異世界エルフと結婚します

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第一話

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俺はモテない。

 なぜか?
 その理由を俺はもう、反吐が出るほど考え尽くした。身をよじって、頭をひねって。最後にたどりついたのは自分自身に対する妥協と、世間への恨みつらみ。「しょせんイケメン以外、何したって」と斜に構えた脳内俺がつぶやいた。しょせん顔が全て。容姿が全て。世の中の女は顔に騙され、身長に誤魔化され、雰囲気に押されるのだ。その全てを持ち合わせないブサメンチビコミュ障の俺は絶望するか、悪魔に魂を売り渡す他にない。俺の魂にそれくらいの価値があるかどうかはともかく。

 俺は無職である。
 違うんだ、理由はあるぜ、少しだけ話を聞いてくれマイハニー。理由なき無職と理由ある無職を同列にしちゃいけない。俺は大学卒業後、就活に失敗して実家に戻ってきた高機能無職。夢と女ばかり追いかけて、自分の世界の内側に世界を作るようなこたつむりとは一線を画すのだ。
 就活がうまくいかなかった原因を、「つまるところ顔なのだよ」と誰かが俺の中に囁いた。その優しい語り口の裏にある妙な真実味を察して、その晩泣いた。ツイッターとSNSに「現代社会 知られざる若者の苦悩と日常」というタイトルで就活の悲哀を書き綴ったものの反応はなかった。モテない上に友達も居ないのだ。絶望だ。おそらく前世でとんでもないカルマを背負ったに違いない。やってしまったことは仕方ないし、順番が巡ってきたのなら背負うしかない。今回でカルマを返し終えて来世に期待しよう。来世は東京のイケメン男子に生まれるか、それとも田舎の美少女に生まれますように。サンキュー輪廻。グッバイ現世。めぐるめく転生の中で、いつしか俺は異性にモテるという夢を見る。

 おっと。
 脱線した。

 話の本筋はそんなところになく、発端は某北陸地方、2月というのに雪が残る我が家に住まう母の一言から始まったのである。「孫がみたいな」。おいおい母さん、冗談だろ。俺と何年生きたと思ってる? 22年だ。俺の一生はあなたとともにあったと言ってもいい。まあ親子だしな。俺がモテている……少しハードルを下げようか、「異性と会話をしている」シーンを見たことがあるか? ないだろ? 記憶の片隅にもないだろ? 俺にもないんだ。そんな素敵な記憶。ブッダに誓って存在しない。

「孫が、みたいな……」

 白髪が増えた母は、居間の外に顔を向けて、その表情は読み取れない。丸くなった母の背中。少しずつ減っていく声の艶。その言葉の裏にあるのは、あてつけか、それとも心配か。有限の若さと、無限の母の愛。
 ポロポロと、季節にしては大ぶりの雪が降り始めていた。



「朝だぜ兄貴。死ね」
 ははは寝起きから死ねとはひどいぜマイシスター。死にたいのは山々だけど、俺にはやり残したこと、うず高く積まれたゲームと、完結してない漫画があるんだぜ。それらを見捨てて解脱しろと? どんな修行だ、そりゃ。
 俺が目を開けると、制服姿の朔さくが立っていた。彼女は冷たい目で俺を見下ろすと、俺が目を覚ましたのを確認して「ふん」と鼻息を漏らした。
「パンツ見えてるぞ」
「そ、……そんなわけないでしょ!」
 朔は一度自分の下半身に視線をうつして、以上がないことを確認してから、激怒に頬を赤く染めた。その変わりようは信号機も真っ青。信号機だけに。ははは。実の妹のパンツに興味を持つなんて、完全に病気である。俺を見つめる視線の温度がどんどん下がっていくのを感じる。
 彼女は学校で異性にモテるらい。俺に似合わず。目が2つあって、鼻が1つ、口を「へ」の時に曲げた女がかわいか? と思うが。現にこいつが、背の高い男と歩いているのをみたことがある。「彼氏か? 今度会わせろよ」と俺が兄貴面をすると、朔は「え? ただの同級生だよ。おかしい?」と答えて――ああそうか、世の中の高校生ってのは異性と歩くのは別にすごいことじゃないんだ、と俺は思い知って、その日も泣いた。俺に経験がないからといって、現実に存在しないわけじゃない。この世に魔法はないけど異性はいる。魔女は居ないけど、彼女は実在するんだ!
 異性といっしょに帰宅するなんて漫画かアニメかゲームの話だけだと思ってたけど、そうじゃなかったんだね。そんな俺の表情を察したのか妹は、「大丈夫だよ! うん……何がって言われると具体的には答えられないけど。抽象的かつ曖昧に励ますと、大丈夫! この世はしょせん色即是空、美少女も原子レベルで見れば兄貴と大差ないし……とにかく来世に期待!」と俺とまったく同じ思考回路で励ましたのだった。いいか? 妹よ。「来世に期待」の言葉の裏にある意味を。「来世に期待」イコール「今世は諦めろ」。今すぐ死ねって言ってるのと同じことなんだぜ。お前は俺に「生」を問いているのか? 違うだろ。

 などと。
 思い出し怒りをしても仕方ない。
「お母さんご飯作ってるから、早く死ね」
「おまえの語尾は凶器か?」
「早くしてね」
 文字変換機能が壊れてる。ま、いいさ。妹に期待などしていない。「異性と会話がしたことがない」。その言葉に嘘があったと賢明なる諸君(俺は誰に話しているのだろう)はお気づきだろうが、実は我が妹は男だったのだ。
 ということもなく、妹は女だ。ふつうの女子高生で、ただそれだけだ。あるものがなくて、ないものがない。ま、ないものもないなりに健気にあるけれど、「微」とか「貧」の冠がついて、決して「美」ではないというぐらいのあるさ加減だ。 
 妹は異性としてカウントしない。そうだろ?  こちとら妹がしょんべん漏らしてる時から知ってるんだ。俺のうしろについてきて漏らした時も、俺の布団で勝手に漏らした時も、その両方の責任を俺に押し付けた我が愚鈍なる妹を、お前は異性として認識できるのか? 
 俺はできないし、するつもりもない。
 いくら高校生だろうが制服だろうが、「イモウト」は「イモウト」で、「カーチャン」と同じ分類だ。
 それにカーチャンも異性のうちに入らない。だってお前、カーチャンからもらったバレンタインチョコを友達に自慢するか? しないだろ? 「う、うるせーな」とか言って照れを隠してあとこっそり食べるだろ。ちょっぴり強がって、「俺そんなの欲しくねーし」って強がって、そんな顔だけはするだろ。そしてチョコを食べながら俺は泣いた。カーチャンいつもありがとう。

 
 階下に降り、食卓につく。
 一足先に朔はトーストをかじっていた。俺の席にはごはんと焼き魚、納豆、味噌汁が並べられている。ああごめんよ母ちゃん。子供たちがわがままで。和洋両方の準備をさせてしまった。
 ま、いいや。とりあえず食べよう。
 朔の隣に座り、馴染んだ食器に手を伸ばす。母ちゃんは俺の向かいの席に座って、ぼんやりとテレビを見ていた。全国放送のニュース番組だ。子犬が遊ぶ映像が映っており、母はそれを見て微笑んでいた。
 映像が切り替わる。しかめつめらしい顔をした男性キャスターと、その背後に棒グラフ。よくよく見ればグラフの上部に「少子化」とタイトルが入っていた。おそらくこのグラフは、横軸が西暦、縦軸が出生率かなのだろう、と察せられる。
 それを見て、母ちゃんがあてどもなくつぶやいた。

「孫が、見たいねえ」

 その発言――俺にとって十分な殺傷力を持った凶器は、いつもどおりに繰り広げる食卓の上で爆発して、破片が鋭利な刃となって俺の胸に突き刺さる。流れ出る血。とどまらぬ涙。そして後悔。俺は自分の不甲斐なさに、泣こう――と思ったけれど、母ちゃんの寂しそうな顔を見るとそんな「おふざけ」も許されないことに気づく。

「おい朔、」
「イヤよ。
 どうせ『彼氏が居るから、お前が産め』って言うんでしょ?
 お見通しだし、マジひどいし、最低だ死ね」
「好きでいっしょに居るんだろ?
 将来を約束したんだろ? いいじゃねえか。産めよ一気に5人くらい」
「好きだけどそういうんじゃないし、年齢的に言ったら兄貴のほうが先じゃん。
 ノーリスクだし、どんどん子供つくりなよ」
「俺は無職だし、ノーチャンスだし、人体錬成できないし」
「うるせえ、働け!」
 学生風情に言われたくない、と一ヶ月前まで学生だった俺が言ってみる。

 母ちゃんはテレビから視線をこちらへと戻して。
 俺らのやりとりに疲れたのか、短くため息をついて。
「いいのよ、大和やまとは好きに生きて。
 自分のやりたいことを仕事にして、健康で長生きしてくれれば」
 と、話を締めくくった。




 母ちゃんは苦労人だ。男に捨てられ、女手一つで俺と妹を育てあげ、俺のことを大学にまで入れてくれた。その上、朝食は欠かさずつくってくれてたし。運動部の妹の弁当を作っている。そんな母ちゃんを、俺と妹は大好きだったし、できれば恩返しをしたいと常々考えている。「ほっ」とする顔がみたい。安心させてやりたいんだ。そのためには就職して、独り立ちして、彼女から嫁になった異性と子をなして、母に「ああ私の子育ては間違ってなかったのね」と思わせるのが一番なのだが、それは「来世に期待」からもっともかけ離れた位置にある。「ごめん、待った?」「ううん、今来たとこ」という会話を一度でもしたことがある奴らには分かるまいが。俺は全身全霊をもってそいつら憎む。

 何か手っ取り早く彼女を作る方法――。
 金でも払うか? 疑似体験、するか。
 最近はレンタル彼女というものも流行っているみたいだし。
 ……ダメだ、金がない。働くか? バイトを始めたら就活が続けられないし――。

 などと俺の思考は延々と同じところを回り。
 ネットで「彼女 作り方」で調べていたけれど、それもいつしか「オンライン小説サイト」に切り替わっていた。このサイトを見始めたのは最近だが、これがなかなか面白い。小説には詳しくないけれど、おそらくプロと比べれば力量的には拙いのだろう。けれど情熱がこもっている。俺はそう思う。特に「異世界に行ってハーレム作る」という斬新かつ夢のある話
など、何回読み返したか分からない。その手の話がたくさん転がっており、様々な意匠が凝らされている。それを読みながら俺は、「そうか、自殺する必要なんてないんだ。異世界に行けばなあ」と生産性のないことを考えていた。
 異世界に、行ければ。
 ん?
 異世界には美少女エルフやロリババアがわんさか居て、「抱いて」と俺に群がるのか?

 ん?

 俺は頭の中に浮かんだ、ひっかかりをなんとか言葉にしてみようと思考する。
「異世界……美少女……ハーレム……召喚……」
 そして1つの結論を得て。

 検索欄に新たなキーワードを打ち込んだのだった。






「おい、朔」
 俺がノックせず妹の部屋に入ると、彼女は行儀悪く制服のままベッドで漫画を読み「げらげら」と笑い転げていた。今度こそパンツが見えていたが、いざ見えるとそれをからかう気にもならない。歩いてベッドまで近づくと、漫画を「さっ」と少女漫画の主人公のようにかっこよく取り上げると、ゲラ顔をした妹と目が合った。
「妹よ。何がそんなに面白い」
「兄貴の顔」
 そしてゲラゲラ。

 おおっと。

 なかなか煽りレベルが上達してきたじゃねえか。
「……人の顔を笑うと不幸になるぞ」
「相手を笑顔にするいい顔だよ!」
「慰めになってない!」
「慰めるつもりもないし」
「……」
「……」
「まあ、いい。これを買ってきてくれ」
 俺は咳払いをして、一枚の紙を手渡した。
「これを買ってきてくれ。みなまで言うな。駄賃は渡す」
「コウモリの羽根、カエルの目玉、マンドラゴラの根……。
 なにこれ、魔女にでもなるつもり?」
「たしかに、俺に異性としての魅力はないかもしれない。
 顔を見ては笑われ、席が隣になれば怯えられる。
 だがネットには「異世界から美少女を呼び出す方法」がのっていた。
 必要なものを集めて、魔法陣を書いて、乗ってる呪文を口にすればあら不思議。半径1メートルの陣は異世界のゲートに早変わり。思うがままの美少女を呼び出せるって寸法だ」
「キモイ!」
 妹の俺を見る温度は、どんどんさがっている。
「どれだけひねくれればそんな発想になるのよ。
 お母さんがかわいそうだと思わない?」
「俺は母のためにやる」
 これはいわば親孝行のためだ。
「仕方ないわねえ」
 と言って彼女は右手をこちらへ。


 召喚は成功した。

 「ネットの情報は9割がデマ」と、昔とあるブログ記事で読んだことがあったが、これは数少ない真実だったようだ。俺の部屋に赤で書かれた魔法陣。六芒星の頂点で揺らめくろうそくの炎。俺の影がそれにつられて揺らめいて。「いでよ!」という俺の掛け声とともに、ろうそくの炎は一瞬にして全部消え失せ、強い稲光が走る。

 次の瞬間。

「ふにゃあああーーーーー」

 という、気の抜けた悲鳴が聞こえた。

 さきほどまで何もなかった空間、魔法陣の中央に、少女が座っていた。髪の毛は緑色。肌は白くて、目は青い。赤いカチューシャをしていて、耳は人よりも少し長い。裸――ではないが露出の高い、一枚の布を折りたたんだようなドレスを着ており、そこかしこから健康的な手足が見えていた。俺は思わず、ごくりとつばを飲み込む。

「成功だ……」

 まさかこんなものがうまくいくと思わなかった俺は、彼女にかけるべき声を考えてなかった。
 これが記念すべき異性との会話の第一声になるのだ。ヘタな言葉を選ぶわけにはいかない。もしこれがもとで――「初対面の印象が最悪」過ぎてその後のラブライフに影響を与えたら……。俺の中で悪い空想がどんどん広がる。
 けれど――。

 俺は童貞だ。さらにいえばレベルの高い童貞であると言える。同級生との会話? 登下校? なにそれ? 俺は女子とろくな会話なんかしたことのない人間だぜ?

