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第34話 雨と急使
しおりを挟む窓の外の庭を眺めながら、ため息が漏れました。
今日は雨。
散歩に行くことも、剣の稽古をすることもできません。
社交シーズンは終わってしまいましたから、お友達もほとんど領地に帰っています。
陰鬱とした気分を発散させる良い方法が、これといって思い浮かばないのです。
「……呪い」
テオドル皇子の言葉が、頭の中で浮かんでは消えていきます。
結局、どういうことなのかは教えてもらえませんでした。
「私は、いったい何に呪われているのかしらね」
私の小さな呟きをかき消すように、道の向こうから馬蹄の音が響いて来ました。
雨の中をマントも被らずに駆けてくる騎士の姿が見えます。尋常な様子ではありません。
「何かしら」
その騎士は、真っ直ぐに私の屋敷の門へ向かって来ます。
私が玄関ホールへ下りるのと、ずぶ濡れの騎士が扉を叩いたのはほぼ同時でした。
「このような格好で申し訳ありません」
「急ぎのご用件ですね。このままお伺いしても?」
本来であれば客間へ通してから聞くべきでしょうが、彼の様子からはその時間すら惜しいと伝わって来ます。
「フェルメズ王国から急使がありました」
騎士が懐から出したのは、フェルメズ王家の印章が押された手紙です。
すでに開封済み。皇帝に宛てられた手紙だったようです。
「アダラート公爵夫人……シーリーン嬢のお母様が、ご危篤だと」
「お母様が!?」
お母様はまだお若い。それに、これまで病気らしい病気などしたことがない、健康な方です。
それが、急に危篤だなんて。
それに、本来であれば私に宛てられるべき個人的な急使が、なぜ皇帝宛に……?
「皇帝陛下のお許しは出ています。急ぎ、カルケントへお戻り下さい」
「よろしいのですか? 私は、人質ですよ?」
気軽に故国に戻っても良い立場ではありません。
「問題ございません。間も無く供をする騎士たちもこちらに集合する手筈になっています。お支度を」
私の屋敷に集まったのは、いつもの騎士たちでした。
それぞれ所属の騎士団はバラバラですが、どうしてでしょう。
「テオドル皇子殿下のご命令です」
デラトルレ卿が教えてくれました。
「ご心配なのでしょう。我々にお供をするようにと連絡がありました」
玄関先で慌ただしく準備をしていると、皇室の紋章が入った馬車が入って来ました。
馬車から降りて来たのは、やはりテオドル皇子でした。
「シーリーン嬢!」
馬車を降りた勢いのまま、私の方に駆けて来ます。
「本当は私も供ができればよいのですが」
「何をおっしゃっているんですか。皇子殿下」
『皇子殿下』をことさら強調して言えば、苦笑いが返って来ました。
「正体を明かすのが早かったようですね」
「まあ」
確かに、『マース伯爵』であれば一緒に行くことができたかもしれませんね。
「この手形をお持ちください。皇帝陛下の印章が入っていますから、どこの関所も素通りできますし寝食の世話も頼めます」
「ありがとうございます」
「それと……。こんなことを言っては、貴女のお母様に申し訳ないのですが……」
歯切れが悪いのは、言いにくいことだからでしょう。
「この急報には、何か裏がありますね」
「お気づきでしたか」
「はい。何があったのかは分かりませんが、嫌な予感がします」
「ええ。とにかく、お母様のご無事をお祈りします」
『危篤』という知らせ自体も、嘘である可能性があります。
しかし真偽がわからない以上、行かねばなりません。
「ありがとうございます。それに、皇帝陛下のお許しは貴方がお願いしてくださったのでしょう?」
本来であれば、お母様が亡くなったとしても帰国など許されないはずの立場です。
「私は皇帝陛下にいくつかの貸しがありますから。このくらい、わけありませんよ」
「帰って来たら、お礼をさせてくださいね」
「お礼だなんて。貴女が、無事にここに帰って来てくださるだけで十分です」
テオドル皇子が私の手を握ります。
……手を握るのが、癖なのでしょうか。
「……このように、みだりに女性の手を握るものではありませんよ」
思わず、小言を言ってしまいました。
それには、テオドル皇子も苦笑いです。
「みだりに、というつもりはありませんでしたが」
「では……」
どういったつもりですか、と続くはずだった言葉はシュナーベル卿の手によって遮られてしまいました。私の目も覆ってしまうものだから、何も見えません。
「シュナーベル卿?」
「すこしばかり、そのままで」
見えない視界の向こうでは、『ドスドス』という物音と『うっ』といううめき声が聞こえてきます。
……確かに、見ない方が精神衛生上よろしいことが行われているようですね。
「みな、先日の抜け駆けには腹を立てていたところですから」
目隠しが外されると、少し髪の乱れたテオドル皇子が苦笑いで立っていました。
何があったのかは察しがつきますが、私は何も知らない見ていない、と心の中で唱えます。
……シュナーベル卿とイヴァンだけは、後で叱っておかなければ。
それにしても、抜け駆けとはどういうことでしょうか?
「まったく、不敬だぞ」
テオドル皇子はそう言いながらも、楽しそうにも見えます。
他の六人も怒っているのか楽しんでいるのか……。おそらく後者でしょうね。そういう雰囲気です。
この七人は、私の知らないところで良い友人関係を築いていたようです。
「さあ、お急ぎください」
雨よけのマントを被り、馬にまたがります。
とにかく急がねばなりませんから馬車は使いません。
「道案内はイヴァンに任せます。頼みますよ」
「任せてください!」
七頭分の馬蹄の音と共に、走り出しました。
──お母様、どうかご無事でいてください。
七日後、私たちは無事にカルケントに到着しました。
イヴァンの道案内のおかげで、馬車で移動するよりもずっと速くたどり着くことができたのです。
とにかく、早くお母様のもとへ。
そう思っていた私たちでしたが、城門を入ってすぐに衛士に囲まれてしまいました。
「これは、いったいどういうことですか?」
「国王陛下のご命令です。王宮へお越しください」
「お母様は王宮にいらっしゃるの?」
「……ここで剣をお預かりします」
私の質問に答えないどころか、剣を預かる?
無礼以前の問題です。
他国の城で、騎士から剣を取り上げようとは。
「何を……!」
「シーリーン嬢」
声を上げようとした私を止めたのはバルターク卿でした。
「まずは、お母様のご無事を確認することが最優先です」
「しかし!」
「大丈夫です。ここは同盟国。剣などあってもなくても、問題にはなるはずがありません」
それは痛烈な嫌味でしたが、衛士たちには堪えた様子もありません。
「剣をお預かりします」
淡々と繰り返される言葉に、背筋を冷たいものが伝っていきました。
この城で、何かが起こっているのです──。
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