36 / 38
第36話 間違いは正さねばならない
しおりを挟むイスハーク様が立ち上がってお母様を睨みつけます。
「貴様、王太子に向かって愚かと言ったのか! 賛成せぬと言うなら、謀反だ! 預かっている嫡男を殺す!」
──ヒュッ。
私の喉を、冷たい息が通り抜けました。
アダラート公爵家の嫡男である私の弟を、預かっている? 従わねば殺す?
まさか、そのような人質のような扱いを受けていたとは……!
「……っ!」
お母様のもとに行かなければ。
しかし、それをバルターク卿が押し留めます。
「もう少しお待ちください。お母様を信じるのです」
「でも!」
「大丈夫です。他でもない、貴女のお母様ですよ」
お母様が、前に出ました。
慌てた衛士たち止めようとしますが、その歩みは止まりません。
お母様は大広間の中央まで歩み出て、正面からイスハーク様と対峙しました。
「何度でも申し上げましょう。愚かな王太子よ」
「お母様! 何を言っているのですか!」
ナフィーサの慌てようを見れば、お母様が反対するとは露ほども思っていなかったのでしょう。
「弟が死ねば、アダラート公爵家には後継者がいません。黙って従ってください!」
「お黙りなさい! この未熟者が!」
大広間が、ビリビリと震えます。
ふだん穏やかなお母様がこのように大声を出したところを見たのは、初めてです。
ナフィーサも驚いて口をパクパクさせています。
「王太子よ。オルレアン帝国との同盟は、我々の悲願でした。平和のために必要なことだったのです。それを破棄してまで、何を得ようと言うのですか」
お父様はそのために戦い、そのために命を落としたのです。
攻めてきたオルレアン帝国と、対等な同盟を結ぶことで戦を終えること。
そのために、耐え難きを耐える戦を、乗り越えたのです。
「オルレアン帝国とは確かに同盟を結んだが、皇帝は私を支持しない。他の王を擁立しようと画策しているのだ。我が王家の血統を蔑ろにする者との同盟など、結ぶ意味がない」
「いつまでそのような妄執に囚われているのですか」
「妄執だと!」
「同盟を結んだとはいえ、王位の継承は内政に関わる事。オルレアンの皇帝が支持するもしないも関係のない事でしょう」
「いいや! ウォルトンの国王は私を支持すると言った! 私が王位につくための、あらゆる支援をすると言ったのだ!」
他国の内政干渉を許すとは。
愚かな行いを塗り重ねていることに、まだ気づいていないのでしょうか。
しかし、これで事の真相が明らかになりました。
──自分の王位を安泰なものにするため、イスハーク様は国を売ったのです。
「第一、貴様が反対したところでもう遅いわ! すでにウォルトン王国軍は北の街道を進み始めている!」
──ザワッ!
ひときわ大きなざわめきが起こりました。
街道沿いの領地を持つ北方の領主たちが、にわかに動き出します。
彼らにとっては領地の一大事。
彼らは大広間から出ようとしましたが、それを衛士が押し留めています。
「なんという、愚かな!」
「ふんっ! 公爵家の嫡男を連れて来い! この手で処刑してくれる!」
「やれるものならば、やってみなさい! その時は私がその空っぽの頭を叩き潰す事を覚悟なさい!」
「ひゅー。過激」
イヴァンが口笛を吹きました。
「よくおっしゃった」
デラトルレ卿が拍手します。
同じように、広間からは喝采が上がっています。
イスハーク様は赤黒い顔で、身体をブルブルと震わせています。
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
もはや、子供の駄々と同じ。
貴族たちから、冷たい視線が浴びせられています。
何人かの貴族が大広間から逃げ出すのが目の端に映りました。まるでネズミのようです。情けない。
自分の利益のために王太子を担ぎ上げた者たちです。担いだ神輿が泥で出来ていたと気づいたのでしょう。
彼らのことは、後回しです。
まずは、すでに街道を進み始めているウォルトン王国軍をなんとかしなければなりません。
「シーリーン・アダラート!」
「はっ!」
お母様に呼ばれると、背中がピンと緊張しました。
その背を、騎士たちが押してくれます。
お母様の隣に進み出ました。
「アダラート公爵代行として、全権をそなたに委任します」
鋭い眼差しが、私を見つめています。
「私たちは間違いを犯しました。愚かな王太子を、止めることができなかった」
その言葉に、騒いでいた貴族たちが押し黙りました。
彼らは王宮の異常に気付きながらも、何も策を講じなかったのです。
現在はオルレアン帝国で暮らし、帝国の皇子を後見としている私が事を収める。
それが、現状における最善手です。
「間違いは正さねばなりません。王家の血とアダラート公爵家の誇りにかけて、貴女が間違いを正すのです」
「承知!」
「……お願いしますね」
お母様の小さな声に、しかと頷きました。
「ウォルトン王国軍に使節を送れ! 我々は通行を許可しない! 無視するようならば、これを迎え撃つ!」
「おう!」
私の声に、貴族たちが応えてくれました。
ウォルトン王国側は、おそらくこの事態も織り込み済みでしょう。
そのために、北の領主たちをカルケントに参集させた。
