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咎人は牢して待つ

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 自由とは半径2メールの世界のことである。

 四角く切り取られた夜空が見える。
 青白い月明かりが部屋を照らしていた。
 部屋は熱を感じられない石で組み上げられ、食料を入れるための僅かな隙間がある鉄製の扉は静かに鎮座したまま開く気配はまるでない。

 僅かな息遣いと、身動ぎするかすかな音が残響すらなく消えていく。
 差し込む明かりと決まった時間に、下の隙間から固いパンと冷めた薄いスープが滑りこむ以外には変化するものもなくただ停滞だけがある半径2メートルの世界。
それがコウのいる世界の全てだった。

 掲げた右腕に綺麗な月が落ちる。淡い陰影にうっすらと映るのは、真っ黒な呪いの証。
 漆黒の刻印。
 手首から肘まで刻まれた複雑な幾何学模様はこうして月にかざして影を作ればまるで剣のような形にも見える。

 “滅剣の呪印”だというらしい。ある兵士が忌々しげに言っていたのをコウは聞いていた。
 恨めしげに烙印を見ているが恨む言葉は出ない。聞かせる相手がいない言葉は虚しく反響して消えるだけなのだから。

 そんな意味が無いことはここに来てから一週間でやめた。
 ここに来てどれだけの時を過ごしたのだろう。誰と会話をすることもなく、四角い空を見上げて無為に過ごすだけの日々。

 その時が来るまで、飯を食べて排泄するだけの置物としてあれば良い。
 それが順当な扱いだと教え込まれて、ここに押しこめられてからどれくらいの時間が過ぎたのか、数えることを放棄して久しい。
 帝国のため。帝国の…
 いや、違う。家族のため。家族のために帝国へ捧げられるのだ。

 目を瞑ればいつでも思い出すことができる。あの温かい情景。決して裕福ではなかったがそれでも暖かった。母の優しい声や、兄弟たちの楽しげな表情。食事の前には皆でお祈りをし、誰かが歌えばみんなが歌い出す。昼間の畑仕事は子どもたちがやるにはつらい作業だったけれど、みんなでやればそれなりに楽しい作業だった。
幸せという名のランプは遠い。

 何回目かの寝返りをうち、冷えたベッドに一人。そこにはないものを希い、切望する。
 たまった熱と夢を吐き出すように一つ息をつく。
 吸い込んだ空気は冷え冷えとした澱だ。淀みくすみ深く汚れていてとても臭い。

 その淀んだ澱に、深々と心が犯されていくようだ。
 彼の霞んだ目には暗い炎が燻っているようであった。

 なぜ自分がこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
 咎人ゆえに。

 なぜ自分が咎人なのだろうか。
 その右腕に宿した呪いゆえに

 なぜ自分が呪いを受けたのだ。
 大罪人の子ゆえに。

 恨むべきは、親か。
 否。親の罪は子の罪である。そしてその呪いは帝国を滅ぼすものゆえに呪いを宿した事実が罪の証明である。
では、僕は死ななければならないのか

 是。その死を最大限に活用するために、お前は閉じ込められているのだ。
 僕の命は帝国のために使われるのか。

 是。帝国に危機が迫ったその時、帝国を滅ぼす程の力を秘めたその呪いの刻印を解放せしめるのだ。怨敵を滅ぼし、帝国の危機を救ったその時、赦しが与えられる。

 呪いの刻印を開放したら自分はどうなるのか。
 帝国のためにその命を捧げることになろう。それは大罪を背負った責務である。

 自問他答された問答を何度も何度も言い聞かせるように自問自答する。
 飽くことなく。何度も何度も繰り返す。

 そして家族を想う。

 孤児院にいた家族は、血の繋がった家族よりも本物だったんだ。
 家族を助けるのに理由はない。だから自分がここにいるのは当然のことだったんだ。

 そして帝国に感謝をしなければいけない。
 恩赦を頂いたのだ。だから、死を持って報いるのだ。そして帝国の益になって初めて家族が生かされるのだ。
 そう考えれば、この右手に刻まれた呪いも良かったのかもしれない。コレがあるから、己の命に価値がついたのだから。

 そしてコウは今日もまた何もない夜をやり過ごす。
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