「ご主人様!」
 と、彼女は叫び、俺に抱きついてきた。
「待て俺。まだ早い。ご主人様は、大人になってから」
「何言ってるんですか! 大和さまは、ニーナのご主人さまですよ!
 しっかりしてください」
 錯乱しておかしなことを口走る俺の身体を揺さぶり、ニーナというその女は俺をのぞき上げた。生涯最初の言葉が「ご主人様」で、それもその相手がこんな目の前に。こんな美少女がこんなに近くに……そして俺の腕をつかんでいる。俺を見ている。
「はわー、ご主人様、どうしたのですか?」
 夢か。俺が見ているのは夢か。ああ、そうか。俺は死んだのだ。「美少女を召喚する」という魔術に失敗して、命を落とした。母ちゃんごめん。自室で一人、魔法陣ろうそく黒衣装というまさに「異様」の一言で朽ち果てる息子を許してくれ。
  だがこの死に方に、不満などあるわけがない。最期にこんないい夢を見させてもらったんだから。美少女に「ご主人さま」とあがめられて死ぬのも悪くない。俺は目を閉じ、ゆっくりと前に倒れていくと、顔面が柔らかな膨らみに包まれていった。
 ……なんだこのふくらみは? 柔らかく、そして温かい。これが解脱というものか。俺はついに悟りを開いてしまったのか、などと考えていると。
「きゃあああ!」
 ニーナが悲鳴をあげる。
 俺は抱えられていた頭を離され、そのまま床に頭をしたたかに打ち付ける。痛い。
 ってことは。

「夢じゃないのか」
「夢じゃないですよ」
「俺の妄想とか、ドッキリをしかけられてるとか、youtuberにありがちな『友達に○○やってみた』系のやつじゃないのか! お前は本物か!」
「偽物の定義がよくわからないのですが、ニーナはニーナなのです。
 ご主人様の声に応じて、この世界に来たのです」
「お前は誰だ!」
「ニーナはニーナです。ニーナレット・アルフスタレン。エルフの住まう大森林の長老一族に連なるアルフスタレン家の長女なのです」
「そ、そういうことじゃない。そうじゃなくて」
 誰か俺にこの状況を説明してくれ。金髪美少女と部屋に二人きり。しかもかつ巨乳で俺のことをご主人様と慕ってくれる。おもっきり下衆な妄想をしてしまったけれども、それもこの子の純粋無垢な笑顔の前では霞んでしまう!
 美少女が居れば、それも自分のいうことをきく都合のいい女の子がいればあんなことこんなことできるはずだと思っていた過去の自分が憎い。女子とまともに接した経験のなく、高まり過ぎた童貞力が俺から女子との会話力を奪っていく!
 何だ! 何を話せばいい!
 どうやって場をつなげばいいんだ!
 このチャンスは二度と、そう、おそらく二度とないだろう!
 魔術が成功したとか、そんな事実さえ霞む奇跡。それが「俺が自室に美少女と二人きりで居る」ということ。
 ふぅっ。
 ふうっ。
 ふぅっ。
 深呼吸をしながら自分を御する。
 落ち着け、俺。落ち着け。大丈夫お前ならやれる。何度も(妄想で)会話しただろ?ゲームで何人も落としただろ?女子との会話なんて大したことじゃないんだぜ。
「あ、あの……」
「はい。何ですか?」
 言ってニーナは首をかしげ、俺の次の言葉を待っている。その動作もいちいちがかわいらしい。思いっきりぎゅって抱きしめたくなるけど、それはさすがにNGだと思って自制する。
「い、いい天気ですね」
「ええと、……そうみたいですね。ニーナの住んでた森ではあまり青空が見えなかったのです。だから空が青いと、不思議な感じがします」
 ニーナは後ろを振り返り、窓の外を確認してから、言葉を発した。その動きにつられ、部屋の空気がかき混ぜられて、ふんわりと甘い香りが広がった。……ああ、これがニーナの匂いなわけか。って俺気持ち悪いな。でもしょうがないじゃん! こんなに異性の近くに居たことがなかったんだから。
 ええと、自分の中で言葉を探して。
 ……思い浮かばん!
 好きと言ってしまえばいいのか? 世の中の男女はどうやって付き合ってるんだ? どうやって親睦を深め、どうやって愛を確かめ、どうやって……ああああもう何もわからん!
 とにかく好きと言ってしまおう!
「ニーナさん、実は、す、好き……」
「好き?」
 またもや小首をかしげる仕草。俺の意図が伝わってないようだった。いや、よく考えたら伝わるわけないよな。いきなり好きって言われて……気持ち悪いよな。ダメだ、気を付けよう。そう思って、話題を変えることにした。
「好きなものはなんですか?」
「そうですね、アップルパイが好きです。ニーナのママが作ってくれるパイは、絶品なのです。けれど出し惜しんで、年に一回の収穫祭の時にしか作ってくれないのです」
「へえ、それはそれは」
「そうなのです。機会があったら、食べてみて欲しいのです」
「食べてみたいですね」
「絶対感激するはずです!」
「へえー」
「……」
「……」
 そして、沈黙が訪れる。
「あ、あの……」
「ひいっ」
 ニーナの右手が伸ばされ、俺の肩にふれる。俺の鼓動が高鳴る。
 ニーナは何かを掴んで、俺の目の前で手のひらを開いてみせた。中に居たのは紫色の見たことのない蜘蛛だ。
「デスクラスタスパイダーですね。ニーナといっしょに転移してしまったみたいなのです。
 刺されると死んだりはしないけど、すんごく痛いのです。
 ニーナも子供の頃二の腕を刺されました。今も後がのこってます」
 と言って左腕の内側を見せてくれるけれど……そこにはきめ細やかな白い肌以外、何もない。傷跡なんてもってのほかである。
「この蜘蛛は逃すと家族を連れてくるのです。だからかわいそうだけど、えい!」
 ニーナはそれを握りつぶした。
「ひいっ」
「あ、ごめんなさい。こういうの苦手なのですか?」
「そ、そうじゃないけど」

 俺はティッシュを差し出し、手をふくように促した。

「ニーナは大森林生まれだけれど、世界にはもっと都会があると教わりました。
 おそらくご主人さまのところも、「トカイ」なのでしょうね。デスクラスタスパイダーも居ないみたいだし」
「そ、そうですね」
「あの……」

「ひいっ」

 ニーナは少し悲しげに眉をしかめて、
「もしかして、ニーナのこと嫌いですか?」
「い、いえいえいえ、いやいやいや、そんなことないっすよ」
「それじゃあさっきからどうして避けるのです?
 ニーナのこと怖がってます?」
 今にも泣き出しそうな顔である。ああ、そんな顔をさせたくない。悪いのは全部俺なんだ。俺がどうやって接すればいいかわからないから。こいきなトークもできないから。全部俺なんだ。
 よく恋愛漫画とかでヒロインが泣くシーンをみて、「へん、俺ならこんなことしねーのに」と思ってた俺であるが、女子ニーナがこんな簡単に泣きそうになるなんて思わなかったのだ。
「え、えと、そうじゃなく、て」
 俺はたどたどしく言葉をつなぐ。
 必死にしゃべる俺の言葉に、真摯な表情で、ニーナは耳を傾けてくれる。
「慣れて、なく、て。その、話すのに」
「慣れてない?」
「その……、女の子と」
 言って俺は、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「だからニーナ……さん、が嫌いとかじゃなくて」
「苦手なのです?」
「そうじゃなくて」
 そうじゃなくて、楽しくお話したいし、できれば俺に好意を持って欲しい。なんでもないことで盛り上がって、互いに冗談を言って笑い合える関係を作りたい。そんな本音はだけど言葉にならずに、俺の口からでてくるのは「あの」「その」「でも」ぐらい。
 みっともないと思った。そんなことわかってる。けど、できないんだよ! 女子と話すときに選択肢なんて出てこないんだよ!
 手は震えていたし、足もがくがくするし、そもそも異性とろくに話した経験もないから会話もろくにできなくて。
「妹よー! 朔―! 助けてくれーーーーー!」
 俺は最終的に、妹に助けを求めた。


 俺の部屋に入ってきた最終兵器妹は、ニーナの姿を見て固まった。そして何も言わずに手に持っていた漫画本の角で俺を殴りつけてくる。
「痛い、痛い!」
「この犯罪者!」
「人聞きの悪いことを言うな。俺がいつ犯罪を犯した」
「こんな可愛い子を連れ込んで……誘拐したんでしょ!」
「そんなわけねえだろ!」

 妙な誤解をしている朔に向かって、俺は一連のあらすじを説明してやる。美少女を召喚したくだりを、納得できてないのか、策は眉毛をしかめたままだったが、とりあえず話を聞いてくれる気にはなったらしい。
「それで、私に何をしろっていうのよ」
 朔は俺の勉強机の椅子に腰かけて腕を組んで……いかにも不機嫌そうに声を上げる。
「助けてくれ」
「何を助けろって?」
「おま、これ……わかるだろ? 異性と話をする方法だよ。美少女と仲良くなる方法が知りたいんだよ」
「嫌よ」
 なんということだ。俺に協力する気がないとは。とても血のつながった姉妹とは思えない。
 朔はニーナを見て目尻を釣り上げた。
「名前は「朔」よ」
「ニーナはニーナなのです」
 おっと、なんか今ビリビリしたぞ。静電気か?
「自己紹介なんてどうでもいいから。
 助けてくれよ」
「だからお兄ちゃんが、異性と仲良くなる方法でしょ?
 そんなの経験をつむしかないじゃない。レベル1で魔王に挑む?
 初期の木の棒でドラゴンと戦う? そういうことよ」
「そ、そんぐらいわかるわい!
 俺が聞きたいのは、それなら具体的に何をすればいいのかってことであって」
「共同作業」
 朔はぶっきらぼうに言った。
「二人で1つのことに取り組んでみたらいいんじゃない?
 ま、私としてはお金の匂いを嗅ぎつけた女狐はいなくなって欲しいけど」
「ニーナは、お金目当てなんかじゃないのです!」
「そ、そうだぞお前。失礼だぞ!
 でもありがとうな」
 毒を吐かれても最終的には頭を下げてしまう、ヘタレな俺である。
 ふん、と鼻を鳴らして、朔は部屋を出て行った。
 そうか、共同作業は親睦を深めるのか。だから結婚式でも「初めて共同作業です」ってケーキカットとかがあるわけだな。
 ……と一人で納得していてもしかたない。共同作業と行っても何をするかーー。
 俺が頭を抱えていると、
「大和―! 悪いけど買い物に行ってきてちょうだい!」
 階下から母親が俺を呼ぶ声をした。


 今晩の夕食につかう材料を忘れたから買いに行って来い、ということだった。
 俺はニーナを連れてスーパーへと向かうことにする。……そして驚いたのだが、ニーナの姿は一般の人達には見えていないらしい。俺にニーナの姿が見えるのは「主従契約」が結ばれているからだとか。
 だからご主人様、と呼ばれたわけか。などと一人で自問自答しつつ、目的のパン粉をカゴに入れ、会計を済ませる。
 家からここに来るまで、ほとんど無言だった。共同作業でも何でもない。
 一瞬たりとも盛り上がらない俺とニーナの間を、一人の男がすりぬけて走り去っていった。黒いニット帽を深々とかぶった男だった。なんとなく嫌な空気を感じる。
「ひったくり!」
 声は、遅れて聞こえてきた。振り返ると、おばあさんが床に膝をつき、周囲に人が集まっていた。
 考えるよりも先に、体が動いていた。
 俺は全力で駆け出すと、男の背中を追いかける。
 はあっ
 はあっ
 こんなに走ったのはいつ以来だろう。高校のスポーツテストのときだろうか。とにかく、息継ぎをしないようにして、思いつく限り身体を動かし、男の背中を追うが、ほんの2メートル程度まで近づいて、それ以上近づけない。男は体力に自信があるようで、足のもそれなりに早いようだった。
 スタミナが……。
 息継ぎをした瞬間、自分のスピードが落ちたのを自覚する。これ以上はもうもたない。俺が諦めかけたその時、声は背中から聞こえた。
「大いなる大地の精霊よ。汝が敵を転ばさん!」
 次の瞬間、男の足元の地面が少し盛り上がり、それにつんのめるようにして、男が転んだ。すかさず俺はその背中にタックルする。
 周りからは、歓声。それに連れて追いかけてきてくれた警備員の人たちも男の捕縛を手伝ってくれる。
 俺は群衆にまぎれた中から、金髪の魔法使いを見つけて……意を決して話しかける。
「お前、すごいんだな」
 俺が言うと、ニーナははにかんで、笑った。
「ちょっぴりだけど魔法が使えるのです」
「ニーナ……さん、のおかげで間に合ったよ」
「「さん」は要らないのです。それにご主人様も、かっこよかったですよ」
 かっこよかったと言われ、頬が熱くなるのを感じる。
「えっと……ニーナ、俺うまく話せないけど……嫌いなわけじゃないんだ。
 ただどうやって接すればいいかわからないだけで」
「わかってますよ。ご主人様は不器用だけど、すてきな人だったのです」
「だから、その……ありがとう。助かった」
「どういたしまして、なのです」
 そういってニーナはニッコリと微笑んだのだった。
 あああ。
 反則だぜそんな表情は。まるで天使だと思ったし、一瞬で俺の思考を白く塗りつぶしたんだ。感情が全部消え失せて、時間が飛んで、俺は食い入るようにニーナの顔を見つめていた。
 俺はうかつだった。知らなかった。女の子の笑顔に、そんな効果があるなんて。