仮にこの発議が拒否されたとしても、フェルメズ王国軍には厳しい戦いになります。
イスハーク様は、いいように踊らされていたのです。
「バルターク卿」
「はっ」
「弟の保護を頼めますか?」
「ただちに!」
「時間が惜しい。地図をここへ!」
政務官と侍従たちが慌てて動き出しました。
主要な貴族たちが、慌ただしく臣下に指示を出しながら集まってきます。
それぞれ領地に知らせを送り、戦の準備をさせるのです。
「まずは北の街道に戦力を送ります。とにかく早く動ける家門から順に出立してください」
「はっ」
「時間との勝負です。オルレアン帝国との国境に到達させてはなりません」
そうなれば、ウォルトン王国と翰帝国を敵に回すだけでなく、オルレアン帝国との同盟まで崩れてしまいます。絶対に、あってはならない事です。
「無理だ! 間に合わない! このままウォルトン王国を通した方が良いに決まっている!」
イスハーク様です。
まだ、口を開く気力が残っていたのですね。
「貴様は一介の公爵令嬢だろう! 女なら黙って男に従え! なぜナフィーサのようにできないんだ!」
思わず、言い返すことができませんでした。
──なぜナフィーサのようにできないのか。
私自身が、何度も自問自答してきた問いです。
女ならば。
ただ粛々と男に従い、男を立てる。
余計な口出しはしない。ましてや男のすることに口ごたえなどしない。
ただ美しく着飾って、可愛らしく在る。そして、男の道に花を添える。
王妃の椅子に座ったまま、ただ呆然としているだけの妹のように。
それが女の正しい姿なのでしょう。
「そんな必要はございませんよ」
私が言い返そうとしたとき、そこに割り込んできた人がいました。
「ナフィーサのように、ですか……。『獅子姫』はそんな小さな場所に収まるような器ではございませんでしょう?」
誰、でしょうか……?
24
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された宰相です。 正直、婚約者も宰相も辞めたかったので丁度よかったです
鍛高譚
恋愛
内容紹介
「婚約破棄だ! そして宰相もクビだ!」
王宮の舞踏会で突然そう宣言したのは、女性問題を繰り返す問題王太子ユリウス。
婚約者であり王国宰相でもあるレティシアは、静かに答えた。
「かしこまりました」
――正直、本当に辞めたかったので。
これまで王太子の女性問題の後始末、慰謝料交渉、教会対応、社交界の火消し……
すべて押し付けられていたレティシアは、婚約も宰相職もあっさり辞任。
そしてその瞬間――
王宮が止まった。
料理人が動かない。
書類が処理されない。
伝令がいない。
ついにはトイレの汚物回収まで止まり、王宮は大混乱。
さらに王太子の新たな女性問題が発覚し、教会は激怒。
噂は王都中に広がり、王宮は完全に統治不能に。
そしてついに――
教会・貴族・王家が下した決断は、
「王太子廃嫡」
そして。
「レティシア、女王即位」
婚約破棄して宰相をクビにした結果、
王宮を止めてしまった元王太子の末路とは――?
これは、婚約破棄された宰相が女王になるまでの
完全自業自得ざまぁ物語。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
『無能な聖女』と婚約破棄された私、実は伝説の竜を唯一従える『真の守護者』でした。~今さら国に戻れと言われても、もう遅いです~
スカッと文庫
ファンタジー
「魔力値たったの5だと? 貴様のような偽聖女、この国には不要だ!」
聖女として国を支えてきたエルナは、第一王子カイルから非情な婚約破棄を言い渡される。隣には、魔力値を偽装して聖女の座を奪った男爵令嬢の姿が。
実家からも見捨てられ、生きては戻れぬ『死の森』へ追放されたエルナ。しかし、絶望の中で彼女が目覚めさせたのは、人間には測定不能な【神聖魔力】だった。
森の奥で封印されていた伝説の銀竜を解き放ち、隣国の冷徹皇帝にその才能を見出された時、エルナを捨てた王国は滅びの危機に直面する――。
「今さら謝っても、私の結界はもうあなたたちのために張ることはありません」
捨てられた聖女が真の幸せを掴む、逆転劇がいま幕を開ける!
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
追放された地味令嬢、実は王国唯一の“魔力翻訳者”でした 〜役立たずと言われましたが、もう契約は終了です〜
あめとおと
恋愛
王太子から「魔法が何も起こらない役立たず」と断罪され、婚約破棄された伯爵令嬢リリア。
追放された彼女の能力は――
魔法の“意味”を読み解き、術式そのものを理解する力《魔力翻訳》。
辺境の魔導研究所でその才能を見出された彼女は、
三百年解読不能だった古代魔法を次々と再生させていく。
一方、彼女を失った王都では魔法事故が連鎖。
国家結界すら崩壊寸前に――。
「戻ってきてほしい」
そう告げられても、もう遅い。
私を必要としてくれる場所は、
すでに別にあるのだから。
これは、役立たずと呼ばれた令嬢が
本当の居場所と理解者を見つける物語。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる