっただけだ。

 結局、人魚はどこにもいなかった。いくら探しても、現れてくれなかった。びちょびちょになって海から上がった時、警察官に職務質問された。海辺を散歩していた人が通報したのかもしれない。

「何をしてたんですか?」

「人魚を探してただけです」

 大真面目に答えると、警察官は困ったような顔をしていた。結局ラリってる奴だと思われたらしく、薬物検査を受けた。結果はもちろん陰性で、僕はすぐに解放された。

 僕は正常だった。正常でいて、狂人でもあった。一番終わっているタイプの人間かもしれない。

 もうお手上げだった。月野を助ける手立ては何も無かった。星の骸に頼ろうにも、あいつはあれ以降僕の前に現れてくれない。僕が願いを叶えるべき時ってのはいつなんだよ。今じゃないなら、一体いつ僕は願いを叶えるっていうんだ。

 次の日、僕は月野から病気が別の臓器に転移したという報告を受けた。

「余命、短くなっちゃいました」 

 月野は、努めて明るく振る舞っているように見えた。元気なふりをしてばかりだな、と思う。

「あと、どれくらいなの?」

「一年だそうです」

「そっか……」

 僕は月野に近づいて行って、椅子に腰かけた。後一年で、月野の顔が見れなくなる。もう二度と、彼女と喋ることができなくなる。

 彼女が消えてしまった後の人生に、意味なんてあるんだろうか? そんなのなんの価値もないと思った。

 もう、待っている暇なんてない。無理やりにでも星の骸を見つけ出して、月野の病気を治してもらうしか方法はなかった。

「でも、大丈夫だよ。絶対、治るからさ」

 そう言うと、月野は僕に背を向けた。僕の無責任な発言に嫌気がさしたのかもしれない。

「ねえ、サンタさん」

「なに?」

「私、本当はまだまだやりたいことが沢山あるんです」

 彼女は例のノートを抱き締めながら、そう言った。

「夜の窓ガラスだって、本当は壊したいんです。この前は川で花火をしたから、今度は海で花火をしたいです。お酒を飲める年齢になったら、サンタさんと一緒にお酒を飲みたいです。あの、ベンチで会った日の夜みたいに、深夜に一緒にお酒を飲みたい思ってるんです。健康な体を手に入れて、へとへとになるまで散歩したりもしたいですね。隕石の跡地に行って、父親に恨みを晴らすこともやりたいです。家の前に立って、美味い美味いって酒を飲んでるところを見せつけてやりたいです。まだあそこに、彼の魂はあると思いますから。後は、水族館に行きたいですかね。今の私って、水槽の中の魚みたいじゃないですか。ずっと病室の中に閉じ込められて、外に出られない。今なら、魚の気持ちも分かる気がします」

 きっと、それらの望みがノートには書かれているのだろう。

 僕は彼女を見ていた。月野の瞳は、ふるふると震えている。体も小刻みに震えていて、今にも崩れて無くなってしまいそうに見えた。

「あと、本当は遊園地に行ってヴァイキングにも乗りたいんです」

 彼女は右目の義眼に手をやって、ぎゅっと押さえ込んだ。 

「小っちゃい頃のことだから、あまり詳しく覚えていないんです。でも、確かヴァイキングに乗る動画を撮った時に、私は右目を抉り取られたような覚えがあるんです」

 父親はその動画の出来が気に食わなかったのだろう。怒りに身を任せて、彼女の目にナイフを突き立てた。

「それ以来、ヴァイキングが怖くなっちゃったんです。あんなにも楽しそうなアトラクションなのに、どうしても怖いんです。サンタさんとなら、克服できたかもしれません」

 貴方が、嫌な記憶を上書きしようと言ってくれたからです。と、月野は言った。

「でも、もう、全部叶わないんですよね。私は一生、この病室に閉じ込められたままで、ただ死ぬのを待ってる。そんなのって、あんまりじゃないですか」

 月野は、泣いていた。鼻を啜って、涙を拭って、声を押し殺して泣いている。

 なんとかして、彼女の夢を叶えたいと思った。彼女のために、何ができるのだろう。

「サンタさんが、私を連れ出してくれれば良いのに」

 月野がそう言った時には、もう、答えが出ていた。僕はペンを取り出して、月野からノートを貸してもらった。そのノートには彼女のやりたいことが書かれている。

 その一番最後に[ヴァイキングに乗りたい]と記入されていた。

 僕は消しゴムを使ってその一文を消す。

「何をするんですか」

 月野が涙声で抗議したが、僕は止まらなかった。そこに新しく[月野と一緒にヴァイキングに乗りたい]と書いた。

「僕もさ、ヴァイキングに乗りたくて仕方ないんだよ。だから、行こう。一日だけだけど、ここから逃げよう」

 僕がそう言うと「いいんですか?」と彼女は笑った。

「怒られるかもしれませんよ?」

「そんなのどうだっていいよ。一緒に、遊園地に行こう。夢、叶えようよ」

 良くないことだって分かってる。容体を悪化させる可能性があることも十分理解してる。でも、月野の思い出を上書きすると言ったのは僕だ。その約束だけは、果たしてやりたい。

「それ、最高じゃないですか」

 月野が、泣きながら笑っていた。

「じゃあ、一緒に脱走しましょうね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...