 そして俺は思ったのだ。この子の笑顔を守ろうと。何があっても、きっと守っていこうと。


 俺の部屋の中で妄想する。
 そうだ。結婚しよう。そして白く大きな家に住んで、犬も飼おう。
 子供はふたりぐらい欲しいな、一人だとかわいそうだし。
 などと俺の妄想が加速していく。
 そう、俺らのあいだに婚約指輪なんて要らない。俺らは運命の赤い糸で――いや、糸どころか鎖で結ばれているのだから! その運命の黒い鎖をたぐりよせていくと、
「ふにゃぁ」
 ニーナの首輪にたどりつくのだった。
 なぜだか彼女は鎖につながれており、その持ち手は俺の掌の中にあるのだった。
 今のは俺の妄想ではなかったのか? しかし手に持った鎖はじゃらりと音を立てて、現実味を強固なものにする。
 赤い糸、いや、黒い鎖、結ばれた二人が行きつく先は――。
 結婚だ! もう俺たちは結婚するしかないのだ! たしかに恋愛経験も女性経験も皆無に近い俺ではあるが、異性交遊のゴールぐらいは知っている。それはすなわち結婚だ。俺らに残されたのはもはや結婚しかないのだ!
「結婚だ!」
 俺は叫んだ。
「ご主人様、ダメですよ。結婚は、愛する人同士がすることです!」
「この世界じゃ運命の相手と出会うことを、赤い糸で結ばれていると例える。
 俺らは黒い鎖で結ばれている。これを運命と言わずしてなんという!」
「そ、それでもです! もっと手をつないだりとか、デートしたりとか、その後「光の精霊」が見える丘で紅茶を飲みながらキスをして、二人の手のひらが重なると自然と身体がああああ!!!……ってご主人さまのエッチ!」
 顔を真っ赤にして、こちらをバシバシ叩いてくるが。
 俺は何も言ってないぞ。勝手に妄想しただけだろ?
「それに、この「隷属の鎖」がある限り、ニーナとご主人様が「それ以上」の関係になることはできません」
「れいぞくのくさり?」
「ええと、ニーナの世界にいる魔王が作った鎖です。
 『純粋無垢な美少女を奴隷にする効果があるが、契約を交わした相手に一切手出しができない。その代わり目の保養はいつでも自由』という。
 きっと魔王は馬鹿でスケベで、とても意気地なしだったのです」
 ……分かる。
 俺にはその魔王の気持ちが痛いほどよく分かる。
 その魔王だってきっと、美少女を自分のものにしたかったのだ。「大好き」と言われて、「おはよう」と起こされて、「死なないで」と涙を流して欲しかったに違いない。けれどそんなスキル、ここはあえてスキル(特殊能力)と呼ばせてもらうが、美少女と深い関係になる「スキル」がないやつは、「魔力」という力技に頼ることでその関係を築こうとした。たいへん悲しい話である。ま、関係ない第三者にしてみれば至極ひどい話であるが。
「つまり、こういうことか。俺は美少女を前にして、中よくなっても、手もつなげずにそれを眺めるだけで終わる、と。
 はは、生涯非モテの俺にはふさわしい呪いかもな」
「そんなことありません!」
 ぐっ、と握りこぶしを作ってニーナはこちらを見ていた。
「実はこの首輪、解除する方法があるんです!」
「おお! てことはつまり、俺とニーナが結ばれる日があるってことだな!」
「そうですご主人様!」
「……」
「……」
「んで?」
「ふにゃあ」
 俺の質問に。
 ニーナは困ったように、視線を伏した。
「方法はあるんですけど、とっても難しいのです。
 そうそれはガリレオ山脈の氷を一人がけで溶かす作業のよう――」
「その山脈を俺は知らないし、あるならはよ教えてくれ」
「それはつまり、その、大切な人の――」
 そして言いにくそうにモジモジ。
 大切な人の?
 からの?
 もしかして?
 俺の意識が下心へと移行しようとしたときに、デウスエクスマギナ(都合のいい神様)はそれを見逃しはしなかったらしい。ニーナへの問いかけが次の段階に移る前に、「ばああああん」と俺の部屋の扉を蹴破り、我が妹が入ってきた。
 さきほどと変わらず制服姿で、口も「へ」のままだが、彼女は肩で荒く息をした後、俺を睨みつけた。
「どうした、妊娠でもしたか?」
「ありえないわよ、馬鹿!」
 俺の中では割とありえるほうの選択肢だったのだが。
「それじゃあ焦ることない。とにかく話してみろ」
「大切にしてた駅前の『ピストロ』の個数限定プリン食べたでしょ!」
「ああ、賞味期限切れてたから別にいいかなって」
「いいわけないじゃない! 誰かが間違って食べないように名前だって書いてたのに!」
 まあ確かに蓋面のシール部分、さらには側面部には「朔」とでっかくマジックで名前を書いてあったが……。自分のものには名前を書きましょうって、小学生かお前は。
「つうかそんな大事なものなら、期限が切れる前に食べとけよ」
「そんっなの関係ないじゃない! 買ってきてよ! 朝8時から並んだんだから!」

 と、そんな風にして互いにいがみあっている俺たち。
 しらっとして見ていたニーナは何を思ったのか、に「黒いもの」を渡してきた。その「黒いもの」はさきほどみたニーナの鎖に形がよく似ていた。おかしいな、ニーナの鎖は右手に持っているのに。もしかして、もうひとり美少女が居るのだろうか? そう何度もうまい話が転がっているのだろうか? いつもの俺は、そんなことをとても信じられない。だが、今日なら。今日の俺なら――!
 俺は左手の鎖をたぐりよせる。
「いてっ」
 するとなぜか妹が悲鳴を上げた。
 俺は左手の鎖をもっとたぐる。
「ちょっと、な、なに?」
 反応するのはとまどった妹の声。
 ニーナが冷静に言った。
「どうやら、『隷属の鎖』が妹さんにもついたみたいですね」

「よくある話です。『隷属の鎖』は美少女とのつながりを求めて彷徨う魔性の鎖。
 ニーナを召喚した時に、契約先に妹さんも含まれたみたいなのです」
「美少女だって! ねえ聞いた? 私! ねえ!」
 全然危機感もなく、褒められた部分だけに聴力をフォーカスして飛び跳ねるポジティブ馬鹿。
「うるさい」
 朔がピョンピョン飛び跳ねてうるさいので、俺はその頭を押してやる。
「けど、さっき言ったよな。鎖がある限り「それ以上の関係」になれないって。
 家族ってのは「それ以上の関係」に含まれるんじゃないのか?」
「残念なのです。大和さんと妹さんは、「兄と妹」から「従属関係」に上書き保存されてしまったのです」
 まじかよ。
「そんなの嘘でしょ」
「朔、ちょっと下から牛乳持ってきてくれ」
「うるさいなー、そんなの自分で……、持ってきますにゃん!」
 と言って、妹は両手を頭の上に当ててみせた。猫か兎のつもりだろうか、小首をかしげながら、上目使いでこちらを見上げてくる。
「……」
「……」
 そして訪れる沈黙を、
「……です!」
 破ってくれたのはニーナだった。
「これです! 『隷属の鎖』の効果というのは。
 強制的に相手に言うことを聞かせて、「相手が一番可愛いと思うポーズをとらせる」!」
 これは。
 使える!
「……だがどうしてだ。どうして「自分(主人)がかわいいと思ったポーズじゃなくて、相手(奴隷)がかわいいと思ったポーズをとらせる」んだ?」
「それはですね、魔王の性格がひねくれていたからなのです。
 ほら、このように」
 朔は両手を顔面に当てて、真っ赤になった顔を隠していた。そしてしゃがみこんで「知らない知らない知らない」とぶつぶつつぶやいている。
「このように、『思わぬ性癖が明るみに出されて、羞恥にふるえる姿がたまらない!』と魔王は言っていました。人類の敵ですね」
 そう。
 人類の敵であり、心の友である。
 敵の敵は味方というやつだ。
 ……ちょっと違うか?
「嫌よ、こんなの!」
 朔が無理やり首輪を外そうともがくが――。
「ダメなのです。無理に外せば死にます。ご主人様から遠くに離れてもダメです。
 これは一種の「生命維持装置」でもあるのです。ご主人様から流れてくる微量の「魔力」を検知しているのです。だから、ご主人様を殺して解除しようとしても、同じことが起きます」
 よっし。
 ナイスだったぞニーナ。
 今のフォローがなければ妹は俺を殺す気でいた。そんな目をしていた。完全に。それにその逆手にもったハサミをどうするつもりだったんだ? ……怖くてその問いを口にすることはできないが。
「でもでも、解除する方法があるって――」
「だよな。さっき言いかけたけど」
 まあ正直、俺はこのままでも悪くはない。
 悪くはない。
 自分に尽くしてくれる美少女と、いいようにこき使える妹。
 うむ、たしかに母ちゃんに孫を見せるのは遠くなりそうだが、それはゆくゆくということで。俺の生活には花が添えられかつ俺にはなんの苦痛もない、こんな便利な世界観を崩したくはない――。
「方法は、あるのです」
「教えて! お願い!」
「その方法とは、『大切な人の願いを、叶えること』。
 『隷属の鎖』は魔術です。呪いです。モテなくて人望のない魔王がつくった嫉妬とやっかみの産物です。その呪いを解くには、聖なるパワーが必要なんです。つまるところ愛です。「隣の敵を愛しなさい」と聖書では謳われました。そうです、人類みな兄弟! あなたの敵を愛するように、神様が私たちを愛するように、『大切な人の願いを叶えた』時、その聖なるパワーは魔王のひねくれた根性を叩き直し、この『隷属の鎖』を破壊するのです!」
 一息にしゃべった。こいつ、好きなことになる暑くなるタイプなんだな。熱血というやつか。そこだけちょっと苦手かも。


「んじゃ産めよ、お前。決定じゃん」
「うるさい死ね兄貴」
「おすわり!」
「にゃん!」

 俺の命令に反応して、朔はその場に「座れ」の体制を取った。

「お手」
「にゃん!」
「伏せ!」
「にゃん!」
「ちn」
「ご主人さま、それはちょっと」

 朔の顔の色が発火しそうになったのを見かねて、ミーナが横から止めにはいる。
 いや、そんなに深い意味はなかったんだけどな。だいたいその命令だって、ポーズをとらせるだけだろ? 何も自分のものを見せろって意味じゃないぜ。
 楽しいし、俺に不都合はないし。非日常もいいかな、なんて俺が楽観的なことを考えていると。床に転がって茹蛸となっていた朔が「ふふふふふふ」と地響きが聞こえそうな笑い声をあげた。完全に悪役の声である。

「いいのかしら、兄貴。私にそんなことをして……」
「ずいぶん思わせぶりだが、そういった「タメ」は切り札がある奴が使うものだぞ。
 俺は確かにお前より(腕力的に)弱いが、弱点と言えるほどのものは……」
「確かにそう。兄貴はダメでクズでもさくて卑屈だから、他人に攻撃されても「そうです、私がわるうござんした」と縮こまるカタツムリみたいな柔軟かつめんどくさい精神構造を持ってるわ。けれど年は今年で23歳。「二度目の生」と言われた思春期を迎えている」
「お前、まさか! 持っているというのか!」
「人、歩くときに道ができる。……のちにたどったもの、それを歴史と呼ぶ。歴史を道にたとえるなら、曲がりくねった道、狭く険しい道、登り坂が続いたり、下りばかりだったり、いろんな道があるわ。けれど人は弱く、思考は拙く、稀にその道を異世界へとつなげてしまう人が居る。その道をこう呼ぶわ――「黒歴史」と」
「う、嘘だ!」

 言葉とは裏腹に、俺の声はふるえていた。

「さあ兄貴。かわいそうだから選ばせてあげる。
 夜中に「さやかさやかさやか」と同級生の名前をつぶやいていた録音データがいい?
 それとも自分が主人公になってテロリストと戦い、世界を救う自作小説がいい?
 いつか有名になった時のために練習しておいたサインとか、ポエムとか、「俺って異端」と中二病まっさかりで自撮りしまくっていた時代の遺物とか!」
「卑怯だぞ! ニーナ、朔から俺の黒歴史を回収してくれ!」
「……ええと」
 ポリポリと、ニーナは頬をかいた。
「ニーナは『黒歴史』という概念が分からないのです。だから回収できません」
「くっそ、ここで異世界設定を回収するのか! 
 ならば魔法で!」
「ええと……、魔法は軽々しく使えないのです!」
「じゃあ他に何ができるんだ!」
「料理と洗濯です!」
 いって胸を張る無邪気馬鹿エルフ。おっとつい本音がポロリ。

「ふふ、チェックメイトね」
「いや、手はまだある。朔、『お前の部屋にある俺の痕跡がついたものを全部廃棄しろ!』。これでどうだ!」
「甘いわね」
 朔の笑顔は悪魔そのもの。
「私の机の引き出しに、……どの引き出しかは教えられないけれど、手紙が入っているわ。
 ある中学生が恋した同級生に書いた一級品の代物(黒歴史)よ。
 もし私が死ねば、その手紙が世の中に公開される手はずになっている! 具体的にはPDFファイルがウェブでアップされ、「恋文」を画像検索すると一番最初に表示されるようになるはずよ!」
「おそろしい!」
 なんて悪魔的なことを考えるやつだ。人間じゃねえ!

「あの……」
 おずおずと手をあげたのはニーナだった。
「その、兄妹なのですし、協力しあっては、と思うのです。
 無理して『隷属の鎖』を壊す必要も、今はないわけですし」
「私はヤなの。兄貴に兄貴ヅラされるのが。しかも鎖なんてつけられて、」
「朔、おすわり」
 ペタン、と彼女はその場に女の子座りした。
 ……したけれど、その目には「いつか殺す」と書いてあるような気がした。ま、あくまで気がしただけだ! 人を殺すとか、そんな物騒なこと考える身内ってそうそういないよね。
「イマニミテロ」
「ご主人様!」
「は、はい!」
 声を荒らげたのは、以外にもニーナだった。
「隷属の力を、悪用してはダメなのです。
 それも妹に。どうしてそんなことするんです」
「いや、いつもの仕返しに」
 我ながら心が狭い。
「いいですか。とにかく、みんなで協力するのです。
 そうすれば朔さんの願いはかなう、ニーナとご主人様もそうです。
 だから団結してがんばるのです!」
 しごくもっとも。

「ねえ母さん。何か困ってない?」
 俺は内心を悟られないように――いや、別に悟られてもいいのだが、気恥ずかしくて――、「みかんを食べにきましたよ」というアピールをしながら母親の隣の椅子に座る。母はのんびりとお茶をすすりながら、色黒のアナウンサーがキャスターをつとめるワイドショーを眺めていた。
「困ってること、ねえ」
 その質問に困ってるとばかりに少しだけ眉をあげて。
「そうね。大和、あなた晩御飯、何食べたい?」
「晩? ……ええと、そうだなぁ、トンカツかな」
「あら、それなら牛乳が足りないわ。
 買ってきてもらえないかしら」
「分かった」
 ……たぶん「願いをかなえる」って、そういうことじゃないと思うんだけど。
 「孫を見せる」というハードルの高い願いの他に何かないかと思ったのだけれど。
 俺は朔に『スーパーで牛乳を買ってきて』と命じて、ニーナと部屋で妹の帰りを待つことにする。
「ねえご主人様。そんなに激しくすると……その、」
「いいだろ。お前だって嫌じゃないんだろ?」
「も、もちろん。ご主人様がその……楽しいのなら。
 でもあんまりご主人様がたくましいから……」
「こんなの慣れだよ。ニーナにもすぐできるようになる」
「なるかしら。ニーナはこういうの、慣れてないのです。
 ……なんせご主人様が初めてなのです……」
 ニーナは俺の腕の中で頬を赤らめて……。


「うるああああああああああただいまああああああ」
 ドアを蹴破って妹が帰ってきた。
「ふざけんな! イチャイチャしてる場合じゃねえよ!」
「ゲームしてただけだろ。FPSの」
「必要かな、それ! ねえ! 妹をお使いに行かせて、部屋の中で二人っきりですることかな!」
「じゃあ何してればよかったんだよ」
「う……。読書とか! あるでしょいっぱい! 2人でできそうなこと!」
 少し逆切れ気味に策は言う。
 だから二人でできるゲームをやってたはずなんだがな。
 なんだかその怒りは理不尽なものに感じるぜ。

「まあいいや。とりあえず物を母ちゃんに見せに行こう」
「うっす隊長」
「……なんだその態度」
「なんかノリで」
「あら、牛乳買ってきてくれたのね。
 ありがとう大和」
「ま、こんなお使いイベントなんて夕飯前――。
 ……こんなんでよかったの?」
 俺の視線は朔を向いている。
 彼女は自分に首元に手を当てて。
 「外れてないよ」とジェスチャー。
「母ちゃん、他には? 孫を見せろってのは少しとっぴで、時間がかかるからすぐには無理だけど……彼女も居ないし」
 朔と目があう。「孫を見せれないのは時間のせいじゃねーだろ」だと? うるせーよ。問題はそこじゃない。黙ってろ。俺は小さく「お座り」とつぶやいた。朔は悔しそうに唇をかみながら、その場に体育座りをした。
「ああ、それじゃあ大和には親しい女の子はいないのかしら。
 ……ほら、幼稚園が同じだったアサちゃんとか」
「あさちゃん!」


 というわけで、俺の部屋で作成会議中である。
「アサちゃんというのは、誰なのです?」
 唇に指をあて、ごくもっともな質問をニーナが口にした。
「浅葱 萌花といって、幼馴染っていうのかな。幼稚園のころ家が近かった。集団登校とか会ったから、一緒に登下校したことはあるかもしれない」
「お兄ちゃんが唯一会話した異性だよね」
 朔が茶々を入れてくる。
「うるせえ。俺だって学校では、」
「いつもバレンタインの日に泣いてたの知ってるよ」
「……でも、それでも俺だって会話ぐらいあるぜ」
「たとえば?」
「おはよう、とか」
「他には」
「……それとって、とか。教科書忘れたから貸して、とか。同じクラスなのに。ははっ」
 まったくひどい話だぜ? これは俺じゃなければいじめととられてもしかたない案件だぜ。ま、俺は心が広いからそんなこと言わないけどな。つうかその時後ろでクスクス笑ってた女子連中は許せないが。おっと、関係ない思い出し怒りをしてしまった。
「……ごめん私が悪かったわ。お兄ちゃん。いじめってよくないよね。許せない。
 だから泣かないで」
「泣いてねーし、そもそもいじめられてねーし。
 しかもどっちかといえば今の発言のほうが傷ついたし」
「死ねそう?」
「こんな発言で死んでたまるか!」
 俺と朔がにらみ合ってると、おずおずとニーナが手をあげた。
「それで、アサちゃんさんには会いに行けないのですか?
 どこか遠方に行かれたとか……。それとも、お亡くなりになったとか?」
「いんや、そんなこちゃあない。単純な話さ。連絡を取る方法がないんだよ。
 異性のつてもない。あいにく俺の男友達も、そういった関係には疎くて」
 いって俺は心の中の涙を拭う。類は友を呼ぶってやつ? それとも朱に交わって赤くなった系だろうか。たいてい5人つながりをたどっていけば、会いたい人間に会えるとかいうデマ情報が朝のニュースで流れていたことがあったな。ふざけるなと言いたい。俺の場合は男、男、男、男、男の連鎖にしかならないぜ。もしかしたら途中で誰かの母ちゃんが挟まるかもしれんが、それくらいだ。
「しょうがないなぁ、ここは私の出番ね」
 いって朔は、バッグの中から携帯を取り出した。
「おお! たしかに、おまえの繋がりを使えば……あるいは!」
「って言ってもそんなにこっちに知り合いは居ないんだけどね」
 そういって彼女は苦笑する。
 苦笑するとか言ってるけど、そもそも俺とアサちゃんの仲が良かった時期にこいつは生まれてなかったな。いったいどんなつながりがあるんだか。
「現在はSNSなるものが発展しておりましてな。浅葱萌花って入力すれば珍しい名前だし、ほれこのとおり!」
 朔は携帯の画面をこちらへと突き出した。そこにはわりと眺めの黒髪の少女、容姿は整っているといえなくもない、の横顔が写っている。……言われてみれば、見覚えがあるような。
「この人でいいんだよね?」
「いい……よかった気がする」
「不安にならないでよ。それじゃ、メッセージ送信、と」
 それから朔は何回かSNS上でメッセージのやり取りをした。
 急なメッセージを侘び、こちらの身分を明かした上で、会えるかどうかのアポイントをとってくれた。
 時間でいえば30分ぐらいたったころだろうか。朔は明るい表情でこちらを見上げた。
「会ってくれるってさ。それでも今からバイトだから、その後でもいいかって」
「会うの? 今日? 急すぎね」
「うーん、私もそう思ったけど、なんだか向こうもお兄ちゃんのこと覚えてたみたいだよ。
 思いがけず向こうも憎からず思ってたんじゃない? 10何年ぶりの再会なわけだけど」
「お、俺変じゃないかな。今から美容室でも行ったほうがいい?」
「変なのはいつもどおりだから気にしなくてもいいし。ま、寝癖ぐらいは直したほうがいいと思うけど」

 ○
 というわけで、待ち合わせは夜の10時30分となったのだった。俺と朔とニーナはアサちゃんのところへ向かうことにするのである。俺は母ちゃんの願いをかなえるため、朔は自分の鎖を壊すため、ニーナの目的は……よくわからんが俺につきあってくれてるのだろう。とりあえず、「母ちゃんに彼女を見せる。そしたら鎖が壊れる」という共通目標のために俺ら3人は足並みをそろえたのだった。
 アサちゃんのバイトのシフトに合わせて俺ら3人はそろって電車を乗り継ぎ、アサちゃんがバイト先しているというコンビニへ向かう。いきなり俺一人で行ったら不審がられるから、という理由で、朔がついてくることになった。そのこと自体に別段不満はない。
 バイト先は全国展開しているコンビニの1つで、駅の近くにあるからか、中々繁盛しているように見えた。
 中に、アサちゃんが居る。……ごくり、と思わずつばを飲み込む。このまま客としていったん様子を見に中に入ってみるのはどうだろう。こちらから口をひらかなければ向こうは気づかないのではないか? そしていったん様子を見て……様子を見てどうしよう。とにかく、相手が分からない、というのは不安なのだ。
「ちょっと」
 朔は俺の右ふくらはぎを蹴飛ばした。
「いまになって急に挙動不審にならないでよ。
 もともと不審者なんだから。イケメンらしく振る舞いなさい、とは言わないけど、せめて泰然とした態度でいてよね。向こうだって怖がっちゃうじゃん」
「そそっそそ、そうだな」
「だからそれをやめろっての」
 もう一発右足にローキックを食らう。

 時間になり、朔が一足先にコンビニの中へ入っていった。俺はその後ろ姿を見送りながら‐‐。
 正直、不安に押しつぶされそうだった。
 俺のことを覚えてくれているだろうか。
 気持ち悪く思われないだろうか。
 別に好きになって欲しいとかじゃないんだけど、いやまあ、そうあってくれればそれがベストなわけだけど、現実的にそんなことはありえないし、そもそもどうなってるか容姿も想像つかないしもしかしたらすんげー不良が出てきたり、逆にカツアゲされるパターンもありえるわけで、そんなことを考え始めると俺の不安はどんどん膨らみ今にもパンクしそうになる。
「あのー」
「ひゃい!」
 思いがけずかけられた声に飛び上がると、それはうしろにいたニーナが発したものだった。
「心配なんですか?」
「心配です。ものっすごく」
「大丈夫ですよ。大和さんは優しい方だから。
 それに幼いころの思い出ってけっこう覚えてたりしますからね。
 ニーナも幼馴染がいたのですけれど、今でもいい喧嘩友達なのです」
 そんな優しいフォローに。
 俺はホロリと涙が。
 そう。
 そうだよな。
 悪いことばっかり考えてもしかたない。
 覚えていなくても「初めまして」でこれをきっかけに関係を築けばいいわけだし。これがゴールじゃなくて「母親に会ってもらう」という目標のスタートのわけで。ここでくじけてもしょうがない。
 と、そんな風に心の整理をつけると。
 こちらをじっと見つめる2つの目。黒い髪はストレートで、背中の中程まであるだろうか。前髪はまっすぐにきりそろえられ、そんなざっくりした髪型なのに、整った顔立ちが闇夜にはっきり浮きだって見えるのは、肌の白さからだろうか。
「こ、こちらが浅葱さん。さ、お兄ちゃん」
 なぜか連れてきた朔は口元を歪めている。
 いったい何がおかしい? その真意を確かめるのはあとにすることにして。
 俺はまず頭を下げて、
「初めまして、っていうのも変な話だけど。大和です。幼稚園のころ一緒だったんだけど、
 覚えてる? 急に連絡を取らせてもらったのにも、理由があって」
 俺の声はふるえていた。当然と言えば当然だろう。ろくに異性と話をしたことなどなかったのだから。全身で平然を装っているつもりだができているだろうか。手に握った拳の中には汗がダラダラとしたたり落ちるくらいかいてるわけだけど。
 アサちゃんはけれどそんな俺の挙動不審な動きにも惑わされるずに、
「あら、お久しぶりです」
 と言って微笑んでくれた。
 ただ問題だったのはそのあとである。
 その場にいる誰が予想しただろうか?
 彼女は後ろでに隠し持っていた人間の胎児くらいの人形を取り出し、その人形に向かって話かけ始めたのだ。
「でも異性の人と話すとなるとビー君が嫉妬するかもしれないからちょっと確認しますねビー君この男の人と話してもいいかなえだめだけど昔の幼馴染だしビー君が勘ぐるような関係じゃないよ嫉妬しないで」

 ……。
 俺と朔は思わず顔を見合わせる。
 これってちょっとアレな人なのでは、という意見交換である。そして兄妹のアイコンタクトで、議論を開始する。
『逃げ出そう』
 俺が目で訴えかける。
『駄目』
 朔が首を横に振る。おそらくこれを逃したら俺が異性と仲良くなるチャンスなんてない、という意味だろう。チャンスがないという意見に異論はないが、果たしてこの頭がちょっとぶっ飛んでて人形を恋人と呼ぶ電波女がチャンスと呼べるのか? そのあたりの真意を問いたいが、今はそんなことを議論している場合ではない。
「うふふふ、聞こえてますよ」
 アサちゃんことその黒髪の美少女は、ニタリと口元をゆがめた。
 こわっ。
「ダメだ、朔、帰ろう。俺自信なくなってきた。
 いや確かに、初めから自信があったのかと言われればそんなにはなかったんだけど、……なんていうかな、希望? 的なものはあったよ。あわよくば的な。今はそれが全部閉ざされた。お先真っ暗だ。帰ろう。ここに居てもこれ以上発展することは何もない」
 すまんなカーチャン。だけどカーチャンだって、俺と電波系女子が一緒にいるところを見ても嬉しくないだろ? うん、嬉しくないに違いない。
「ちょっと待ちなさい、そうやって何でも逃げの姿勢はよくないわ。それに話してみたら意外といい人かもしれないじゃない。電波がなんだっていうのよそんな外部からの電波なんてお兄ちゃんが遮断すればいいじゃない! 少しぐらい頭がぶっとんでて人形持ってるぐらい個性の一つとして受け入れる器量がないから、ずっと彼女ができないのよ!」
「うるせー! 外部の電波を遮断と言うけどな、電波の発生源だった場合はどうすりゃいいんだよ! 対策を具体的に言葉にしていってみろ! 自分でできないことを人に押し付けるな!」
「あの……」
 喧嘩を始める俺と朔の間に、アサちゃんが割って入る。
「喧嘩はやめてください。ビー君もそれを望んではいません。
 大和さん? でしたよね」
 アサちゃんはじっと俺の方を見つめていた。
「あなたの依頼、お受けしても構いません。つまり私と恋人関係にある、という形にして大和さんのお母さんにご報告するということですが」
「え?」
 俺の口から間の抜けた声がもれる。
 けれどアサちゃんはただ優しいだけの電波女……おっと失礼、優しいだけの少女ではなかったのだ。
 ただし、と前置いて。俺に条件を提示した。
「ビー君の友達になってあげて欲しいんです」
 と、俺に理解不能なことを要求した。
 ビー君ってのは人形でしょ? 人形と友達になる? お人形ごっこは小学生で卒業だぜ? 俺の思いは言葉にならない。なぜって言えばアサちゃんが爆発しそうで怖いから。地雷がどこあるか分からないからな。
「お友達ができたね。やったね、ビー君」
 そしてにこにことアサちゃんは片腕にだいた人形の髪を撫でているが。


 あと何で俺の考えてることが分かるの。思考を読まれるの、怖いっす。



 ビー勘太郎という名前で売り出されたその人形は、当時は頭を撫でるとしゃべる機能がついていて、はやったらしい。女児の間で。もちろん対象年齢は5歳くらいの女児である。成人した女性が大事に持つようなものでは――ましてや名前をつけて恋人代わりに連れまわすようなものでもないが。ただいたるところにほどこされた補修と、ボロボロになったふくのつぎはぎなどを見て取ると、ビー君なるアサちゃんの恋人は大切に扱われてきたのだろうことは見て取れる。
 友達になる、か――。
 それは異性の知人を作ることより簡単なことのように思えた。自分のことを話す。相手とあいさつを交わす。そして共通点を見つけ、仲を深めていく。
「こんにちは。俺は大和って言うんだ。趣味は釣りで――」
 それから相手に話題を振って、
「ビー君? っていうんだっけ。ビー君は趣味は何?
 休日はどうやって過ごしてる?」
「……」
 返ってくるのは全くの無言である。
 ……
「やってられるか!」
 まったくもって文字通りである。物言わぬ人形とどうやって友情を育めというのだろう?
 横から俺のやりとりを見守っていた朔が、口をおさえながら、いや、おさえきれずに大笑いをしている。
「物言わぬ人形に一心不乱に話しかける成人男性。とても滑稽。大変結構」
「なんだお前、馬鹿にしてるのか」
 という俺の問いに、こいつは真顔で、
「だってそれ以外に言葉なんてないでしょ。
 お人形ごっこは卒園式までよ! 現に私はそうだったわ!
 自己紹介したところで、返事が返ってくるわけないじゃない!」
 と言って、右手でビー君を小突いた。
「そんなこと言うなよ、長年大事に使われたものには魂が宿るというし、
 この人形だって……」
「へん。魂がなんだってのよ。しょせん世の中お金よお金。魂も思いも一銭にならないし、そもそも目に見えないじゃない」
 そういって朔はガスガスと人形を小突き続けた。

 ああかわいそうなビー君。たとえ魂がなくともぞんざいに扱われる――っていうか殴られるのはさぞかし嫌だろう。だがこのリアリストを説得する材料が俺の中にないのだ……俺もどっちらかといえばそっちに心が傾きかけているし。
 アサちゃんは一人ぼっちだった。俺には男友達が居たが、彼女には同性の友達すらいなかった。だからいつしか彼女は、その代償をこの人形に求めたのだろう。人形は裏切らないからな。そう思えば哀れな女だ。そしてビー君。もしかしたらお前は、別の世界では俺がお前の立場だったのかもしれない。
 そんな風に思いを巡らせていると――。
「いてえよ、クソボケ」
 と、その人形がしゃべった気がした。
「……」
「……今、しゃべった? 」
「いや、何も」
 俺は首をふる。
「そうよね、人形がしゃべるわけなんてないものね。まったく少しびっくりしてちびったじゃない」
「人の部屋で漏らすなよ」
「うっさい! だいたいこの人形が悪いのよ!」
 そして朔の強めの一撃が、人形の頭部を直撃すると――。
「いてえっつってんだろゴルア!」
 とその場にいた俺でも朔でもミーナでもない、野太い男の声が部屋に響いた。
「人の頭をどつくな」
 ……。
「人形が、しゃべった?」
「そんなわけないじゃない。こんなボロ人形が」
 がす、と朔は恐怖から足で人形をつついてみる。
「おっと足癖が悪い女は嫌われるぜお嬢ちゃん」
 ……やはり、どうも人形から声が聴こえているような気がしてならないのだった。
 ニーナは俺と朔の前に回り込んできて、
「魔法ですよ」
 と俺らを説得した。
 そっかー魔法かー。
 それじゃあしょうがないようね。
 人形も心を持つし、会話もできるようになるよね。
 ニーナの純粋無垢な笑顔を見て、思わず納得しそうになった俺だったが――。
「んなわけあるか!」
 さけんだのは朔だった。
「人形が話すか! 魔法があるか! もっとしっかりした現実感を持ってよ!」
「えと……それじゃニーナはどうなっちゃうのです?」
「うぐ……それは、あんたは……そう、外国人なのよ! どこかねじのぶっとんだ、日本のサブカル文化にどっぷりはまったコスプレ好きの外国人に違いないわ!」
「ニーナの耳は、この世界の人と違うのです」
「そんなもん整形でも造形でもなんとでもなるわ! とにかく私は認めないから!」
「朔さん……。認めがたいのは分かりますが、目の前にある事実から目を背けてはだめなのです。
「大いなる大森林の聖霊よ。このものに力を授けん。ソウルフュージュ(魂融合)」
 ニーナがビー君に手をかざし、何事かをつぶやく。恐らくこれが呪文ってやつだな。うんうんと俺は納得してうなずいた。ニーナの両手は淡い青い光に包まれて――次の瞬間、ビー君は自らの二本の脚で直立していた。
「何度も何度も人の頭をどつきやがってこのクサレアマが。
 殺すぞ」
「殺すって……なんて乱暴な言葉を使うのかしら!」
 朔は両手を口に当てて唖然としている。ま、正直日頃から俺を蹴り飛ばすようなやつの言葉とは思えないがな。
「って、そういうことじゃなくて。
 人形が動くわけないでしょ!」
「でも事実動いてます」
「ありえない! 手品かしかけ、そう、なんらかのトリックがあるはずよ!
 たとえばその人形の中にトランシーバーが入ってて、私たちと会話してるのは実は浅葱さんだっていう可能性だってあるはずでしょ!」
「朔、あきらめろ」
 俺は頭をかきまくり取り乱す彼女の肩に手を置いて、
「これが魔法だ」
「ありえない!」
「大人オタクになれば分かるさ」
「大人ってみんなそう! 私大人オタクになんてなりたくない!」
 そういうと彼女は背を向けて部屋を出ていった。
 俺とニーナは為すすべなくその後ろ姿を見つめて。
「どうしましょう」
「……どうって。いいんじゃないか放って置けば」
 目の前に美少女が召喚されて、人形が魔法で動きだして。
 それは疑いようのない事実なのにトリックだとわめきたてて現実から逃げる。
 妹よ。お前は現実的なやつだと思ってたけど、やはり年相応、まだまだ現実を受け入れる器量がなかったんだな。ま、けれどはしか(中二病)みたいなものだ。いずれ治るし、誰もが通る道だ。これがあいつの黒歴史にならなければいいな、ということを兄として願っておいてやる。
 さて、話は戻るわけである。

「ようよう、お前か俺を呼びつけたやつは」
 ビー君はこちらを見つめて――いや、両腕を組んでにらみつけているようにも見える。ベースが人形のままだからどうも様になっていないが、両腕を組んで体を後ろに傾けたその姿から察するに「怒り」を表現しているように見て取れる。
「そうっす。俺です」
 居丈高なビー君のものいいに、自然と敬語になるヘタレな俺。
「困るんだよなぁ、こういうことされると。どんだけのことしたか自分分かってる?
 俺だってさあ暇なわけじゃないのよ。全国に何万体と生産されて、子供相手に愛想ふりむかなきゃならないわけさ。なのに急に呼び出されて、……俺が居ない間全国の子供たちは感情をどこに向ければいいんだぜ」
「そんなこと急に言われても困るんだぜ」
 俺はニーナの方を振り向いて、説明を求めた。
 すると彼女は困ったような顔をして、
「ええとですね、長年使った人形に魂が宿ることは確かにあるのです。
 けれどそれは何百年という単位の話でして……今回はですね、分散された「思い」、つまりあっちこっちの想いを1つにまとめてビー君さんの魂を作り上げたのです」
「ってわけだぜ。そこまでして俺っちに何のようだい」
 ふむふむ、と俺はうなずいて。
 右手を差し出して、
「俺と友達になってください」
 と正直に思いを言葉にした。

「なるかい! つうかそんなことで俺を呼び出したのか!」
 けれど俺の差し出した手を払いのけて、ビー君は怒りだしたのだった。
「いや全然いいよ? 友達になる? むしろウエルカムだぜ?
 女児向け玩具に見出す成人男性の友情? おもい? 俺は否定しないぜ?」

 ところどころ言葉に棘があるような気がするんですが?

「けどさ、もっとタイミングがあるだろうがよ。死にそうな女の子に最後に動く姿を見せてあげたい、とか不治の病に侵された女の子に動く俺の姿を見せて奇跡を信じさせたいとかさぁ。何? 友達? いいのよ。全然いいんだけどさ、なにそれ、俺じゃなきゃダメなわけ?」
 そのゲームにありそうな設定は何なのかと俺はつっこみたかったが。
 それはまぁさておいて。
「お前じゃなきゃダメなんだ! 俺にはお前が(間接的に)必要なんだ!」
 そういって握手を強要する。
 ビー君はそれを嫌がり、
「俺は異性愛者だぜ。わりーけどそういうのはよそで……、ほら、世の中にはそういったタイプも存在してるからさ。な? お前が悪いんじゃないんだよ。世間を恨んでもしかたない。同性愛者でなおかつショタコンという性癖を持って生まれてしまったということに、理解をしつつ自分を受けれて、もっと前向きに生きろよ」
「ちげーよ! 事情があるんだよ!」
 いつまでたっても埒があかないし、俺のことをどんどんひどく言われるので俺は一連の流れを軽く説明した。
 俺が母親の願いをかなえようとしていること。そのために幼馴染のアサちゃんと仲良くしようとしていること。アサちゃんの条件が、「俺とビー君が友達になること」。
 ビー君は一連の流れをふむふむと偉そうにうなずいてみせて、
「分かったぜ! お前が幼馴染とイチャこらするために俺を利用しようってのなら、天誅をくだしてやるところだったがな。まわりまわってご母堂のためとは恐れ入るぜ! 最近稀に見る親孝行な子供だな」

 まあ、その分無職と言う親不孝もしているわけだが?
 そのへんは差し引きプラマイゼロってことでオーケー。俺の中では。就活しろ? うるせえお前がしてみろ。書類審査で落とされる寂しさが分かるか? 笑顔で別れた面接官からくる「お祈り」メール(電話ですらない)の切なさが分かるか? 俺は世界に必要とされてないんじゃねーかって悩んだりもするんだぞ。だから世界で一番必要としてくれるカーチャンに俺は最大の親孝行をしたいわけさ。

 ビー君は俺の右手をがっちりと握り返し、にやりと微笑んだ(ような気がした)。

「いいぜ。これで俺らは今からマブダチだ」






 さて、そんな風にして仮初の友情を手に入れた俺ではあるが、問題はどうやってそれをアサちゃんに証明するか、ということだった。「仲良くなるため」といってビー君人形を借りていたわけだ。俺はまずビー君をアサちゃんのもとに返却して、スパイになってもらい、逆にアサちゃんの様子をビー君に探ってもらうことにする。
 敵を知ればなんとやら、ってやつだな。


 次の日、バイトが終わるのをアサちゃんのバイト先で待っていると。
 アサちゃんは俺を見つけ――というよりビー君を見つけて駆け寄ってきた。
「ありがとうございますビー君居ないとやっぱりわたしどうしてもダメで夜も眠れなくて薬多めに飲んじゃうんだけど飲みすぎると先生が怒るんで私薬をお母さんに隠されててでも眠れないから昨日は一晩中ビー君との思い出を日記に書きながら夜を明かしましただから今日はすごく眠いしこんな日々が続くくらいならあなたのことを嫌いになるところでした」
 相変わらず句読点のないしゃべり方をするアサちゃんである。
 ニーナが魔法を使えて、ビー君と一晩で友情を築くことができてよかったと思う瞬間である。そういえば少しずつ気温は上がってきている(時期で言えばもう梅雨明けだ)なのに、妹の朔は半そでの制服を着始めているのに、どうしてアサちゃんは長袖を着ているのだろう。深くはつっこまない。もしかしてアサちゃんは寒がりなのかもしれないし、冷え性なのかもしれないし、彼女なりのおしゃれなのかもしれない。けして自傷カッターなわけではない。ないはずだ! ないと思いたい。やっと出会えた異性がアサちゃんなのに再会したらヤンデレだったというのは悲しい。
 別れ際にビー君が俺に向けて、「任せろ」とばかりに親指を立ててみせた。……ような気がした。

 その晩俺とニーナは俺の机の前で待機していた。どうやら詳しい原理など分からないが、ニーナがさらに魔法を使ってくれて俺とビー君との交信手段を作ってくれたのだ。それはビー君が念じると俺の机の上にあるボールペンが勝手に動き、紙の上にコメントを自動筆記してくれるという優れもの。原理について詳しくは聞いたが、よくわからなかった。「うふふ、これも魔法なのです」とニーナがかわいらしく言うものだから、俺はオールオッケーで全てを受け入れることにしたのだった。ま、惜しむらくはこの方法は「ビー君 → 俺」という一方方向の連絡しか取れないことだな。

 夜11時。定期報告の時間である。バイトが終わった後アサちゃんは家に帰り軽食を取り、ビー君と軽く会話をした後、風呂に入るらしい。そのタイミングを見計らって、「実際のとこアサちゃんは俺のことどう思ってるのよ」というのをビー君が俺らに報告してくれるらしい。

 カチコチと、やけに時間の流れが遅く感じる。
 ピタリと、時計の単身が11と重なった。


 ……けれど、机の上のボールペンは微動だにしない。
 俺は不安になってニーナの顔を見た。けれど彼女は青い瞳をウインクで一つ隠して見せて、「心配ないのです。魔法はしっかり効いているのです」と笑顔で言った。
 いくらニーナが言っても、俺がその可愛さにほだされても、魔法というよくよく考えたら不定形の目に見えないものを信じていいのか、という疑いの心を俺が持ち始めた時。
 すっくとボールペンが直立し、白い紙の上に文字を書き始めた。

『わりぃ、遅くなっちまった。
 こっちにも都合つうもんがあってな』

 すらすらと、ボールペンが紙の上を踊る。

『今日も俺はあいつの話相手になってたわけだが、どうやら朗報だぜ。
 むこうもお前のことを憎からず思ってるらしい』

 ぽっ、と俺はほほが暑くなるのを感じた。
 それはつまり……。
 両想いということだろうか?
 人生初の? まさかの?

「大和さん顔が赤いです。……ニーナが居ながら、浮気者なのです」
「い、いやそんなことないぞ。じょ、女子から好意というものが初めてでな、焦ってるでござる」
 思わずキャラ崩壊もしちゃうでござるよ。

『ただし、どうやら問題があるのはどうもお前じゃなくて、こっちのほうらしい。
 これは好意というより、もはや呪いとも言うべき』

 そこで一度ペンが倒れて。

 少しして、今度はまるでビー君の焦りを表すかのように、書き出すペンの勢いが激しくなり、

『やばい、これ以上俺は耐えられそうにない。今夜は『お仕置き』が始まるらしい。
 俺が浮気をした罰だと。お前とは仲良くなれた。俺の仕事は遊び相手を笑顔にすることだからな、もし今日の俺のことでお前が笑顔に――』

 ばたり、とペンが倒れ。
 以降、再び動き出すことはなかった。
 時計を見ると30分経っている。

 『お仕置き』が始まると言った。

 最後までビー君は「助けてくれ」と言わなかった。

 俺らはたった一日一緒に居ただけだったが。
 ……まぎれもない友達だ。
 友情とは過ごした時間に比例するわけじゃない、と言ったのは誰だったか。

 俺の母親を笑顔にしたいと願う俺と、そんな俺に共感してくれたビー君。口は悪く毒づいてばかりだったが……最終的には力になってくれることを約束してくれたビー君。何のために? 俺のためだ。俺のために動いてくれる「友達」を、俺は見捨てておくのか?

