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第一章
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「神様気取り? それとも、本当に自分が神様だと思ってんの?」
前髪をかきあげたその仕草からは、軽蔑するような瞳が露わになる。その双眸があまりにも怖いと思ってしまった。
私が知っている逢坂楓は、今ではまるごとごっそり抜き取られてしまったようだ。雰囲気までもが豹変してしまった彼の姿に呆気にとられる。
「こんなことしてて自分で笑えたりしないんだ。おめでたいよね、ほんと。もしかして、このノートの持ち主、俺じゃなかったらよかったのにとか思ったりしたんでしょ。すごいよね、人間ってやっぱ都合よく作られてんだ」
思惑が見透かされている。善意ではなく、己の欲望のために十月様と化したことも。誰かのためではなく、自分のためだったということも。彼はもしかしたら見抜いてしまっているのかもしれない。
彼のではないんじゃないかと、思っていたことだって事実だ。
「正真正銘俺のだよ。俺が書いたもの」
「どうして……」
「どうしてって、むしろ人って自分が見えてるものすべてだとか思ったりしてない? 自分にだってあるでしょ、いくつもの自分が。家族に見せる顔と友達に見せる顔がちがうように、俺だってこういう一面があるって話だと思うけど」
口調はあまり変わらないのに、声のトーンがまるで別人だ。
「じゃ、じゃあ……あの私書箱に入れたのは……」
責任転嫁をするつもりではない。見たことはたしかで、責められてしまうことだって致し方ないのかもしれない。けれど、そもそも論で話をしてしまえば、あの私書箱に投函されていたことが事の発端だ。
見下したような表情から一転、すっと感情が消えてしまったかのように見えたその顔は、「さあ」とこぼす。
「知らない。でも、入っていたことが事実なんだから、俺が入れたんだろうね」
理解力が私は乏しいのだろうか。だから、彼が言っていることもうまくのみこめないのだろうか。
「いっそこのこと忘れてくれた方がいいけど」
「……え、あ、忘れる努力は、します」
「無理でしょ、馬鹿なの?」
まさか彼から貶される日がくるなんて思いもしなかった。しっかりと心にダメージを受けながらも、とにかくこの場から解放されたいという欲だけが募っていく。
「あ……えっと……帰り、ます」
いよいよ視線をどこに置いておけばいいのかさえ分からなくなり、その場から逃げ出そうと企むものの、そんなことは許されるはずもなく、力強く掴まれた手首に引き戻される。どうやら帰るなんて選択肢は現段階では与えてもらえないらしい。
「この状況で帰れるとでも?」
「あ、あの、ノートのことは誰にも言わないから」
「そっちが勝手に見て言わなって、それってフェアじゃないと思うけど」
「でも、私書箱に投函されていて……」
「言い訳って醜いよね」
「言い訳ではないかと」
「は?」
「いや、その通りです」
「怒ってるつもりはない。ただ呆れてるだけ。南雲さんってすごい馬鹿なんだなって思って」
「……」
「むしろ、人っていつだって同じとは限らないでしょ」
「……たしかに今の逢坂くんは別人だね」
「だろうね、南雲さんのこと、軽蔑してるから」
普段の逢坂くんからは決して出てこないような言葉が躊躇いなく飛び出してくる。
本当に、この人は誰なのだろう。
「このこと、誰にも言わないから」
「それを信じるとでも思ってんの?」
「……じゃあ、どうしたら」
そう答えを求めるものの、何をしたって許してもらえるとは到底思えない。これが普段の逢坂くんだったら優しく笑って許してくれたのかもしれないけど……今の彼では命乞いをしたとしても無慈悲に突き返されるだけだ。
それでも許しを乞えといわれるのであれば、なんでもするつもりで、それなりの対価を支払わなければならないと覚悟はしている。一応、これでも。
「──十月様」
「……え?」
「そうなら、解決してよ」
だからこそ、彼の発言はつい耳を疑うようなものだった。
「なに、文句あんの?」
「あ、いや、別に」
「なんでも解決するなら俺の悩みだって、平等に受ける義務があると思うけど」
「……そう、だね」
解決できる力なんてないのに、今はただうなずくだけ。
「それに、そっちが黙ってる保証なんてどこにもないんだから」
それはその通りだ。信用問題の話になってくる。弱みを握られている時点で私を野放しにしておくというのは逢坂くんにとっても精神的によくないだろう。
「……私でよければ」
渋りは見せたものの、結果論を言えば私にはその選択肢しか残されていない。どれだけない頭を振り絞って考えたところで、彼に許しを乞うのであれば、罪を償うのであれば、彼の言葉には従うべきだ。
逃げないと分かったのか、締め付けるように掴まれていた手首がようやく解放される。じんじんと広がっていく痛みに堪えながら再度襲ってくる緊張に唾を飲んだ。
「それで、解決してほしいことって……」
「俺を取り戻して」
「え……?」
聞き覚えのあるフレーズがなにかと重なる。
あれやこれやと緊張を紛らわせようと、悪い癖だと自覚している黙語りをしているところで何とも予想外の返答が聞こえた。
「俺を取り戻すことができたら、そっちの勝ち。許してやるよ」
こうして、私たちは奇妙な約束を交わすことになってしまった。
取り戻してと、彼は言った。そのとき、私は一体どんな依頼を請け負ってしまったのか、いささか理解ができず、その言葉の意味さえままならなかった。
彼との関係を、──いや、奇妙な関係を説明するには、数多の言葉が必要になるのかもしれない。けれど、口下手な私ができることとすれば、ああ、この辺からだろうかというところまで遡り、ぽつぽつと話していくことが最良なような気もする。
だから、振り返ってみようと思う。
彼を知ってしまったあの出来事を。そして、訪れた結果を。
前髪をかきあげたその仕草からは、軽蔑するような瞳が露わになる。その双眸があまりにも怖いと思ってしまった。
私が知っている逢坂楓は、今ではまるごとごっそり抜き取られてしまったようだ。雰囲気までもが豹変してしまった彼の姿に呆気にとられる。
「こんなことしてて自分で笑えたりしないんだ。おめでたいよね、ほんと。もしかして、このノートの持ち主、俺じゃなかったらよかったのにとか思ったりしたんでしょ。すごいよね、人間ってやっぱ都合よく作られてんだ」
思惑が見透かされている。善意ではなく、己の欲望のために十月様と化したことも。誰かのためではなく、自分のためだったということも。彼はもしかしたら見抜いてしまっているのかもしれない。
彼のではないんじゃないかと、思っていたことだって事実だ。
「正真正銘俺のだよ。俺が書いたもの」
「どうして……」
「どうしてって、むしろ人って自分が見えてるものすべてだとか思ったりしてない? 自分にだってあるでしょ、いくつもの自分が。家族に見せる顔と友達に見せる顔がちがうように、俺だってこういう一面があるって話だと思うけど」
口調はあまり変わらないのに、声のトーンがまるで別人だ。
「じゃ、じゃあ……あの私書箱に入れたのは……」
責任転嫁をするつもりではない。見たことはたしかで、責められてしまうことだって致し方ないのかもしれない。けれど、そもそも論で話をしてしまえば、あの私書箱に投函されていたことが事の発端だ。
見下したような表情から一転、すっと感情が消えてしまったかのように見えたその顔は、「さあ」とこぼす。
「知らない。でも、入っていたことが事実なんだから、俺が入れたんだろうね」
理解力が私は乏しいのだろうか。だから、彼が言っていることもうまくのみこめないのだろうか。
「いっそこのこと忘れてくれた方がいいけど」
「……え、あ、忘れる努力は、します」
「無理でしょ、馬鹿なの?」
まさか彼から貶される日がくるなんて思いもしなかった。しっかりと心にダメージを受けながらも、とにかくこの場から解放されたいという欲だけが募っていく。
「あ……えっと……帰り、ます」
いよいよ視線をどこに置いておけばいいのかさえ分からなくなり、その場から逃げ出そうと企むものの、そんなことは許されるはずもなく、力強く掴まれた手首に引き戻される。どうやら帰るなんて選択肢は現段階では与えてもらえないらしい。
「この状況で帰れるとでも?」
「あ、あの、ノートのことは誰にも言わないから」
「そっちが勝手に見て言わなって、それってフェアじゃないと思うけど」
「でも、私書箱に投函されていて……」
「言い訳って醜いよね」
「言い訳ではないかと」
「は?」
「いや、その通りです」
「怒ってるつもりはない。ただ呆れてるだけ。南雲さんってすごい馬鹿なんだなって思って」
「……」
「むしろ、人っていつだって同じとは限らないでしょ」
「……たしかに今の逢坂くんは別人だね」
「だろうね、南雲さんのこと、軽蔑してるから」
普段の逢坂くんからは決して出てこないような言葉が躊躇いなく飛び出してくる。
本当に、この人は誰なのだろう。
「このこと、誰にも言わないから」
「それを信じるとでも思ってんの?」
「……じゃあ、どうしたら」
そう答えを求めるものの、何をしたって許してもらえるとは到底思えない。これが普段の逢坂くんだったら優しく笑って許してくれたのかもしれないけど……今の彼では命乞いをしたとしても無慈悲に突き返されるだけだ。
それでも許しを乞えといわれるのであれば、なんでもするつもりで、それなりの対価を支払わなければならないと覚悟はしている。一応、これでも。
「──十月様」
「……え?」
「そうなら、解決してよ」
だからこそ、彼の発言はつい耳を疑うようなものだった。
「なに、文句あんの?」
「あ、いや、別に」
「なんでも解決するなら俺の悩みだって、平等に受ける義務があると思うけど」
「……そう、だね」
解決できる力なんてないのに、今はただうなずくだけ。
「それに、そっちが黙ってる保証なんてどこにもないんだから」
それはその通りだ。信用問題の話になってくる。弱みを握られている時点で私を野放しにしておくというのは逢坂くんにとっても精神的によくないだろう。
「……私でよければ」
渋りは見せたものの、結果論を言えば私にはその選択肢しか残されていない。どれだけない頭を振り絞って考えたところで、彼に許しを乞うのであれば、罪を償うのであれば、彼の言葉には従うべきだ。
逃げないと分かったのか、締め付けるように掴まれていた手首がようやく解放される。じんじんと広がっていく痛みに堪えながら再度襲ってくる緊張に唾を飲んだ。
「それで、解決してほしいことって……」
「俺を取り戻して」
「え……?」
聞き覚えのあるフレーズがなにかと重なる。
あれやこれやと緊張を紛らわせようと、悪い癖だと自覚している黙語りをしているところで何とも予想外の返答が聞こえた。
「俺を取り戻すことができたら、そっちの勝ち。許してやるよ」
こうして、私たちは奇妙な約束を交わすことになってしまった。
取り戻してと、彼は言った。そのとき、私は一体どんな依頼を請け負ってしまったのか、いささか理解ができず、その言葉の意味さえままならなかった。
彼との関係を、──いや、奇妙な関係を説明するには、数多の言葉が必要になるのかもしれない。けれど、口下手な私ができることとすれば、ああ、この辺からだろうかというところまで遡り、ぽつぽつと話していくことが最良なような気もする。
だから、振り返ってみようと思う。
彼を知ってしまったあの出来事を。そして、訪れた結果を。
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