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第12話 誘拐劇
しおりを挟む「……来たわね」
それは、夜中過ぎのことでした。
──ガサガサ、ガサ。
小さな屋敷の、小さな庭に侵入する複数の足音。
隠れようと努力はしているようですが、玄人のそれではありません。
──ガシャン。
階下で窓の割れる音。
なんという雑な仕事でしょう。
──ガチャ、キー。
少し古びた蝶番が、音を立てます。
──タ、タ、タ、タ。
足音は二人分。
寝台に近づいてきます。
「眠ってる?」
「そうみたい」
小さな囁き声。
そんな声では、すぐに起きてしまいますよ。
まあ、寝たふりを続けますけど。
「香を」
一人が言うと、カチャカチャという物音が続きました。
香炉を準備しているのでしょう。
独特の香りが漂ってきました。
この香りには覚えがあります。遥か西から渡ってきた、眠りを誘う香です。
「……もういいかな?」
香を吸ってしまわないように呼吸を止めていましたから、もちろん起きています。
彼らの方は、私が深い眠りに入ったと思い込んでいるようですが。
「うん」
今度はガサガサと麻袋の口を広げ、そこに私を入れていきます。
思いのほか丁寧で、私に怪我をさせないように気遣っていることがわかります。
私は眠っていることになっていますから、特に抵抗もしません。
大きな麻袋を、えっさほいさと運んでいく二人組。
物陰から見ているシュナーベル卿も、失敗しないかとハラハラしていることでしょうね。
──三日前。
「下準備は十分です。あとは、私が誘拐されるだけですね」
屋敷のサロンには、いつもの面々が集まっていました。
私の騎士であるアレクシス・シュナーベル卿。
『公爵令嬢の下僕』と噂されるために通ってくださっているエドガール・ル・リッシュ卿。
何かと私を気にかけてくださって、数日おきに訪問してくれるレオ・デラトルレ卿。
政治学の家庭教師であるディルク・マース伯爵。
「やはり、やめませんか?」
シュナーベル卿が言いました。
その顔には、心配だと大きな文字で書いてあるようにも見えます。
「わざと誘拐されるだなんて」
その尻尾がしおしおと垂れているように見えて、思わず『やめましょう』と言ってしまいそうになります。
「しかし、ここまでお膳立てしたのです。試してみる価値はありますね」
リッシュ卿が言います。
彼はどちらかというと、現状を楽しんでいるように見えます。
「しかし、『令嬢の誘拐事件』と『孤児の人身売買』とが同じ犯人の仕業だと、どうして判ったんですか?」
デラトルレ卿は、騎士の一人としてそちらの方が気になるようです。
「貧民街の噂話です」
「そんな不確かな情報で?」
「噂話もバカにはなりませんよ。子供達に協力してもらって大量の噂話を集めて、系統立てて整理しました。あとは裏を取るのには人を雇って、確かな情報の完成です」
「情報の扱いには慣れていらっしゃいますね。さすが『獅子姫』」
「戦と同じですわ」
「戦場で指揮することを思えば、朝飯前でしたか」
デラトルレ卿がニヤリと笑いました。
あ、この方法を仕事に使うつもりですね。
「しかし、もっと大きな組織が後ろにあるかもしれません」
マース伯爵の指摘はもっともです。
ですが。
「令嬢たちは全員が無事に帰ってきています」
「それが?」
「犯人の顔を見たかもしれない被害者が、きちんと無事に帰っているのです。しかも全員」
「なるほど。本職ならば身代金を取った上で殺したはず、ということですね」
「その通りです。一連の令嬢誘拐事件の犯人は素人。被害に遭った令嬢の親御様も、それが分かっているから被害を申し立てていないのではないですか?」
「言われてみれば。『無事に戻ってきたから、それでいい』と一様に言っているのは、そういう事情かもしれません」
「おそらく、犯人は貧民街で育った若者たちでしょう。被害に遭った令嬢は哀れに思ったのかもしれません」
「なるほど」
「私の推理に過ぎませんが。これを確かめるためにも、誰かが囮になる必要があります」
「人身売買の方はどうします?」
「……」
リッシュ卿の言葉に、全員が沈黙します。
誘拐事件は被害者が被害を申し立てていないので、犯人が捕まったところで罰しようがありません。
しかし、人身売買は重罪。
売った方も、重い刑罰を受けなければなりません。
「彼らは『売った』とは言っても、それほどの額を受け取っているとは思えません」
「確かに。そういった交渉ができるほどの頭がない」
辛辣な物言いですが、その通りです。
「誰かに騙されているのかもしれません」
「まあ、そういう言い訳もできなくはないですね」
「まずは、彼らの言い分を聞いてみましょう」
私が言うと、リッシュ卿は肩をすくめてマース伯爵を見ました。
私の行動に対して、何か意見ができるとすればマース伯爵だけですからね。
「……危険だと思えば、すぐに騎士団を差し向けます。よろしいですね?」
数秒の沈黙の後、マース伯爵が言いました。
「もちろんです」
「彼らは相応の罰を受けるべきだと、私は考えています」
犯罪を止めるだけなら、初めから騎士団が出ていって犯人を捕まえてしまえばいい。そうすれば、裁判を経て適切な刑罰を受けることになります。
それが正しいのでしょう。
オルレアン帝国は皇帝を政の中心としつつも、法に基づいて治められている国ですから。
「刑罰を与えるだけでは、何も解決しません」
それでは、同じことを繰り返すだけなのです。
「彼らを真っ当な道に引き戻したい。そうすれば、後に続いて犯罪に手を染める子供を減らすことが出来るかもしれません」
「貴女の気持ちは分かりました。この件は、真相が全て明らかになってから考えましょう」
マース伯爵も、頷いてくれました。
この状況を、私と同じように憂いているのでしょう。
「それにしても、ずいぶん肩入れするのですね」
デラトルレ卿が首を傾げています。
「え?」
「公爵令嬢ともなれば、貧民といえば普通は出会うことすらない人々でしょう?」
確かに、その通りかもしれません。
普通の公爵令嬢は、貧民のためにここまで肩入れしたりはしないでしょう。
「昔……十歳くらいの頃でしょうか。貧民の子どもに助けられたことがあるのです」
あの出来事が、きっかけでしょう。
貧しくとも生きていかなければならない人たちを、少しでも助けたいと思うようになったのは。
「国境沿いの街に視察に行った時に、それこそ本物の盗賊団に誘拐されました」
「それは、大変でしたね」
「はい。あの頃は大の大人を斬り伏せるような力はありませんでしたから」
「助けてくれたという人も、子どもだったのですよね?」
「ええ。同じくらいの年だったと思います。彼は貧しさに耐えかねて、盗賊団の下っ端に身を落としていたのです」
「その少年が、貴女を助けた?」
「ええ。私を牢から出し、近くの街まで送ってくれました」
「英雄ですね」
「いいえ。彼は私を助けるより前に、たくさんの罪を犯しました」
「役人に引き渡したのですか?」
「ええ」
本心では、無罪放免を願い出たかった。
けれど、それは彼自身が望みませんでした。
「では……」
「情状酌量が認められて、労役を2年。その後は、きちんと働いて立派な人になると約束してくれました」
白銀の野原を駆けるオオカミを思わせる灰色の髪、褐色の肌、赤い瞳。
あの少年は、今頃どうしているのでしょうか。
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