「行こう」
 俺が言うと、ニーナははっとして顔を上げた。




 というわけで俺らは朔からアサちゃんの情報を聞き出して(ちゃっかりあいつは相手の個人情報も握ってやがったのだ)、びゅるりと風に乗りアサちゃんの家に向かっている途中である。どうやって? 文字通り空を飛んで。ニーナはいつもの笑顔で、「これも魔法です」と。

 わあ。
 魔法って便利なんだぜ。
 ていうかそれでなんでもかんでも解決できるんじゃないかとか考え始めた俺の目の前に、深い緑色をした一件の家が目に留まる。どうやら最近家をリフォームしたとか、親父さんが何を思ったか「緑色は目に優しい」という緑色になり、やらかした、ということで有名な家であるらしい。
 ま、それはさておき家にはたどり着いたがどの部屋がアサちゃんの、そしてビー君が居る部屋なのかが分からない。そこで俺は……、

「まず風呂だな」
「どうしてお風呂なのです? 」
「さっき俺たちに念話を送ってくれてた時、アサちゃんは風呂に入っていた。その後風呂から戻ってきたアサちゃんに「お仕置き」をされたのかどうかは不明だけど、きっと風呂に行けば何か痕跡があるに違いない。即ち、ファーストチョイスは風呂場だ」


 というのは建前で、大嘘だった。
 得てしてヒロインの家を訪れた時にはラッキースケベが起こりがちである。しかも大体風呂場だ。中に居るヒロインに気づかないふりをして突入してみたり、その逆バージョンを起こしてみたり、つまり無垢な姿のアサちゃんが居る可能性に、俺は賭けたい。何を? 俺の人生全てを。同世代の女子の裸を生で見たことなんてないからな。可能性がない限り、俺は人生を賭してラッキースケベにかける!

 とまあ、そんな俺の本音はニーナに言う必要など一切ないので、適当な言葉でごまかしておいた。ニーナも時々冴えた発言をすることもあるが、基本的に頭がゆるいので御しやすい。ま、お人よしということなのだろう。
「というわけで、風呂場に突入なのです。大いなる風の聖霊よ。目の前の障壁を切り払わん!」

 ニーナが手刀を切ると、風呂場の窓はズタズタに切り裂かれ、それもご丁寧に風の魔法がバキュームのようにその破片を暗闇の中へ吸い込んでくれる。さらに無音。魔法ってなんて便利。
 俺が窓に手をかけて、体をねじ込む。

 オーケー。分かってる。焦っちゃいけないんだ。
 こういう時の失態というのはたいてい焦りが判断を狂わせる。
 中に裸の?
 しかも知り合いの?
 美少女がいる?


 ……。
 焦らずに居られるか!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 俺はここ一番のやる気と腕力でもって、本当に人ひとりがやっと通れる程度の大きさの窓から、中へと体をねじ込んだ。
 風呂場には湯気が立ち込めている。俺は目を凝らして室内を見つめるがどうも人影はないらしい!
「くそっ、外れだ! 急ぐぞ! あいつの命が危ない!」
「はい! なのです!」
 ニーナは小柄だからやすやすと窓をくぐれたのだろう。すぐ近くで声がした。
 そう、ラッキーチャンスタイムはまだ終わっていない。
 風呂場にいない?
 ならば次は脱衣所だ!

 ガラリと扉を開け、俺は首を左右にぶんぶんとふった。そこにあるかもしれない「女体」を探して。ほんのりと女の子特有の甘い香りが立ち込めているが……。

「遅かったか……」

 そこにはすでにラッキースケベの痕跡は残されて居なかった。

 ニーナは首をかしげて、
「ど、どうして落ち込んでるのです?
 まだビー君を見つけたわけじゃないのです!
 為すべきことはあります!」
「あ? あ、ああ、そうだったな」

 そうだった。すっかり目的をはき違えてしまったが、俺はビー君を助けるために忍び込んできたんだったな。決して入浴をのぞきに来たわけじゃない。邪心よ去れ。奮い立たせろ、俺の義信! ……はあ……。

「部屋が分からないのは致命的なのです。
 下手に見つかると、騒ぎになってしまうのです」
「ここは魔法で……いや、俺に任せてくれ」

 俺は目をつむり意識を集中した。
 アサちゃんのことを思い出す。長い黒髪。服の中に隠しきれない胸のふくらみ。そしてその「髪に残された特有の香り」を!
 さあ、俺の中に残された童貞力フォースよ。今こそ目覚める時だ!


「ついてこい!」


 俺は扉を開け、一目散へ二階へと向かう。
 香りは右往左往せず、ルートは一直線である。

「どうしてそんなことが分かるのです?」
「俺の勘がそういっている」

 実質はアサちゃんの体臭を追いかけているだけなのだが、そんなことを口にできるわけもない。俺の童貞力をもってすれば、「同じ匂いの美少女美女」をストーキング、もとい追跡することなどわけない。ただしそんな説明をすればドン引きされるだろうから、決して口にはしない。ニーナの前では「たくましくかっこいい俺」像を崩したくないからな。

 部屋は、通路の一番奥にあった。
 扉を開ける前に俺とニーナは顔を見合わせて、深呼吸する。
 そして勢いよく扉を開けて、


「ちょっと待ったああああ!!!」


 と、叫んだ。



 淡いピンク色の室内である。おお、女の子の部屋ってこうなってるのかとかそんなことを考えつつ視線を動かすと、包丁の前に立つアサちゃんを見つけた。その光景を見て思わず後ずさってしまったのは、右手に包丁を持ち、左手はビー君のノドを押さえつけていたからだ。そしてその包丁が今まさに振り下ろされようとしている。
「ちょっと待った!」
 俺の制止に、アサちゃんはこちらへ怪訝そうな視線を向けて
「なんですか」
 と冷たく固い声を発した。
「と、とにかくビー君をいじめるのはよくない! 包丁を手から放すんだ」
「私ビー君のこといじめてなんてないしこのお仕置きだっていつものことだしそもそもどうやってここにやってきたんですか変態ですか」
「とりあえず落ち着こう。そしてその包丁は下に置こう。オーケー?」
「いいわけないでしょう!」
 どん! とアサちゃんは持っていた包丁を机の上に突き立てた。
「いきなり人の部屋に入ってきて何のつもりなんですか!」
「そ、それは確かに悪かった。でもこっちにも事情というものがあってだな」
「なら説明してください私の納得がいくように!」
「そ、それはだな……」
 ビー君と俺が念話で会話できるようになっていて、そこからSOSをくみ取ったこと。それにより魔法(ストーキング&童貞力)でここへたどりついたこと。それを全て正直に言葉にすれば信じてくれるか? ……いや、ありえないだろう。
「とにかく俺はビー君と友達になったんだ。
 いや、友達以上といってもさしつかえない。互いにテレパシーが使える状態にあるわけだ。 そしたら今晩ビー君から俺にSOSが送られてきた。そこで俺はビー君を助けるためにやってきたというわけだ」
「それで? それで親しくない女性の部屋に不法侵入していい理由になるんですか?
 もしそれが本当だとして、ビー君が助けを呼んだとしたらやっぱり嘘ですね。ビー君はそんなことしない。自分が悪いことしたってわかってるはずだから。ね? だからお仕置きもしかたないよね?」
 まだ髪も乾かしていないのだろう、アサちゃんの髪の先からしとしとと水滴がしたたり落ちていた。そう、落ち着いてよくみればアサちゃんは素肌の上にバスタオルを巻きつけるという漫画とかでよくあるあの格好なのである。……といっても、さすがの俺の童貞力もこの場では発揮できようはずもない。だって相手は刃物を持っているわけだし、法律的にはこっちが不利なわけだし。
 だからとりあえず俺は、
「ニーナ、『相手を捕縛しろ!』」
「はい、なのです!」
 俺の後ろに居るニーナに命じる。ニーナはニパッといつもの笑顔を見せて、両手を体の前で組み合わせた。そして目をつむり、何かに祈るようにして、
「大いなる大地の精霊よ。我が祈りに応え、難敵から自由を奪わん!」
 言葉に呼応するかのように部屋が一度脈動すると。
 次の瞬間足もとからニュルニュルと木の枝のような、ツタのようなものが伸びてきて、アサちゃんの腕を補足、その手から包丁を奪い取る。続いてツタはアサちゃんの両腕を上にあげさせ、壁に縫い付けて拘束する。……身体に巻き付けただけのバスタオルが床に落ちないようにしてあるのは、ニーナのせめてもの同情だろうか。それとも俺に対するアテつけか? 安心しろって、さすがにこんな状態で童貞力を発揮したりしな、
「ご主人様、顔がにやけてるです」
 と言われてしまった。
 む、いかんいかん。アサちゃんが壁に拘束され、バスタオルの上からでもくっきりと体のラインが見えている。そのことにすこし童貞力が反応してしまったようだ。だってしょうがないじゃない男の子だもの。
 ま、それはそれとして。
「悪い。他意はないんだ。話し合いがしたい。少し落ち着いてくれないか」
「落ち着けっていうけれど落ち着けるわけない……私に何するつもりなんですビー君に対するお仕置きがそんなにダメなことですかだってビー君は私のものなんだから私だけを見て私だけに笑いかけて、私だけの、私だけの……」
 アサちゃんのほほを、一筋の涙が伝う。
 しゃくりあげるアサちゃんに、俺は言葉を発することができずにいた。
「だって思わないじゃないですか。ビー君は私だけに話しかけてくれたのに。
 本当に友達になるなんて、そんなことするなんて思わなかった。ビー君は友達だから、私の味方になってくれると思ってた。友達になんかならずに、あなたみたいな人、遠ざけてくれると思ってたのに、全然違うし、ビー君まで敵になっちゃった」
 好意じゃなくて「呪いのようだ」、とビー君は俺たちに伝えてきた。
 アサちゃんがビー君に抱いている感情は、単なる依存だ。
 けれどそれをどう伝えればいいのだろう?
 そしてそれが間違っていると、どうして言えるのだろう?
 俺は人にそんなご高説を垂れることができるほど立派な人間じゃない。
 ほかにすがるものがなくて、それが子供のころから大切にしてきた人形だとして。その「友情」がいびつだとして。いったい誰がそれを責めることができるだろう?
 だから俺は、
「ごめん」
 まず謝った。
 自分がすべきことはまずそれだと思ったから。
 そうなのだ。間違っていたのは俺だったのだ。俺がするべきは、アサちゃんにお願いをすることでも、嘘をついてもらうことでも、ましてやビー君と仲良くなることでもなかったのだ。俺は、こう言うべきだったのだ。
「俺と、友達になって欲しい」
「……え?」
「そうだよな、いきなり現れて、一方的に要求をつきつけられて。
 そんなのフェアじゃない。俺が間違ってた。ごめん」
 俺は精一杯の誠意を示すために、思いっきり頭を下げる。
「許してくれとは言わない。言えない。
 俺が最初に言うべき言葉は別だったんだ」
 カーチャンが喜んでくれるからとか。
 異性と仲良くなったことがないからとか。
 そんなのはただの言い訳だった。
 俺がやるべきだったのは、
「俺とまず、友達になってください」
 アサちゃんと親交を深めることだったのだ。
 しゅるしゅると、アサちゃんの全身の拘束が解かれていく。
 アサちゃんはその場に崩れ落ちて。けれど包丁は拾いにいかずに、じっと俺のほうを見ていた。
「ビー君の代わりにはなれないかもしれない。
 それでも友達になりたいんだ」
「私、……私でいいんですか」
「アサちゃんがいいんだよ」
 俺の差し出した右手を。
 アサちゃんはゆっくりと両手で握りしめた。

 ある日、アサちゃんは我が家に遊びにやってきた。左手には相変わらずビー君を持ったままだったけれど。今度はしっかり句読点のあるしゃべり方をしていて、うちの母親に「浅葱です。昔お世話になりました」、と深々と頭を下げた。

 カーチャンはそれを見て、
「あらあら。浅葱さんもきれいになって。これじゃ放って置かれないでしょう」
 と微笑んだのだった。
 ……で、きれいに話が終わるはずだったのだが。
 アサちゃんと一緒に部屋でゲームをしていると、勢い荒く俺の部屋の扉がぶちあけられる。
「なんでゲームなんかしてるのよ!」
 朔である。
「お前に学習能力というものはないのか?
 首から上は飾りか? たしかに見た目の造形に文句はないけど……中身は空っぽだな」
「うるさい!」
「『朔、アサちゃんに挨拶しなさい』」
 俺が命じると、朔はその場に正座して座り、「浅葱さま、ようこそいらっしゃいました。不肖の妹、朔と申します。今後とも末永くお付き合いを」と礼儀正しく頭を下げた。
「アサちゃん、これがうちの妹の朔だ。少し乱暴で、俺の命を狙ったりするけれどいいやつだよ」
「あらあら。こちらこそよろしくお願いしますね」
「そこじゃないのよ!」
 朔は首輪を掴んで見せて、俺にぐいと近づいてくる。
「どうして外れてないの! お母さんの望みはかなえたんでしょう?
 確かに孫を見たいって願いからは少し遠いかもしれないけど、一歩前進したわけでしょ?
 なんでこの『隷属の鎖』が外れないの!」
 ふむ、そういえばそのために奔走していたんだっけな。
 すっかり失念してたぜ。
「でも、少しは効果があったのです。ほら、朔さんは恥ずかしいポーズをとらなくなったでしょう? 少しは呪いが薄れたはずなのです。
 けれどそれでも鎖が外れないということは、そのぐらい根が深いということだと思うのです」
「……てことは何? まだお母さんの望みをかなえ続けなきゃならないの?」
「馬鹿やろう。親孝行の何が不満なんだよ。それに今回、お前最初ぐらいしか活躍してないじゃないか」
「親孝行じゃなくて、この現状が」
「朔、お座り」
「にゃん!」
 朔はその場にお座りをして、かわいらしく頭に両手で耳を作ってみせる……のを必死にこらえている。おおたしかに、隷属の鎖の効果は薄れているようだった。
 ……。
 そしてしばらくして、真っ赤に赤面して、
「お兄ちゃんの命令を強制的にきかなきゃならない、この現状が嫌だって言ってるの!
 あんまり調子に乗らないことね! イツカコロス……」
 最後に聞き捨てならない台詞が聞こえたような気もしたが、鼻息荒く朔は部屋を後にしていった。



 おかしいと思いまーす、と言い出したのは朔だった。
 ある朝のことだった。俺は相変わらずニーナの作った朝食に舌鼓をうっていたのだが。
 リビングの中に居るのは飯をくう俺と、それを見つめながら微笑むニーナと、異物(妹)だった。なんだこいつは。俺のまったりとしたイチャイチャタイムを邪魔しやがって。
「おかしいのはお前だ。去れ、我が妹よ。邪魔するな」
「私、おかしいと思うんだ」
 俺の抗議を軽くスルーして、朔は続けた。
「アサちゃんの時も思ったけど、どうしてニーナさんのことをお母さんに紹介しないわけ?
 わざわざアサちゃんと仲良くなる必要なかったと思うの。なんだかニーナさんは妖しい。嘘をついてる! 私の第六感がそう言ってる!」
「お前……ニーナになんてこというんだ。こんな純粋無垢な子が俺らを騙してるわけなんてないだろう。なあ?」
 ふりむいてニーナのほうを振り返ると、
「そそそそそそうなのです! 嘘をつくとかありえないのです」
 と、ふるえる声で否定していた。

「ほら、このとおりニーナだって否定しているじゃないか」
「いやいやいや、ありえないでしょ。思いっきり動揺してるじゃない!
 いきなり現れて、お兄ちゃんに優しくするなんて生物学的にありえない……」
「生物学的ってどういうことだよ。俺にそんなに異性としての魅力がないってことかよ」
「逆にどこがあると思ってるわけ? ありえないでしょ」
「それは俺にもよくわからないけど……、俺にだって魅力あるよ。なあ、ニーナ?」

「そ、そうですね。大和さんはとても優しいのです」

「ほら! 優しさマックスで惹きつけてるんだよ!」
「モテないお兄ちゃんに言っておくけどね、女子がいう「優しい人が好き」は100パーセント嘘だからね。わかってるはずでしょ? 必ず但し書きがつくのよ」
「『ただしイケメンに限る』、か……」
「そうよ」
「で、でも、ニーナから見たら俺がものっそいイケメンに見える可能性もあるじゃないか!
 異世界からきたから価値観が違う可能性だって……」
「ニーナさん、かっこよく見えますか?」
「え? うーん、とても素敵ですよ!」
「ほらキタ! 明言を避けた!」
「そりゃ質問の仕方が悪い!」
「えーい五月蝿い! とにかくニーナさんはなんだか怪しいの!
 急に取り入って仲良くなる。私はそのパターンを知ってるわ。
 お兄ちゃんを利用しようとしている悪人のパターンよ!」
「失礼なこというな」
「私はアドバイスしたからね」


 と言って、俺のまったりタイムをぶち壊して、朔はリビングを出て行った。



 アサちゃんとはたまに、いっしょにゲームをする間柄になっていた。二人で対戦ゲームをして、帰る時間になると最寄りの駅まで送っていく。お? これって友達っぽくない?
 けっこう間柄が進展したんじゃない?
 などと俺が自画自賛をしていると、
「ご主人様は、最近ニーナにあまり構ってくれないのです」
 と、ニーナがへそを曲げていた。
「ごめんごめん」
「さっきのゲームだって、ニーナと先にいっしょに始めたはずなのです。
 なのにさっきの子と先に進んじゃうのはズルいのです」
「そ、それはさ、アサちゃんが同じゲームのシリーズをやってたから、プレイ方法を知ってたからだよ。だから操作になれてて、クエストも進むんだ」
「そんなの知らないです」
「お、怒らないでくれよ」
「怒ってないです!」
 ぶん、と両手を振り下ろして、
 ……それからニーナは目尻を下げた。
「寂しい、と言ってるのです」
「ほんっとに、ごめん」
 俺は両手を合わせて、頭を下げる。
 ぽん、と俺の頭に、ニーナの右手が置かれた。
「……もう。そんなに謝るくらいなら、ニーナとも遊んでください」
「本当はみんなで遊べればいいんだけど……。
 隷属の鎖……だっけか? これが解ければニーナもみんなに見えるようになるわけだろ? 」
「ええと、それは……たぶん」
「それじゃあ、諦めずに鎖を壊す方法を考えよう。
 そしたらニーナにも友達ができてハッピーじゃん」
「そういうことじゃ」
「俺って天才」



 結論からいえば、アサちゃんがうちに家に遊びに来たけれど、その時にカーチャンに合わせたのだけれど、それでニーナたちの隷属の鎖が壊れることはなかった。どうやらカーチャンの中でアサちゃんは「幼馴染」としてインプットされたままで、「互いに気になってる異性」という上書きはされなかったらしい。つまり、アサちゃんは異性にカウントされなかったわけだ。
 そこで俺は考えたーー。
 魔法で俺に惚れさせちゃえばいいんじゃない、って。

「魔法で、ですか? ニーナはあまり賛成じゃないのです」

 ニーナは怪訝そうな顔をしていた。
「そう。簡単な魔法でもいいんだ。たとえば魔法でーー」




 というわけで、まずは簡単なほうの手段を使うことにした。

 俺とアサちゃんは駅に向かって歩いている。俺の右手には携帯のゲーム機。アサちゃんの右手にも同じものが、そして左手には相変わらずビー君人形を携えていた。
 駅までの一本道を歩き、橋の上の差し掛かった時、俺は口笛を吹いて、ニーナに合図をする。姿は見えないが、ニーナの詠唱する声が聞こえたような気がした。「大いなる風の精霊よ……」。

 そして突風が吹き、思わぬ風に驚いたアサちゃんはスカートを押さえ、右手のゲーム機を地面に落としてしまう。そして左手に持っていたビー君は、風に吹き飛ばされ、まるで「見えない手」に持ち運ばれたかのように橋の上から川の中に投げ出される。
「ああっ!」
 アサちゃんが短く悲鳴を上げる。
 「大丈夫、俺が拾ってくる!」

 そして俺は待ってましたとばかりに川に飛び込む……のはやめて、橋の側面にあるはしごから下におり、流れの中に身体を沈める。大丈夫、ここの川がそんなに深くないことは、事前に調査済みだった。
 俺はゆっくり、けれど確実にビー君に近づき、その人形をがっしりと捕まえる。ビー君がぶるりと揺れて「俺になんてことをするんだ」と不満を言われた……ような気がした。

 俺が川から上がると、アサちゃんはふるえながら俺のことを待っていた。さあどうだ。アサちゃんが大事にしていた人形。その人形が危機にさらされ、それを我が身を顧みずに助けに行った男! 少しは心が揺れ動くのではないだろうかーーなどと俺が画策したのだが、

「ビー君大丈夫寒くなかったごめんね私が手を離しちゃったからでも大丈夫家に帰ったらゆっくり洗って服も着替えさせてあげるそういえばこの服もずいぶん古くなったしかえどきだと思えばしょうがないようねビー君ごめんね許してくれるかなごめんなさい許してね」

 と。

 アサちゃんはまた句読点のない喋りかたに戻っていた。

 ですよねー、と俺の心のどっかが叫んだ。
 俺にときめくよりも前に、自分の大切なものの心配をしますよねー、と。

「あの、拾ったの俺なんだけど……」
「ありがとうございます助かりました。けど早く帰らないとビー君が風邪をひいちゃうからビー君がビー君がビー君が」

 けれど、アサちゃんをときめかせる作戦はこれで終わったわけではない。
 俺は再び口笛を吹いて、ニーナに合図をした。

「あまねく春の妖精よ」

 今度の詠唱は、はっきりと聞こえた。

「汝の目に映るは雄々しき男神! 全てを委ね、全てを受け入れよ!
 魅了パヒューム!」

  その次の瞬間。
  アサちゃんの全身を桃色のあわい光が包んだ。そしてアサちゃんが身震いして、くしゃみを一度する。ぽとりと、その手からビー君の人形が落ちた。
「アサちゃん、人形が……」
 彼女はこっちを見ていた。……それまで俺を見ていたのとは、違った表情だ。


 その表情をどう表現したらいいのだろう?
 異性にモテたことのない俺は言葉にすることができない。
 ま、少女漫画にありがちな「一目惚れした顔」とでもいえばわかりやすいだろうか。口をあけて、ポーッと俺のことを見つめて、ほおはほんのり赤く染まっている。

「人形、拾わなくていいの?」
「いいんです人形なんてそれよりも名前、名前教えてください」
「お、俺? 大和だけど」

 名前を言ってたなかったっけか。それよりも優先順位が低くて覚えてなかったか。それは自分で言っててもさすがに悲しい。
 あんなの大事にしていたビー君よりも優先順位が上がったということは、ニーナの魔法の効果があったということなのだろう。俺は感謝を告げようとニーナの姿を探したがーー、彼女はこっちに気づくと「あっかんべー」と舌を出して、雑踏の中に消えていってしまったのだった。




 そうして俺とアサちゃんは晴れてカップルになったのだった。アサちゃんはいつものビー君人形を家においてきていた。俺の左腕にもたれながら、とおりを歩く。左腕にアサちゃんの決して小さくはない膨らみが触れては離れてーー。
 ああ、生きていて、よかった。
 と俺は、心底思った。漫画のように鼻血を出したりはしないが。

 今日は休日。俺とアサちゃんはデートをしていた。誘ってきたのはアサちゃんから。俺はさっそくカーチャンに彼女ができたのだと報告しにいこうと思っていたのだが……。それよりも先に、俺と二人きりででかけたいのだというアサちゃんに押し切られる形となった。

 待ち合わせ場所に現れたアサちゃんはいつもと違って……なんというか、すごくかわいらしかった。いつもは黒を基調としたパンツルックだとすれば、その日は白や淡い色のワンピースを着ていて、それがアサちゃんの黒い髪によく似合っていた。その後の会話の中で、「服を選ぶのに2時間もかかったんです」と言われて、俺は感無量、心の中で泣いたね。まさかそんな風に思ってくれる異性が表れるなんて思ったことなかったからね。ま、俺も何を着ていこうか2時間ぐらい悩んだわけだが。
 そして二人でとおりを歩きながら、服屋をブラブラと見ながら映画館へと向かう。本日のデートコースは俺が考えた。雑貨屋→映画館→カフェで軽くランチ、というすきのないプランである。プランは朔の力も借りずに独力で考えた。
 仮に今の幸せが魔法の力によるものだとしても、俺は幸せである。魔法さまさまである。雑貨屋で、アサちゃんが机の上に置く小物を見ながら、あーだこーだとうんちくを語っていた。俺はその発言に相槌を打ちながら、その中の1つをプレゼントしてあげることにした。
 アサちゃんはほおを赤くそめ、「一生の宝物にします!」と勢い込んで行った。

 こんなことになったのも魔法さま、ニーナさまのおかげだぜ。と思って俺はニーナにお礼を言おうと思っていたのだけれど、昨晩からニーナの姿が見えなくなっていたのだ。朔に聞いても「知らないわ。お兄ちゃんに愛想でも尽かしたんじゃない」とつれない返事だった。

それはそれとして。
俺とアサちゃんは手を組みながら、映画館の中へと入っていく。「どれにする?」との俺の問いに、「大和さんの好きなやつでいいです」と気持ちのいい返事。
 コメディとスパイもの、それと恋愛のやつがあったが……なんとなく、恋愛ものがよさそうだな、と思いそのチケットを買うことにした。
 俺はふたり分のチケットを手にしてアサちゃんのところへ戻ると、彼女はいつのまにか買ったポップコーンをつまんでいた。俺を見つけると彼女は喜色を浮かべ、「食べますか」と俺にすすめてきた。一口つまんで、口に入れる。実に甘くておいしい。

 映画の内容はありきたりだったーー。が、不覚にも感動してしまう。犬の散歩中に出会った男女が、犬のことで喧嘩して、ヒロインの犬が死んだあとにそれを慰めているうちに仲良くなり、……そして結ばれる、というような。喧嘩をして、なかなおりをして、お互いに嫌いになりながら、それでも惹かれあっていくというようなありふれた話だったんだ。
 それが俺の心のどこかに、楔を刺した。ズキリと何かが痛んだ。

 映画館をみて、予定どおりカフェでごはんを食べながら、アサちゃんと感想を言い合う。
「すごい面白かったです。出てきた犬も可愛かったですし、」
「犬はかわいかったよな。途中の喧嘩するシーンじゃハラハラしたけど」
「でもでも、ヒロインの言うこともわかります! 犬をきっかけに口説いてるだけなんじゃないかって」
「でもそのあとすぐ仲直りしたじゃないか。誤解だったって」
「そうだよな。ささいなすれ違いから喧嘩をして」
 そして、仲直りをする。
 そうやって少しずつ親睦を深めていく。
 ……互いが代え難い存在になるまで。

 俺の違和感は、大きくなるばかりだ。
 だから、俺は思い切って聞くことにした。

「アサちゃんは、……俺のこと好きかい」
「もちろんです! 大和さんほどすてきな人はいません!」

 それが、違和感が確信に変わった瞬間だった。





「ニーナ、ニーナ出てきてくれ」

 そんなのはまがい物でしかなかったのだ。
 魔法で築いた関係など。

 ……どうしてそれに気付けなかった? 浮かれていたから?

「俺が悪かった。話がしたい」

 アサちゃんは俺のことを好きだと言ってくれた。魔法のおかげだ。
 それじゃあ俺は?

 ……俺は本当に、アサちゃんのことが好きなのだろうか?

