告子 -浅見絅斎と師-

深川ひろみ

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一 大儒の死(二)

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 昨年、年号が元禄から宝永へと変わった。
 古来より長く、学問と文化の中心は京、天下の台所は大坂と、この国の中心は至尊の坐すこの上方だった。だが将軍のお膝元となった江戸の地も、学問も商売も上方に負けじと活況を呈していると聞く。安正の兄弟子にあたる佐藤直方も大名の依頼を受けて江戸へ下った。多くの大名から招かれて、中々に羽振りも良いという。
 二十三年前に亡くなった安正の師、山崎闇斎もかつて春に江戸へ下って大名相手に学を講じ、秋には京に戻って門弟に教授するという生活を十年以上続けたというが、当時はまだまだ学問の中心は京だった。
師の東下は明暦の末、四代将軍家綱公の頃だった。書を数冊出版していたとはいえ無名の浪人儒者だった師が、会津の名君、保科正之をはじめとする多くの大名に求められ招かれたのは、その実力もさることながら、単なる博学の「物知り儒者」ではなく、人としての生き方を問う、真の学問を伝えられる人間が江戸にまだ少なかったということも大きいだろう。その後の江戸の繁栄ぶりをみれば、今更ながらに師の慧眼と先見の明には驚かされる。
 師は四十歳過ぎに江戸へ下った。その齢を一回り以上過ぎた今でも、学力も行動力も人望も、安正は師に遙かに及ばない。
 そして―――
 安正は小さく息を漏らした。
「仁斎は、ついに本を出さなんだな」
「何よりです」
 新七からは、間髪入れずに言葉が返ってくる。
「書を出さねばあのような荒唐無稽なたわ言も早晩忘れられる。大体、あやつの学が世にもてはやされるのは、あの君子然とした外面のお陰じゃ。女郎が通りすがりの袖を引くのと何ら変りはない」
 その言葉に、安正は再び苦笑する。雨の日も風の日も、近江の里から安正の邸まで、三里の道を一日おきに通い続けるこの弟子に、安正は昨年「強斎」という号を与えた。夏は衣と袴を刀の先にくくりつけて担ぎ、襦袢一枚で京に入って、講義の前に着替えるのだと聞いた。近江から京への途上に行き倒れがおったらおれだと思うてくれ、と他の門人に漏らしていたらしい。一本気で強靭なそのありようを安正は愛する。
 仁斎が書を出版しなかったのは、確かに道のためには幸いであったかもしれない。
 だが―――
「おれは、いささか残念に思うておる」
 安正の言葉に、新七は「はっ?」と声を上げ、手を止めてまじまじとこちらを見る。
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