告子 -浅見絅斎と師-

深川ひろみ

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二 懺悔(一)

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 晩春三月十二日、都人たちが散る桜に逝く春を重ねて惜しむ頃、伊藤仁斎は永眠した。八十にわずかに届かぬ長寿だった。
 花の香りが庭に満ちる暖かい夜、安正は、師のために香を焚いた。
 師が逝って、二十三年が過ぎている。六十四年間の生涯だった。安正の邸の一隅には、闇斎の神主が、孔孟と程朱の牌紙と共に祀られている。朱子は家庭における儒の礼―――冠昏葬祭の四礼をまとめ、それは「文公家礼」と呼ばれて広まった。「文公」は朱子の諡だ。
 「家礼」に、師を祀る礼はない。
 安正は瞑目した。

 先生。
 伊藤仁斎が死にました。

 絅斎の脳裡に、昼間に見た仁斎の葬礼が過ぎる。
 その瞬間、頭の芯がかっと熱を帯び、安正は歯を食いしばった。大きく二度息を吐き出し、香炉を掴み、割れんばかりに握りしめる。手がわなわなと震えた。
 灰をぶちまけたい衝動を辛うじて抑え、安正は香炉から手を離し、坐したまま天を仰いだ。両の掌で顔を覆い、吼えるように声を放って慟哭した。
 先生。
 おれは、あいつが憎い。
 喪主を務める長男は、まだ三十代だという。四人の弟がおり、いずれも学問の道に進んだ。長男源蔵以下、重蔵、平蔵と全て「蔵」がつくため、「伊藤家の五蔵」とも言われている。
 あいつは―――朱子の学をあれ程に批判したあいつは、儒式で―――文公の礼を以て葬儀を行ったのだ。子孫に恵まれ、恭しく儒式の神主を捧げ、墳墓を築き埋葬した。無論火葬ではなく土葬だ。神主の制そのものが、朱子が古代の礼を研究してまとめあげたものではないか。あいつはそれを知らぬのか。知って敢えて行ったのか。
 何故、あの男にそれが許されたのか。
 師は実子にも同族にも、相応しい嗣子を持てず、神主を焼き捨て、祭祀を断絶させた。そして形だけの仏式の礼を以て寺に埋葬され、神社に祀られた。あれほど正学に研鑽を積んだ師が、儒式を以て盛大に弔われる事なく死ななければならなかった。その臨終は神道系の門下たちによって取りしきられ、安正たち 儒の門弟の居場所はなかった。
 いや―――
 安正は目を開いた。視界を覆う涙のとばりが、目尻を伝って肩に落ちる。
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