 好意を利用して。
 自分の目的のための手段として利用しただけだったんじゃないだろうか。

 俺はふとそのことに気づいて。
 自分がなさけなくなった。
 もちろん、言い出したのは俺だ。……それに甘んじて喜んでいたのも俺だ。朔ならきっと「人の気持ちを弄ぶようなことしてはダメだ」と俺をいさめただろうし、ニーナだって少なくともいい顔はしてなかったじゃないか。
 ニーナに謝ろう。……許してもらえるかわからないけど。
 そして、アサちゃんにかけた魔法をといてもらおう。
 そう思って俺は部屋に戻り、何度も呼びかけているのだが、一向にニーナの姿が見えない。……いつもすることがないときは俺の部屋でゲームをしているはずなのに。
 俺に愛想を尽かして出て行った、と朔は冗談めかしていっていた。
 そりゃこんな人間に、愛想もつかすだろう、と俺は自嘲した。自分のことしか考えずに、相手のことを利用してそれを屁とも思わないような人間は。

 けどそれでも――。
 許してくれなくてもいい。
 もう一度だけあって、謝りたい。
 それにニーナには、行くあてなどどこにもないのだ――。
 隷属の鎖のせいで誰からも認識されずに。
 いったいどこで、寂しい思いをしているのだろう――。



「大和――、部屋に入るわよ」

 そんな中、部屋に入ってきたのはカーチャンだった。
 エプロン姿で、夕飯の支度をしているいつも通りの。
 その姿を見て、俺はふと気が緩み涙ぐんでしまった。

「ちょっと買い物を頼みたかったんだけど……。
 その顔、どうしたのよ」
「カーチャン。俺、間違ったんだ。母ちゃんに心配させたくないと思って、知り合いに手伝ってもらって、彼女を作ったんだ。けど、それは間違いだった。相手の気持ちを考えない、俺のエゴのおしつけだったんだ。俺はその知り合いも、彼女になった女の子も、両方傷つけちまった。謝りたいんだけど、……謝り方がわからないんだ。謝ったら許してくれるだろうか? また元通りの関係に戻れるだろうか。俺が悪いのは分かってるんだけど。
 母ちゃんが孫を見たいっていうから、俺なりに努力をしたんだけど。間違ってたんだ」

 ニーナはまた俺にごはんを作ってくれるだろうか。
 なのです、と言いながら俺についてきてくれるだろうか。
 アサちゃんは元に戻るだろうか。ビー君人形を手に、バイトにいそしむ日々に戻れるだろうか。それがアサちゃんの幸せだったのだから。俺がそれをねじまげてしまったのだから。俺には謝る義務が、元に戻すために努力する義務があるはずだ。


 そうねえ、母ちゃんは分からないけど、と前置いて。
 くしゃくしゃの髪を撫でつけながら、俺の母ちゃんは言ったのだ。
「最近大和がバタバタしてたのは、そういう理由だったのね。
 私の発言が原因だったのね。
 それなら、気にすることなかったのに。どうせあれはテレビを見ながらつぶやいただけでしょう?
 私は『大和が元気で居てくれれば、それだけでいいんだから』」





 隣の部屋からガッシャーンと何かが割れる音が聞こえ、続けて朔の「よっしゃあああああああ」と叫ぶ声が聞こえた。
 カーチャンが居なくなった室内に、朔が怒涛のようになだれ込んでくる。
「見て! 見て! 取れた! 取れたの!
 鎖! ほら!」
 途切れ途切れの単語で会話をする彼女の情報をまとめると、朔をしばりつけていた「隷属の鎖」が壊れたらしい。朔は俺の部屋で喜びの舞を踊り始めた。
「これでこき使われることもない! むしろお兄ちゃんの黒歴史がある分私が有利……ああ、なんて素敵な展開! 神様ありがとう! 藁人形に釘なんて打ってる場合じゃなかったわ。やっぱり信じるべきは八百万よりもキリストよね」

 ……こいつ、最近姿を見せないと思ったらそんなことをしてやがったのか。相変わらず人の命を奪う――というか俺から金を奪うことばっかり考えやがって。
 と思ったけれど、俺はまず、
「ごめん」
 と口にすることにした。
「な、なによ急に。気持ち悪い」
「いや、悪いことしたなって思ってさ。朔の気持ちも考えずに」
「ふん。今となったら別にいいわよ。いきなり美少女が現れて、浮かれまくった気持ちも、分からないでもないし」
「……それなら、協力して欲しいんだ。ニーナに謝りたいんだ」
「えええあの人に? 別にいいんじゃない。姿が見えないなら見えないでも。
 私の取り分が増えるわけでもないし」
「頼む」
 俺は両手を合わせて、頭を下げる。
 すると朔は困ったように顔をしかめて……、
「うーん、可能性は低いけど、あるとすれば……」
 と、俺にニーナが居そうな場所を教えてくれた。
 それは、確かに盲点だった。



 木を隠すなら森の中……じゃなくて、ニーナが隠れるなら森の中、というのが朔の意見だった。たしかにニーナは「大森林の出身だ」と言っていたし、その可能性は低くないだろう。
 俺は朔と、それからアサちゃん、ビー君を連れて、この町に1つしかない森林に向かっているところだった。
 アサちゃんは俺の「今から出かけられるか?」の問いに1も2もなく「おしゃれしていきますね」と応えてくれた。……そうやってアサちゃんを利用するのは心が痛いが……、それも今回限りだと割り切って、そのままビー君を連れてくることもお願いした。もしアサちゃんの魔法がとけたとき、真っ先にすがるのはビー君だろうから。そんな風に思って。





 森林にたどり着いたとき、目の前に広がるのは煌々と広がる赤。おそらく最初は小さな火種だったのだろう山火事は、今は大きく広がり、視界のほとんどを覆っているようだった。

「ニーナ! 居るか!」

 こんなところに居るはずがないという思いと、ここしかありえないという相反する思いを持って、俺はニーナの名前をさけび続ける。まさ燃えて死んだり……はしてないだろうな。

「ニーナは別に、どっちでもよかったのです」

 その聴き慣れた声は、俺の頭の上から降ってきた。
 ニーナはいつものワンピースを着ていて。
 けれどいつものように微笑みを浮かべていなくて。
 いつもと違って告白そうな笑みを貼り付けていた。
 そして、
「何をしに、きたんですか」
 と俺を見下ろした。

「謝りにきたんだ! 俺が間違ってた!」
「ご主人様が、間違えるなんてありえないのです」
 そして、「ははは」、と力なく声をだし。
「全てはマナ(精霊魂)の御心のままなのです。ご主人様がそれを選んだということは、それが運命だったということなのです。ニーナの使命は『ご主人様の子供を連れて帰る』こと。別にその相手がニーナであっても、そこにいる女の人でも、朔さんでも、誰でもよかったのです。そして選んだ相手がニーナじゃなかったとしたらそれもまた運命で……ニーナにできることは、二人の関係をより親密にさせることだけです」

 そういってニーナは、両手を向かい合わせにして、

「大いなる炎の精霊よ。我が敵を焼き払わん」

 と詠唱し、一面に火を放った。

 ニーナの手から生み出された炎はそれが枯れ木であるかどうかなど関係なしに燃え上がり、視界を赤く染め上げる。

「安心してください。殺しはしないのです。
 吊り橋効果なのです。困難を乗り越えたほうが、愛は深まる。必要ならニーナは、その障壁となり、立ちふさがるのです!」

 俺らの周囲を炎が取り囲む。
 もはや退路はないように思われた。
 俺の左手に、アサちゃんがしがみついている。こちらを不安そうに見つめる視線。俺を好きだといい、俺の言葉をすべて信じきってくれた視線。俺は自己嫌悪から、視線をそらしてしまう。
 そらした先に、朔の顔があった。
 彼女は今の状況に絶望してないようだった。
 腕をくみ、毅然とニーナのことを睨みつけている。
 そして何を思ったのか、俺と視線がぶつかった。
「なんだよ。……ここで俺が死ねばいいとか思ってるのか?」
「冗談じゃない。ここで死んだら共倒れもいいところだわ。しっかりお兄ちゃんには遺書とか文面で残してもらわないと。
 ま、それは冗談としても」
 朔の表情は明るかった。
「この状況を打破しましょう。私にはニーナさんの気持ちが……悔しいけど、少しは分かるつもりだし」
「逃げるっていっても、ニーナはあの調子だし……。
 それともほかに、何か方法が?」
 げし、と俺はすねを蹴られた。
「だからニーナさんを説得しろって言ってるの。
 いい? これは誰でもできるわけじゃない。あなたにしかできないことなの。
 お母さんでもアサちゃんでもビー君でもない、この場にいるお兄ちゃんしかできないの」
「だから具体的に何をすれば、って」

 もう一度足を蹴られて、

「とにかく思ってることをいえばいいの。
 嘘をつかずに、正直な気持ちを。
 お姫様の気持ちを溶かすのは、いつだって王子様の誠意だって決まってるんだから」



「ニーナ! 話を聞いてくれ!」
 俺はニーナがいる木に飛びつき、必死によじ登りながら。
 こちらを見下ろすニーナに、必死に叫びかける。
「話? そんなものこちらには何もないのです。
 ご主人様はアサちゃんさんと仲良くなり、子供を為せばいい。
 ニーナはそれで納得してるのです」
「そうじゃないだろ。それは、間違ってたんだ。アサちゃんはたしかに俺のことを好きになってくれた。でもそれは、魔法のおかげだ。心から好きになったわけじゃない」
「それのどこが問題なのです?
 自分に都合のいい女の子が現れて、しかも可愛くて。言うことを聞いてくれるなら、何が不満なのです? ニーナを呼び出した時と同じなのです。
 だからご主人様は自分の欲求に従って、従いまくればいいだけなのです」

 言われて、俺は。
 ……自分は何も学べていないのだと気づいた。

「でもそれじゃ駄目なんだ。
 一方的にいいように利用して、都合が悪くなったら捨てる。
 それは正しい恋人の関係じゃない。まるで主人と奴隷の関係だ」
「けれどアサちゃんさんの心はそうは思わない」
「それが問題なんだ。
 せめて罵ってくれればいい。『裏切り者』とか『卑怯者』とかさ。
 でもそれができない。なんでだ? 魔法で妄信的に恋心をすりこまれてるからだ。
 それは洗脳と同じだ。自分の意思でものごとを考えられない。
 自分で考えられない人間と築き上げた関係が、恋人と呼べるのか?
 いや、呼べない。だから俺は、間違ってたんだ」
「それが何なのです? だから魔法を解除しろと?」
「ん。それもある。だけど、それだけじゃない」
「ご主人様はわがままなのです。いいです。恋の魔法は解除します」

 俺はようやく木をのぼりあがり、ニーナと同じ目線にたった。


「いいや、それだけじゃない。俺が言いに来たことは」
「それ以外にもあるのです? とんだジコチューなのです」
「そうだ。俺はエゴイストだ。自分勝手に人を呼び出したり、自分に惚れさせたり。それでも満足せずに、さらに要求をつきつける。自分でも嫌になるくらいエゴイストだ!
 でも聞いてくれ。
 なあ、ニーナ。俺が好きだったのはお前だったんだ」


 俺はゆっくりと、言葉をかみしめるように。

「俺が間違ってたのはそこだ。ちゃんと自分の口で、自分の気持ちを伝えるべきだったんだ。
 ニーナが優しいから甘えたんだな。好きでした。たぶん出会った時から。
 ニーナが俺に優しいからとかじゃなくて。こんな風にヒステリックに怒り狂ったとしたって。それでも俺はお前のことが好きなんだ」
「そ、そんなの嘘なのです! 
 ニーナの気持ちをまた利用して、助かろうとしてるだけなのです!」
「嘘じゃない。こんなことになったのも俺のわがままが原因だ。助かろうとも思わないさ。
 けど、死ぬのは俺一人で十分だろ? 朔とアサちゃんは逃がしてやってくれよ」
「嘘です! 信じられないのです!」
「信じてくれなくてもいい。ただ、俺は本気だ」
 そして一歩。
 ニーナの方へ近寄る。
 そしてニーナの顔を見ると、
「そして嘘だと思うなら、なんで泣いてるんだ?」

 答えは、これでよかったのだろうか?
 世の中の男女はどうやって会話をして。
 どうやって親睦を深めて。
 どうやってカップルになっているのだろう?

 その答えは。
 ささいなことから出会いが起きて。
 誤解を起こして喧嘩をして。
 仲直りをして、親睦を深めていく。

 
 ……それでいいのだろうか? それとも俺が不器用なだけだろうか。
 けれどきっとそれでいいのだと。
 俺の中の何かが確信を持って頷いた。

 





「あ、あの初めましてなのです。ニーナは、ニーナレット・アルフスタレンという者なのです。あ、あやしくないのです。語学留学でホームステイさせて頂きたいのです」
 隷属の鎖が外れたニーナの姿は、母ちゃんにも見える。
 ニーナはもじもじしながら自己紹介をした。
「あらあら、まあまあ。大和もすみに置けないわねえ」
「そ、そんなんじゃないのです!」
 ボッ、と火が付いたように赤面するニーナ。それをみて俺も、頬が熱くなるのを感じる。
「い、いいだろ母ちゃん。ニーナだって長旅をして疲れてるんだ。
 部屋に入ってもらって、少し休んでもらえよ」
「そうねえ、お茶もいれようかしら」
「そういうのいらないから! ニーナのことは俺がちゃんとする!」
「あらそう?」

 そういって母ちゃんは、口に手を当てて部屋を出て行った。


「……」
「……」
「あの」「あの」

 沈黙に耐え切れずはっした声が、重なる。

「この度はご迷惑をおかけしたのです。ニーナも、反省するところがあったのです」
「ニーナは何もなかったろ。むしろ100パーセント俺が悪い。
 ふりまわして、悪かったな」
「でもニーナも」
「いや俺がーー」

「仲直りの握手」

 俺が手を差し伸べると。
 ニーナはおずおずとそれを握った。

 もう、隷属の鎖に支配されていない。
 ニーナは実体を持っている。
 初めて触れたニーナの肌は。
 柔らかく、少し冷たく、そしてとても愛おしく感じた。


 バタン、と部屋の扉をあけて母ちゃんが俺らをみて固まる。

「あらあら、せっかくお茶淹れてきたけど、……ごめんなさいね。
 今時の若い子は」
「お茶なんかいらねーって言っただろ! 」
「そうね、でもお腹すいたら食べてね」
 そういって母ちゃんは赤面する俺らの前にお茶と茶菓子をおいて、

「孫が見れるのはいつごろかしらね」

 と、つぶやいて去っていったのだった。
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