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第16話 寄り添い生きる
しおりを挟むシーリーン・アダラート公爵令嬢誘拐事件の顛末は、瞬く間に首都全体に広がりました。
貴族たちの中には誘拐事件を解決へ導いたと称賛する人もいれば、誘拐された時にふしだらなことがあったに違いないと噂する人もいました。
一般市民、とりわけ低所得者の間では英雄のように騒がれていると教えてくれたのは、イヴァンでした。貧民街に頻繁に出入りしているようです。
「あいつらにとっては初めてのことなんだよ。自分たちの境遇を心から心配してくれたことも、口だけじゃなく実際に手を差し伸べられたことも」
それを聞いて嬉しかった。
同時に、申し訳ないとも思いました。
「初めて、ですか。彼らは、本当に苦しい思いをしてきたのですね。私たちが戦を起こしたばかりに……」
私の呟きに、首を横に振ったのはマース伯爵でした。
「やり直せばよいのです。我々は彼らの苦しみに気付くのが遅くなってしまった。しかし、決して手遅れなどではない」
マース伯爵の言う通りです。
「貴女が教えてくださったことです」
何度でもやり直すことができる。誠意を持って、彼らと向き合うことができれば。
「彼らに寄り添いましょう。あなたが言ったように、助け合って生きていくのです。共に寄り添って、生きていきましょう」
マース伯爵が力強く語ってから約二ヶ月後。
貧民街の中に新たな施設が完成しました。
この施設には、四つの役割が与えられました。
一つ、仕事の斡旋──訓練を受けた仲介人が仕事を紹介します。適切な賃金が支払われているか、定期的に官僚が点検します。また、孤児となった子供たちには技術者の親方に弟子入りができるよう、親方と弟子を引き合わせる事業も行います。
一つ、学びの場──主に土木技術や商売、木材加工などの職業訓練が行われますが、幼い子供には教養を学ぶ場も提供します。
一つ、施療院──無償で医療を受けられる場を提供します。
一つ、食糧の配給──全ての貧しい人が飢えることがないよう、無償で食料を提供します。
施設の建設、運営は皇族と貴族からの寄付で賄います。
玄関ホールには、寄附した貴族の名が彫られた金のプレートが掲げられました。
寄付した額によって、プレートの大きさが変わります。
貴族たちは名誉のために競って寄附をするでしょうし、皇族は他の貴族よりも小さなプレートを掲げることは許されません。このプレートのおかげで、寄付が途切れるということは起こらないでしょう。
──今日は、その開設記念式典です。
「今日も、テオドル皇子殿下は欠席ですか?」
今回の施設建設を皇帝に提案し、実行したのはテオドル皇子です。
事前に寄附をしてくれる貴族を募っていたので、予算は潤沢にありました。
『皇帝陛下は否とは言えなかったのですよ』と、マース伯爵は笑っていましたね。
ところが、その当の本人の席は空のままです。
今日はマース伯爵もいらっしゃいません。
テオドル皇子に代わって、大臣が祝辞を読み上げています。
「お忙しい方なので……」
リッシュ卿が苦笑いを浮かべます。今日の私のエスコートはリッシュ卿にお願いしました。彼の父君であるリッシュ伯爵も、多額の寄附をしてくださったのです。
「残念ですわ」
「そうですね。……お嬢様には大役を引き受けていただいて感謝している、とおっしゃっていましたよ」
「けれど、本当によろしかったのですか?」
「良いのです。テオドル皇子殿下がこの施設を建設しようと考えたのは、貴女の言葉があったからこそ。事業の内容についても、いくつもご提案をいただいたとか」
私の言葉を、マース伯爵がテオドル皇子に伝えたのだと聞いています。
事業についても『何か提案はないか』と尋ねられたので、いくつかの思いつきを話しただけです。
「そんな大層なものではありません」
「いいえ。貴女が我々に気づかせてくださったのです。貧民にとって、本当に必要なものは何なのかを。……胸を張ってください」
「……はい」
「それでは、この方をお呼びしましょう。シーリーン・アダラート公爵令嬢です!」
大臣に呼ばれて、立ち上がります。
出席者の貴族だけでなく、広場に集まった民衆からも大きな歓声が上りました。
「公爵令嬢には、この施設の名付け親になっていただくことになっています。どうぞ、こちらへ」
大臣のエスコートで、壇上へ進み出ます。
多額の寄附を寄せてくださった貴族たち、そして多くの民衆が私を見つめています。
挨拶とお祝いの言葉は手短に済ませて、本題に入ります。
手元の原稿を、ぎゅっと握り締めました。
私の贈る名を、受け入れてもらえるでしょうか。
「この施設には『ヤル』という名を贈らせていただきます」
聞き馴染みのない言葉に、ざわめきが広がります。
「私の国……フェルメズ王国の言葉で『仲間』という意味です」
今度はしん、と静まり返りました。
「私は、たまたま貴族の家に生まれました。飢えることもなく、寒さに凍えることもなく、なに不自由なく暮らしていました。子供の頃の私は、それが当たり前のことだと思っていました」
それ以外の暮らしを知らなかったのですから、当然と言えば当然のことです。
「しかし私は幸運にも、私とは違う暮らしをしている人々と出会うことができました。その苦しみを知る機会を得たのです」
貧しさに耐えきれずに、悪事に手を染めた少年たちに思いを馳せます。
「全てを理解することは難しいでしょう。それでも、私はあなたたちに寄り添いたい。同じ苦しみを分かち合いたい。……そして、同じ喜びを分かち合いたいのです」
救うのではなく、分かち合うこと。
ここが、そのための施設となることを願って。
「生まれた国や身分の差は小さな問題でしかありません。私たちは『仲間』です。その信念を忘れずにいられるよう、この名を贈ります」
静寂は、一瞬でした。
次いで大きな歓声と拍手が湧きあがりました。
喜んでいただけたようですね。
嬉しい。
本当に、心から嬉しい。
この日から、私は『救貧の英雄』と呼ばれるようになりました。
『哀れな人質の公爵令嬢』、それが私でした。
私はオルレアン帝国の人間ではなく、敵だと思っている人も多かったはずです。
そんな私を、受け入れてもらえたのです。
首都の貧民街に初めて開かれた『ヤル』は、次には郊外に、その次には東の国境近くに開かれました。その後も数を増やし続けていきます。
赤い瞳の少年との出会いに始まった私と彼らの絆が、やがて大きな輪になって広がっていったのです。
この仕事を果たしたことを、私は心から誇らしく思っています。
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