3 / 6
一 大儒の死(二)
しおりを挟む
昨年、年号が元禄から宝永へと変わった。
古来より長く、学問と文化の中心は京、天下の台所は大坂と、この国の中心は至尊の坐すこの上方だった。だが将軍のお膝元となった江戸の地も、学問も商売も上方に負けじと活況を呈していると聞く。安正の兄弟子にあたる佐藤直方も大名の依頼を受けて江戸へ下った。多くの大名から招かれて、中々に羽振りも良いという。
二十三年前に亡くなった安正の師、山崎闇斎もかつて春に江戸へ下って大名相手に学を講じ、秋には京に戻って門弟に教授するという生活を十年以上続けたというが、当時はまだまだ学問の中心は京だった。
師の東下は明暦の末、四代将軍家綱公の頃だった。書を数冊出版していたとはいえ無名の浪人儒者だった師が、会津の名君、保科正之をはじめとする多くの大名に求められ招かれたのは、その実力もさることながら、単なる博学の「物知り儒者」ではなく、人としての生き方を問う、真の学問を伝えられる人間が江戸にまだ少なかったということも大きいだろう。その後の江戸の繁栄ぶりをみれば、今更ながらに師の慧眼と先見の明には驚かされる。
師は四十歳過ぎに江戸へ下った。その齢を一回り以上過ぎた今でも、学力も行動力も人望も、安正は師に遙かに及ばない。
そして―――
安正は小さく息を漏らした。
「仁斎は、ついに本を出さなんだな」
「何よりです」
新七からは、間髪入れずに言葉が返ってくる。
「書を出さねばあのような荒唐無稽なたわ言も早晩忘れられる。大体、あやつの学が世にもてはやされるのは、あの君子然とした外面のお陰じゃ。女郎が通りすがりの袖を引くのと何ら変りはない」
その言葉に、安正は再び苦笑する。雨の日も風の日も、近江の里から安正の邸まで、三里の道を一日おきに通い続けるこの弟子に、安正は昨年「強斎」という号を与えた。夏は衣と袴を刀の先にくくりつけて担ぎ、襦袢一枚で京に入って、講義の前に着替えるのだと聞いた。近江から京への途上に行き倒れがおったらおれだと思うてくれ、と他の門人に漏らしていたらしい。一本気で強靭なそのありようを安正は愛する。
仁斎が書を出版しなかったのは、確かに道のためには幸いであったかもしれない。
だが―――
「おれは、いささか残念に思うておる」
安正の言葉に、新七は「はっ?」と声を上げ、手を止めてまじまじとこちらを見る。
古来より長く、学問と文化の中心は京、天下の台所は大坂と、この国の中心は至尊の坐すこの上方だった。だが将軍のお膝元となった江戸の地も、学問も商売も上方に負けじと活況を呈していると聞く。安正の兄弟子にあたる佐藤直方も大名の依頼を受けて江戸へ下った。多くの大名から招かれて、中々に羽振りも良いという。
二十三年前に亡くなった安正の師、山崎闇斎もかつて春に江戸へ下って大名相手に学を講じ、秋には京に戻って門弟に教授するという生活を十年以上続けたというが、当時はまだまだ学問の中心は京だった。
師の東下は明暦の末、四代将軍家綱公の頃だった。書を数冊出版していたとはいえ無名の浪人儒者だった師が、会津の名君、保科正之をはじめとする多くの大名に求められ招かれたのは、その実力もさることながら、単なる博学の「物知り儒者」ではなく、人としての生き方を問う、真の学問を伝えられる人間が江戸にまだ少なかったということも大きいだろう。その後の江戸の繁栄ぶりをみれば、今更ながらに師の慧眼と先見の明には驚かされる。
師は四十歳過ぎに江戸へ下った。その齢を一回り以上過ぎた今でも、学力も行動力も人望も、安正は師に遙かに及ばない。
そして―――
安正は小さく息を漏らした。
「仁斎は、ついに本を出さなんだな」
「何よりです」
新七からは、間髪入れずに言葉が返ってくる。
「書を出さねばあのような荒唐無稽なたわ言も早晩忘れられる。大体、あやつの学が世にもてはやされるのは、あの君子然とした外面のお陰じゃ。女郎が通りすがりの袖を引くのと何ら変りはない」
その言葉に、安正は再び苦笑する。雨の日も風の日も、近江の里から安正の邸まで、三里の道を一日おきに通い続けるこの弟子に、安正は昨年「強斎」という号を与えた。夏は衣と袴を刀の先にくくりつけて担ぎ、襦袢一枚で京に入って、講義の前に着替えるのだと聞いた。近江から京への途上に行き倒れがおったらおれだと思うてくれ、と他の門人に漏らしていたらしい。一本気で強靭なそのありようを安正は愛する。
仁斎が書を出版しなかったのは、確かに道のためには幸いであったかもしれない。
だが―――
「おれは、いささか残念に思うておる」
安正の言葉に、新七は「はっ?」と声を上げ、手を止めてまじまじとこちらを見る。
0
あなたにおすすめの小説
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年夏まで執筆
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
焔と華 ―信長と帰蝶の恋―
幸
歴史・時代
うつけと呼ばれた男――織田信長。
政略の華とされた女――帰蝶(濃姫)。
冷えた政略結婚から始まったふたりの関係は、やがて本物の愛へと変わっていく。
戦乱の世を駆け抜けた「焔」と「華」の、儚くも燃え上がる恋の物語。
※全編チャットGPTにて生成しています
加筆修正しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる